週末の個人授業

 
 ホグワーツの東塔には目に見える形での入口が存在しない。
 そのため、創設者がホグワーツ城の外観上のバランスを取るために設計した塔であり、東塔自体には何ら役割がないのではないかと考える教職員や生徒が大半である。

 そんな東塔の僕に割り当てられた部屋では、ドラコが課題に取り組んでいた。僕が寮での勉強会以外に、生徒からの申し出があれば個別に勉強会を開くことがある、ということを父親のルシウスから聞いていたのだろう。ドラコは入寮してすぐ、土曜日の午前中の早い時間に勉強を見てほしいと僕に申し出た。勤勉な生徒を好む僕は彼の申し出を快く受け入れ、この場所に連れてきた。
 ……そう、ホグワーツの東塔は、僕らホグワーツの守護者が、所属する寮の生徒たちとの交流のために使用する、談話室とはまた別の部屋が存在する場所だ。
 東塔の入口は各寮の談話室にあり、寮長がいなければ扉を見つけることも開けることもできないように設計されている。基本的には談話室で事足りてしまうため、この場所を使っている生徒はもっぱらスリザリンの勤勉な生徒たちだけだった。彼らはこの場所を特別な場所だと思っているらしく、他寮の生徒の前では決してこの部屋の話をすることはない。それゆえに寮外に話が広まることもなく、他寮出身の教職員や生徒は東塔の役割について知らないことが多い。

 一心不乱に課題に取り組むドラコの横には、自分の身体と同じ大きさはあろうかという本を机の上に広げ、机の上に腰を下ろして読書にいそしむ“トム”がいる。
 彼をここへ連れてくるつもりはなかったが、ドラコとの勉強会の話をすると 「週末は一緒にいるって言ったじゃないか」と不満をあらわにし、僕が連れて行くというまで機嫌を直さなかった。仕方がないので、生徒には話しかけず、おとなしくしていることを条件にこうして連れ出した次第だ。
 久しぶりにこの部屋に足を踏み入れるからなのか、トムの目はドラコ以上に輝き、彼が卒業した後に此処に増えた本に興味津々の様子。ドラコのことなどこれっぽっちも見えていないようだった。言いつけを守りおとなしくしているので、僕も何も言わずに彼の指示した本を本棚から持って来たり、読み終えてしまった本を本棚に戻したりしている。

 「寮長。変身術の課題レポートが終わったので、目を通していただけますか?」

 ドラコが顔を上げて僕の方へ羊皮紙を差し出した。マッチ棒を針に変える術についてまとめるレポートは、上品な字で羊皮紙二巻半にわたって詳細に記されている。
 スリザリンの新入生の中では、初回の授業でマッチ棒を針に変身させることができたのはドラコだけだった。
 受け取った羊皮紙に目を通している間、ドラコは僕が用意した紅茶に口をつけながら、驚くべきスピードで本を読み漁るトムを興味深げに見つめていた。

 「……上出来。要点がきちっと押さえられていていいと思うよ。文字の大きさや綺麗さも問題ない。見やすくて良いレポートだ」
 「ありがとうございます」
 「次は?」
 「呪文学と薬草学の予習を。特に薬草学が苦手なんです。薬草などは、店の棚に整然と並べられているものだとばかり思っていましたから。あんな風に土の上に生えた得体のしれないものの世話をするなんて……」

 その言葉に、本のページをめくっていたトムがふっと軽く口元に笑みを浮かべた。
 聞こえてきた音にドラコはやや顔をしかめたが、すぐに取り繕って冷静な表情に戻して僕のほうを見た。
 ルシウスとナルシッサは一人息子のドラコを溺愛していると聞いている。一年生にも関わらず、目上の者への言葉づかいを心得、礼儀正しく振る舞うドラコからは二人の愛情と教育が良く見て取れる。やんちゃ盛りの多くの男の子が好むような遊びをドラコが体験してこなかったのだろうということはすぐに察しがついた。

 「魔法植物の実際の扱いは難しい。状況を判断して適切な処理をしてあげなければならないからね。まずはその植物について正しい知識を身に着けることが重要だ。知識が身につき、処理の仕方がわかればためらうこともなくなるはずさ」

 一年生用の薬草学の教科書をめくる。挿絵の多い教科書には、植物の扱い方が細かく書いてある。
 ドラコは忠実に描かれた挿絵を見ることも苦手のようだ。時々顔をしかめ本から目をそむけている。

 「暗記は得意かい?」
 「苦手ではないと思います」
 「それならまずは知識を頭の中に入れようか。覚えるには手を動かすといい。……そうだな。このあたりをレポートにまとめてご覧。次の授業できっと役に立つ。要点を抜き出してうまく説明するんだ」
 「はいっ」

 ルシウスとナルシッサの教育はドラコを従順で素直に育てている。欠けているところがあるとすれば、貴族的振る舞い以外の年相応の幼さを表現する術を身に着けなかったがために、他寮の生徒との意思の疎通がうまくできない、というところだろうか。
 机の上に新しい羊皮紙を広げたドラコは、羽根ペンをインクに浸し、僕の出した新しい課題に取り組み始めた。

 「

 ちょうど本を読み終えたのか、トムが僕の名を呼んだ。トムに視線を移し、彼のもとへ足を向けると、小さな手が僕のローブを握った。
 トムはドラコに嫉妬しているのだろう。今の彼にはドラコが忠臣の愛息子であるという事実に意味はないらしい。トムにとって重要なのは、いかに僕の視線を自分から逸らさないでおけるか。その一点に尽きる。
 『闇の時代後の魔法界』と題された現代を論じる本を僕に手渡したトムは、ややふてくされた顔をしていた。

 「本の内容が気に喰わなかったかい?」
 「ああ。まったくもって不愉快極まりない本だった。もっと楽しい本がほしい」

 抱き上げて本棚に連れて行ってくれとばかりにトムは僕に手を伸ばし、僕はそれを了承してトムを抱き上げた。
 ドラコが僕らの様子を不思議そうに見ている。

 「……何見てるんだい?」

 不機嫌なトムはドラコに冷ややかな視線を向け、冷たい言葉を投げた。
 ドラコには試作品の魔法人形だとトムのことを伝えてある。ドラコの他数名の生徒がトムの存在を知っているが、彼らにも同じように試作品の魔法人形だと伝え、彼がかのヴォルデモート卿であるとは一切教えていない。そんなことを教えるわけにはいかないし、スリザリンの生徒の親の多くはヴォルデモート卿に仕えていた。肉体のない状態とはいえ、彼が自分たちの子供の近くにいるなどと知られるわけにはいかなかった。

 「とても流暢にお話しする人形だと感心したんです。寮長が手掛けただけあるな、と思って」
 「当り前だろう? はこの世の誰よりも素晴らしいんだ」
 「同感です」

 幸いドラコはトムを“意志を持った魔法人形”だと思い込んでいる。自分の言葉に反応する生意気な人形を面白そうに眺め、会話を楽しんでいる。ドラコが敬語を使っているのは、僕が作った人形だと信じているからだろう。
 部屋全体にびっしりと並んだ本棚の一角にトムを連れてくると、彼は小さな手を伸ばしてあれでもないこれでもない、もっとあっちの本棚だ、などと僕に指示を出した。
 この十年の空白を探しているのかもしれない。彼が姿を現さなくなった後の魔法界は、彼の存在を無視して前に進んだ。断片的な情報でしか伝わってこない魔法界の変貌にヴォルデモートが苛立ちを募らせていたと想像するのは容易かった。

 「……今日はこれ以上面白い本が見つかる気がしないな」
 「ここに在る本はもうお気に召さないかい?」
 「ああ。部屋に戻りたい」
 「残念ながら。ドラコの勉強が終わるまでもう少し」
 「……週末は一緒にいるって言ったじゃないか」

 しばらく僕を部屋の右から左へと連れまわしたトムは、僕のその動きでドラコの集中力を削ごうとしているように見えたが、ドラコがよく躾けられた生徒であったがために、まったくもって功を成さないことを悟ると、ため息をついて僕の髪を引っ張った。
 紅い瞳が僕をまっすぐに見つめ、やや口角を下げて不満をあらわにした表情はしかし、いつもの通り整っていて美しい。
 彼の輪郭を指でなぞると、僕は伏し目がちにため息をついた。
 正直なことを言えば、僕もトムと一緒に怠惰な休日を過ごしたいと思っている。寮の部屋で、東塔の部屋で、地下牢にある秘密の研究室で、トムの研究にとことん付き合い、笑いあい、これまでの話を聞き、最高に怠惰な一日を過ごしたい、と……そう願っている自分がいる。だけどそれでは寮長として示しがつかないし、何よりホグワーツにいる以上、トムに宿ったヴォルデモートは監視の対象だ。彼が生徒たちに手を出さないように警戒しなければならない。彼との甘い夢におぼれていてはいけないのだ。
 感情とはなんて厄介なものなんだろう。溺れてしまえば楽なのに、僕らには自制が与えられてるが故に、感情の波に溺れて我を忘れることができない。
 思いを胸の内にしまうと、僕は視線をトムに戻した。

 「おとなしくしている、という条件でここに連れてきたはずだが」
 「ずっとおとなしくしてたよ」
 「昼食の時間まであと少しじゃないか。君は新入生よりも集中力が続かないのかい?」
 「が誰かと一緒にいるからいけないんだ。僕と二人で一緒に居れば、集中力が途切れることなんかないよ」

 小さな人形が我儘を言って駄々をこねるのを、ドラコが息をついて笑いながら見ている。寮長に堂々とわがままを言えるなんて……と、少し驚いたそぶりも見える。
 小さくため息を吐いてトムを戒めたが、それでもトムは引き下がらなかった。
 僕の髪を引っ張り、僕のローブを強く握りしめては、「部屋に戻りたい、二人だけになりたい」としきりに駄々をこねる。
 きっと今、彼がかの有名なヴォルデモート卿だ、とドラコに説明しても彼は信じないだろう。
 少し呆れた僕はトムを連れて窓の方へ歩み寄った。窓の外を覗くと、澄み渡った秋空の下で剣の稽古に励むの姿が目に入る。
 青々とした芝生の上で、魔法で出した宙に浮く剣と一緒に戦う。トムは彼の姿を見たとたん顔を逸らしたけれど、僕はそのまま窓を開けての名前を呼んだ。

 「なっ、あんな奴呼ぶ必要ないだろう?!」

 はすぐに僕に気づき、箒を呼び寄せると軽々と東塔の窓辺にやってきた。魔法で出した剣はそのままだったので、剣はの後ろを狙って攻撃を仕掛けているが、は簡単にそれをよけ、自分の剣で相手をして楽しんでいる。
 ドラコが薬草学の本から顔を上げての姿を見た。金属と金属のぶつかり合う音に少し顔をゆがめたが、すぐに紳士ぶった振る舞いに戻り、何事もなかったかのように教科書に視線を戻した。

 「土曜日の朝だっていうのに、こんなところでお勉強か? それより僕と剣の稽古をしないか、
 「剣の稽古ならトムが手伝ってくれるよ」

 そういってトムを差し出すと、トムは僕の髪を強く握りしめて必死に抵抗した。
 いやだと首を振ってに悪態をつく。

 「なんだトム、そんなに嫌がるなんて小さな子供みたいじゃないか。ほら、ドラコも笑ってるぞ」
 「ぼ、僕はそんな……」

 不意に名前を呼ばれて顔を赤くしたドラコがに反論するのを、は面白そうに眺めていた。ハリーにあれだけ傲慢な態度をとっているドラコが、僕に従順なことが彼にとっては意外なようだ。残念ながらスリザリンの生徒は、グリフィンドールの生徒のように場や立場をわきまえていないわけではないのだ、と心の中で思う。

 「昼食の時間までの稽古に付き合ってくれ、トム」
 「そんな、ひどいよ。週末はずっと一緒にいるって約束したのに」
 「トム、わがまま言うなよ。だって寮長としてしなければならない仕事があるんだ。生徒の勉強を見ることだって立派な仕事さ。僕と一緒に剣の稽古をしてお昼まで遊ぼうじゃないか」
 「なんで僕がと……」
 「ほらほら、文句言わない。どうせ我儘言ってを困らせたんだろう? おとなしく僕と一緒に剣の稽古しよう」

 嫌がるトムを僕から無理に引き離したは、トムがいじけるのも気にせずに「お昼にな」と言って箒に乗って地上へと向かった。
 トムには少し悪いことをしたかな、と思いつつも、も剣の稽古の相手をほしがっていただろうし、僕はトムと離れてドラコの勉強を見る必要がある、と自分を納得させた。
 トムが去るとドラコは抑えていた声を漏らして笑い、羽根ペンを動かす手を止めた。

 「やはり魔法で生み出したものは、創作者に一番懐くものなんですね」
 「彼は少し依存傾向が強い気がするけどね」

 ドラコの机の上を覗き込むと、来週の授業に必要であろう薬草学の内容はすでにまとめ終えているようだったので、僕はそのまま彼の羊皮紙を手に取った。まとめられた薬草学の内容に目を通しながらため息をつく。
 ドラコの洗練された綺麗な文字は、教科書に載っている薬草学の要点をよくまとめてあり、中々出来のいいものだった。

 「ん。よく出来ているよ。薬草学はまずは知識だ。経験ばかりは授業で体験しないとどうにもならないから、授業の時に。それでもうまくいかないときはいつでも助けるから声をかけてくれ。他に今日やっておきたいことはあるかい?」
 「ありがとうございます。お昼までまだ時間があるので、呪文学の予習をしておこうと思うんです。時間があれば闇の魔術に対する防衛術についても寮長の解説を聞きたいのですが」
 「そうか。呪文学と言えば、フィリウスが褒めていたよ。君はなかなか筋がいい、ってね」
 「本当ですか?」
 「ああ。初回の授業であれだけこなせれば申し分ない。ルシウスもナルシッサも鼻が高いことだろう」

 新しい紅茶を用意してドラコに渡すと、やや赤面したドラコが僕に頭を下げた。

 「ホグワーツの生活は楽しいかい?」
 「ええ、とっても。父は僕をダームストラングに入れたいと言ってた時期がありまして、正直ホグワーツにはあまり期待しいなかったんです。父と母はスリザリン寮についてはとてもよい寮だとおっしゃっていましたけど、その他の寮の生徒たちと僕がかかわるのはあまり好んでいないようでした。母がダームストラングはあまりにも遠いと言って、僕は両親同様ホグワーツに入学することになりましたけど……寮長のように素晴らしい方にこうして個人的に勉強を見てもらえるなんて、ホグワーツも悪くないなと思いました」
 「それは良かった。勉強会の話はルシウスから聞いていたのかい?」
 「はい。父上も昔寮長にお世話になったとかで、入学したら尋ねてみなさい、と言われました」

 ドラコの言葉に、ほんの少し昔を思い出す。ドラコによく似た彼の父親ルシウスも、毎週個人授業を欠かすことはなかった。彼もかつてここにやってきて、こうして僕が出す紅茶を飲みながら毎週勉学に励んでいた。
 まったくスリザリンの生徒は勤勉極まりない、と僕は口元をゆるめる。
 夕食後の勉強会は、サラザール・スリザリンがまだホグワーツにいた頃から続いている伝統的なもので、それ以外に土曜日の昼下がりには監督生たちが集まって勉強会を開いている。加えて個人授業を申し込んでくる生徒は後を絶たず、特に試験が近くなると、スリザリンの生徒たちは皆真剣になる。
 とりわけ、トム・リドルの勤勉さは群を抜いていた、とそこまで思い出して僕は小さく息を吐いた。
 だめだ、ヴォルデモートが僕らの前に現れて以来、僕の意識は彼に向いてばっかりだ。それがわかったからにトムを預けたっていうのに、今すぐにでも会いに行きたくてたまらない。
 ああ、感情と自制というものはともに厄介で仕方がないと、自分に呆れてため息をつく。僕は紅茶を一気に喉の奥に流し込んだ。ドラコが僕のことを首をかしげて見つめている。
 一度伸びをすると気持ちを切り替えるために大きく息を吸い込み、それからドラコに視線を向けた。

 「さ、お昼まで時間がある。来週の授業も君の完璧な姿を見せてくれると僕はとても鼻が高いよ」
 「もちろんです、寮長。呪文学のこの部分の解説をお願いしてもいいですか?」

 ロウェナ・レイブンクローは、僕らに感情を与えた。それは時に厄介なもので、やるべきことをすべて投げ出してしまいたくなるような衝動を僕に与えることがある。
 けれど彼女は僕らに自制心も与えてくれた。ヴォルデモートに会いたい気持ちはあったが、ここはホグワーツで、現在在学している生徒たちの面倒を見ることが僕の役割だ、と自分に言い聞かせて感情を抑える術が僕にはある。
 彼女が与えてくれたものに感謝して、僕はドラコへと集中力を向けた。
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 拙宅のドラコはハリーが絡まなければ賢くて従順な良い子です。

07/01/2012