夏休み
ホグワーツから、新学期に準備する教科書リストが届いた。ダイアゴン横丁でこれらを準備する必要がある。
僕は孤児院の一室で軽く息を吐いた。
ホグワーツでも僕は仮面を被って生活しているけれど、ここでもそれは変わらない。
そしてここは、ホグワーツよりも気を使う。周りはマグルの孤児ばかり。彼らの低俗な話や振る舞いに、僕はうんざりしている。
もちろん、僕がここに帰ってくるのは夏休みの二ヶ月間だけ出し、僕はそのほとんどを図書館か自分に与えられた部屋で過ごしている。
それでも、マグルと関わる時間ができてしまう。この二ヶ月、僕は退屈で窮屈で仕方がなかった。
でも、まぁ…ホグワーツからこの手紙が届いたということは、そろそろこの疲れる生活も終わり、ホグワーツに戻る日が近づいたということだ。
カレンダーの空欄を見ながら、僕はもう一度息を吐いた。
「トム、あなたに手紙よ」
孤児院の管理人が広間にいた僕に声をかけた。彼女は、孤児院に設置されたポストから手紙を取り出していた。
…珍しいな。マグル形式で僕に手紙が届くなんて。
「ありがとうございます」
「きれいな筆跡だわ。女の子から?」
「…心当たりが無いものですから、なんともいえません……」
マグルが使う紙質。差出人の名前は無い。白い封筒の端に黒い猫が描かれている。
これは、まさか……
僕は誰もいない廊下まで手紙を持って歩いていった。
ゆっくり手紙の封を切る。白い便箋に見慣れたきれいな文字が綴られている。
便箋の最後に、期待していた名前を見つけた。
確かになら、マグル形式の手紙の出し方を知っていてもおかしくない。
Dear ヴォルデモート卿,
夏休みはいかがお過ごしかしら。
…私は退屈で窮屈で仕方ない毎日を送っています。
あなたなら、マグル形式で手紙を送っても対応してくれることと思って、こうして便箋にペンを走らせています。
たくさん話したいことがあります。でも、私にとってもあなたにとっても、量のある手紙はマグルに怪しまれる可能性があると思うので、多くは書きません。
本当に書きたいことだけを、ここに記しておきます。
…ホグワーツからの教科書リストは届いたかしら。
もし、都合がよければダイアゴン横丁で落ち合いませんか。
この退屈な毎日も、あなたと会えたなら、少しはましになるかもしれない、と思っています。
電話の使い方はご存知?私の自宅の番号を書いておきます。
それでは、残りの夏休みが充実したものになりますように。
From Your friend,・
の名前の後に数字が書かれていた。
夏休み、僕も退屈で窮屈な毎日を過ごしていた。
買い物をする間だけとはいえ、に会えるのは嬉しい。
時計で時間を確認する。まだ電話をかけても大丈夫そうだ。
僕は孤児院内に設置された電話のある場所へ向かった。
「こんにちは、さんはご在宅でしょうか」
二、三度練習してから電話をかけた。
何しろ、受話器をとるのがとは限らないからね。
彼女はマグルと一緒に生活しているし、電話を使い慣れているのはマグルのはずだ。
でない人物が受話器を取る可能性のほうが高い。
何度か呼び出し音がした後、相手が受話器をとる音がした。
『こんにちは。フィルマー家です。どちら様ですか?』
澄んだ男声が聞こえてきた。
ほら、やっぱりね。
声から若さを感じるから、彼の義弟だろうか。
僕は先ほど練習した台詞のとおりに言葉を口にする。に取り次いでもらわなければ、僕らがダイアゴン横丁で落ち合う話ができない。
事を荒立てないよう、慎重に話す。
「こんにちは。僕はトム・リドルといいます。さんはご在宅でしょうか?」
受話器越しに、ぱたぱたと誰かが階段を下りる音を聞いた。足音はだんだん大きくなる。きっと誰かが電話のほうに近づいてきたんだろう。
相手はすぐに返事をしなかった。
…もしかして、彼は僕のことを警戒したのだろうか。
に電話する者がいるなんて、珍しかったのかもしれない。
正直に名乗らず、商品の宣伝の真似でもしたほうが良かっただろうか。
しばらくして、相手は咳き込んでから答えた。
『…あいにく、我が家にという者は…』
受話器の後ろから、小さく声が聞こえてきた。
『アレンディ、私に電話なら代わってくださいな』
『は黙ってろよ。得体の知れない魔法使いから電話がきたなんて、父さんと母さんに何て言ったらいいんだい?君に電話なんてきてないよ、』
『ミスター・フィルマーもミセス・フィルマーも旅行中でしばらく帰宅しないわ。大切な連絡かも知れないでしょう、アレンディ』
『、もう魔法なんてくだらないものに関わるのはやめ名よ。新学期からは僕と一緒に普通の学校に行こう。それなら父さんも母さんも文句は言わないさ』
『…その話はまた今度にしましょう、アレンディ。今は、受話器を渡してくださいな』
がたがたと相手の受話器が揺れる音が伝わってくる。
一瞬、電話番号を間違えたのかと思ったけど、受話器の向こう側から、よく知っているの声がしたから、僕は安心した。
…ややあって、が受話器を受け取ったようだった。
『父さんと母さんに、僕が取り次いだってバレたら、どれだけ叱られるか……』
『…大丈夫、お部屋に戻ってなさいな、アレンディ。私は自分で受話器をとったのよ』
『ごめんなさい、がたがたしてて。えっと…』
「大変そうだね、」
受話器越しにの声がはっきり聞こえた。
僕が声をかけると、は少し声を漏らして微笑んだようだ。
ぱたぱたと、今度は階段を上る音がし、やがてその音は聞こえなくなった。
久しぶりに聞くの声は、機械越しとはいえ、心地よいものだ。
『本当に電話がかかってくるとは思わなかったわ。夏休みは、どう?』
「退屈で窮屈な毎日さ。僕だって、君から手紙が届くとは思ってなかった」
『…魔法界のように伝達する術がなくて。苦肉の策でマグル形式で手紙を出してみたんですけど、うまく届いたみたいで良かったわ』
やわらかいの声。僕を安心させる。
でも、僕も彼女も長く電話していられる状況にはないみたいだ。
受話器の向こう側から、彼女の義弟が「電話を早く終えて」といっている声が聞こえたし、普段電話を使わない僕が、ずっと使っていても、孤児院の奴らに怪しまれるだろう。
手早く日程だけ話すことにしよう。
「それで、手紙に書いてあった件についてだけど…今週の木曜日でどうだい?今日の明日だときっと君の義弟に止められて大変だと思うし。僕としては、一日も早く君に会いたいんだけどね」
かさり、と紙が捲れる音がした。
『今週の…木曜日ね。ええ、ちょうどいいわ。義父と義母はまだ帰宅しないし、その日ならアレンディも朝早く出かける予定があるみたいだから、好都合ね。…私も今すぐにでもあなたに会いたいわ。ここ、とても窮屈なの』
何かを書き込んでいる音がする。手帳かカレンダーに予定を書き込んでいるのかも知れないな。
僕も自分の手帳に小さく印をつける。
相変わらず、受話器の向こう側からはの義弟の声がする。本当に大変そうだ。
「…それじゃ、木曜日に……そうだな、『漏れ鍋』出会おう。あまりいい店とはいえないけど、この時期あのあたりは人でごった返すからね。『漏れ鍋』が一番わかりやすいだろう」
『了解。楽しみにしてるわ。それじゃ、また木曜日に』
『アレンディ、お部屋に戻ってなさいって……きゃっ』
受話器がものすごい勢いで階段を駆け下りる足音を伝えた。
…と思ったら、相手側の受話器ががたがた揺れる音がした。
そして、小さく聞こえたの声。荒い息が向こう側から伝わってくる。
『二度と電話してくるな魔法使いめ!に変な虫がつくなんて耐えられない。いいか、は魔法なんて知らない。新学期からは普通の学校に通うんだ!お前らとは関わらない!!わかったか?!』
がちゃん、と耳を劈くような音を最後に、通話は途絶えた。
…ふうん、なるほど。
受話器を置いた僕は、はやる気持ちを抑えて、できるだけいつもと同じように振舞いながら、部屋に戻る。
変な虫ねぇ……
僕からしてみれば、マグルの分際でと一緒に生活している奴のほうが変な虫だけどな…
「トム、電話は終わった?珍しいわね、あなたが電話を使うなんて」
「ええ」
「いったい何を話していたの?」
「何も。以前からほしかったものが入荷したらしいので、木曜日に取りに行こうと思って、その連絡をしたんです。…ということで、今週の木曜日、僕は出かけます」
根掘り葉掘り聞かれるのは好きじゃない。
多くの孤児の面倒を見ているからとはいえ、管理人は少しおしゃべりすぎる。
僕は用件を伝えて会話を終了させた。
もちろん、ダイアゴン横丁に行くだとかと会うだとか、そういうことは一切伝えない。
マグルには何を言っても無駄さ。僕は木曜日に出かける。それだけで充分。
「木曜日ね。わかったわ。帰りが遅くなるようだったら、連絡を入れてね」
「はい、わかりました」
形式的に会釈すると、僕は部屋に戻った。
今日は月曜日。ほんの数日のことなのに、その数日が長く感じる。
そうだ、と僕はとある店を思い出した。以前足を踏み入れたときに、に似合いそうなものを見つけたんだ。ちょうどいい。木曜日、君をそこに連れて行って、君に素敵なものを贈ろう。
寝台に横になると、僕は手帳と教科書リストにもう一度目を通した。
…木曜日が待ち遠しいよ、。
がやがやとざわめく店内。いつものこと。カウンターの角に腰掛け、珈琲を注文する。
黒いローブを纏っていても、ここでは誰も気に留めない。
新しくホグワーツに入学する学生たちが、時々珍しげに店内を眺めていく程度だ。
ここだって、僕の気に入る店ではない。集まる魔法使いも魔女も、低俗なものばかりで嫌気がさす。
…でも、マグルに囲まれた生活よりは、少しはましかもしれない。
かたり、と椅子に手をかける音。隣に誰かが腰掛ける。すかさずマスターが声をかける。
「いらっしゃい。ご注文は?…おや、ひとりかい、お嬢さん」
「…珈琲をいただけるかしら。あいにく、ここで待ち合わせをしているの」
「それは残念。きれいなお嬢さんだったから、一緒に食事でも、と思ったんだけど」
冷めたコーヒーをカウンターに起き顔を上げた。
長い黒髪に横顔の美しい女性が隣に腰掛けている。
マスターから珈琲を受け取る手もきれいだ。何より僕は、その声に聞き覚えがあった。
彼女は僕のほうを向き、にっこり微笑んだ。
「久しぶりね。夏休みはいかがお過ごしかしら?」
形式的な挨拶は、ここが『漏れ鍋』だからだろう。
一ヵ月半以上見ていなかったの姿がそこにあった。僕の隣にがいる。いつもの光景だ。
「毎年同じさ。今年も大して変わらなかったよ」
「そう…私も同じ。大して変わらない休暇だったわ。いつものとおり、いつもの日常。そしてもうすぐ新学期が始まるのね…」
彼女は優雅に珈琲に口をつけた。
マスターはもう別の客の対応をしていて、僕らの周りにはほとんど人がいなかった。
「アレンディがあなたに失礼なことを言ったみたいで…ごめんなさい」
アレンディ…ああ、の義弟のことか。
「気にしてないよ。彼、いたく君のことを慕っているように思ったけど?」
電話越しに聞いた彼の言葉を思い出す。
どうも魔法使いを毛嫌いしている感じがする。それも、特にが魔法界にいることに対してすごく反発しているような…そんな口ぶりだった。
「いい子なのよ。ただ、思い込みが激しいし、魔法を毛嫌いしてる。それは私たちがマグルを嫌うのとは少し違ってて…扱いにくい子なのよね。ただ、まだ私のことを慕ってくれているだけいいのかもしれないわ」
「だから、君をマグルにしたがってるってわけかい?」
「簡単に言えばそういうことね。彼はマグル的な生活、マグル的な家庭を求めているの。…あの子は、…」
が一呼吸置いた。ふっ、と軽く息を吐き出してから、続きを話してくれた。少し声を潜めて。
「あの子は、スクイブだから…」
一瞬の沈黙。
それは、どういうことだい?
「…窮屈な毎日。でも、今日あなたに会えたからいいのよ。書店に?」
「そうだね。そろそろ買い物に…あ、でもちょっと待って。先に寄りたいところがあるんだけど、いいかな?」
「かまわないわ。珍しいわね」
カウンターに珈琲の料金を置くと、僕らは連れ立って『漏れ鍋』を出た。
僕は細い路地にを連れて行く。
ダイアゴン横丁の大通りから外れた場所。人通りが少なくて、ここは昼間でも薄暗くて寒い。
堕落した魔女や魔法使いが、声をかけたりローブを引っ張ってきたりするけれど、そんな奴らにかまっちゃいけない。
は戸惑いながら僕についてきた。
「…ノクターン横丁に行ったことは?」
「いいえ。その名前を耳にしたことはあるけれど、私一人ではなかなか…」
「この先にある。危険な場所だけど、そういうところだからこそ、興味深いものがたくさんある。…君に、見せたいものがある」
路地を抜けると、薄暗い場所に出た。ダイアゴン横丁のようににぎわってはいない。閑散とした風景だ。
あたりには看板を出している店もちらほら見受けられるが、どこも寂れてしまったような外観をしている。
もちろん、それは魔法省の目から逃れるためのカモフラージュに過ぎないけれど。
少し歩く。傾いたいつもの看板を見つける。
ノクターン横丁の小さな喫茶店兼宿、Moonless。朔の日という名。
見た目は寂れていて薄汚いけれど、中はそうじゃない。各地から有力な闇の魔法使いが集まる情報交換の場となっているんだ。
もちろん、『漏れ鍋』なんかよりずっと高級感がある。
情報の取引とだましあいが絶えない店。
「…すごいわ…」
中に足を踏み入れると、彼女がそうつぶやいた。
外側から見えるよりもはるかにこの店の中は広い。宿屋としてしっかり機能しているし、一階の喫茶店の客席数も多い。
黒い服を着た不気味な魔法使いたちが、お互いの持っている情報をやり取りしている。
…僕らにぴったりだろう?
「危険の詰まった場所さ。安易に他人と話をしても、自分のことを伝えてもいけない。ただ知りたい情報を買い、うまく取引するのさ。それが賢いここの使い方。…でも、まずはこっち」
驚いているを、僕は喫茶店の横にある雑貨売り場に連れて行った。
君の義弟は、君に変な虫がつくことを恐れていたけれど、それは僕も同じこと。
いや、君の義弟以上に、僕は君に変な虫がつくのを許せない。
店内は闇の魔力であふれている。闇の力を秘めた商品がたくさん置かれている。
残念なことに、ここまで闇の力がおおっぴらに出ていると、ホグワーツに持ち込むことは難しい。
それでも、眺めているだけでも楽しいものだ。僕らの興味を引くものがたくさんある。
…あった、これだ。
興味深げに店内の商品を眺めているに、僕は銀の指輪を渡した。
一箇所に、真っ黒い猫の模様が施工されたシンプルな指輪だ。
…もちろん、この店にあるものだから、ある程度の闇の魔力を秘めている。
「…これは?」
「君に、変な虫がつかないように。僕からの贈り物さ。これくらいの闇の魔力なら、周囲に見つかることもまずないだろうし、何より君に良く似合うと思うんだ」
戸惑うの左の薬指に僕は指輪をはめた。
少しサイズの大きかったその指輪は、の指のサイズに合わせて伸縮し、そして、銀色の部分は透明になって見えなくなった。
ただ、黒い猫の模様だけが指にいたずら書きでもされたかのように浮かび上がっている。
…どう、。
彼女は驚いて声も出ないみたいだった。自分の指をじっと見つめている。
「…今年の夏休みは、最高のものになったわ、ヴォル。…ありがとう」
の笑みが僕の笑顔を誘った。
まださ、。ノクターン横丁の面白いところを君はまだ見ていない。僕は君に語りたいことがたくさんあるんだ。
僕はを喫茶店のほうへ連れて行く。
今日は時間の許す限り語りたいんだ、。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
こんな夏休みがあってもいいと思う。