大切だからこそ


 目深に被っていたフードを脱ぎ去り、仮面を外す。ローブと仮面をスタンドにかけたイーノックはひどく不満げな表情で、どさりとソファーに腰を下ろした。
 深いため息。若手が集まる会合に出席した後は、いつも決まって不機嫌になる。
 礼儀正しく僕たちを迎え入れたエーゼルにローブと仮面を渡した僕は、イーノックの向かいに腰掛けた。

 「……あー、もうっ!」

 エーゼルが準備した紅茶には見向きもせず、ソファーに置いてあるクッションを抱き上げると、頭をクッションにうずめて息を吐く。

 「いつものことじゃないか」
 「だけど気に喰わないっ! いつもいつもっ! 本当に閣下のことを想ってあの会合に参加している奴はほとんどいないんだ。怖いとか、のし上がりたいとか、自分の身を守るためだとか、そんな奴等ばっかり。大して魔法の力もないくせに競って閣下に自分を売り込もうとする。閣下も閣下で、そういう奴等でも一定以上の能力が認められれば、若手としては結構重要な仕事を任せたりする。なんだかもう良くわからないよ」

 苛々する、とイーノックが悪態をつく。
 イーノックはホグワーツを卒業してすぐ、詩人という不思議な職についた。
 表向きは自由人で、色々な劇場をふらりとしては、何処に所属するでもなく自分の歌や詩を披露している。
 そして、そんなイーノックを閣下は僕と同様の立場につけた。
 若手の会合や重役の会議など、閣下が行うあらゆるところに必ずついていく付き人的な存在。ただし、その正体は公には完全に隠され、僕たちの正体を知っているものはほとんどいない。旧知の友人であるルシウス・マルフォイでさえ、僕が閣下の一番傍にいるということは知らなかった。
 時々呼ばれて、何か雑用を言いつけられる程度、名前も覚えてもらっていない存在。
 閣下は僕とイーノックを隠している。
 それは、僕たち二人が実践的な闇の魔術に向かないというだけでなく、今後について閣下がしっかりと見据えているからだ。
 だから僕とイーノックは会合の時には必ず閣下のすぐ真横に立っているけれど、フードを目深にかぶり、仮面をつける。声を発することは許されない。時折、閣下の耳元でこっそりと会話を交わす程度だ。
 仲間の中には閣下の隣にいる魔法使いが誰なのか探りを入れようとする者もいるようだが、正体が露見してしまうことのないように閣下が手をまわしている。
 ……今日も、若手が集まる会合があった。
 閣下に実力を認められたい年若い魔法使いたちが集まる会で、僕とイーノックがそれぞれ閣下の隣でその会合を見守った。
 僕はエーゼルが用意した紅茶に口をつけると、小さく息を吐き出した。
 既に丁夜だ。仮住まいのリビングの窓から見える周辺の家も明かりを消して寝静まっている頃で、月の明かりの乏しい今宵は窓の外には闇が広がっているだけだ。

 「君の不満はわかるよ。僕もずっとそういう奴等を見てきたからね。だけど、閣下にだって何かお考えがあってのことだろうから、そうやってあまり大きな声で言うものじゃないよ」
 「でもさっ! ヒューは閣下のことが大好きなんでしょ?」
 「ああ」
 「だったら、あいつらのこと嫌だと思わないの? だって、あんなに閣下のこと陥れようと思っているような思考がはびこっていたり、閣下をだしに魔法界をのし上がってやろうと思っていたり……とにかく自分の保身のために何とか閣下に気に入られようとしようとしてたり……そんな奴等ばっかり」

 クッションを握りしめたまま僕の隣に移動したイーノックは、僕の膝の上に腰を下ろすと駄々をこねる子供のように胸元に顔を摺り寄せてきた。
 ホグワーツにいた頃と変わらないな、と僕はイーノックの背中を軽くたたく。

 「閣下の御心が気になるかい?」
 「うん、すごく」
 「それなら、閣下に直接聞いてみるといいよ」
 「答えてくれるかな?」
 「きっと。僕も昔、ちょっとしたことで不安になったことがあった。差し出がましいかと思ったけど、思い切って閣下に聞いてみたら、とても嬉しい答えをくれたよ。イーノックだって、閣下の身近にいるんだから、閣下がどんな人か知らないわけじゃないだろう? 不安になったなら聞いてみるのも一つの手だよ」
 「……そっかな。じゃあ、次回閣下にあったら聞いてみようかな」
 「うん、それがいい」

 とんとん、ともう一度イーノックの背中をたたくと、イーノックはうん、と小さく頷いて僕の背中に腕を回してきた。
 成人したとはいえ、まだホグワーツを卒業したばかりのティーンエイジャーだ。それにイーノックは言葉に敏感だから、人が大勢集まるところは苦手らしい。色々な思考を受け取ってしまって心がかき乱されるのだろう。

 「明日、仕事は?」
 「お休み! だから、ヒューと一日ずっと一緒にいられるよっ!」
 「そうか。それなら明日は僕の研究を手伝ってもらおうかな」
 「うんっ! ずっとヒューと一緒にいる」
 「僕の研究は非常に繊細なものなんだ。寝ぼけ眼で手伝われても危ないからね。今日はもう遅いし、しっかり寝て明日に備えよう」

 そういうと、僕は立ち上がるためにイーノックを膝からおろした。
 やっと機嫌を直したイーノックは僕に続いてソファーを降り、一続きになっている僕の部屋へと足を進めた。
 廊下に出て階段を上がれば使っていない部屋が二つある。好きに使っていいと言ってあるにもかかわらず、イーノックは一人じゃ寂しいから、と僕の部屋に入り浸っている。
 大して大きくない一人用の寝台に無理やり入り込んできては、ぎゅっと抱きついて眠るのがイーノックの常だ。
 小さな机と本棚しかない殺風景な部屋だが、それが逆にホグワーツの寮部屋を思い出させるだなんてイーノックは言い、僕とルームメイトになったみたいだ、なんて心から笑顔を浮かべる。
 ホグワーツの寮だって、一人ひとつちゃんと寝台があったと思うんだが……
 小さく溜息をつくと、もうすでに寝台の中にちゃっかり滑り込んだイーノックの隣に入り込んだ。
 ひやりとするシーツに包まれると、イーノックがすぐに僕の胸に顔をうずめた。

 「ヒューってさ。すごく安心する匂いがする」
 「ん。イーノックはいつもそういうね」

 何度か軽く背中をさすると、イーノックはすぐに寝息を立て始めた。
 イーノックが深い眠りに落ちるまでしばらく寝台の中にいた僕は、彼が目覚めないのを確認してからそっと寝台を抜け出した。
 翌日は早朝からの急な来客に、僕もエーゼルも大忙しだった。イーノックだけが僕の部屋で人の気配にも気づかずにぐっすり眠っている。
 ソファーにゆったりと腰掛けた閣下にエーゼルが紅茶を運んでいくと、閣下は目を細めてエーゼルの首元を優しく撫でた。エーゼルもまんざらではないようで、大人しく撫でられた後きちんとお辞儀をして厨房へと戻っていった。
 閣下の膝には、紅い体毛の幼い獣が一匹座っていて、好奇心旺盛な目でリビングを見渡している。
 閣下の手は時折獣の背にのせられ、獣はされるがまま気持ちよさそうに撫でられている。その仕草が、かつてのルームメイトにそっくりで、そこに血の繋がりがしかとあることを感じずにはいられなかった。

 「イーノックと一緒にいなくていいのかい? 起きた時に君が隣にいなかったらふてくされそうなものだけど」
 「いつものことですから。それより、昨日は深夜にご連絡してしまって申し訳ありませんでした。まさかこんなに早く対応していただけるとは思ってなくて……何も準備をしていなくて申し訳ありません」
 「大切な君からの相談を無碍にするわけにはいかないからね。それにイーノックについては僕も少し気になってきていたところだったし、ちょうどいい機会だよ」

 優雅に紅茶を口に運びながら深紅の瞳に笑みを湛える閣下。自分の顔がやや熱くなるのを感じながら、僕は小さく会釈をした。

 「ヒュー、お腹すいた!」

 ちょうどその時、隣の部屋の扉がはたりと開き、目をこすりながら寝癖の付いた髪を撫でつけることもしないでイーノックが現れた。

 「あれ、僕まだ夢の中? 閣下がいる」
 「イーノック、寝ぼけてないで顔を洗って支度をしておいで。閣下の前でそんな見苦しい姿を見せるんじゃない」
 「はぁい」

 ふふっ、と声を出して閣下が笑い、僕は慌ててイーノックに駆け寄るとそのまま洗面台へと向かわせる。
 ぱしゃぱしゃと顔を洗う音が聞こえ、しばらくして身支度を整えたイーノックがリビングに戻ってきた。
 大きな目をより大きく見開いて閣下を見つめると、イーノックは笑顔を浮かべた。

 「おはようございます、閣下」
 「うん、おはよう。よく寝てたみたいだね」
 「君に逢うためにわざわざ朝早くからきてくださったんだよ」
 「え、ほんとに?」

 イーノックが閣下の向かい側に腰を下ろす。
 閣下が僕もソファーに座るように促したので、僕は一度会釈をしてからイーノックの隣に腰掛けた。

 「君が悩んでるみたいだ、ってヒューから連絡があってね」
 「昨日の今日で閣下にまた逢えるとは思わなかった、僕」
 「君達二人には特に目をかけているからね。何か気になることがあったら遠慮せずすぐに僕に言うといい。それとも、僕が怖いかい?」

 怖くないよ、とイーノックは間髪入れずに返事をし、閣下はそんなイーノックの様子を目を細めて見つめた。

 「それなら、何を悩んでいるのか僕に話してくれるかい?」
 「えっと……閣下が、どうして閣下のことを本当に好きで慕ってるわけじゃない人たちを仲間に引き入れたり、会合に参加させたりするのかわからなくて。毎回会合を開くと、そういう奴等ばっかりが集まってくる。あの空間にいると、何だか辛くなるんだ」

 すると閣下はふっと微笑すると、何だそんなことかとこともなげに呟いた。

 「僕にはこうして僕のことを心から慕う可愛い部下が二人もいるんだ。それ以外の奴等の心づもりなんて大して気にしていないんだよ」
 「……」
 「納得がいかないかい?」
 「うん」
 「ああいう輩を組み込むのは、一つには人数がほしいからだ。中心部には精鋭たちを集めているけれど、彼らに任せるには至らない程度のことをやらせるため。捨て駒、ともいうかな。表面を嘘で塗り固めてでも僕に取り入ろうとするのはそれだけ頭が回ると言えるのかもしれない。でももちろん、君の言っていることもよくわかるよ。この計画が成就して、闇の世界が訪れた後は……僕は、ああいう奴等を僕の周りにのさばらせようとは思っていない」

 閣下は非情な人だ。
 これだけ目をかけてもらっていて閣下の一番身近な部分に触れている僕にはあまり見せない顔がある。
 時に傲慢に、時には横柄に、わざとそういう振る舞いをして人々に恐怖を産み付ける。
 実力がなければ容赦なくその手に掛けるし、閣下自ら血濡れた仕事をすることだってある。
 深紅の瞳に覗きこまれたイーノックは、少しだけ顔を赤らめて閣下から目を逸らした。

 「一体、誰がそんなに気に喰わないんだい?」
 「え?」
 「たぶん君は、最近僕に取り入ろうとして頑張っている新米のことを気にしているんだろうね。あれはかなりの野心家だし、僕に忠誠を誓っているだなんて口では平気でうそをつく。僕を陥れていずれ僕の地位を自分のものにしたい。そんなことを考えている奴だからね。忠誠心のかけらもない奴だ」

 言葉に詰まったイーノックに、どうやら当たりのようだね、と閣下は小さく笑った。
 閣下の言う新米というのは、僕も気にしていた奴だった。ホグワーツのグリフィンドール寮の出身で、かなりの野心家だ。ホグワーツにいた当時は傲慢ちきと陰で噂されていたような奴で、目立ちたがり屋だったように思う。

 「君は言葉に敏感だからね。いろんな人々の心の中がわかるんだろうね」
 「……時々、どうしたらいいのかわからなくなるよ、閣下」
 「それなら、気に喰わない奴を見つけたらそっと僕に教えておくれ」
 「……いいの?」
 「ああ。僕も部下のことは注意深く見ているけど、もしかしたら僕が気付くよりも前に君が気付いているかもしれない。もちろん、そういう輩が僕に危害を加えようとする前に、君やヒューがしかるべき処置をとってくれるだろうと信頼はしているけどね。でも、表立って動けない君達二人にはかなり歯がゆい思いをさせているようだ。それとなく僕に教えてくれれば、僕も動きやすいんだ」

 イーノックはひどく安心した顔をして、一度僕の方を見て笑みを浮かべた。
 きゃっと言いながら僕の首に腕を回して、閣下の言葉に照れた自分を隠すかのように強く僕に抱きついてくる。
 その様子を優しいまなざしで見つめているのが閣下だ。

 「どーしよう、ヒュー。僕今すごく嬉しい」
 「だから、ちゃんと相談したほうがいいって言っただろう?」
 「うん。僕すっごく閣下のことが好き!」
 「うん、よく知ってるよ」
 「ありがとうございます、閣下! 閣下の御心がわかってよかった。ずっと不安でしょうがなかったんだ」
 「解決したかい?」
 「うん!」

 やっと心からの笑みを浮かべたイーノックに、僕もほっと息を吐いた。
 イーノックはやっぱりこれくらい明るくて賑やかでないとなんだか気分が出ない。
 閣下も満足げに僕ら二人を見つめ、それからソファーからそっと立ち上がった。
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 イーノックについて掘り下げてみるそのご。
 イーノックとヒューにはとことん甘い閣下。

03/12/2014