興味をそそるモノ


 階下に賑やかな訪問者が現れて数分。彼が言葉を紡ぐたびに屋敷の中に微力の魔力干渉が起こる。そのまま無視し続けてもいい、と考え目を開けることもせずに寝台に体を預けていたヴォルデモート卿だったが、ふと階下から漂ってくる甘い香りに鼻先をくすぐられた。
 腕を伸ばして隣を確認したが、すでに寝台の上にの姿はない。うっすらと目を開ければ、窓から入ってくる光は高く、天井の星の瞬きは見事に掻き消えていた。
 身体はまだ睡眠を欲していたが、あまりに惰眠をむさぼりすぎても休暇後が辛くなる、と何度か瞬きをして体を起こした。
 軽く伸びをするとさっと服を着替えて部屋を出る。
 扉を開ければにぎやかな声が寝起きの身体に響いてきた。

 「だーかーらー、絶対ホグワーツのミスだってばっ!」

 リビングのソファーには付き人のヒューと、彼の友人でホグワーツに在籍しているイーノックが腰掛けていた。
 キッチンからが紅茶と茶菓子を運んでくるのを階段から眺めてから、螺旋階段を下りリビングへと足を運ぶ。

 「あ、閣下だ。おはようございますっ!」
 「朝からにぎやかだね、君は」
 「だってねっ! 絶対ホグワーツがミスをしたんだと思うんだ、僕」

 髪をかきあげ小さく息を吐き出しながらソファーに腰掛けると、がそっと淹れたての紅茶を手渡した。それを受け取りながら、ヴォルデモート卿はイーノックを目を細めて眺める。

 彼と出逢ったのは、一年半ほど前のこと。ヒューが作った試作品の移動キーの誤作動で、ギリシャの隠れ洞窟へとイーノックが運ばれてきたのが原因だった。
 本来ならばその場で手をかけてしまうような出来事だったはずだが……と、当時の状況を思い出す。
 目覚めを待っている息子の名を呼んだこと、彼の発する言葉の節々に微力の魔力が込められていること、無邪気な明るさの中に隠れる芯の強さ……彼の持つそういった魅力に興味を持ち、協力しないか、と持ちかけたのだった。
 ヴォルデモート卿の正体を知ってもなお臆することもなく、間髪入れずに返事をしたイーノックにヴォルデモート卿はますます興味を持った。
 在学中であることやのことを覚えていることなどから、自分の直接の部下としてではなく、ヒューと同じように将来の護衛として十分に働いてもらおうと思い、今はまだほとんど自分の周囲には関わらせていなかった。公の場に出るときは名前も覚えていないふりをし、血濡れた仕事にも極力関わらせていない。

 飲み込んだ紅茶が起き抜けの身体に染み渡る。
 白い封筒を握りしめたイーノックは「わけわかんないよ」とまゆ尻を下げて心底困っている表情をしている。それを見て、もヒューも軽く声を漏らして笑った。
 普段ならに逢うためにわざわざ作った貴重な休暇に部下を呼ぶことはないのだが……と思いつつも、この二人に関しては特別だからな、と息を吐く。たまにはこういう賑やかな休暇もいいものだ、と思える程度の余裕が今のヴォルデモート卿にはあった。

 「そりゃあ、ヒューならわかるよ? ヒューは勉強熱心だったし、面倒見もよかったし。下級生だってみーんなヒューのこと慕ってた。でも、なんで僕が首席なわけ?」
 「君は五年生の時に監督生に選ばれたじゃないか。七年生になって首席に選ばれたとしても何の不思議もないと思うけどな」
 「私も、ホグワーツの人選は間違ってないと思うわ」
 「むー。きっとホグワーツについた途端、手紙を取り上げられて、これは間違いだから、って言われるんだっ!」

 白い陶器の皿に載せられたのビスケットを頬張りながらそれでも不満を口にするイーノックに、ヴォルデモート卿の口からも笑みが漏れた。

 「あっ、閣下まで」
 「そんなに不服なのかい?」
 「……だってさ、確かに結構特典はあるのかもしれないけど……でも、七年生って言えば難しい試験もあるし、ホグワーツを卒業した後のことも考えなくちゃいけないんだよ? そういうもろもろのことに加えて、さらに首席のお仕事、でしょう? きっと僕頭の中がパンクしちゃうよ。今だってひーひー言いながら魔法薬学の課題をこなしてるのにさ」

 頬を膨らませたイーノックは、最上級学年とは思えないような幼さを見せる。
 少々呆れがちにヒューが息を吐き、が優しい瞳でイーノックを見つめていた。

 「大体さ、たった七年ホグワーツで過ごしただけで、今後何をしたいのかを決めろって言うのがおかしいよね」
 「ヒューと同じことを言うのね」
 「ヒューも同じことで悩んでたの?」
 「あなたが今言ったのと全く同じ台詞をヒューからも聞いたわ。ホグワーツの北塔でね。貴方達だけじゃないわね。最上級生の多くが進路のことで悩むのよね。ホグワーツでの生活が短いっていう子も何人もいたわ」
 「先生……」

 小さく息を吐き出したが紅茶のカップに口をつける。
 ヒューが頷き、イーノックが少し意外そうな表情をしてヒューを見つめていた。

 「じゃ、どうやってヒューは今の仕事に就くことを決めたの?」
 「僕? 僕は……」

 ヒューは一度手にしたカップに視線を落としてから、少々ためらいがちに口を開いた。

 「閣下は僕の英雄だから……少しでも近づきたかったんだ」
 「英雄?」
 「うん。だから、少しでも傍に行って何か力になりたい、って……そう思ったのがきっかけかな」

 頬を紅く染め、照れ隠しの笑みを浮かべながらつぶやくヒュー。ああ、そういえば、とヴォルデモート卿は目を閉じ昔を思い出す。

 レイブンクロー家系であるノードリー家に“災いの御子”が生まれるとの予言を耳にしたのはいつのことだったろうか。必死に運命にあらがおうとするノードリー一家と蒼い焔を瞳に湛えた子供の成長に興味をそそられた時期があった。
 せっかくの魔法の能力を開花させまいと、ノードリー一家が息子のホグワーツ入学を拒否した、という話はあまりに面白く、その目で災いの御子の成長を見てみたいという欲求に駆られ、ノードリー一家を手に掛けた。すでに芽が摘まれてしまっているのなら、御子もそのまま手に掛けてしまえばいい、と軽い気持ちで訪れた屋敷では、濡れた瞳に強い力を宿した少年を見つけ、今その場で芽を摘むのはもったいない、と少年だけは生かしておいたが……その少年がヒューであったということを知ったのは、の口からだった。
 成長したヒューはただ単にヴォルデモート卿という魔法使いに傾倒しているだけでなく、に出逢ったことで新たなる目標も持った芯の強い人間になっていた。
 付き人に推薦してきたのは、ルシウス・マルフォイだったが、その魔法の能力からしても、好戦的なこれまでの部下にはないものだったから、手元においてさらに育ててみたいと採用したのだった。

 「そっか。じゃあ、僕は……どうしようかなぁ。付き人っていう柄じゃないし。でも、魔法省のお役所仕事なんてきっとすぐ飽きちゃうだろうしなぁ……」
 「実家を継ぐ気はないのかい?」
 「継がないよ。父さんも母さんも継がなくていいって言ってるし。たぶん、家督を残したかったら、キースに継がせるんじゃないかなぁ? 僕はやりたいことをやっていいんだってさ。二人ともすごく優しいよねっ」

 イーノックが部下になってからしばらくして、にそれを話す機会があった。彼の名前を聞いたは一瞬驚いた表情でヴォルデモート卿を見、それから諦めたような、少し困った笑みを浮かべたのだった。あの時の切なくなるような表情は今でも鮮明に思い出すことができる、とヴォルデモート卿は隣に座るの髪を一掬い指で弄びながら小さく息を吐いた。

 「何かやりたいことはないのかしら?」
 「うーん。なんだろ。次にに逢うまでにホメーロスの『イーリアス』は練習して完璧にしておきたいなぁ。あとは……あんまり。ね、先生、にはいつ逢えるの?」
 「まだもう少し先だわ」
 「そうなんだ。じゃあ、やっぱり僕は進路のことで悩まなくちゃいけないんだね。にすぐに逢えるなら、の護衛になるんだけどなぁ」

 足を投げ出し、天井を見ながらうーん、と頭を悩ませる仕草をするイーノック。
 の護衛、ねぇ……と、ヴォルデモート卿は品定めをするようにイーノックを見つめた。
 ヒューにしろイーノックにしろ、持っている魔力は上質だが、それがすぐさま実践に結びつくようなものではない。ボディガードとしての役割を求めるのなら、他に数多いる好戦的な魔法使いたちのほうが質は上だ。だが、この二人は殊に信頼されている上に、内務的な能力に長けている。を目覚めさせるのはまだ先のことだが、今の自分には盾となるような魔法使いたちが必要であっても、世界が闇に包まれた後ならば、そういう護衛よりは、部下たちを統制する能力のほうが必要になるだろう。それならば、イーノックの言葉に力を持つという生まれながらの能力は大いに活用できるはずだ。

 「……詩人」
 「詩人?」

 小さくつぶやいたヴォルデモート卿の言葉を拾い上げたのはやはりイーノックだった。

 「に出逢えるまで大してやりたいことがないなら、詩人でもやったらどうだい?」
 「わっ、それ面白そう!」
 「ああ、でも、ただ詩人をしているだけじゃ何一つ能力が伸びないな」
 「能力?」
 「君は言葉を操ることに長けているからね。その能力を野放しにしておくのはもったいない。磨いてもっと輝かせた方がいい。言葉に魔力を込める練習を、詩人として仕事をしながら続けてみる、とかね。新しい語学を習得するのも助けになるだろう」

 イーノックは少し考える仕草をしてから、満面の笑みをヴォルデモート卿に向けて首を縦に動かした。
 も柔らかい笑みを浮かべて彼を見ている。

 「それ、すっごく素敵! 採用します、閣下!」

 今までの不満や不安が嘘のように彼の表情から消えていくのをヴォルデモート卿は面白そうに眺めていた。
 言葉に力のあるイーノックが、「詩人」と小さくつぶやいた自分の言葉に魔力が込められていたことに気づかないはずがない。しかし、彼はそれをそのまま受け入れた。
 自分にとって何がいいもので何が悪いものなのか、今はまだ感覚でしかないのだろうが、すんなりと受け入れることができる素直さもおそらく彼の魅力なのだろう。
 何事も考えてから慎重に事を運ぶヒューとは良い相方になりそうだ。
 カップの中の紅茶を飲み干すと、ヴォルデモート卿はさっとソファーから立ち上がった。

 「お出掛けですか?」
 「ああ」
 「あ、僕も行きたい!」

 すぐにヒューが立ち上がり身支度を整えるヴォルデモート卿の手伝いに加わった。続いてイーノックも立ち上がると、心底楽しそうな顔をしてヴォルデモート卿の横に並ぶ。

 「あまり遅くならないで帰っていらしてね。今日はみんなでお食事にしましょう」
 「わーっ! 先生の料理?! 楽しみっ!!」
 「恐縮です、先生」
 「ん、楽しみにしてるよ」

 入口で軽く手を振るの腰を抱き寄せると、甘い香りがヴォルデモート卿の鼻先をくすぐった。
 軽く触れるだけの接吻を交わし、真夏の外へと足を踏み出す。
 「閣下と先生ってすっごく仲良いよねっ」などとほほ笑むイーノックの純粋さがヴォルデモート卿には新鮮だった。
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 イーノックについて掘り下げてみるそのよん。
 ヴォルデモート卿の部下の中では類を見ない純粋さと明るさ。

06/22/2013