目指す先にあるものは


 「……以上。迅速に頼むよ」

 暗い闇の中に浮かび上がった五つの影は、静かに「御意」と頷き、その場を後にした。ヴォルデモート卿は部下の素早い行動を満足げな笑みを浮かべて眺めている。
 彼の傍に控えたヒューは、珍しいな、と頭の隅で思った。
 呼び出した配下の5人の魔法使いに指示を与えたヴォルデモート卿は、ヒューにだけは指示を与えなかった。普段なら部下を呼び出したヴォルデモート卿は、付き人であるヒューにも必ず指示を与えていた。彼が自らどこかへ足を運ぶ場合は、ヒューではなくルシウスやベラトリックスを付き人とし、ヒューは外されていた。
 しかし今日は、ルシウスやベラトリックスに別の指示が与えられ、自分がヴォルデモート卿の傍に残る形になった。
 ホグワーツを卒業し、ヴォルデモート卿につき従うようになって4年。まだまだ実力不足なのか、名前すらきちんと呼んでもらえない立場に歯痒さを覚えていたが、とうとう見限られてしまったか……小さな不安が胸をよぎる。

 「何してるんだい、ヒュー。行くよ」

 名前を呼ばれてはっと顔を上げると、深紅の瞳がヒューを真っ直ぐに見つめていた。慌てて返事をすると、ヴォルデモート卿はさっとローブを翻し、その場から姿を消した。
 すぐにかき消されてしまう魔法の気配に意識を集中して彼の行き先をたどると、ヒューもヴォルデモート卿を追いかけてその場から姿をくらました。

 闇の魔術に関して言うのなら、自分は実践型ではなく率先力にはなれない、とヒューは自己評価する。それでも4年前、ヴォルデモート卿の付き人として志願した際、彼が自分にチャンスを与えてくれたのは、もちろんルシウスという友人の口添えも大いにあるだろうが、他者が使用した魔法を瞬時に魔法式に組み立てることが認められたからだろうと思っている。
 それは唯一ヒューが他人に口外できる特技だったが、ヴォルデモート卿には必要とされなかったのかもしれない。
 この4年、どこに行くにも彼に付き従ってきたヒューは、ヴォルデモート卿が実に非情な人物であることを十分理解していた。たとえ部下であっても能力が見出せない者は容赦なく手にかける。

 せっかく手にしたチャンスをものにできなかったか……と、小さく息を吐き出したところで、ヒューの体はヴォルデモート卿に一歩遅れて小さな洞窟の中に姿を現した。
 ほんの少し辺りを見回すだけで、その洞窟の入り口から最深部に至るまで、マグル除け、魔法使い除けの高度な魔法が充満していることが分かる。
 洞窟内は綺麗に整頓され、奥には数人が寛げるような空間が用意されていた。
 極上の絹で織りこまれたペルシア絨毯に、広々としたソファー。壁に設置された棚には羊皮紙や古書がひしめき合って並んでいる。
 初めて足を踏み入れた空間に、ヒューは黙って辺りを見回すことしかできずにいた。

 「そんなに珍しいかい?」

 声を掛けられ主に視線を戻すと、彼は興味深げな色を瞳に湛えてヒューを見つめていた。その手には古めかしい本が一冊広げたままの状態で握られていた。

 「この前、ずいぶん沢山ふくろう便を受け取ってたみたいだね、君。親しい知り合いでもいるのかい?」
 「……はい。ホグワーツの後輩から、寮監で占い学の教授でいらっしゃった先生が退職なさったという連絡を」

 緊張しているのか、洞窟の壁に当たって跳ね返る自分の声が震えているのがよくわかった。
 そう言えば、ヴォルデモート卿とこうして二人きりで会話をするなんて初めてかもしれない、と緊張の原因を分析する。主の声色は、大勢の部下を前にするときのそれとはまったく違っていて、極上の香りを醸し出していた。それがヒューの緊張を増している気さえする。

 「ああ、そうか。君たちはみんなの教え子だものね。彼女は子ども好きで優しいから、生徒たちから随分慕われていると聞いているよ」
 「はい。僕の恩師です」

 手にした本をテーブルの上に置き、ゆったりと足を組んでソファーに腰を下ろしたヴォルデモート卿は、ヒューの返事に満足げな笑みを返した。
 今まで見たこともない表情と声に、ヒューは一種の優越感を覚えていた。彼のこんな優しい顔を見ることができるのは、部下の中でも側近中の側近でしかないだろう。それならば、最初の不安とは全く逆の立場に自分はいるということだろうか。
 それにしても、随分と甘い声で先生の名を囁くものだ。ホグワーツの教員陣ですら、先生のことをファーストネームで呼ぶことはほとんどないのだけれど……

 「そう、それでね。君を此処に連れてきたのは、此処の管理を任せたいからなんだ」
 「管理、ですか」
 「そう。見ての通り、此処はだれにも見つからないようにありとあらゆる魔法を講じているんだけど、流石に埃や塵といったものは人が訪れないとどんどんたまっていくものだからね」

 そう言われて空間を再度見回すが、どこにも埃や塵があるようには見えなかった。

 「……こちらを訪れる頻度が減る、ということでしょうか」
 「察しが良いね。頭のいい子は嫌いじゃないよ」

 ふふふ、と声を出して笑んだヴォルデモート卿はやはりいつもとは雰囲気が違う。誰にも口外してはいけないかつてのルームメイトを彷彿とさせるその表情に、懐かしさと同時に複雑な感情が胸の中に沸いた。

 「君の言ったとおり、がホグワーツを去った。つまり、彼女はダンブルドアの監視の目から解放された、ということだ。彼女が自宅に戻るなら、逢瀬のために毎回窮屈な場所を選ばなくていい」

 逢瀬、という言葉に顔が赤くなるような気がして、ヒューは一瞬ヴォルデモート卿から目を逸らした。一体どういうことだろう、と思考を廻らせてみるが、そもそもそう言ったことに疎いヒューには自分の納得する答えが見つからなかった。

 「何をそんなに驚いた顔を……もしかして、から聞いてないのかい?」

 射抜くようにヒューを見つめた紅い瞳。ヴォルデモート卿の綺麗な眉間に皺が寄っていた。
 先生から聞いていない? 一体どういうことだろう。ヒューは頭の中で必死に記憶を辿るが、特筆した秘密事項を耳にした覚えはなかった。

 「……君、のことは覚えているんだろう? からそう聞いているけど」
 「は、はい。御子息のことでしたら」
 「それなら、から聞いていないかい? の母親だ、ってこと」

 え、と己の耳を一瞬疑った。「初耳です」と返事をするのにほんの少し間が空いてしまう。
 ……いや、しかし。よくよく思い出してみれば、ほんの一時期同じ部屋で過ごしたルームメイトは確かに、どことなく占い学の教授と同じような仕草をすることがあったように思う。先生も認めるように、占い学の成績は素晴らしかったし、いつも水晶玉を覗き込んでいたような気がする。彼の瞳は目の前の主のように深紅を湛えていたが、漆黒の髪は、先生のように艶やかではなかっただろうか。

 「気がつかなかった? よく似ていると思うんだけどな」
 「言われてみれば、確かに……」
 「まぁ、そういうことだから。彼女を連れてくるのは毎度忍びなかったんだけど、彼女がホグワーツを去ったなら、無理に此処に呼ぶ必要もなくなったわけだ。一人で過ごすのには困らないから残しておくつもりだし、いずれに継承させようかなとも思っていてね。僕が利用しようと思ったらいつでも使えるように、君には此処の管理をお願いしたいんだ」
 「御意」

 そう返事をしたものの、ヒューは確実に戸惑っていた。
 確かにこれまでは、主の非情な部分ばかりを見てきていた。そのために、彼の本来持つ優しさに気が付かなかった。しかし、ただ彼の息子と親交があったというだけで、普段他の部下には見せない彼の姿をこんなにも間近で見てしまっていいものなんだろうか。
 ほんの一瞬感じていた優越感が不安に変わる。
 そもそも今日まで、きちんと名前で呼ばれたことすらなかったのだ。覚えてもらえたということは嬉しいが、話が急展開すぎないだろうか。

 「……一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
 「何か気になることでもあるのかい?」
 「……僕は、閣下にお仕えしてまだ4年の若輩者です。そんな僕に、こんな重要なことを命じられた真意を……お聞きしてもいいでしょうか」

 出すぎた真似をしただろうか。不安になったが、そう思った時にはもう紅い瞳から目を逸らすことができなくなっていた。
 肘をつき、顎に指を添えたヴォルデモート卿は、もう一方の手でヒューを自分の傍に呼び寄せた。視線を逸らせないまま、招かれるようにヒューの足はヴォルデモート卿の正面まで自身を運んだ。

 「随分と自分を過小評価しているようだから教えてあげるよ。僕は君のことを大いに気に入っている。確かに君は実戦向きの魔法使いではない。だけど君の得意とすることには目を見張るものがある」

 それに、と言いながら立ち上がったヴォルデモート卿は、ヒューの顎に軽く触れると紅い瞳で真っ直ぐにヒューを射抜いた。その表情は実に満足げで、お気に入りの玩具を愛でるかの様ないたずらさも含んでいる。

 「君は僕を裏切らない。絶対にね」

 ふっ、と声を出して口端を上げたヴォルデモート卿はすぐにヒューの顎から手を離したが、ヒューは自分の顔が熱を帯びるのを感じて思わず片手で口元を覆った。

 「……僕は……」
 「実践に向かないと言うことは裏を返せば、率先して表に出ない、ということだ。僕はこれからも大勢の前では君の名前を呼ばないだろうし、そっけない態度を取るだろう。でもそれは、君を表に出すつもりがないからだ、と理解してくれればいい。決して君のことを評価していないわけじゃないよ」
 「閣下……」
 「……一つ命を下そうか。その方が自分の立場に不安を覚えずに僕についてくることができるかな」

 さも楽しそうにそう呟くヴォルデモート卿の姿は、今まで見たどんな姿よりも綺麗だった。いつの間にか主に釘づけになっていたヒューは、やはり自分の主はこの人以外にいないと確信する。
 彼の配下に集まっている魔法使いたちは差別的な純血主義者が中心で、ヴォルデモート卿の権力・実力に惹かれ集った者や恐怖心から彼に従う者が大半を占める……と世間では伝えられている。確かにそれは事実だが、彼に近しい場所に立つと、主従関係を越えた敬慕の念を抱く者も数多く存在すると言うことを知ることができる。
 もともと人を引き付ける魅力のある人なのだ。かく言う自分も幼いころからずっと惹きつけられてきた。自身に満ち溢れた表情、誰一人として敵う者のいない絶対の実力者。深紅の瞳に一度惹きつけられてしまった今、そこから逃げ出すことなんて考えもしない。

 「君は決して表に出ず暗躍に徹するんだ。君がこちら側にいると言うことを魔法界に悟られてはいけないよ。そうして、いずれ時が来たら君とを引き合わせよう。僕の補佐として、の護衛として、僕は君に大いに期待しているよ。まずは魔法界で不動の地位を手に入れるために研究に勤しむといい。に惹かれているんだろう?」

 楽しむような視線。ヒューは黙ったまま深く頭を下げ、しばらく顔を上げなかった。
 此処まで自分を見抜かれているとは思いもしなかった。目を掛けてもらっているどころか、名前すら覚えてもらっていないと思っていた自分は何と浅はかだったのだろう。

 「もう、場所は覚えたよね。これからは時間を見つけて此処の管理をしてくれるかい」
 「はっ」
 「ああ、それから、は此処に連れてきて良いからね。君も此処に置いてある書物なら自由に閲覧してかまわないよ」

 ヒューはもう一度深々と頭を下げると、満足げに頷いた主の後を追ってその場から姿をくらました。
 その心には、ゆるぎない忠誠心が芽生えていた。
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 誰が何と言おうと拙宅の閣下は美しいお人。

 お題配布元:よりぬきお題さん。