入学許可証


 思ってもみない人物からの突然の連絡で、私は久しぶりに外出をすることになった。
 星見の館にほど近い魔法街の一角にある老舗のカフェを待ち合わせ場所に指定すると、相手は待ち合わせ時間の十五分も前に店に到着し、私が来店するや否や大きなため息をついた。
 注文を取りに来た店員がカウンターに戻っていくのを確認すると、私は目の前に座った思いがけない来訪者に視線を向ける。
 目の前に座っているのは、折り目正しいスーツを一分の隙もなく着こなした、どこからどう見ても由緒正しきマグルであるという風貌を前面に押し出した義弟、アレンディ・フィルマーだった。
 背が高くやや筋肉質で精鍛な顔立ちだが、久しぶりの顔合わせだというのに彼の表情は暗い。少しうつむいた彼は、手紙にも書いたとおりだが、と言いながらそっとテーブルに一枚の白い手紙を置いた。私の方へ軽く押しやると、深いため息をついてさらにうなだれる。
 宛名は彼の息子であるイーノック・フィルマーで、中にはホグワーツ魔法魔術学校への入学許可と、新一年生の持ち物リストが入っている。

 「……息子へのホグワーツへの入学許可証だ」

 心労の滲み出たアレンディの顔には明らかに落胆の色が出ている。
 魔法界に生き、ホグワーツで教鞭をとっている私からしてみればこれは何の変哲もない入学許可証だったけれど、彼にとってはそうではない。マグルとして、魔法界に関わらずに生活をしていたフィルマー家に突如訪れた梟からの奇妙な手紙が、どれだけこの家族を震撼させたのかを想像するのは容易かった。

 「どうして、なんだ……? 僕も、妻も、魔法界には全く関わらずに平穏に過ごしてきたっていうのに、どうして息子に……」

 独り言のようにつぶやく彼に、私は複雑な思いを抱いていた。
 カフェの入口につけられた鈴がからんと涼しい音を立てる。

 「あなたの息子に……イーノックに魔法を操る能力が見出されたから、よ」
 「そんなことはわかってる!」

 当たり前の返答にアレンディは声を荒げて私を見つめた。幾人かの客がこちらを振り返り、はっとなったアレンディが小さく、すまない、と口にする。
 彼から連絡が来たのは昨日の午後の早い時間だった。私にこのことを相談するためにわざわざ仕事を休み、普段は絶対に足を踏み入れることのない魔法街にまでやってきたのだから、当たり前の回答に苛立ちを覚えるのも無理はない。

 「君も知ってるだろう、。僕は魔法使いじゃない。もちろん妻もだ。妻の家系に魔法族がいることは知っているが、あちらとはほぼ断絶状態で、僕たちは家庭で一切魔法の話をしない。それなのにどうして……」
 「……両親のどちらも魔法使いでない家系の子供が、ホグワーツの入学許可証を受け取ることは稀にあることよ。毎年幾人もそういった子が入学しているわ」

 カフェの店員が紅茶を私とアレンディの前に置く。ミルクの入った器、レモンの入った器と骨董模様の器をテーブルの上に並べていく仕草を私たちは無言で見つめていた。
 ごゆっくりどうぞ、の一言で店員が私たちの傍から離れると、アレンディが深い溜息をついて沈黙を破った。

 「なにも、我が家の息子にそんな能力が開花しなくてもよかったものを……、僕たちはこのまま静かに暮らしたい。イーノックは新学期から近所の子供たちと一緒に一流の私立進学校へ通わせるつもりで準備をしていた。それを全て白紙に戻して魔法使いになるための学校に通わせるなんて……僕はそんな選択肢を選びたくはない」

 机の上で両手を組み、大きなため息を何度もはきながらうなだれるアレンディ。ついた肘が小刻みに振動を伝え、ソーサーにおかれたティースプーンがかたかたと音を立てた。
 私はティーカップを口元に運び、薫り高いアールグレイの紅茶を一口喉に流し込んだ。
 学生時代の短い期間ではあったけれど、同じ屋根の下で暮らしていた義弟が落ち込んでいるのは、それだけではないと私にはわかっていた。

 一緒に暮らしていた時からずっと、アレンディは魔法界や魔法族を忌み嫌っていた。
 最初は血が繋がっていないとはいえ姉である私が、一年の大半をホグワーツで過ごしていることに対する不満や嫉妬が激しいのだと思っていたけれど、本当の理由は別にあった。

 “僕は魔法使い一家に生まれたけど、魔法の能力がなかったから捨てられたんだ”

 私がそれを知ったのは卒業する少し前のことだった。卒業したらホグワーツで教鞭をとることが決まっていた私は、世話になったフィルマー家の荷物を整理していたのだけれど、その時にアレンディが自ら語った事実に大きな衝撃を受けたのを覚えている。
 ……魔法族はアレンディのような人間をスクイブと呼ぶ。
 マグルの家庭から魔法使いが生まれることがあるのだから、魔法使いの家庭からマグルが生まれても不思議ではない。けれど、マグル達が魔法使いの能力を発揮した子供を好意的に受け入れることが多いのに対し、魔法使いたちは自分の家族の中からスクイブが出るのを恐れるし、スクイブとして生まれた子供を忌み嫌う傾向が強い。
 私を引き取ったフィルマー家は私に魔法使いの才があると知ると落胆し、アレンディばかりを可愛がった。ただ魔法族が嫌いなんだろうと思っていたけれど、フィルマー家もまた元をたどればスクイブの家系だったからだと言うことを知ったのは、アレンディの出生の秘密を知ったすぐ後のことだった。
 私にホグワーツの入学許可証が届いたことに落胆したフィルマー夫妻が翌年アレンディを引き取ったこと、その時には既にアレンディはホグワーツの入学許可証を受け取れない年齢に達していたこと。そして、姉は寮に入らなければならないほど遠い学校に通っているとしか説明を受けていなかったこと、スクイブだとして孤児院に放り出された自分を暖かく迎えてくれたフィルマー夫妻に大きな恩を感じたこと。卒業したらもう逢わなくなるであろうから、とアレンディはぽつりぽつりと語っていた。
 私はその時、魔法族を忌み嫌っているにもかかわらず、魔法族についての知識が非常に豊富なアレンディの不可思議な言動の答えを見つけた。
 彼は、魔法族を憎んでいるのではなく、魔法使い一家に生まれながらその能力が開花しなかった自分に大きく落胆し、そしてまた決して手にすることはできない魔法の力に大きな憧れを抱いているのだ。
 それが豊富な知識と魔法界への反発という矛盾した行動を生み出した。

 小さく息を吐き出して、私はアレンディをまっすぐ見つめ名前を呼んだ。
 顔を上げた彼の眼には大きな戸惑いと焦りが映っている。

 「……力で抑えつけて、ホグワーツへ通わせない、という選択肢も確かにあるわ」

 蒼玉の瞳の生徒の姿が頭の中に浮かぶ。
 それは私の軽はずみな言動から起きた事件でもあったから、今でも鮮明に覚えている。

 「私はホグワーツの教員としてそういった事例を直接この目で見たことがある。だけど、その先にあるのは悲劇的な結末だけよ」
 「そん、な……」

 私はゆっくり目を閉じた。
 脳裏に蘇るヒュー・ノードリーの姿。伝統的なレイブンクロー気質の一家に生まれたにも関わらず、スリザリンの気質を持ち、災いをもたらす者としての予言を恐れた両親のために、ホグワーツへの入学が半年遅れた少し珍しい生徒だった。
 今でこそスリザリン寮の良き模範生徒であり監督生である彼も、ホグワーツへやってきた当初は心の中に歪みを抱えていた。
 閉じた目を開けると、うつむいたアレンディの手がティースプーンを弄んでいた。

 「入学許可を取り消す方法も、ホグワーツに通わせない、という選択肢も僕にはないということか?」
 「ホグワーツは魔法の操り方を教える場所でもある。能力が開花しているにもかかわらず操る術を知らなければ、いつかどこかでその力が暴発するわ。力は感情の起伏にすら左右される。そういったことを学ぶことも必要なことだと思うの」
 「……」
 「アレンディ、貴方は魔法界について非常に豊富な知識を持っているわ。それでもあなたがイーノックの入学を頑なに拒むのは、怖いから、かしら?」

 アレンディは大きく目を見開き、ティースプーンから指先を離すとこぶしを硬く握った。

 「……っ、家族の関係が乱れるのが嫌なだけだ」
 「本当にそれだけ? 私には別の理由も見えるわ。あなたは怖がっている。自分の愛息子が、貴方を捨てたあなたの本当の家族のように侮蔑したり奇異なものを見るかのように自分のことを見るんじゃないか、って……恐怖におびえているのよ」
 「そんなことは……っ」
 「ない、とは言えないはずよ」
 「…………」

 私は手を伸ばし、アレンディの拳を両手で包み込む。やわらかい笑みを向けてみるけれど、彼は私の手に包まれた自分の拳に視線を落としたままだった。

 「だけど、私は貴方のことを一度もそんな風に見たことはなかったはずよ」
 「それは……が僕のことを知らなかったから……」
 「今はもう、知ってるわ」
 「……」
 「生まれだの血筋だの……そんなもの問題じゃない。貴方たちは家族だし、これまで家族として良好な関係を築いてきたのでしょう? イーノックにとってあなたは紛れもない父親よ。家族の繋がりは強い。だからあなたは今でも怖がっている。本当に大切なのは、それがどんな環境にしろ、イーノックにとって最良の環境を選ぶこと。そして、貴方たち夫婦がイーノックに対する態度を変えないこと。だって、魔法使いとしての能力が開花してもしなくても、イーノックは貴方たちの可愛い息子でしょう?」
 「……」

 左下に視線を落とし唇をかみしめて小刻みに震えるアレンディ。
 マグルとして身を立て、温かい家族を支える頼れる父親になった今でも、私にとってはやはりアレンディは可愛い弟だ。
 手を離し席を立つと、アレンディの隣に腰をおろし彼の肩を抱いた。
 両手で顔を覆った彼の指の隙間から一筋の光が流れ落ちる。

 「ホグワーツにはね、“マグル学”という学問があるの。魔法を使わない生活をしている人間について学ぶ学問よ。歴史や生活、魔法使いとの関係など……魔法使いであってもその能力を使わずに生活している人もいるし、魔法を使わない人々に好意的な感情を持つ人もたくさんいるの。だから、イーノックがホグワーツに入学することで家族が破綻することはないと思うわ。何かあったら私も協力する。今でも私の生活の基盤はホグワーツですもの。教員としてイーノックの成長を見守ることもできるわ。だからもう、そんなに怯えないで。貴方には見知らぬ世界に飛び込む息子を、胸を張って送り出す勇気があるでしょう?」

 両肩を小刻みに震わせて涙を流すアレンディの背中に手を触れ、子供をあやすように耳元で囁いた。
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 イーノックについて掘り下げてみるそのいち。

06/06/2013