夢での逢瀬


 の手にした錫杖が鈴の音のような柔らかい音を立てながら弧を描く。水面の上、対角線上に向い合せた二人が、呪文を唱えながら錫杖を一度小さく水面に当てると、描かれた魔法陣が熱を帯びその輝きを増した。
 岸から二人の様子を見守っていた僕とが静かに水面の上へと足を進める。胸の前で構えた剣を、魔法陣の中心で重ね合わせると、僕たちはそろって呪文を唱えた。
 ホグワーツ創設時代、創設者たちと共に行っていた“季節の祝祭”の儀式は、彼らがこの世を去った後も僕らが引き継いで行ってきた。今では“創設者に捧ぐ夜宴”と呼ばれるようになり、年八回、定められた日に僕らはこうして魔方陣を描き祈りを捧げる。
 儀式の準備がすべて整うと、僕は岸の方を振り返り、驚愕の眼差しで僕らを見つめているトムを呼び寄せた。トムは戸惑いながら水面の上に足を乗せ、慣れない足取りで僕の元までやってくると、僕のローブの裾を両手できつく握りしめた。
 たとえ創設者の血を引く者であったとしても、この儀式に僕たち以外の者が参加するのは初めてのことだった。ハロウィーンの折、が提案したトムの参加を拒否したのはだったが、クリスマス・イブの今日、は儀式にトムが参加することを許可した。
 そこにどんな心境の変化があったのか僕にはわからない。ただが「トムを連れてこい」と言ったので、僕はクリスマス休暇でがらんとした寮からそっとトムを連れだした。

 「……これからどうするの?」
 「お祈りをするんだ。僕たちや君やホグワーツのご先祖様に、ね」

 多少戸惑った様子のトムに簡単な説明をすると、僕のそばから離れないようにと伝え、僕は剣を構え直した。
 が全員に目で合図する。静かに目を閉じると、今まで幾度となく唱えてきた祈りの文句を口にした。僕ら四人の声は綺麗に混ざり合い、一つ一つ単語が紡がれる度に、水面に描かれた魔法陣が輝きを増していく。最後の文句を唱え終えると同時に、僕らは剣と錫杖をそれぞれ魔法陣の中心へと掲げた。
 魔法陣の中央で泉の水が大きくうねり真っ白な光を放つ。ローブがきつく握られるのを感じながらも僕は魔法陣の中央から目を離さない。水は四つの柱を成し天空へ伸びると、そこでまた大きなうねりを作り、最終的には玉座に座る四人の創設者を模した姿へと変形した。

 「……?」
 「おいで、トム」

 何が起きたのか理解できないのか、トムは戸惑った表情で僕を見つめていた。軽く笑みを浮かべると僕はトムの手を取り水像の前まで連れていく。僕の手と重なり合うようにトムの手を取ると、主を模したその水像に触れた。ほかの3人も僕らと同じようにそれぞれ水像に手を触れていた。
 とたん全身を駆け巡る冷たい感覚。そして、僕らの身体は淡く光りだし、記憶が呼び起される。
 ゴドリック・グリフィンドール、ロウェナ・レイブンクロー、ヘルガ・ハッフルパフ、そしてサラザール・スリザリン。ホグワーツ創設者と過ごした甘い時代を僕らは忘れられずにいるのかもしれない。毎日新たな記憶が刻まれていく中で、はるか昔の記憶を呼び起こし想い出に浸る……音のない記憶たちはただ、僕らが過ごした甘い時間を視覚情報として甦らせるだけ。眼を閉じても見えるその映像を、懐かしい思いで見るのは僕らにとって重要なことだった。僕らが何のためにここに在り続けているのかを再認識するために、この儀式は存在している。
 もともと創設者たちがここに存在していた時代には、この儀式は“季節の祝祭”で、水像は彼らの姿を模したものではなく、その季節の神を模した姿をしていた。だが、創設者の中で一番長命だったゴドリック・グリフィンドールは、床に伏したときに僕らを枕元に呼び寄せ、新しい呪文を教えた。「君たちが存在する意味を見失ってはいけないよ」という言葉と共に僕らに刻まれた新しい呪文は、毎年僕らに唱えられ、彼らの姿を模した水像を浮かび上がらせることになった。
 僕らが生み出される前、魔法使いのための学校を作ろうと彼らが集まったところから記憶は始まる。まるで走馬灯のように流れていく想い出たち。ゴドリック・グリフィンドールが薬品壺をひっくり返して、サラザール・スリザリンが激怒しているところ……ヘルガ・ハッフルパフの作った料理を囲んでの楽しい食卓の姿……そして、別れの情景をも鮮明に映し出す。


 ある程度の時間想い出に浸ると、僕らはゆっくり顔を上げた。水像の手の甲に軽い接吻を落とすと、淡く光り輝いていた身体が徐々に光を弱めていく。ただ茫然と目の前を見つめているトムを促し、僕と同じように水像に接吻をさせると、彼の身体の光も徐々に弱くなった。
 ぱしゃ、と水の音がして水像がその姿を消す。
 僕らは誰ともなく魔法陣の外へと足を向け、全員が岸へ降り立つと水面の魔法陣は音もなくその姿を消した。

 「、あなたはまた泣いたのですか?」
 「だ、だって、ヘルガ・ハッフルパフがっ……」
 「涙を拭いてください、。トムが見てますよ」

 が取り出した手巾で涙を拭くの姿をトムがじっと見つめている。僕の左手は彼の右手に強く握られていた。冬空の下だというのにトムの手は熱を帯びているようにさえ思えた。
 僕の右腕をが徐に抱きかかえた。

 「……
 「ゴドリック・グリフィンドールの最期はいつ見ても慣れないな」

 トムがむっとした表情でをにらみつけていたが、は全く気が付いていないようだった。
 円を描くように岸に腰を下ろすと、トムが僕の膝の上に載ってきた。僕らは今、いつも以上にトムを愛しく思っている。創設者サラザール・スリザリンに酷似した魔力を纏うトムは、僕らにとって主とのつながりを意識させる存在だ。でさえ、僕の膝の上で満足げな顔をしているトムをどかそうという気は起きないようだった。
 トムを優しく抱きしめると、くすぐったそうな甘い声を出したトムが、深紅の瞳で僕をまっすぐに見つめた。

 「あれがたちの……ご先祖様?」
 「ああ。僕らだけじゃなく、君にも彼らの中の血が流れているよ」
 「ふうん……なんだか不思議だった。まるでたちがもう一人ずついるみたいだった」
 「……そう、かもしれないね」

 僕はもう一度トムを優しく抱きしめた。
 急に世界が暗転した。
 僕の腕はトムのぬくもりを残したまま空を抱いている。禁じられた森の動物すらめったに足を踏み入れない奥深くの泉にいたはずだった僕の身体は、いつの間にか見慣れた洞窟の前に移動していた。
 ……ギリシャ、テッサリア地方ペーリオン山。ケンタウラスの賢者ケイローンが暮らしていたという洞窟。死者をも蘇らせることができたという医神アスクレーピオスが育った場所とも言われている此処に、僕を連れ出す者が誰だか、僕は良く知っている。
 静かに洞窟の中に足を踏み入れると、深紅の瞳を持つ青年が僕を笑顔で迎えた。

 「待ってたよ、
 「ヴォル」

 ホグワーツを卒業後しばらくして行方をくらませたトム・リドルはしかし、僕と彼がサラザール・スリザリンとつながりがあるということを利用して、僕の夢の中に自らの意識を運び込む魔法を編み出していた。そして彼は僕の意識を自分の意識の中に連れ込むことさえやってのけるようになったのだった。
 ある時突然夢の中だとわかっているにもかかわらず、自分の意識がはっきりすることがある。そういう時は大抵、僕の意識は彼と共有され、彼の好むこの洞窟の前へと連れてこられている。

 「……ちょうど、君が初めて夜宴に参加した日のことを夢に見ていたよ」

 白い輪郭に手を伸ばすと、やわらかい笑みを浮かべたヴォルデモートは僕の手を取りそのまま自分のほうへと引き寄せた。久しぶりに触れる完全美の温もり。ぐっと力強く僕を抱きしめるヴォルデモートの胸に顔をうずめ、僕も彼の腰を抱いた。

 「懐かしいね。あの時は君たちが何をしているのか、僕には全く分からなかった。ただ、僕の知らない君たちの姿が映像として頭の中に流れ込んでくるのを何とも言えない気持ちで見ていたな」

 僕の髪を一房指に絡め取りくるくると弄ぶその姿は、ホグワーツを卒業する前となんら変わらない。
 ホグワーツ卒業後の彼の所業には僕ら四人とも深く胸を痛めていたけれど、ホグワーツの外に出てしまった以上、僕らの関心はどうしても薄れてしまう。

 「……それで、今日僕を呼んだ理由は?」
 「君に逢いたかったんだ、
 「理由になってないと思うが……」
 「どうして? 好きな人に逢いたい、それ以上素晴らしい理由はこの世界には存在しないと思うよ」

 ……ああ、だめだ。ヴォルデモートはいつも甘い台詞を簡単に口にする。あんな夢を見た後では僕の心は普段にもましてヴォルデモートを愛しく思ってしまう。ははっ、と小さく声を漏らして笑うその表情が、その声が、その瞳が僕をとらえて離さない。
 僕は小さくため息をつくと、身じろいで体を少しヴォルデモートから離した。彼が僕に触れていたいのは知っていたし、僕もできることならずっと彼に触れていたいけれど、さすがに直立したままでは具合が悪い。幸い、この洞窟は実際にヴォルデモートが拠点としている場所の一つであるから、彼の生活が綺麗に詰まっている。すぐそばにある大きな寝椅子に腰を落ち着けると、ヴォルデモートも僕の隣に腰を下ろした。

 「……君が行方知れずになってしまったことをがひどく心配していた」
 「そして、は僕に腹を立てている……違うかい?」
 「その通りだ」
 「それなら君は? 、君は僕のことをどう思っているんだい?」
 「僕は……」

 相変わらず僕の髪を指で弄んでいるヴォルデモート。その手に自分の手を重ねると僕は息を吐いた。

 「僕は、君に触れたい。君の意識ではなくて、君自身に。こうして夢の中で出逢えても、目が覚めれば僕は一人だ。隣に君がいるはずもなく、温もりは夢でしかない」

 するとヴォルデモートは声を出して笑い、僕の輪郭線をなぞった。触れる指の熱が心地良い。

 「奇遇だな、。僕もそう思ってた。ホグワーツにはダンブルドアがいる。だから僕が君に逢いに行くことは容易じゃない。それでこうして夢で出逢えるように魔法を生み出したけど……夢の中での温もりは夢の中でのものでしかないんだ。こうして僕が君の滑らかな髪に触れても、君の他人より少し低い温度の身体に触れても……目覚めればそれはぼんやりとしたものになってしまう。ホグワーツの教員職を望んだのだって、君たちと一緒にいたいっていう思いもあったからなんだけどな……」

 ……これは夢だ。甘美な夢だ。夜宴のように記憶を呼び起こすものではなく、目覚めてもぼんやりと記憶の隅に新しく刻まれているけれど、それでも夢は夢なのだ。いくら魔法で作り出した精神的なつながりと言えども、生身の身体にまでは影響を与えられない。

 「ねえ、。明日はクリスマス・イブだ。キリストの降誕祭には興味ないけれど、君たちと一緒に毎年行っていたあの儀式、僕は結構気に入ってた。君の中に刻まれている僕のいない記憶を垣間見ることができて、偉大な魔法使いサラザール・スリザリンの姿を見ることができる……僕がもう少し早く自分の出生の秘密を知っていたら、あの映像をただぼんやりと眺めていることなんてなかったんだけどな。君たちは今でも禁じられた森の奥深くであの儀式を行っているんだろう?」
 「ああ」
 「だったら今日は、夢の中で僕と一緒にあの儀式を行わないかい? 簡略化したものでいい。立派な水像を生み出すことはない。ただ、僕は君と偉大な魔法使いサラザール・スリザリンのために祈りたい」

 ヴォルデモートの手が剣の柄に触れる。僕の上に半ば覆いかぶさる形になったために、僕は彼の顔をものすごく近くで眺めることになった。
 白ルの美青年、ヴォルデモート。フランス語で“死の飛翔”を意味するその名は、彼が自分の出生の秘密を知った後から使い出したものだ。長い睫に切れ長の瞳。紅を湛えるその瞳は光の加減によって、彼の気分によって、様々な表情を浮かべる。
 ふと気づけば、ヴォルデモートも僕の顔をじっと見つめていた。なんだか急に恥ずかしくなった僕は顔がほてるのを感じてさっと彼から視線を逸らした。近いよ、と小さくつぶやき彼の身体をやんわりと押しのける。ふっ、と口元に笑みを浮かべたヴォルデモートは僕から体を離すと、僕の手を引いて洞窟の奥へと導いた。

 剣を抜き、洞窟の床へ魔方陣を描きながら、これが夢での逢瀬ではなく実際の逢瀬だったなら……と、僕は小さな夢を見た。
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 5.夢での逢瀬
 ◆記憶に焼きつく5のお題◆ お題配布元:refinery