侵入者


 グリフィンドール寮前の廊下はしーんと静まり返っていた。
 クィディッチの試合で、興奮冷めやらぬ状態だった彼らも、就寝時間になるとそれぞれ部屋に戻っていったらしい。
 寮の前のひんやりとした空気は、つい先ほどまでこのあたりがざわめいていたことを伝えている。

 少し肌寒い廊下の隅に、とくっつきながら、僕はとある人を待っている。
 就寝時間を過ぎているものだから廊下は薄暗く、そして少し寒い。
 のふわふわした鬣を指で弄びながら、の体温を身近に感じる。
 そうでもしなければ、夜の寒さに耐えられそうになかった。

 「…少年、何故そこにじっと座っている?合言葉を忘れてしまったのか?」

 見かねたグリフィンドールの肖像画が僕に話しかけた。
 僕は、眠い目をこすりながら顔を上げた。
 グリフィンドールの、太った婦人の代わりに取り付けられた肖像画、カドガン卿。
 僕は彼ににっこりと笑みを返した。

 「僕、グリフィンドールの生徒じゃないんだ。勿論合言葉も知らない。だから、寮の中には入れないよ」
 「なんとっ、グリフィンドールの生徒でないにもかかわらず、ここにいると?それは何故なのだ、少年よ」

 いちいち身振り手振り、そして言葉遣いが大げさな肖像画だ。
 そんなに大きな声を出しては、巡回している教員に気付かれてしまうではないか。
 の耳がぴくぴくと、不快感をあらわにするように動く。
 僕は周囲に細心の注意を払いながら、出来るだけ小さな声で返事をした。

 「…人を待っているんだ。もうすぐここにやってくる」

 カドガン卿は不思議そうに僕を眺めた。
 僕とは一つ大きな欠伸をしながらカドガン卿を見つめ、そして小さく微笑んだ。





 そのすぐ後だろうか。
 ひっそりとした廊下を足音を忍ばせて歩いてくる人の気配を感じた。
 とりわけ、人の気配に敏感なは、耳をぴくぴくと動かし、気配のする方向を向いて体を緊張させている。
 僕は出来るだけ気配を潜め、その場に小さくなった。
 今はまだ、気付かれては困る。
 僕のすべきことは、ここにやってくる人間がすべきことをした後にある。

 「…就寝時間はとうに過ぎているが、寮になんのようだね」
 「……」
 「いかなるものとて、合言葉がなければ入ることは出来ないぞ?」

 ふっ、とシリウス・ブラックは口元を緩めた。
 ボロボロの上着のポケットから、小さな紙切れを取り出すと、いくつもの単語を読み上げる。

 「おお。一週間分の合言葉を手にしておるのか。さあ、扉は開かれた!中に入るがいい」

 ぱかり、と肖像画の絵が割れ、シリウス・ブラックは慣れた様子で寮の中に入っていった。
 彼がしっかり中に入ったのを確認した僕は、カドガン卿の近くまで足を運ぶことにする。
 カドガン卿の隣には、大きな木箱が置いてあり、その上に腰掛けることが出来る。
 この後中で起こることの察しは既についているから、僕は何が起きても動じないだろう。
 それよりも、シリウス・ブラックが行動を起こした後のほうが気になる。

 が僕のローブをしきりに引っ張った。

 「どうかしたのかい、

 の視線の先には、大きな猫。
 ハーマイオニーの部屋で寝ているはずのクルックシャンクスは、今日の気配を感じ取ったのだろうか、ここへやってきたらしい。
 僕の座っている木箱の上に華麗に飛び乗ると、僕のひざに片手を置いて、頭をなでろと訴えかける。
 僕は微笑んで彼の頭をなでてやる。
 は少々うらやましげに僕とクルックシャンクスのやり取りを見つめていた。

 「…君だね、クルックシャンクス。黒わんわんに合言葉を教えたのは」

 ぐるぐると喉を鳴らして満足そうに唸ったクルックシャンクスは、じっと扉のほうを見つめた。
 賢い猫だ、きっとこの先起こることもわかっているだろう。
 僕はただじっと、彼ととを交互になでながら、この先起こることがやってくるのを待っていた。




























 しばらくして、その悲鳴は聞こえた。
 少年の、甲高い悲鳴。
 静まり返っていた空気を一瞬にして切り裂いたその声と、ほぼ同時にぱかりと開いた肖像画。
 眉間にしわを寄せて、シリウス・ブラックは廊下に現れた。

 にこり、と僕は彼に微笑んで軽く手を振った。
 びくっ、と体を震わせた後で、大きな手を額に当てながら彼は盛大なため息をついた。

 「………」
 「深く語っている時間はないんだ。あんなに甲高い悲鳴だもの、すぐに教員がやってくる。その前にここから逃げなくちゃ」

 もう一度にこりと微笑むと、シリウス・ブラックは少し安心したのか笑みを漏らした。

 「にはかなわねぇな」

 …と、そうつぶやきながら。

 けれど、和んでばかりもいられなかった。
 廊下はざわめき、悲鳴とただならぬ寮の気配に気付いた寮監が駆けつけてくる足音がする。
 今この場でシリウス・ブラックが捕まると厄介なことになる。
 だから、なんとしても彼をホグワーツの敷地外に移動させなくてはならないんだ。

 「、僕の少し前を走って。さ、いくよ。指示を出すから、心配しなくていい」

 優しくの首筋をなでた後、GO、と合図を出して走り出した。
 僕の隣を、シリウス・ブラックがついてくる。

 「、右に曲がって。…ああ、角に気をつけて。いいよ、走り続けて」
 「…なぁ」
 「……?」
 「…どうして、俺に協力するんだ?」
 「真実を知っているから、かな」

 に指示を出しながら、僕たちは廊下を走り続けた。
 途中何度か、駆けつけてくる教員らと鉢合わせしそうな場面があったけれど、そこはが臨機応変に対応してくれた。
 ほんとうに、賢いトモダチを持つと助かる。

 …僕の思いは複雑だった。

 「…いなかったでしょ?…ねずみ」

 僕は走りながらそうつぶやいた。
 ああ、と残念そうな唸り声が返ってきた。
 つくづくうまいと思う。
 小動物は身の危険を察知するのがうまい。
 体が小さいがゆえにどこにでも隠れられるから、一度逃げられたら探すのは困難を極める。
 けれどこっちは、それでも探し続けるしか出来ないんだ。

 狭い地下通路の中で、僕らは足を緩めた。
 ここまではもう追ってこない。
 どたばたと走って足音を響かせたら、ここにまで追っ手が来てしまう可能性があるから、今度はゆっくりと慎重に足を運ぶ。

 「…」
 「何も言わないで。いつか必ず、貴方の行動は実を結ぶ。それまで見つからないことが大事なんだ。あまり無茶をしないでね。無茶をしすぎると、ホグワーツ内に貴方のよくないうわさが広がるばかりだ。ハリーも心を痛める」

 地下通路の出口付近で、僕は彼にそういった。
 む、と口を結んで、しばらく何かを考え込むかのようにそこに突っ立ったままのシリウス・ブラック。
 やんわりとした笑みを見せると、僕は出口を指差した。

 「外にはディメンターがいるから、犬になったほうがいい。それから…この先は暴れ柳がいるけれど、そこは心配しなくていいよ。僕もそこまでついていく」

 彼がしっかりと犬になるまで待ってから、僕はゆっくり地下通路出口へ続く階段を上った。
 上には暴れ柳がどっしり構えていて、何かをぶつけたらいつものように暴れだしそうだった。

 「さ。貴方はもう長い間自由を奪われた。後ほんのすこしじっと耐えていることは、今までアズカバンにいた頃を思い出せば、そんなに苦にならないでしょう?…もう行ったほうがいい。教員に見つかる前に」

 黒わんわんを暴れ柳に気付かれないように外に出すと、僕は地下通路の入り口を閉めた。





 正直複雑な思いだった。
 シリウス・ブラックの背後に見える重い過去と未来。
 優しい心とは裏腹に時は悪く進んでいく。
 未来を知りうるものは、ほんの少し手助けをすることは出来ても、相手の未来の本質を変えてはいけない。
 僕はただ、彼がこれ以上辛い目にあわないようにと願うことしか出来ないんだ…

 そんな思いを抱えたまま、僕は寮へと戻る廊下をゆっくり歩いていた。






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 たまには視点で。
 シリウス・ブラックとはいい仲なんです。