正確な予言
「あ、水晶玉だ」
ドラコの頬の腫れもひいてきた頃、とは占い学の教室に足を踏み入れた。
いつものように薄暗いむっとするような部屋に入ると、小さなテーブルのひとつひとつに真珠色の靄が詰まった水晶玉が置かれ、ボーっと光っているのが眼に入った。
とは、少し古めかしい色の小さなテーブルに座った。
既に教室には何人かの生徒がいて、目の前に置かれた水晶玉をものめずらしげに眺めていた。
「水晶玉は来学期にならないと始まらないと思ってたけどな」
すぐ近くのテーブルからは、ロンのひそひそ声が聞こえてくる。
前髪を鬱陶しそうにかきあげたが少し表情を固くし、目の前にある水晶玉をじっと見つめていた。
は、水晶玉に特別な思いがあるのか、いつもよりも複雑な表情をしていた。
「君の水晶玉とはずいぶん違うんだな」
「ん?…あ、ああ、そうだね。僕のは透明だから……」
ぽわん、という音と少量の白い煙とともに、の手に愛用しているの水晶玉が現れた。
目の前にある水晶玉よりも数段輝いていて魔力にあふれている気がする。
は二つの水晶玉を見比べ、首を横に振った。
そのちょっとした動作に驚いたのか、の膝の上で微睡んでいたニトが、俺の背中の上にやってきた。
ニトが寝床を整えるくすぐったい動きにはまだ慣れないけれど、それ以上にが神秘的で、俺は水晶玉をじっと見つめるから目を離すことが出来なかった。
「みなさま、こんにちは!」
霧のかなたのような声がして、薄暗がりの中からトレローニー先生が芝居がかった登場をする。
が首を横に振って呆れたため息をつけば、はふふふ、と小さな笑みを漏らしている。
「あたくし、計画しておりましたより少し早めに水晶玉をお教えすることにしましたの。六月の試験は球に関するものだと、運命があたくしに知らせましたの。それで、あたくし、皆様に十分練習させてさしあげたくて」
すぐ近くの席に座っていたハーマイオニーがふんっと鼻を鳴らした。
「あーら、まあ…『運命が知らせましたの』…どなた様が試験をお出しになるの?あの人自身じゃない!なんて驚くべき予言でしょ!」
ハーマイオニーは声を低くする配慮もせずに言い切った。
だから、きっとトレローニー先生にも聞こえていると思う。
がくすくす声を立てて忍び笑いをし、が呆れたため息をついていた。
確かに試験を出すのは先生自身だよな、と納得しないでもないが、ハーマイオニーはどうもトレローニー先生に対して、厳しく当たる面があるから、なんだか気になった。
「…相当まいってるみたいだね、ハーマイオニーは」
「君が気にすることなんてないだろう?トレローニー先生のように言うならば、『心眼が備わっていない』平凡な少女なんだから」
「…まぁ、ね。占いを受け止める心がなかったら、いつまでたっても予言は舞い降りてこない…と」
ハーマイオニーの姿を気にしつつもはいつものように優雅な振る舞いだ。
彼女の発言を是正することもしなければ、彼女の態度を改めようともしない。
本当にそれでいいのだろうか、と思ってしまうけれど、どうも、仕方がないといえば仕方がない。
にはの考えがあるのだろうから、俺は何も口出さないほうがいいんだろうな。
「水晶玉占いは、とても高度な技術ですのよ」
先生は聞こえていないかのように振舞い、次の言葉を続けた。
「球の無限の深奥を初めて覗き込んだとき、皆さまが最初から何かを『見る』ことは期待しておりませんわ。まず意識と、外なる眼とをリラックスさせることから練習を始めましょう。そうすれば『内なる眼』と超意識とが顕れましょう。幸運に恵まれれば、みなさまの中の何人かは、この授業が終わるまでには『見える』かもしれませんわ」
そこで皆が作業に取り掛かった。
黒いローブを身にまとった生徒達がいっせいに、目の前にある水晶玉をジーっと見つめている光景は、どう見ても滑稽だ。
水晶玉の中には相変わらず真珠色の靄がかかっているだけで、の水晶玉のように何かを映し出すことがない。
の水晶玉は、予言やの意識や…色んなものを映し出してくれ、それが水晶玉を見つめていない俺達にもみえる。
どっちかって言うと、俺はの水晶玉のほうが好きだ。
「…どう?」
「真珠の靄がひたすら動いているだけだ」
「この水晶玉、魔力が相当弱いみたい。生徒用に作られたものみたいだね。これで何か予言をするのは難しいよ」
十五分ほどたったころ、が顔を上げた。
はため息をつき、ゆっくりと動き続ける水晶玉の中の靄から視線を逸らした。
どうやら二人とも、この作業に飽きたらしい。
他の席でもため息をついたり、水晶玉から視線を逸らしたりする生徒が現れてきて、どうやら皆集中力が途切れてきたみたいだ。
おまけに、ハリーたちの席からは、ハーマイオニーのヒステリーがかった声が聞こえてくる。
甲高い彼女の声は、耳につくので、俺の耳はひたすらぴくぴくと動いている。
「まったく時間の無駄よ。もっと役に立つことを練習できたのに。呪文学の遅れを取り戻す事だって……」
さわり、と衣擦れの音がした。
トレローニー先生がの傍に近寄った。
「あら…まあ……あなた、既に『内なる眼』の能力が顕れていますのね……さあ、あなたの水晶玉に映るものを皆様にお伝えしてもらえるかしら?きっとあなたの予言を聞いたならば、みなさま水晶玉の力をすばらしいものだと思うでしょう」
たくさんの腕輪がついた腕をの肩に回して、うっとりした表情でを見つめた先生に、は小さな笑みを見せた。
トレローニー先生を尊敬している、パーバティとラベンダーがをうらやましそうに見つめていた。
逆に、は心配そうにの顔を覗き込んでいたが、の表情は涼しげで、なんら心配は要らないといっているようだ。
「…僕の前に見えるのは……駆け出していく人の姿…『初期の予言が現実のものとなる』…こんなところでしょうか」
一瞬、の目の前の靄がかった水晶玉の靄が晴れた。
そして、俺にも駆け出していく人の姿が見えた。
はっ、との水晶玉が見える位置にいた生徒達が息を呑んだ。
「すばらしいわ。さあみなさまももう少し集中してごらんなさい。彼のようにとはいかなくても何かぼんやり見えてくるかもしれませんわよ。そうですね、球の内なる、影のような予兆をどう解釈するか、あたくしに助けてほしい方、いらっしゃること?」
腕輪の触れ合う音を響かせながら、トレローニー先生はつぶやき、の傍から離れていった。
とたんが口を開く。
「…君は…」
「この程度だったら、ね。本来の予言はもっと……」
ふっ、との表情が曇る。
が怪訝な顔をしての顔を覗き込んだ。
「それだけ予知の能力があるんだ。君は僕の知らないことをたくさん知っているんだろうな…だけど、一人で抱え込む必要なんて…」
そこまでが言いかけたときだったか。
ハリーたちの席から大きな笑い声が聞こえたのだ。
張り詰めていた空気がかき乱された。
「まあ、なにごとですの!」
先生の声と同時に、みんながいっせいに三人のほうを振り向いた。
との会話は中断された。
の表情がとても重くなってハーマイオニーを見つめていることに気がついたのは…
このときはまだ、俺だけだったろうな。
何かあるな、と俺は感じた。
の表情がこんなに暗くなるんだ、何かある。
ドラコに対するハーマイオニーの態度を見たときからちょっと気になっていたらしいけど、どうやら何かあるみたいだ。
そういえば、ずいぶん前にクルックシャンクスがハーマイオニーを気にかけていた気がする。
「あなたがたは、未来を透視する神秘の震えを乱していますわ!」
トレローニー先生がハリーたちの机に近寄り、水晶玉を覗きこんだ。
「ここに、なにかありますわ!」
先生は低い声でそういって、水晶玉の高さまで顔を下げた。
「何かが動いている……でも、なにかしら?……まぁ、あなた……」
ハリーの顔をみつめて、ほーっと息を吐いた。
この先何があるのか、俺でも予想がつくさ。
「ここに、これまでよりはっきりと…ほら、こっそりと貴方のほうに忍び寄り、だんだん大きく…死神犬のグ…」
「いい加減にしてよ!」
ハーマイオニーが大声を荒げた。
はっ、とが顔を上げハーマイオニーをじっと見つめた。
(、)
唇を小さく動かし俺を呼ぶ。
ひらり、とのひざに飛び乗ると、はぎゅっと俺を抱きしめた。
目の前では、ハーマイオニーとトレローニー先生が向かい合って微動だにしない。
「またあのばかばかしい死神犬じゃないでしょうね!」
「まあ、あなた。こんなことを申し上げるのは、なんですけど、貴方がこのお教室に最初に現れたときから、はっきり解っていたことでございますわ。貴方には『占い学』という高貴な技術に必要なものが備わっておりませんの。まったく、こんなに救いようのない『俗』な心を持った生徒にいまだかつてお目にかかったことがありませんわ」
一瞬の沈黙。
張り詰めた空気だ。
じっと二人の様子を見つめるは、時々苦痛に表情をゆがめ……
そして、その瞳は悲しく紅い光を宿している。
なにか、目の前の光景をただ映しているのではなく、なにか、遠くを透かしてみているかのような…
そんな瞳だ。
(…僕は、彼女を止めることは出来ない…)
小さなの囁きは俺に向けられたものだろうか。
唇を軽く動かす程度。
そんなささやきが聞こえた。
「結構よ!」
ハーマイオニーが唐突にそういって立ち上がり、教科書をかばんに詰め込み始めた。
「結構ですとも!」
再びそういうと、ハーマイオニーはかばんを振り回すようにして肩にかけ、危うくロンを椅子から叩き落しそうになった。
「やめた!私、出て行くわ!」
クラス中があっけに取られる中を、ハーマイオニーは威勢よく出口へと歩き、跳ね上げ戸を足で蹴飛ばして開け、はしごを降りて姿が見えなくなった。
「………」
ほんの一瞬、が口を開こうとして、そして首を横に振って閉じたのを俺は見た。
……トレローニー先生の占いが高貴な技術であるかどうかは俺にはわからない。
やの技術のほうが高貴であると思う。
でも、ハーマイオニーの態度は気になった。
がきつく俺を抱きしめて、何かに耐えているような表情をしていたのも気になった。
「ああっ!!トレローニー先生。わたし、今思い出しました。ハーマイオニーが立ち去るのをごらんになりましたね?そうでしょう、先生。『イースターの頃、誰か一人が永久に去るでしょう!』先生は、ずいぶん前にそうおっしゃいました!」
突然ラベンダーが声を上げた。
やっと落ち着きを取り戻した教室内は、ラベンダーのほうにむいた。
トレローニー先生はラベンダーに向かって、はかなげに微笑んだ。
「ええ、そうよ。ミス・グレンジャーがクラスを去ることは、あたくし、わかっていましたの。でも、『兆』を読み違えていれば良いのに、と願うこともありますのよ……『内なる眼』が重荷になることがありますわ……」
ラベンダーとパーバティは深く感じ入った顔つきで、トレローニー先生が自分たちのテーブルに移ってきて座ってくれるよう、場所を空けた。
「……?」
今まで何もしゃべらなかったがやっと口を開いた。
の様子が気になっているみたいだ。
俺の背中にしがみついているニトをそっと受け取ったは、の肩に手を置いた。
「君は優しいからね。あんな生徒のこと気にしないほうがいい、といっても気にかけるんだろうな」
「……大丈夫、だよ、。少し驚いただけ、だよ。ありがとう」
優しい笑みを浮かべただったけれど、今にも泣き出しそうな表情をしている。
ぺろり、との頬を舐めると、は俺の体に顔をうずめた。
授業後に、ラベンダーとパーバティに声をかけられ、の予言についていろいろ言われたけれど、はボーっとしていた。
がを連れて寮に戻っても、はなんだか心をかき乱されているみたいだった。
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ハーマイオニーがっ!!
そしても大変だ……