十二年の幕開け


 黒い犬はロンを暴れ柳の中に引きずり込んだ。
 信じられないことだった。



 ハグリッドの小屋の裏口から抜け出した僕達は、と別れ城に戻ろうとした。
 そのとき、ロンのポケットにいたスキャバーズが暴れだしたんだ。
 ……目の前にはハーマイオニーの猫、クルックシャンクス。
 ロンの指の間をすり抜け逃げ出したスキャバーズをクルックシャンクスが追う。
 ロンがスキャバーズを捕まえようと透明マントの外に出た。
 やっとのことで捕まえたスキャバーズとロンをマントの中に隠そうとしたときだったかな。

 真っ黒な犬が現れた。

 杖を構えたけれど間に合わなかった。
 僕は犬に攻撃を食らわされ、反り倒れた。

 …これが死神犬?じゃあ、トレローニー先生の予言は……

 そんなことを考えていた。
 そうしたら、また犬が僕に飛び掛ってきたんだけど……ロンが僕を横に押しやった。
 犬はロンの伸ばした腕をばくりと噛んで、まるでぼろ人形を引きずっていくかのようにやすやすとロンを引きずっていった。

 「ロン!」

 声に出してロンの名を呼び近づこうとしたけど、なんて運が悪いんだろう。
 ここは暴れ柳のいる場所じゃないか!暴れ柳が殺人パンチを飛ばしてくるものだから、僕らはロンに近づくことが出来ない。
 僕もハーマイオニーも傷ついていた。
 そのうち、ロンの脚がばきっと嫌な音を立てた。
 同時に、今まで必死に引きずり込まれまいとしていたロンの姿が暴れ柳の中に消えていった。
 本当に、最悪の事態のはずなのに、どうしてこう次から次へと悪いことが続くんだろう……

 「ハリー、助けを呼ばなくちゃ」
 「ダメだ!あいつはロンを食ってしまうほど大きいんだ。そんな時間はない……」
 「誰か助けを呼ばないと、絶対あそこに入れないわ」

 暴れ柳の攻撃をよけながら、僕らはほぼ叫び声にちかい大きさの声で話していた。
 …助けを呼ぶ?
 確かにこのままじゃ暴れ柳の中に入れそうもない。…でもどうやって?
 僕らが外に居ることがばれたら、ハグリッドがまずいことになるだろうし、僕らも減点程度で済まされるはずがない。

 …は?

 いや、ダメだ。
 こういったことにを巻き込みたくないよ。それにどこに居るのかわからないし……
 やっぱりダメだ。
 それに、そんな時間なんてないよ。

 「あの犬が入れるなら、僕たちにも出来るはずだ」

 自分に言い聞かせるようにそういうと、僕はあちらこちらを飛び回り、息を切らしながら、凶暴な大枝のブローをかいくぐる道を何とかして見つけようとした。
 早くしないとロンが食べられてしまうよ。
 でも、ブローの届かない距離から一歩も根元に近づくことは出来なかった。

 「ああ、誰か、助けて」

 ハーマイオニーはその場でおろおろ走り回りながら、狂ったように呟き続けた。

 「誰か、お願い」

 ひらり、目の前に何かが見えた。
 クルックシャンクスだった。
 殴りかかる大枝のまわりをまるで蛇のごとくすり抜けると、両前足を気の節の一つに乗せた。
 突如、「柳」はまるで大理石になったように動きを止めた。木の葉一つそよともしない。
 …僕はハーマイオニーを見た。
 ハーマイオニーったら僕の腕をぎゅって握ってるんだから。ちょっと痛いよ。

 「行こう。君も杖を出しておいて」

 クルックシャンクスの後を追うような形で、僕とハーマイオニーは根元の隙間の中に入った……





























 「…まずいことになったね」

 暴れ柳の前で僕はそうつぶやいた。
 暴れ柳は大理石のように動かない。根元の隙間には引きずられたような跡がある。
 おまけに星の囁き。
 つい先ほどここで起きた全てのことを僕に囁いている。

 「?!一体ここで何をしているんだい?」

 後ろからそんな声がした。聞きなれた声。リーマス・J・ルーピン先生だ。
 僕は静かに振り向いた。

 「生徒はとっくに外出禁止の……」
 「そんなことを言っている場合じゃないでしょう、先生。おそらくこの中に……僕は星からのお告げを読み取ってここに来ました。先生、早くこの先に行かなければ……」
 「…あ、ああ…君はこの先に誰が居るかわかってるんだね?」
 「ええ…ある程度は。先生もそれを知ってここに来たのでしょう?」
 「ああ……さすが、先生のご子息だ」

 そんなことを話しながら僕らは進んでいった。
 ルーピン先生がまず根元の隙間に入り込んだ。
 続いて僕と
 先生の足取りはしっかりしていた。戸惑う様子もなく急いで先を目指している。

 「

 突然先生は僕の名を呼んだ。でも足は止まらない。
 僕は先生の後ろに続きながら答えた。

 「以前…ああ、もうだいぶ前だけれども…君は僕に『シリウス・ブラックの無罪が早くわかるといい』というようなことを言ったね」
 「ええ。他人にはあまり口外できないことですが。いずれ先生は知ることになるだろうと思いまして」
 「その言葉について僕は今日までずっと考えていたんだが…もしかしたら、この先に広がる光景を見たら、僕の安易な考えが確信に変わるかもしれないんだ」

 ルーピン先生の声は小さく囁く程度のものだった。
 まだ考えがまとまっていないのだろう。
 十二年間、先生はたった一人で暗い過去を背負ってきた。
 一度に大切な友を三人も失い、裏切られ……そう信じていたんだ。
 彼が驚くであろう事がこの先に待ち受けているのは事実だ。
 一瞬僕は、全てを話してしまいたい衝動に駆られ、苦笑した。
 開きかけた口を閉じると、別の言葉を探す。

 「…急ぎましょう、先生。答えはこの先にあります」

 笑むことしか出来なかった。
 …僕は臆病者だ。
 何故僕がシリウス・ブラックの無罪を知っているのか、そのほかのことも全部、話してしまえば楽になるだろうに、今の僕にはまだ隠すことしか出来ない。









 目の前が明るくなった。
 狭くて埃っぽい部屋に出たのだ。
 僕とルーピン先生は何も言わず、黙々と屋敷の中を進んでいった。
 どうやら上の階から物音がするみたいだ。の耳がぴくぴく動き、しきりに上を見つめている。

 「ここよ!私達上にいるわ!シリウス・ブラックよ!早くっ!!」

 ハーマイオニーの甲高い叫び声が聞こえた。
 僕とルーピン先生は顔を見合わせ、同時に頷いた。
 先生は杖を取り出し、できる限り急いで階段を駆け上がると、魔法で部屋の扉を打ち破った。


 赤い火花が散って、扉は開かれた。
 先生の後に続いて部屋に入った僕は、床に倒れているロンを見た。
 脚がおかしな方向に曲がっていて、顔には血の気がない。どうやら足の骨が折れているようだ。
 それから、扉の傍ですくみあがっているハーマイオニーに眼がいった。唇を微かに動かして、僕の名を呼んでいるようだ。
 おびえるのも無理ない、と思った。
 皆シリウス・ブラックが極悪人だと思いこんでいるのだ。
 まだ魔法使い見習いの僕らにかなう相手ではない、とね。
 僕は優しく微笑んでハーマイオニーを見た。
 彼女は気が抜けたようにへなへなとその場に座り込んでしまった。
 それから僕は、目の前に広がる光景に視線をずらした。

 「Expelliarmus!」

 杖でシリウス・ブラックを捕らえていたハリーの手から杖が離れた。
 ハーマイオニーがもっていた二本の杖も飛んだ。
 ルーピン先生はそれを器用に捕まえ、ブラックを見据えたまま部屋の奥へと足を進めた。
 部屋の中は静かだった。
 座り込んでしまったハーマイオニーと、痛みに顔をゆがめているロン。
 誰も何も言わなかった。
 僕もただ、この光景を見つめていただけだった。

 が僕とクルックシャンクスをじっと見つめていた。
 クルックシャンクスはシリウス・ブラックの胸元にねそべり、まるでシリウス・ブラックを守っているかのようだ。
 なんて賢い猫なんだろう。

 「シリウス、あいつはどこだ?」

 しばらくして口を開いたのはルーピン先生だった。
 何か感情を押し殺して震えているような、緊張した声だった。
 無理もない。
 十二年間疑っていた相手だ。信じていたことが崩れていくこと……
 そこに湧き上がるのは単なる喜びの感情ではない。
 己を苦しめる自責の念、後悔の叫び、相手に対する複雑な思い…いなくなった友に対する思い…
 全てが絡み合う深くて複雑な感情だ。
 きっと、扱いきれないほどの思いだ。
 ……たぶん先生はまだ半信半疑だ。

 無表情のシリウス・ブラックは数秒間動かなかった。
 それから一瞬僕のほうへ目をやり、僕が頷くと、ゆっくりと手を上げた。
 その手はまっすぐにロンを指していた。

 「しかし、それなら……何故今まで正体を顕さなかったんだ?もしかしたら……」

 ‘安易な考えが確信に変わる’‘闇に閉ざされていた十二年が幕開く

 僕の頭の中を巡る言葉たち。
 いずれ皆知ることだ。
 それに、シリウス・ブラックはハリーに真実を語る義務がある。
 ルーピン先生も今までのことを知る権利がある。
 僕が何をいなわなくても、彼らから真実が伝えられるだろう……

 「もしかしたらあいつがそうだったのか…もしかしたら、君はあいつと入れ替わりになったのか……わたしに何も言わずに?」

 落ち窪んだ眼差しでルーピン先生を見つめ続けながら、シリウス・ブラックがゆっくりと頷いた。
 先生は構えた杖を下ろし、ブラックのほうへ歩み寄ると手をとって助け起こした。
 床に転げ落ちたクルックシャンクスが僕のほうによってきた。
 先生は兄弟のようにシリウス・ブラックを抱きしめた。

 「の話を聞いたときからずっと考えていた。でもまさか……今まで確信が持てなかった」

 目の前の光景に、ハーマイオニーが唖然として僕を見た。
 僕はクルックシャンクスを抱きかかえた状態で、ハーマイオニーを見て微笑んだ。
 この先のことはもう皆が知ることだ。隠すこともないだろう。

 「なんてことなの!

 ハーマイオニーはよろよろと立ち上がって、震える声で叫んだ。

 「先生は…先生は……」
 「ハーマイオニー…」

 ルーピン先生はブラックから体を離すと、震えるハーマイオニーのほうへ視線を向けた。

 「…その人とグルなんだわっ!」
 「ハーマイオニー、落ち着きなさい」
 「私、誰にも言わなかったのに!先生のために、私、隠していたのに……」

 それに、と彼女は続けた。

 「まさかまで……?」

 全員が僕を見た。
 僕は困ったように微笑んだ。






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 も疑われてしまいました……
 しかし、この話は深い気がします。