正体
の秘密がばれた。
の瞳は曇って、どこか遠くを見つめている。そして、ぎゅっと俺を抱きしめている。
表情は優しいけれど、たぶんは辛い。
そんなを見ている俺も、ほんの少し辛かった。
「ロン、聞いたことはないかい?ピーターの残骸で一番大きなのが指だったって」
「だって、たぶんスキャバーズは他のねずみと喧嘩したかなんかだよ!こいつは何年も家族の中で‘お下がり’だった。たしか……」
「十二年だね、たしか」
目の前ではロンとルーピン先生が話している。
シリウス・ブラックの傍でじっとしているクルックシャンクスはねずみの動きを鋭く観察している。
……もそうだ。じっとねずみの動きを見つめ続けている。
「わたしの想像だが、シリウスが脱獄してまた自由の身になったと聞いて以来、やせ衰えてきたのだろう…」
「こいつは、その狂った猫が恐いんだ!」
ロンはクルックシャンクスを顎で指した。
<……人っていうのは不便だな。すぐい動物を狂ったもの扱いする>
クルックシャンクスが顔を洗うのをやめ、俺をじっと見ていた。
ゆっくり立ち上がったクルックシャンクスはの足元に擦り寄った。
<お前はいいな。この主はとても聡明だ。それに物事をよく理解している>
は擦り寄ってきたクルックシャンクスを抱くと、自分のひざの上に乗せた。
シリウス・ブラックの手がクルックシャンクスに伸びてきた。
「この猫は狂ってはいない。わたしの出会った猫の中で、こんなに賢い猫はまたといない。ピーターを見るなり、すぐに正体を見抜いた。わたしに出会ったときも、わたしが犬でないことを見破った。わたしを信用するまでにしばらくかかったが……ようやっと、わたしの狙いをこの猫に伝えることが出来て、それ以来わたしを助けてくれた」
「それ、どういうこと?」
ハーマイオニーが声を潜めて言った。
「ピーターをわたしのところへ連れてこようとした。しかしできなかった。そこで、わたしのために、グリフィンドール塔の合言葉を盗み出してくれた。誰か男の子のベッドのわきの小机から持ってきたらしい」
自分の話が目の前でされているのを知ってか知らずか、クルックシャンクスはのひざの上でくつろいでいる。
首筋をになでられ気持ち良さそうに喉を鳴らしている。
「しかし、ピーターは事の成り行きを察知して、逃げ出した。この猫は……クルックシャンクスという名だね?……ピーターがベッドのシーツに血の痕を残していったと教えてくれた。たぶん自分で自身を噛んだのだろう。そう、死んだと見せかけるのは前にも上手くやったのだし……」
<……あのねずみを捕まえたくてしょうがないのだが>
忙しなく動くスキャバーズの動きをクルックシャンクスが鋭く追っている。
ロンの手の中でスキャバーズは激しくもがいている。
(もうすぐだ)
小さくがつぶやくのが聞こえた。俺がを見上げると、はにっこり微笑んでくれた。
その瞳の中にはなにか決心したかのような光が宿っていた。
「それじゃ、何故ピーターは自分が死んだと見せかけたんだ?」
ハリーの語調は激しい。
「お前が、僕の両親を殺したと同じように、自分も殺そうとしていると気付いたからじゃないか!それなら、僕はスネイプにお前を引き渡すべきだったんだ!」
ハリーがまた感情的になった。
ルーピン先生が急き込んでハリーの名を呼んだ。
「ハリー、わからないのか?わたしたちはずっと、シリウスが君のご両親を裏切ったと思っていた。ピーターがシリウスを追い詰めたと思っていた。しかし、それは逆だった。わからないかい?ピーターが君のお父さん、お母さんを裏切ったんだ。シリウスがピーターを追い詰めたんだ」
「うそだ!」
いきなりハリーが叫んだ。
あまりの声の大きさに俺の耳もクルックシャンクスの耳も後ろに伏せた。
の体も一瞬縮こまったみたいだった。
「ブラックが秘密の守人だった!ブラック自身が貴方が来る前にそういったんだ。こいつは自分が僕の両親を殺したと言ったんだ!」
ハリーは指差していった。ブラックはゆっくりと首を横に振った。落ち窪んだ目が急に潤んだように光った。
「ハリー……わたしが殺したも同然だ」
ブラックの声はかすれていた。すっとが立ち上がり、ブラックの傍に行った。
軽くシリウスの片手を握っているようだ。
シリウス・ブラックはもう一方の手で自分の頭を抱えるようにしている。
「最後の最後になってジェームズとリリーにピーターを守人にするように勧めたのはわたしだ。ピーターに変えるように勧めた。わたしが悪いのだ。たしかに……二人が死んだ夜、わたしはピーターのところに行く手はずになっていた。ピーターが無事かどうか確かめに行くことにしていた。ところが、ピーターの隠れ家に行ってみると、もぬけの殻だ。しかも争った跡がない。どうもおかしい。わたしは不吉な予感がして、すぐ君のご両親のところへ向かった。そして、家が壊され、二人が死んでいるのを見たとき……わたしは悟った。ピーターが何をしたのかを。わたしが何をしてしまったのかを」
最後のほうは聞き取りにくかった。ブラックの声は涙声で、顔をみんなから背けていた。
「もう十分だ、シリウス・ブラック。貴方は十分苦しんだ」
「ああ、話はもう十分だ」
ルーピン先生は情け容赦ない声で次の言葉を続けた。視線はロンに向いている。
「本当は何が起こったのか、証明する道はただ一つだ。ロン、そのねずみをよこしなさい」
「こいつを渡したら、何をしようというんだ?」
ロンが緊張した声でルーピンに聞いた。
「無理にでも正体を顕させる。もし本当のねずみだったら、これで傷つくことはない」
ルーピン先生が答えた。
ロンは少し躊躇っていたが、とうとうスキャバーズを差し出した。
ルーピン先生が受け取ったスキャバーズは、キーキーとわめき続けのた打ち回り、小さな黒い目が飛び出しそうだった。
「往生際の悪いねずみだね」
ぼそりがつぶやいた。
「シリウス、準備は?」
ルーピン先生が聞いた。
シリウス・ブラックはスネイプ教授の杖を拾い上げていた。ルーピン先生のほうへ近づいていく。
涙で潤んだ目が、突然燃え上がったかのようだった。
「三つ数えたらだ。いち……に……さんっ!」
青白い光が二本の杖から迸った。
一瞬、スキャバーズは宙に浮き、そこに静止した。小さな黒い姿が激しく揺れた。
ロンが叫び声をあげた。
ねずみは床にぼとりと落ちた。もう一度、目も眩むような閃光が走り……そして……
なんだか気持ち悪かった。
今までスキャバーズが居たところに、小柄な男がいた。まばらな色あせた髪はくしゃくしゃで、てっぺんに大きな禿げがあった。
……どうも、お世辞にも格好いいとは言いがたい。
クルックシャンクスは背中の毛を逆立てて、シャーシャーと激しく唸っていた。
は男を鋭く見つめていた。
「やあ、ピーター」
ねずみがにょきにょきと旧友に変身して身近に現れるのを、しょっちゅう見慣れているかのような口ぶりで、ルーピンが朗らかに声をかけた。
「しばらくだったね」
「シ、シリウス……、リ、リーマス……」
「ジェームズとリリーが死んだ夜、何が起こったのか、今おしゃべりしていたんだがね、ピーター。君はキーキー喚いていたから、細かいところを聞き逃したかもしれないな」
「ピーター、二つ三つ、すっきりさせておきたいことがあるんだが……君がもし……」
ルーピン先生の声はものすごく冷たかった。
今までの先生とは似ても似つかない。
それだけ、この小柄な男に対する辛い思いがあるんだろうと思う。
「こいつは、またわたしを殺しにやってきた!」
ペティグリューは突然ブラックを指差して金切り声をあげた。
人差し指がなくなり、中指でブラックを指している。
「こいつがわたしを追ってくるとわかっていた!こいつがわたしを狙って戻ってくるとわかっていた。十二年も、わたしはこのときを待っていた」
「シリウスがアズカバンを脱獄するとわかっていたというのか?未だかつて誰も脱獄した者はいないのに?」
「こいつはわたしたちの誰もが夢でしかかなわないような闇の力を持っている」
目の前ではルーピン先生とペティグリューがやりとりを続けていた。
はその様子をじっと眺めている。
その瞳は鋭く、ピーター・ペティグリューがなにかおかしな行動をとろうものならすぐにでも攻撃できる態勢が整っていた。
「それがなければ、どうやってあそこから出られる?おそらく『名前を言ってはいけないあの人』がこいつになにか術を教え込んだんだ」
ブラックが笑い出した。ぞっとするようなうつろな笑いが部屋中に響いた。
も、こらえきれないというように口元を緩めていた。
「ヴォルデモート卿がわたしに術を?」
ペティグリューはブラックに鞭打たれたかのように身を縮めた。一瞬、がその名に反応した。
「どうした?懐かしいご主人様の名前を聞いて怖気づいたか?……無理もないな、ピーター。昔の仲間はお前のことをあまり快く思っていないようだ。違うか?」
(……おいで)
不意にが俺を呼び寄せた。訳もわからず、俺はの傍に寄った。
は俺をぎゅっと抱き、耳元に顔を近づけた。
(何があっても、は僕と一緒にいてくれるかい?)
少し寂しくは言った。ぺろり、と俺はの頬を舐めた。当たり前だ。
の言葉は痛々しく、言葉の中に辛さがあった。
ちらりとピーター・ペティグリューを見ると、の姿を凝視して、とてもおびえているようだった。
手は震え、口をパクパクしている。
ピーターはを指差していた。
「あ、あ………ごっ……」
這うようにしての足元に近づいてきたペティグリューに、俺はの足元から動くまいと思った。
きれいなに、この男はあまりに似合わない。
「どうした?に何かあるのか?」
「……ああ、若様!」
その言葉に、全員がはっと息を呑んだ。
は明らかに嫌悪の表情を見せ、じろりとペティグリューを睨んだ。
彼の、指の一本足りない手が、のローブを掴もうとしたが、さっとが身を引いたために、その手は宙を掴んだ。
しばらく誰も何も言わなかった。
おそらくみんなの頭の中にはハリーの言葉がよみがえり、そして、たぶん、ほんの少しだけ残っていた希望がなくなったんだろうと思う。
「お前にそう呼ばれるなんて、吐き気がするよ。僕に近づくな」
の声が冷たい。
右手は優しく俺の体を撫ぜていたが、瞳は鋭くペティグリューを見つめていた。
まるで……まるで汚物を見つめるかのような表情で。
「……御慈悲を、若様……わたしは……」
「この期に及んで命乞いか?ねずみの姿をして、ロンがペットとして大事にしていたから手を下さなかっただけだ。いずれ誰かがお前を殺すであろう事くらい、容易に想像できただろうに」
「そんな、若様!!あなたならお分かりになるでしょう。あの時、あの方は、ありとあらゆるところを征服してた!あの方を拒んで、な、何が得られたろう?」
「抗えば、お前ひとりの命で済んだものを」
「そうさ、ピーター!罪もない人々の命が救われたんだ」
の言葉に反応してブラックが口を開いた。ペティグリューが哀れっぽく訴えた。
「シリウス、わたしが殺されかねなかったんだ!」
「それなら、死ねばよかったんだ」
ブラックが吠えた。も頷いた。
ハリー、ハーマイオニー、ロンが、口をあんぐりあけて、とペティグリューを見ていた。
彼らには、この状況がどうなっているのかわからないのだろう。
「ヴォルデモート卿は君に何を教えた?大して重要なことを教えてなんていないだろう?友を簡単に裏切るようなやつに、誰が大切なことを教えるっていうんだい?人にこびることしか出来ない能無しに、誰も何も望まない。今まで生きてこられたのが幸運だったんだよ。友を裏切るくらいなら死ぬべきだったのにね」
の声はとても冷たくて、そして、静かに部屋中に響き渡っていた。
「おまえは、ジェームズとリリーをヴォルデモートに売った」
「シリウス、シリウス、わたしに何が出来たというのだ?闇の帝王は……君にはわかるまい……あの方には君の想像もつかないような武器がある……ああ、若様!わたしに御慈悲を……」
すっとブラックが杖腕を上げた。鋭い視線でじっとペティグリューを見つめている。ルーピン先生も同様だ。
「お前は気付くべきだったな」
ルーピン先生の声は恐ろしく冷たい。
「ヴォルデモートがお前を殺さなければ、我々が殺すと。ピーター、さらばだ」
ハーマイオニーが両手で顔を覆い、壁のほうを向いた……
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ちょっと、本心が顕れたかもしれない……