悪戯な運命


 我が家にはヴォルデモート卿に関するものが大量に残っている。
 誰がいつ手下になったのか、どんな働きをしたのか、何故ヴォルデモート卿の部下になったのか……
 母が事細かに記した魔法の書物は、実は僕と母しか入れない秘密の部屋に静かに眠っている。
 それによれば、ピーター・ペティグリューはハリーの両親が殺される一年も前から、部下として密通していたようだ。
 だけど……そんなに信用されていたわけじゃなかったみたいだ。


 なんて、ね。
 杖を振り上げたシリウス・ブラックとリーマス・ルーピン先生を見ながら、その杖の先にいる醜い奴のことを考えていた。
 ピーター・ペティグリューは無能なのかもしれない。
 殺してしまってもいいけれど…彼の運命は生き延びるようになっているようだ。
 まだ、彼の体に死相は浮かんでいない。
 運命のごとく進むのであればピーターは生き延びる。
 でも、死んでしまったとしても生きていたとしても、僕の今後に何か支障があるとは思えなかった。

 今終わるであろう命の、その瞬間を……僕はとても冷静に見つめていた。
 彼の運命が見えていたから、じゃない。
 運命は変えることが出来る。だから、ここで彼が死なない、と言い切ることは僕には出来ない。
 けれど僕の心は……自分でも驚いてしまうほど、僕の心は今、とても静かだ。静かで、そして、冷たい。

 「やめて!

 突然ハリーが叫んだ。ペティグリューの前に立ちふさがったハリーは、先生たちの杖と向き合っている。
 予想もしていなかったハリーの行動に、その場にいる誰もがハリーを凝視した。

 「殺してはだめだ。殺しちゃいけない」

 杖を構えていた二人はショックを受けたようだった。
 が僕のほうに近づいてきた。僕を見上げて何か尋ねるような仕草を見せる。
 …きっと、には僕の心の変化が伝わっているんだろうな。
 これこそ血筋なのかもしれない。……こんなに冷ややかだなんて、ね。

 「ハリー、このクズのせいで君はご両親を亡くしたんだぞ」

 ブラックが唸った。
 クルックシャンクスが僕のほうへやってきて、背中を撫ぜろといわんばかりにどっしりと腰を下ろした。
 なんだかとても奇妙な光景だ。

 「このヘコヘコしているろくでなしは、あのとき君も死んでいたら、それを平然として眺めていたはずだ。聞いただろう。小汚い自分の命のほうが、君の家族全員の命より大事だったのだ」
 「わかってる。……こいつを城まで連れて行こう。僕たちの手で吸魂鬼に引き渡すんだ。こいつはアズカバンに行けばいい。だから、殺すことだけはやめて」
 「ハリー!」

 ペティグリューが息を呑んだ。そして両腕でハリーの膝をひしと抱いた。
 クルックシャンクスが僕を見上げた。まるで、それでいいのか、と僕に問うみたいに。
 も同じように僕を見上げていた。僕は首を縦に動かすと、二匹の体を優しく撫ぜた。


 …多分、リドルなら有無を言わさず殺していただろうな…と、首からぶら下げた日記帳を見ながら苦笑した。
 僕だって育った過程が違ったら何をしていたのかわからない。
 でも、彼は……彼の運命に死相は出ていなかった。
 正直、この先僕がホグワーツで生活できるかのほうが…今の僕にとって大きな心配だった。

 「きみは……ありがとう……こんなわたしに……ありがとう」
 「放せ

 ハリーは汚らわしいとばかりにピーターの手をはねつけ、吐き棄てるように言った。

 「お前のために止めたんじゃない。僕の父さんは親友が……お前みたいなもののために……殺人者になるのを望まないと思っただけだ」

 しばらくの間、誰一人動かなかった。物音一つ立てなかった。
 ただ、胸を押さえたペティグリューの荒い息が聞こえてくるだけだった。
 シリウス・ブラックとルーピン先生は互いに顔を見合わせていた。
 それから、二人同時に杖を下ろした。

 「ハリー、君だけが決める権利がある」

 ブラックが言った。ハリーはちらりと僕を見た。
 ……僕は頷いた。そうさ、ハリーが決めればいい。僕にその権利はない。

 「しかし考えてくれ……こいつのやったことを……」
 「こいつはアズカバンに行けばいいんだ。あそこがふさわしい者があるとしたら、こいつしかいない……」

 ペティグリューはハリーの陰でまだ荒く息を吐いていた。
 ハーマイオニーの安心したような、でもどこか複雑そうな表情と、忌々しそうな目でペティグリューを見つめるロンの顔が見える。
 やや躊躇しつつもハリーがペティグリューのわきへ退くと、ルーピン先生が細い紐を取り出してペティグリューを縛り上げた。
 猿轡を噛まされたペティグリューは床の上でもがいていて、なんとも妙だった。





 …城に戻る準備が始まった。





 ルーピン先生がロンの足を副え木で固定し、包帯を巻きつけた。
 折れた足の痛みに顔をゆがめることなくロンは立ち上がった。
 床に倒れたままのスネイプ教授は、首の据わらない異様な操り人形のようになって、城まで運ばれることになった。
 万一のために、とルーピン先生とロンがピーター・ペティグリューと手錠でつながった。
 ベッドからひらりと飛び降りたクルックシャンクスが先頭に立って部屋を出た。
 その後ろをルーピン先生、ペティグリュー、ロンの三人がつながったままで続き、スネイプを操ったシリウス・ブラック。そして、最後にハーマイオニーとハリーが続いた。

 「

 みんなが部屋を出た後、ハリーが戻ってきて僕の手を握った。

 「ごめん。その……あの、色々と」
 「気にしないで。事実だもの。君が疑うのも無理なかったよ、ハリー。それに、いずれ知られてしまうことだから。気にしないで。さ、みんなの後を追いかけよう」

 僕は笑顔でハリーの手を握り返した。
 ハリーは心底安心したような笑みを見せ、少し先に行ったみんなを追いかけるように早足で進みだした。
 何かやり残したことはなかっただろうか、と僕はハリーの手をやんわりと放すと部屋の中を見渡した。

 僕が手を放したことに、ハリーは気付いていなかった。

 部屋の中はしんと静まり返っている。
 僕は深いため息をついた。

 星見は、自分の運命だけは読み取ることが出来ない。
 だからこの先、城に戻ったら僕がどうなるのか、誰にもわからない。
 ハリーはともかく、ロンやハーマイオニーはまだ僕を疑っているだろう。
 ルーピン先生だって、まだ理解できていない部分があるだろう。

 ……僕はホグワーツが好きだ。
 血筋の問題で嫌われるなんて……そんなの、きっと耐えられないよ。

 急に体の力が抜けた。
 何をしたわけでもないのに、僕はその場にしゃがみこんでしまった。
 が傍に来て、心配そうな顔をして僕を覗き込んだ。
 目の前が真っ暗になった。

 「……」

 の低い唸り声がだんだん遠くなっていく。
 最後に耳に入ったのは、自分の体がどさりと床に崩れ落ちる音だった……




































 ひた、と頬に冷たくてやわらかいものが触れたような気がした。
 誰かが何かつぶやいているような気がする。


 …なんだか、温かい。

 薄く目を開けた。
 ぼんやりとした視界の中に、紅と黒が動いているのが見える。
 何度か瞬きをすると、あたりの様子がはっきりと見えてきた。

 「まったく世話の焼ける奴だね、君は。やっと気がついたかい、

 聞き覚えのある声。
 黒のローブに身を包んだりドルは、腕を組み足を組み僕の視線の先にゆったり腰掛けていた。
 どうやら僕は古いベッドに横になっているようだ。
 隣にはの顔がある。僕をじっと見つめて、それからぺろりと僕の頬を舐めた。
 ざらざらして生温かい感触は少しくすぐったかった。

 上半身を起こすと小さい痛みが頭を襲った。
 思わず前のめりになった僕を、の体とリドルの手が同時に支えてくれた。

 「急に動かないほうがいいよ、。たぶんまだ理解していないと思うけど、君は気を失いつつも時空間を移動したんだ」
 「……え?」

 まだボーっとしている意識に、なんだかぐらぐらとゆれるような感覚がよみがえってきた。
 ついさっきまでどこか異空間にいたような……ああ、そうだ。
 夏休みに黒曜石と星の力を使って遠い過去から現在を戻ってきた時の、あの感覚に良く似ている。

 「……ここは?今、一体何時だい?」
 「ここは叫びの屋敷の中さ。そして今は、君が倒れてから、二時間と三十分ってところかな」
 「なっ…?!二時間と三十分前?!どういうことだい、リドル」

 リドルの言葉に驚いて声を大きくしたらまた頭痛が起こった。が僕を支え、心配そうな顔をした。

 「落ち着いて、。僕にも理解できない部分は多々あるけれど、君が気を失っている間、僕が体験したことをちゃんと話すから」

 リドルがやんわりと言った。
 僕は静かに頷くと、リドルの言葉を一言も聞き逃すまい、と真剣に彼の言葉に耳を傾けた。
 心配そうに僕を見つめているも、じっとリドルの言葉を待っているみたいだった。

 「君、気を失って倒れたんだ。おそらく精神的な疲労によるものだと思う……日記帳に君が倒れたときの揺れが伝わってきたから、僕は外に出た。そしたら案の定君は倒れていて、目を覚ます気配がない。仕方がないから、このベッドまで運んだんだ」
 「その時はまだ時空間移動はしていない……?」
 「夏の時のような感覚に陥ったのはそれから少ししてだよ。覚えて……ないんだろうな。君、一瞬目を開けてなにかつぶやいたんだ。それからだよ。時を移動する特徴である例の感覚が体を襲ってね。気がついたらここにいた」

 リドルは窓の外を指差した。
 暗かったはずの部屋が、もう沈んでしまったはずの太陽が、まだ光を大地に届けていた。



 リドルの話によれば、それからしばらく僕は目覚めなかったらしい。
 なんだか妙なことになった。
 時空を移動するのにはものすごい制限がある。そんな魔法を身につけた覚えは、ない。
 大体、身についているんだったら今からだって元の時間に戻れるはずだけど……
 そのやり方を、僕は知らない。
 夏のときのような魔力の同調であるはずもない。……ポケットの黒曜石は熱を放っていないもの。
 鍵となるのは……僕がつぶやいた言葉、なんだろうな。

 「ねぇ、リドル。僕が何てつぶやいたのか覚えてる?」

 リドルは少し考える仕草を見せた。それからゆっくり唇を動かした。

 「‘ここにいたい’だったかな。もう少し長かった気がするんだけど、聞き取れたのはこれだけだ」

 ここにいたい、だって?
 ますます何がなんだかわからなくなった。
 僕は何を考えていたんだろう。どうして時間を遡ったんだろう。解らないことだらけだよ。

 「……僕にはが倒れるまでの過程がわからない。だけど、。もしかして、何かあの場にいた君にはどうしようもないことが起きたんじゃないのかい?君の力にせよ別の何かにせよ、過去にいるってことは、遣り残したこと、もしくはやらなくちゃいけないことがあるんじゃないのかな」
 「やらなくちゃいけないこと……?」

 僕は考えた。気を失う前に僕は何を思っていたんだろう。
 みんなが叫びの屋敷から出て行く。
 城に戻りダンブルドアや他の先生たちにシリウスの無実を、ピーターの存在を知らせて……
 そして、ピーターを吸魂鬼に引き渡すんだろう。そのとき、きっと僕についても説明を求められるんだろうな。
 ホグワーツもみんなも僕は大好きだ。
 でも、他の生徒の親が、ヴォルデモート卿の血の流れた僕がここにいることをよしとするはずがない。
 僕はホグワーツを離れなくてはならなくな……

 「あっ!!」

 思わず声を出してしまった。
 そうだ。僕はホグワーツに残りたいと思ったんだ。
 でも、あのときのあの状況じゃどうしようもなくて……

 「何か、あるのかい?」

 僕はこれまでのことをリドルに簡単に説明した。
 リドルは静かに僕の話を聞き、しばらく何か考えるような態度をとってから、呟いた。

 「……殺しておくべきだったよ、

 冷ややかだった。

 「そこでピーター・ペティグリューが死んでいれば証拠は消えたはずさ。生徒や教師を言いくるめることは容易かっただろうし……自分の身に不利な奴を生かしておくべきじゃなかったな。僕だったら周りがなんと言おうと手を下しているよ。君はもう少し、『闇の帝王の後継者』としての冷たさを身につけたほうがいいのかもしれないな」

 僕は苦笑した。
 確かにピーター・ペティグリューの存在は僕にとって不利になるものだった。
 でも、あのときの僕にはそこまでの判断が出来なかった。
 死相が見えなかった。彼の運命は生きることを選択していた。
 それがわかっている僕が、彼を手にかけていいものかどうか……全然わからなかったんだ。

 「……ま、なんにせよ、ここを出たほうが良さそうだ」

 呆れたようなため息をついてから、リドルがすっと立ち上がった。
 やっと頭痛が治ってきた僕も、この古めかしいベッドから床へと体を移した。
 は軽々とベッドから床に飛び降りた。

 リドルの言いたいことはよくわかる。

 「時間の移動は本来行われてはならないものだ。同時刻に同人物が二人存在し得るはずがないのだから」
 「ぼくは‘本来の僕’……つまり、今の時間、ハグリッドの小屋にいるであろう僕に会っちゃいけないってことだよね」
 「おそらく。そして、ここにいればいずれ君は他の人たちと一緒にここへやってくるのだろう?今の内に出たほうがいい」

 頷くと僕は扉に手をかけた。
 けれど、一体僕はどこへ行けばいい?何をすればいい?
 解っているのは、僕がホグワーツをやめたくないという……この気持ちだけだ。

 扉を開けて外に出た。行くあてもなく。
 静かにあたりを見渡しながら歩き、暴れ柳の動きを止めて外に出る。
 ハグリッドの小屋にいた時間だ。
 長い間叫びの屋敷のなかにいたはずなのに、屋敷に入ったときよりも明るい空。
 なんだかおかしな気分だ。外国に行ったときの、時差ぼけに似た感覚かもしれない。

 「で、どこに行くつもりだい?」

 リドルが尋ねてきた。僕は一瞬考えてからホグワーツの一室を指差した。
 今ならまだ、いる。
 そこに行けばどうなるかなんてわからない。
 忘却術を使うんだとしても、その材料は、今の僕では手に入らない。
 夏休み、創設者たちにかけた忘却術。
 材料はサラザールから手に入れた。
 あの時代だから気兼ねなく使えたんだ。
 僕の記憶と僕自身があの時代からいなくなるから、だ。
 今回はちょっと違う。
 本当は消してはいけない記憶を消して、でも僕はこの場に留まり普通の生活をし続ける。
 そんな……自分の利益のために使っていいのか……心配だった。

 「ダンブルドア?」
 「うん。忘却術を使う以外に方法がなさそうなんだ。でも、前回と違って、使っていいのかどうか解らないんだ。…僕の利益のためだけに使うんだもの。ここにいたい。だから、忘却術を使いたい。でも、それがあだとなって、僕がホグワーツを離れることになってしまったら……だから、ダンブルドアのところへ」
 「律儀だね。でも君らしいかな。僕は日記の中に戻るから、‘本来の君’に会わないよう気をつけて」
 「ありがとう、リドル」

 すっと日記の中に消えたリドル。
 それを確認した後、僕はと一緒にホグワーツの中に戻っていった。
 ‘僕’がした行動……ハグリッドの小屋にいるはずの‘僕’。
 だから、小屋には近づかず、ダンブルドアの元へ。

 不安はたくさんあった。
 でもさ。
 本来の僕に会わなければ、他の生徒に会っても……大丈夫だよね?

 よし、行こう。

 の背を撫ぜると、僕はダンブルドアの部屋の扉をたたいた。






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 運命に翻弄されてみます。