過去からの手紙
本の虫、とはまさにのことを言うように思う。
書物室でと一緒に大量の本に囲まれながら俺は思った。
サラザールに教わった魔法で、色々な本を取り出しては、驚くべき速さで読み進めていく。
もちろんホグワーツから出た宿題なんて、とっくに終わらせてある。
ホグワーツ外での魔法使用禁止のはずなのに、がこの屋敷内で魔法を使っても誰も何も言わない。
多少疑問に残る部分はあるが、何も言われないんだったら、魔法は便利だから使ってもいいだろうと思う。
はたくさん本を持っているから、は屋敷にある本を全部読み終えてはいないらしい。
去年までは、まったく理解できなかった本も、今年はすらすら読める、とは言う。
それはが成長している証なんだろう。
と一緒に本に囲まれているうちに、俺も簡単な文字なら理解できるようになった。それでも、内容までしっかり読み取るのは難しい。
部屋の中には数冊の本が、を囲むように宙に浮いている。
はそれらを時々交換しながら読み進め、気になることはメモを取っているみたいだ。
そしてその周りに魔法石が浮いている。なんだか神秘的な光景だ。
「…あれ、これ…」
新しく書棚から取り出した本から、ひらりと一枚、薄い紙が舞い落ちてきた。
ふわふわとゆっくり宙を舞っていたその紙は、俺の上にきれいに静止した。
いきなり前が見えなくなって俺は驚き、首を横に大きく振った。
この変な紙、早く取ってくれ、。
はくすくす声を出して笑いながら、俺の顔にへばりついた紙を取ってくれた。
「珍しい。父上と母上の写真だよ、」
がしげしげと紙を眺めている。俺は横からそれを覗き込む。
の言ったように、珍しい。とヴォルデモート卿が並んで写っている写真だ。
優しい笑みをしていると、少し不満そうに体を斜めにして写っているヴォルデモート卿。
なぜか不自然に二人の間に白い空間がある。
…なんだろう、この写真。
そこに誰かがいたようにも思うけれど、空白の形はきっちりとした人間の形ではない。
よくわからない写真だ。
も首をかしげている。
「この空白、何だろうね。父上も母上も喧嘩したわけじゃなさそう。だって、母上はとても優しい顔をしているもの。でも、この空白部分は不自然だよね」
の手が俺の首筋に触れる。
の目の前には写真が挿まれていた本が浮いている。多分開かれているページは、この写真が挿まれていた部分だと思う。
本のタイトルは…高等魔術 魔法召還術…
難しい綴りで俺にはよくわからないな。きっと難しいことが書かれているんだろうな。
開かれたページには、円陣のような絵と、たくさんの古代文字と、達筆で呪文らしきものが記されている。
…何がなんだかさっぱり、だ。
「母上に聞いてみようか。父上の写っている写真なんて珍しいし、母上なら、どうしてこの本に挟まっていたのかも知っているかもしれない」
ぱたり、ぱたりとの周りの本が閉じられていく。浮いていた魔法石もいつの間にかきれいに片付けられていた。
書物を棚に戻したは、部屋の明かりを消して廊下に出た。
書物室は、本が傷まないように太陽の光が当たらないような構造になっている。だから、廊下の窓から差し込む日の光が、一瞬まぶしかった。
「、どこかに行くのかい?」
リドルの声がした。読みかけの本を手にしてリドルが日記から現れる。
「母上のところへ行こうと思って。少し気になるものを見つけたから。どうかした?」
「あ、いや。移動するなら、僕の日記をどこかにおいてほしくてね。この本、とても面白いからゆっくり読みたいんだ。君が動くとどうしてもその振動が伝わってくるからさ」
「ああ…それは気づかなくてごめん、リドル。僕の机の上においておくから、ゆっくり読書を楽しんで」
の返事を聞くと、リドルは満足げな顔をして日記に戻っていった。
は一度自分の部屋に戻って、リドルの日記を自分の机の上におき、それから部屋を出た。
の手には見つけた写真が握られている。螺旋階段に歩み寄りながらは呟いた。
「もしかしたら、母上は意図的にこの写真をあの本の中に挿んでいたのかもしれないね。…だって、母上は僕の父親について一般の人たちには一切話してないんだもの。こんな幸せそうな写真がもし万が一見つかったら、大変なことになっちゃうって思ったのかもね」
階段をゆっくり下りていく。
この時間、は仕事中だ。だから、階下の専用部屋にいるはずだ。
の足が階段の最後の段差を下りきった。の仕事場のほうへ歩いていく。
屋敷の中は静かだ。
扉の前で立ち止まったは、二、三度深呼吸をした。
でも、この部屋の前に立つと緊張するのかもしれない。何しろ中では、が精神を集中させて占いを行っているのだ。
「…待って、。中から話し声がする。今は中に入るのを控えたほうがよさそう…」
はやる俺を制止して、がそう言った。
扉をノックしようとしたの手は、扉に触れる寸前で止まっている。
確かに、微かではあるが、扉の向こう側から声が聞こえる。
でも扉は、かたり、と音を立てて開いた。
もちろんが開けたわけでも、俺が開けたわけでもない。俺とは驚いて顔を見合わせた。
扉の向こう側にはが立っていた。は優しく微笑んでいる。
そして、部屋の奥を覗くと、黒いローブを纏った人物が、の水晶玉の前に座っているのが見えた。
きっとあの人とが会話をしていたんだろう。
「ちょうど良かったわ、。あなたを呼ぼうと思っていたのよ」
「僕を、ですか?」
「ええ。お客様が…あなたも知っている方よ。Mr.ルシウス・マルフォイが、あなたに渡したいものがある、と」
は俺たちを部屋の中に入れた。
ルシウス・マルフォイは立ち上がると、恭しくに会釈した。俺もも戸惑った。
だって、ドラコの父親だ。そんな彼にそこまで深く頭を下げられるなんて、妙な感覚だ。
でも、俺は思った。彼からしてみれば、は特別な存在なんだろう。俺がを大切に思っている気持ちとは少し違うだろうけど。
「ご機嫌麗しゅう、若様。夏休みはいかがお過ごしですかな?もちろん若様のことですから、既に宿題は終えていることと思いますが」
「もちろんです、Mr.マルフォイ。ドラコはお元気ですか?……それで、僕に渡したいもの、とは?」
傲慢な印象の強いルシウス・マルフォイだけど、に対する言葉遣いは気持ち悪いほど丁寧だ。
の返事はぎこちない。
さっきまでの手に握られていた写真は、の服のポケットから顔を覗かせている。
ルシウス・マルフォイは小さな封筒をに差し出した。が俺を見、を見た。
は黙ってうなずいた。少し躊躇ってから、はその封筒を受け取った。
黒い封筒だった。古い色をしている。宛名も差出人の名前も書いてない。変な封筒だった。
いったいルシウス・マルフォイはに何を渡したんだろう。俺は首をかしげた。
は封筒をじっと見つめていた。
「以前、若様もよく知っている例のあの方からお預かりしたものです。あえて名前は口にしませんが…若様が大きくなったときに渡してほしい、と。九月からはあなた様もホグワーツの四年生。きっとこの手紙の内容もご理解できるだろうと思いまして、お渡しに来ました」
ルシウス・マルフォイは軽く頭を下げた。それからのほうを向いた。
「それでは奥様、わたしはこれで」
「…ええ。また何かあったらいらしてくださいな」
にも頭を下げたルシウス・マルフォイは、いきなりその場から消えた。
その様子をまったく驚くことなくは見ていた。
は、受け取った手紙をまだじっと見続けていた。
それより、写真の話はどうなった?
のほうを振り向いたは、微笑んでの肩に手を置いた。それに気がついたは、顔を見上げてを見た。
「それで、何か聞きにきたのではなくて、」
はっと気がついたは、ポケットからあの写真を取り出した。
そう、それだよ、。きっとならこの写真について色々知ってると思うんだ。ヴォルデモート卿の写真なんて珍しくって、俺も少し興奮してる。どんな形にせよ、あいつの姿が見られるのは嬉しい。
はから写真を受け取ると、しばらくその写真をじっと眺めていた。
それから、ゆっくり口を開いた。
「これを、一体どこで見つけたの?」
「書物室で。偶然手に取った本の中にはさんでありました。珍しい写真だと思って…なんだか不自然に空いている白い空間も気になってしまって…もし、母上が大切に閉まっておいたものだとしたら申し訳ないです…」
は微笑んだ。写真をに返す。
「彼の写真は珍しい…特に、ホグワーツを卒業した後のものはほとんど無いわ。その写真は数少ない一枚よ。空白の部分には私たちの大切なものが入るの。……でも、まだ先のようね」
どこか遠くを懐かしむように見つめる。とよく似ている。
は空白の中に、何があるいは誰が入るのか知っているらしかった。でも、具体的には教えてくれない。
「あなたに差し上げるわ、その写真。本格的に活動をしていた時代の彼を、あなたはまだ知らないものね…」
「でも…これは、母上にとって大切な写真では?」
「気にしなくて平気よ。同じ写真を既に持っているから。それに、あなたに持っていてもらいたいとその写真が望んだ様な気がするの。まさか、あるなんて思わなかったもの」
の笑顔は絶えない。
しばらくは写真を見つめていたが、やがてそれを先ほどルシウス・マルフォイから受け取った封筒と一緒に重ねて持った。
は相変わらず微笑んだままでを見つめていた。
「…ヴォルデモート卿があなたに会いたがっているように思うの」
「父上、が?」
「ええ。だってもう長らく会っていないでしょう?あなたは彼に会いたい?」
「もちろんです。父上のすばらしさをこの目で見たいと…いつも、そう思っています」
が写真の中のヴォルデモート卿を見つめた。
確かにあいつはすごい奴だと思う。
善だとか悪だとかそんなことではなしに、あいつの知識や魔力には感心する。
少し歪んだ目的かもしれないけれど、あいつの目的ははっきりしていて、その目的に突き進むあいつは、実はすごく純粋な奴なんじゃないかと思う。
そして、その目的を達成するためのそれ相応の力を持っている。だから、いまだに多くの部下や信者がいるんだろう。
「そう思っているなら、きっと会えるわ。…星は廻りくるの、」
とは部屋の中で輝いている星を見つめた。二人には、何かが見えているのだろうか。
部屋の中に、微かに魔法の気配がした。
がそれに気づいたのか、に一礼して扉に手をかける。きっと、誰かがやって来るんだ。
が扉を開けて廊下に出た。
「お客様がいらすみたい。また後でね、。そうそう、その手紙、お部屋で開けて御覧なさいな」
は最後にそういってから扉を閉めた。
程なくして、扉の向こう側から小さく人の話し声が聞こえてきた。
の足が螺旋階段を上り始める。はじっと写真を見つめている。
「父上と母上の大切なものだって。一体何だろう?いつか、この空白が埋まる日が来るのかもしれない…」
の部屋に入る。
机の上にリドルの日記が置いてある。
は寝台に腰掛けた。ひらり、との横に飛び乗る俺。
その手紙、早く開けてみよう。
何度か息を吐いた後、が丁寧に黒い封筒を開けた。
少し古い材質の紙が二つ折りになって入っていた。手紙を開くと、見たことある字で、何か書いてある。
声を出さずが手紙を読んでいる。
俺にも、何が書いてあるのか、教えてほしい。
「…なんだか、文章内によくわからないことがいっぱい書いてある」
そう言いながらは俺の首筋を撫ぜた。
手紙の内容を、俺にも教えてほしい。
俺はの目を見た。の紅い瞳は何かを考えている色をしている。
光の加減で色々な表情を見せるの瞳。少し戸惑った色をしているように見えなくもない。
俺と目が合うとは微笑した。
「父上からの手紙だよ。でも、よくわからないことがたくさん書いてある」
は俺にわかるよう、今度は声を出して手紙を読んでくれた。
Dear ,
元気かい、。君が去ってから少し時間が経った。
僕もも相変わらず、お互いに普段どおりの生活を続けている。
もっと時間があれば…あるいは、君が僕とずっと一緒にいられたなら、まだまだ話したいこと、教えたいことがたくさんあったんだけど……それでも、君と過ごした時間はとても興味深いものだった。
君は実にいい魔法使いだ。まさに僕の後継者にふさわしい。
今はまだ君と会えないけれど、近いうちにまた会いたいと思ってる。
…思い出も僕の考えも語りたい。けれど、そこまで長く書くことはできない。
あまり長い手紙は厄介ごとを巻き起こす種になるからね。
君があの時僕に伝えてくれた魔法、大いに役立っているよ。もう基礎や仕組みは僕の頭の中にあるし、これが僕の手元にあるのも、何かあったときに面倒なことになる。だから、別紙として同封しておくよ。
いつかまた、君と魔法の研究がしたい。次に会うときが楽しみだ。
From LORD VOLDEMORT
「文体からすると若い感じがするんだけどな…でも、僕は父上と魔法の研究なんてしたことないのに…どうして、いつかまたなんだろう。僕はまだ、父上に魔法を伝えるなんて大それたことをするほどの魔法使いじゃない。僕は未熟者だ。それなのに僕が伝えただなんて…もしかして、Mr.マルフォイは手紙を渡す相手を間違えたのかな?…でも、どう見ても僕に向けられた文章だよね…」
ごろん、とは寝台に寝転がった。何度も手紙を読み返しては首を横に振るばかり。
確かに、何かを懐かしんでいるような内容が文章から読んで取れるけど…俺たちに見に覚えが無いから、なんともいえない。よくわからないな。
はらり、二つ折りになった羊皮紙の切れ端がの胸の上に落ちた。
右手でそれを探るようにして手に取った。手にした瞬間、の顔色が変わった。
瞳の色が、戸惑いから好奇心いっぱいに変化した。
「魔力だ…それも、結構強い。闇の力も感じる…」
そうか。それでは部屋で開封するといい、って言ったのか。
もしもこの魔力を持った手紙を外で開封してしまったら、魔法省から目をつけられてしまうかもしれない。
その点、この屋敷の中だったらよくわからないけれど、そういうことは心配する必要がない。
は二つ折りの羊皮紙を手にしたまま動かない。開くか開くまいかで迷っているようだ。
俺はじっと待つ。手紙の内容は俺にはよくわからない。も首をかしげているんだから、俺にわかるはずもないか。
それでも、もうひとつの羊皮紙には何か魔法が記されているってのはわかる。
…ややあって、は躊躇いながら手紙を開いた。
「…これ、どこかで見たことあるような…」
横から覗き込んだ。
羊皮紙の中心に円陣のようなものが描かれていた。古代文字や呪文のようなものも、円陣の周りにびっしり書かれていて、わけがわからない。
紙の右下端には小さく何か円陣とは関係ない文字が書かれているようにも見える。
「あれ…ここに何か書いてある」
がその文字を見つけたみたいだ。目を凝らして文字を読んでいる。
"nox erat, vino somnum faciente iacebant corpora diversis victa sopore locis."
「…ラテン語だ。この文章は確か、オウィディウスの『祭暦』の中に…あれ、まだ書いてある」
はすらすらと聞き慣れない言葉を発音していく。
その音は耳に心地良いが、俺には意味がまったくわからない。
"soles occidere et redire possunt nobis, cum semel occidit brevis lux, nox est perpetua una dormienda."
が最後の単語を言い終えた瞬間だった。羊皮紙の円陣が強く光り始めたのだ。
眩しくて目も開けていられない。
が手を離したというのに、羊皮紙は落ちることなく宙に浮いたまま、俺たちの体を光で包み込んでいく。
気分のいい魔力じゃない。心の中をかき乱すような力が身体全体に広がって気持ち悪い。
…は?
俺は片目を開けてを見た。
「なっ…この光は何っ?!…うわぁ…っ!!」
苦しそうなの声。俺の名を呼ぶ。
無我夢中での服を口でつかんだ。まるで吸い込まれるかのような力が働いている。
それも、強い。
精一杯を引っ張って、寝台にしがみついたけれど、だめだ、かなわない!
俺の体はゆっくり浮いた。そして、羊皮紙はひときわ大きく光を放った。ものすごい衝撃が体を襲う。
痛みと気持ち悪さで、俺は自分の意識を保つのが困難になった。自分でも、気を失う瞬間がわかった。
最後に、はらり、と紙が落ちる音を聞いた気がした。
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なんていうものをに渡しているんだ、ルシウスさんっ!
ちなみに、ラテン語の文章は、
・オウディウスの『祭暦』(上)
・カトゥルルスの『第5歌』(下)
より引用。どんな意味かは、この後の本文で紹介するつもり。