冷えた空気に過去を見た
ホグワーツの生活は、ここが現代だとか過去だとか関係なく忙しい。
四年生ともなれば、それ相応の魔法の授業が増えてくるわけで、にも容赦なく毎日たくさんの宿題が出されていた。
目まぐるしく過ぎていく毎日に追われ、は魔法の研究もままならないと苦笑していたけれど、それでも時間を見つけては元の時代に戻るために、色々な本を読んで手がかりを探していた。
無論周りの生徒には、真面目で勤勉な生徒にしか見えていないだろう。
授業のない週末。
は図書室で借りた本とヒューに借りた本を読みながら、机の上に広げた羊皮紙に時々何かを書き込んでいる。
この忙しさや時間の少なさは、余計なことを考えなくて済むから、今のにはちょうど良いと思う。
悪戯仕掛け人の生クリーム爆弾を浴びた日、の心はすごく乱れていた。部屋にいても何も言われない週末くらい、彼らのことを考えずに何かに集中するのもいいと思うんだ。
扉が開いた。 が蒼い不死鳥の羽ペンを置いて扉の方を見た。
「ずいぶん熱心だな、」
「うん。…みんなに追いつかなくちゃと思って。授業についていくのも精一杯で」
「勉強熱心なのはいいことだ。でも、こんなにいい天気の日に部屋に閉じこもっているのも勿体無いって。そろそろお昼だし、息抜きに中庭で昼食にしないかい?」
「もうそんな時間なんだ。気がつかなかった。もちろん、喜んで」
談話室にいたヒューが扉から顔を覗かせ、に声をかけた。
彼の申し出には笑顔で返事をすると、机の上に広げていたものを手早く片付ける。
の足元に伏せていた俺は、の動きに合わせて立ち上がり、部屋を出るに続く。
の手には本が二冊握られている。
「どう、その本。古代文字だらけだから、読むのに苦労しない?僕でも一日数ページがやっとだったんだ」
「難しいね。一度にたくさん読み進めるのは大変だけど…でも、記されている内容はすごく興味深いよ。どこで手に入れたの?」
昼食を持って中庭に出る。
いつの間に集まったのか、の横には色々な学年の生徒たちがいる。
空は青くどこまでも広がっていて、太陽の光が気持ちいい。中庭の芝も、なんだか輝いているようにみえる。空気も澄んでいるし、風邪も心地良い。
なるほど。こんな天気の日に、一日中部屋の中にいるのは勿体無いな。
(そうだね。ヒューに感謝しなくちゃ。声をかけてもらわなかったら、僕ずっと部屋にいたもの)
の心も晴れやかだ。
やっぱりまだ転入生は珍しいのか、中庭にが足を踏み入れると、辺りにいる生徒たちがざわめくけれど、決して悪いざわめきではない。だから、できる限り気にしないようにしよう、とと約束した。
彼らの反応はごく自然なものなんだ。きっと日にちが経てば不通の反応になるだろう。
中庭の適当な芝生の上にたちは腰を下ろした。ヒューやその他の集まってきた数人のスリザリン寮生が輪を作るように座る。
「ホグワーツの生活には慣れた?おかしな仕掛けがいっぱいあるから大変だろう?僕、一年生の頃はよく階段に振り落とされそうになった」
会話が弾む。が笑顔になる。
なんだか俺も嬉しい。
の隣にヒューとイーノック。と同じ学年の奴もいれば、上級生や下級生もいる。
みんなわいわいがやがや楽しく食事をする。
イーノックが、嫌いなにんじんをの皿にそっと移し変えている。
けれどそれをヒューが見つけて、笑った。みんなも笑った。にぎやかだ。
「イーノック、にんじんが嫌いなのかい?食べないといい魔法使いになれないよ?」
「そうだよ、イーノック。それに、他人の皿に移し変えるならもっと上手くやらなくちゃ」
「…そういう君も、どさくさに紛れて僕の皿にピーマンを移すってどういういことだい?」
「ん?やだなぁ。ヒューの頭がもっとよくなるように、僕の分をわざわざあげたんだよ?」
時々見える黒い笑みや会話は、スリザリン寮生ならではなのかもしれない。
ちゃっかりしているイーノックは、みんなの話を聞きながら、そっと俺の前ににんじんを積み上げていく。
こんなにいっぱい置かれてもな…なぁ、。 俺の前ににんじんが山盛りだ。
は俺の方を向いて、そして声を出して笑った。
の笑い声はいつ聞いても綺麗だ。
いつも一緒にいる友達と違うから戸惑うことも多いけど、イーノックやヒューは俺たちにいい刺激をくれる。
ダンブルドアが、をの部屋でなくてスリザリン寮に住まわせるように変更したのは、こういう効果を予想していたからかもしれないな。
(…あ)
の瞳が曇った。の手が俺に触れる。とたん流れ込んでくる複雑な感情。
切なくて悲しくて辛くて、説明しようのないもどかしさ。
目の前に夏休み前に出会った、シリウス・ブラック、リーマス・J・ルーピンの映像がまるで早送りをしているかのように流れてくる。
周囲の空気が冷めた。
向こう側に、大きいボールで遊んでいるグリフィンドールの四人組がいた。
(未来にはばらばらになってしまう人たちの、幸せに過ごしている過去をこの目で見るのがこんなに辛いとは思わなかった。彼らの楽しそうな姿を見ていると、過去を変えて、未来に影響を与えてしまいたいっていう衝動に駆られるんだ。この先、彼らに訪れる未来は君も知ってるとおり、幸せとは言い難いから余計…僕、あまり彼らとは関わらないようにしたいんだ、。彼らの幸せを見ているのが辛い…未熟だよね、僕…)
その気持ち、よくわかる。
あそこにいるピーター・ペティグリューは彼らの良き友なんだ。
…この先何が起ころうとも、今はまだ悪戯四人組なんだよな…
他の生徒たちも彼らに気づいたみたいだ。
生クリーム爆弾で被害を受けたイーノックはあからさまにいやな顔をして彼らから視線を逸らした。
「僕、あの人たち大嫌い」
「そういえば、とイーノックだっけ。あいつらに生クリームを浴びせられてべたべたになったのって」
「彼らのする悪戯が面白いっていう生徒も多いけどね。あれは悪戯というより悪ふざけだ。質のいいものとも思えない。まぁ、所詮グリフィンドールの奴らが考えることなんだから、高貴なものなんて生まれないだろうけどね」
「あの時は汚れたローブや体を綺麗にするのが大変だった。教科書も被害に遭ったしね」
が苦笑している。
せっかくが用意してくれたローブも教科書も、生クリームでべたべた。片付けるのに苦労した。
おまけに俺の体もの体も、お風呂で何度も念入りに洗わないと、生クリームの臭いがとれなかった。
…思い出すのも嫌だ。
「スリザリン寮の中でも、彼らを見て楽しんでる奴らは半分くらいいる。でも僕は、あまりお勧めしないな。何しろ、彼らのしていることは低俗だ。純血で高貴な血の持ち主である僕らとは相容れない考え方なんだ」
「…とはいえ、僕らの寮に新しく入った君たちにあんな風に悪戯をしてくれた彼らを黙ってみているほど、僕らはお人よしじゃないんだ。いいかい、イーノック。君はホグワーツでしっかり勉強するんだ。生クリームまみれになって悔しかっただろう?彼らよりも華麗にいたずらをし返してあげるんだよ。それでこそ、スリザリンだ」
またみんなが笑う。
こういう会話は、時代が変わっても同じなんだな。
もやドラコたちと、いつもきわどい会話をしていたっけ。
さっきから、時々向こうにいるシリウス・ブラックやジェームズ・ポッターがこっちを見ている気がする。
スリザリンの生徒たちも声を潜めているわけではないから、聞こえているのかもしれないな。
また変なことに巻き込まれなきゃいいけど…
「…僕、あんな奴らには負けないもん。すぐにたくさん魔法を使えるようになって、生クリーム爆弾のお礼をするんだ」
「は特に大変だよな。彼らと同じ学年なんて。一度目をつけられたらしつこいからな、あいつら。…確かと同じ学年に、一年の頃からずっと追い掛け回されている奴がいるよ」
「…彼らのする悪戯は正直好きになれないんだ。あんまり関わりたくないな」
ざわりと風が動いた。今までの穏やかな動きを強引に断ち切られたような不自然な揺れ。
何かが近づいてくる気配。
が俺を見た。俺は立ち上がり、向こうからやってくる何かに備える。
(…ボール?!)
何かはの顔めがけてやってきた。ものすごいスピードのボールだ。
こんなものが体に当たったら、の綺麗な体に傷がつく。
俺はタイミングを合わせて地を蹴った。の顔の前で、ボールを口で受け止める。
みんなが驚いた表情で俺を見つめていた。
ひらりと着地した俺は、ボールを銜えたままの前に戻る。は俺の鼻筋を優しく撫でた。
が手を出したので、俺はボールを渡した。
「ありがとう、。君が受け止めてくれなかったら、きっとこのボール、僕に当たってたよね」
なんてことはないさ、。は怪我しなかったか?に怪我がなければ俺はそれでいいんだ。
ヒューが怪訝な顔をしてからボールを受け取った。
の一番近くにいたイーノックは、ボールが迫ってくる恐怖を体感したのか、がたがた震えてにしがみついている。
の周りで楽しく食事をしていた生徒たちも、ヒューと同じく怪訝な顔をしていた。
ある奴はヒューの手の中のボールを覗き、またほかの奴は、ボールが飛んできた方向を見つめていた。
「これ、クィディッチの練習用ボールだ。こんなのが当たったら、軽いあざじゃすまなかったよ、」
「君の紅獅子のおかげだね。僕らがボールに気づいたときにはきっと間に合っていなかったよ」
「、怪我は無い?どうしてそんなボールがこっちに飛んできたの?!」
ボールが飛んできた方向から走ってくる人影が四人分。ジェームズ・ポッターを先頭に、悪戯四人組だ。
の表情は曇り、イーノックはそっぽを向く。
ヒューは腕を組んで彼らをにらみつけ、を囲んでいる生徒たちの表情も硬い。
流れ込んでくるの感情は、深い悲しみに覆われている。
あまりにもタイミングが良すぎるから、意図的にを狙ったものなんじゃないかと疑ってしまう。
「こんなところまで飛んだんだ。シリウス、ちょっと力入れすぎだよ」
「わりぃ、ちょっと手が滑ってさ」
(…僕、彼らへの接し方がわからないよ、。関わりたくないんだ。きっと関わってしまったら、何かしてはいけないことをしてしまいそうな気がする。極力彼らと接する機会を作らないようにしてるのに、どうして…)
「わざとじゃないのか?」
ヒューの声が響いた。周りの生徒たちもうなずいている。
受け止めたときの衝撃の余韻がまだ微かに残っている。手が滑った、にしては威力のあるボールだと思う。
ヒューはクィディッチの練習用ボールだと言っていた。たとえ偶然だったとしても、どうしてそんなボールで遊んでいたのか解せない。
は黙って俺の体に触れ、ヒューと四人を見つめていた。
時々、彼らの過去の姿と未来の姿が重なるようにして見える。
にも、こんな風に見えているんだろうか。
この先を知っているからこそ、彼らを見ているのは苦しい。
「君たちは、自分たちのした事の重大さを知ったほうがいい。君はクィディッチの選手だ。どうして専用コートでしかクィディッチの練習をしないのか、知らないわけないだろう?」
「そのボール、この紅獅子が受け止めなかったらにぶつかってたかもしれないんだ。大勢の生徒がいる中庭で、こんなボールを使うなんて、どういう頭をしてるんだい?」
うっ、と彼らは言葉に詰まる。
がまっすぐ彼らを見つめている。悲しみの中にも力を感じる瞳。貫くように彼らを見つめている。
の辛さを、彼らは知らない。知るはずもない。
だからの態度は、彼らには理解しがたいかも知れない。
でも、は微笑むことができないって言う。
よくわかる。
純粋に彼らと出会えたことを喜べない俺たちがいる。会いたくなかった、と思う気持ちのほうが強い。
(…嫌われてもいい。せめて同じ時を過ごしている間は、僕と関わってほしくない)
「…もう良いよ、ヒュー。それにみんなも」
が静かに言った。
みんながを見た。俺もを見つめた。
の決意は切なくてとても悲しい。
本当はそんなこと望んじゃいないのに、そうするしか考え付かなかった…そんな感じだ。
「きっと、シリウス・ブラックの言うように、手が滑ってたまたまボールが飛んできたんだよ。クィディッチのことはよくわからないけれど、運よくがボールを受け止めてくれたから、誰も怪我しなかった。怪我人が出なくて良かった。次からはもっと広くて人のいないところでこのボールを使ったほうがいいと思うよ。それと…僕、言ったよね。二度と僕に近づかないでって。君たちの低俗な悪戯や遊びに付き合っているほど暇じゃないんだ、僕」
「…」
「行こう、ヒュー。みんなも。せっかくの昼食が台無しになっちゃった」
が悪戯四人組に背を向ける。
やや不満げな上級生たちも、首を横に振ってに続く。イーノックが悪戯四人組に舌を見せる。
の横を歩く俺に、彼らの顔は見えない。
は何事も無かったかのように笑顔で上級生や下級生たちとの会話を再会した。
でも心は泣いていた。痛いくらい伝わってくるの気持ち。
俺は何て非力なんだ。こんな状態のに返事をすることすらできない。
「四年生にもなって、あんな幼稚なことをするとはね」
「、転入してきたばかりだからって遠慮することないんだよ。あんな奴らに容赦しなくて良いよ。さっきの対応はまだ甘い。優しいな、は」
談話室でみんなが口々に言う。談話室にいた生徒たちがいつの間にか集まってきている。
の身に起きたことは瞬く間にスリザリン中に広がった。
狡猾な会話が飛び交う。
は軽く息を吐くと、部屋に向かい始めた。
「なんだか疲れちゃった。僕、先に部屋に戻るね。お昼に誘ってくれてありがとう」
ヒューが軽く手を上げて返事をした。
いまや彼の周りはスリザリンの生徒でいっぱいだ。みんなと悪戯四人組の話が聞きたいんだろう。
イーノックの声やヒューの声がずっと聞こえていた。
ぱたん、と部屋の扉を閉めると、声はほとんど聞こえなくなった。
スリザリンカラーのネクタイを緩めたは、寝台にごろんと横になり、俺を呼んだ。
俺がの隣に飛び乗ると、は俺に抱きつき、顔をうずめた。
「彼らには何の罪も無いんだ。ただ、僕が一方的に突き放しているだけ。今の僕にはそれしかできないんだ」
嗚咽交じりのの囁き。誰にもわからないの苦悩。
でも、俺がいる。
みんなの前では決して弱音を吐かないの、涙。
そっとのほほを舐めた。少ししょっぱい。
「…僕は自分のことしか考えられない未熟者だ。自分が傷つくことを誰よりも恐れて…だから、自分が傷つかないように、他人を傷つける」
違う、違うよ、。は充分みんなのことを考えてる。俺がずっと一緒にいるよ。
それでもの涙は止まらない。静かな部屋にのすすり泣く声が響いている。
談話室のほうはまだ盛り上がっているみたいだ。
この時代に来て初めてが見せた涙。
いいさ、泣きたいときは思いっきり涙を流したほうがいい。
でも、忘れないで。俺がいる。
「君は優しいね、」
ゆっくりの手が俺の背中を撫でる。
「君がいてくれてよかった。早く帰る方法を見つけようね。この時代は僕にとって辛すぎる。みんないい人たちばかりだけど、母上にもダンブルドア校長にもどこまで未来のことを話していいのかわからないんだ。僕が知っていることは、まだこの時代では現実となっていないことも多い。サラザールたちと生活していたときよりずっと難しいね。…に会いたいな…」
の呼吸がだんだんゆっくりになる。腕の重みが俺の体に加わる。
寝ちゃったか…
の顔を見つめた。長い睫毛だ。少し眉間にしわがよっている。
夢の中くらい、本当に心から笑ってほしい。
俺だって不安じゃないって言ったらうそになる。でも、を信じてる。
扉をノックする音が聞こえた。それから小さく扉がきしみ、誰かが部屋の中に入ってくる気配がした。
きっとヒューだ。
でも、俺の位置からでは、まだ確認することができない。
足音が寝台の傍で止まった。影が俺の上に落ちる。
「…寝てしまったか」
ヒューの声。俺と目が合うと、ヒューは微笑んだ。
「慣れない学校生活できっと疲れたんだね。そっとしておいてあげよう。転入生って言うのは、人一倍頑張らないといけない。僕も同じだった。君の苦労よくわかるよ。僕の場合は一年生の頃だったから、君よりはみんなと打ち解けやすかったんだろうけれど」
ヒューの指がの頬についた髪を払った。
俺はじっととヒューを見つめる。
…ヒューがをよく面倒見ているのは、単にヒューの立場が監督生だから、という理由だけじゃなかったのか。
「これから本格的に授業が始まる。君があのグリフィンドール寮生と接する機会も多くなるだろう。彼ら、君に目をつけたみたいだけど…まあ、大丈夫だよね。何かあったら、紅獅子君がいるか。もちろん、僕も協力する。僕のときみたいに、転入してきたことを負い目に感じたり、そのことで不利な立場にならないように、ね。さて、が起きたら僕に教えてくれるかな、紅獅子君。先生がの事を呼んでたんだ」
ヒューはに掛け布をかけると部屋を出て行った。
きっと寝ているを起こさなかったのはヒューの優しさだ。
多分ヒューも、のような苦悩を味わったことがあるんだろう。
そんな気がした。
談話室のほうから生徒の会話が聞こえる。
「ねえ、ヒュー。明日提出のレポート、どうしても判らない部分があるの。見てくれないかな?」
「それよりチェスしようぜ、ヒュー」
「それで、は?さっき先生が探してなかったっけ?」
「疲れて寝てるみたいだったから、そのままにしておいた。また後で様子を見に行くよ。で、レポートって何のだい?」
「魔法薬学よ。全然わからないの、この部分」
「見て見てっ!写真なのに中の人が動いてるっ!これすごいよっ!」
なぁ、。どこの時代も、学校生活ってあんまり変わらないと思うんだ。深く悩まないで、楽しもう。
俺もゆっくり目を閉じた。
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悩んでみる。
きっと悪戯四人組にも興味を持っていると思う。
でも、関わったときの負担のほうが大きくなるんだと思う。