花だより
図書室の一番奥の席に座り、は羊皮紙に何かを書き込んでいた。
の周りには、いつもが使っている魔法石よりも少し小さいものがたくさん浮いている。
時々その石は、の指示で位置を変える。
羊皮紙には丸い円が書き込まれてあり、その円にいくつか区切りが入れられていた。
その中に、の羽ペンが不思議な記号を書いていく。
、それは何だ?
(占い学の宿題さ、。早めに済ませてしまったほうがいいと思って)
かたん、という音の後での手が俺の首筋に伸びてくる。
軽く息を吐き、髪をかきあげる仕草をしたは、やや間をおいてから羊皮紙を丸めだした。
の周りの魔法石は、淡い光を一瞬放った後で、が作ったという黒い袋に戻っていった。
窓の外が薄暗くなり始めている。もうそろそろ夕食の時間だろう。
机の上を片付けては席を立った。
「あの、……」
後ろから女子生徒の声がした。
俺とはゆっくり振り返る。
ローブをきっちり纏い、グリフィンドールのネクタイを締めた、よりもいくらか背の低い女の子が遠慮がちにそこに立っていた。
少し長めの髪は結わずに肩のあたりに流れている。
彼女のローブのすそには、中庭に咲く花が一片ついていた。
見たことのない生徒だったが、相手はのことを知っているらしかった。
はその子に笑顔を向けた。
「えっと、僕に何か用事かな…」
「あ、うん。私リリーって言うの。占い学で一緒なんだけど……今、時間空いてるかしら。占い学の宿題を見てもらえないかしら。教科書を見てもわからないの。星の位置が頭の中に浮かばなくて。は占い学の授業をすごくよく理解してるみたいだったから、教えてもらいたくて」
「ああ、そうなんだ。ちょうど僕も宿題をやり終えたばかりなんだ。この場所でかまわないかな?」
リリーに椅子を勧めたは、リリーの斜め向かいに腰掛けた。
リリーは、百合という名のよく似合う立ち振る舞いで、女の子らしく椅子に座った。
それから丁寧に占い学の教科書や宿題を取り出して机の上に広げた。
の羊皮紙に書き込まれた記号よりも、やや震えた感じの記号がまばらに羊皮紙の中に書き込んであった。
「なんだか本当に悩んでいるみたいだね。自分が生まれた日の星の動きは調べたかな。その動きをここに書き写せばいいんだけど……もしかして、この図がよくわからない、とか?」
「そうなの。教科書を見ても、この図のどこに星を書き入れればいいのかまったくわからないの。解説は次の授業で、って先生は言ったけど、このままじゃ授業についていけなくなりそうなの。私には占い学は向いてないのかしら」
少しうつむき加減のリリーを、がやんわり見つめている。
リリーの手にしていたペンが、机の上を転がった。慌てたリリーの手が、転がるペンを追いかける。
その姿を見てが顔を上げた。ペンを手にしたりリーは、首を傾げてを見た。
ふっ、とは口元を緩めた。
「リリーのご両親は、魔法界には携わっていない方?」
「え、ええ、そうよ。スリザリンの誰かから聞いたのかしら?」
「今の仕草を見て、かな。僕なら魔法でペンの動きを止めてしまうけど、リリーは慌てて追いかけてた。きっと、普段魔法の無いところで生活しているんだろうなって思ったんだ」
「そんなことでわかっちゃうの?ってすごいわね……この図の説明、してもらえるかしら?」
「どう説明したらいいかな。西洋占星術って聞いたことあるかな?これは、それに使う獣帯十二宮図なんだ。獣帯っていうのは、黄道を中心にして、南北にそれぞれ八度、総幅十六度の帯のこと。主な惑星や太陽、月は主としてこの帯内を運動するんだ。で、それを天体の位置を指定するために、古代のバビロニアとかエジプト、インドで十二宮に等分された。起点は春分点で、ここ」
の指が、丸い円の一箇所を指差した。
リリーは必死にの説明を頭の中に入れようとしている。
「こう説明するともっとややこしくなるよね。実際に見たほうがわかりやすいと思うんだ。占星術って、近世以前の天文学の形態だからね。ある程度いろんな知識がないと難しいよね」
は黒い袋から魔法石を取り出すと、それを机の上に広げた。
微かに浮いた魔法石をリリーが驚きのまなざしで見つめていた。
大小さまざまな大きさの石は、が軽く手を動かすと、ゆっくり動き始めた。
「これが太陽と月。あと、主な惑星たち。教科書で、リリーの生まれた日の天体の動きは調べたかな?」
「あ、うん。これよ」
広げた教科書の一部を差し出したリリーに、は笑みを見せた。
浮いた石はリリーが指し示した教科書の値の位置に移動し、そしてその場で停止すると淡く輝いた。
が杖を取り出した。
魔法石の外側に大きな丸を描く。
石の周りには羊皮紙に書かれているのとまったく同じ図が、の杖で描かれた。
「すごい……」
「これならわかりやすいかな。この図を頭の中で描くのは大変だよね。あとは、この惑星の位置をそのままそこに書き写せばいいんだ。あ、記号を使用して、ね」
止まっていたリリーの手が、はっとしたようにすんなり動き始める。
教科書で星の記号を確認しながら、ゆっくりペンを走らせていく。
たどたどしい記号だったが、それでもリリーの手は止まることが無かった。
どうやら、彼女の中の疑問は解消されたらしい。
が俺を見て軽く微笑んだ。
「できた!ありがとう、。これで何とかなりそう……でもはすごいわね。占星術なんてみんなあまり知らないでしょう。占いはどの世界でも廃れてきてしまったって、誰かが言ってたわ」
「せっかく昔から伝わる星の見方なのに勿体無いよね。だから僕は、先生みたいな方は素晴らしいと思うんだ」
魔法石が黒い袋に戻っていく。
書き終えた羊皮紙を丸めたとリリーは、時計の針を見た。
図書室にいる生徒は少ない。
夕食の時間が間近に迫っている。
「あなたがグリフィンドールでなくて残念だわ、。もっとの話が聞きたいな。今度一緒に昼食でも食べましょうよ。いろんな話、聞かせて?」
「よろこんで。そろそろ夕食の時間だし、大広間まで一緒に行こうか」
机の上は綺麗に片付けられていた。
二人は連れ立って図書室を出る。
さりげなくがリリーを引き立てる。
通りかかった生徒たちが少し驚いた顔をして二人の姿を見る。
そんな視線を気にする風も無く、とリリーは占い学の話やホグワーツの話に花を咲かせている。
ずっとリリーの服についていた中庭の花びらが、ひらりと床に落ちた。
リリーが立ち止まって花びらを拾う。
「あれっ?私、こんな花びらをずっとローブにくっつけて歩いていたのかしら」
声を出してリリーが笑った。も微笑んだ。
向こう側から数人の生徒がやってきていた。
はリリーと共に歩くのを再開した。
そのとき、何かが投げられる音が聞こえた。頭上で何かが煙を立てている。
俺はとっさに右によけた。
の腕がリリーを包み込んで、俺のほうへすばやく移動してきた。
そのすぐ後、俺たちがいた場所の頭上で何かが爆発し、白い煙が周囲に立ち込めた。
床に座り込んだとリリーがその場を見つめていた。
リリーは呆然としている。
「僕のリリーと一体何をしてるんだい、!」
嫌でも覚えてしまった声がしての表情がかげる。
座り込んでいるリリーに手を差し伸べて起こしたは、どこか先ほどよりも落ち込んでいるように見えた。
必死にそれを隠しているように見える。
煙の中から、四人の姿が見えた。
「私はあなたのものじゃないわ!気安く呼ばないで頂戴!この爆発、あなたがやったの?も私も何もしてないじゃない。ひどいわ」
より先にリリーが憤慨した声を出した。
が目の前の二人を見つめた。
ハリーの姿が頭の中に流れ込んでくる。
(ハリーのご両親だ)
俺も二人を見た。
確かにジェームズ・ポッターはハリーに良く似ていた。
そのくせっ毛が印象的だ。仕草もどこと無くハリーと被るものがある。
その瞳の色だけは、ハリーとは違ったが……リリーの瞳は、ハリーのものと同じ色をしている。
「私たち、図書室で宿題をやっていたの。夕食の時間になったから一緒にここまで来たのよ。どうしてあなたに悪戯されなくちゃならないのっ!」
「宿題、だって?そんなの僕が教えてあげるのに、リリー。わざわざに声をかけるまでも無く、ね」
通りかかった生徒たちが、二人のやり取りを見て笑う。
ハリーの両親は、今はまだ恋人と言う関係ではなさそうだった。
の手が俺に触れる。戸惑いと悲しさが流れ込んできて、俺はの体に擦り寄った。
生きているはずのない人間と触れ合う事実と、彼らの運命を見てしまう能力。
は辛そうな表情をして息を吐いた。
後ろから聞きなれた足音がする。
「!」
イーノックが後ろからに抱きついた。
驚いて振り返ったは、悲しい表情を見せないよう必死に笑顔を作ってイーノックを軽く抱きしめた。
過去や未来の記憶が移り変わりながら目の前に投影されていたが、それがだんだん遠のいていく。
イーノックをじっと見ている視線に気がついたのか、イーノックが周囲を見回した。
四人の姿に気がつくと眉をひそめて四人を見つめ、すぐに目を離した。
のローブを大広間のほうへ軽く引っ張っている。
「早く夕食に行こうよ、。生クリームと一緒にいてもいいことなんかないよ。それより夕食後に魔法使いのチェスをやろうよ。今日はに勝つよ!それにね、今日魔法薬学で宿題が出たんだ。少しやってみたんだけど、のアドバイスがほしいんだ!あとね、中庭で綺麗なお花を見つけたんだよ。ほら。お部屋に飾ろうと思って。ねっ!やることいっぱいでしょう?だから、悪戯しかできない奴らなんか放っておいて夕食にしようよ」
「本当だ、やることがたくさんあるんだね、イーノック。リリー、怪我はなかった?いきなりだったから驚いたでしょう?一言声をかけるのを忘れちゃって……彼らと一緒に大広間へ行くかい?それなら僕はイーノックと……」
「と一緒に行くわ。私もお腹空いちゃった。怪我はしてないから安心して。がいなかったらジェームズの悪戯に引っかかって大変なことになってたわ、きっと。ありがとう、」
イーノックがの手を引っ張りながら大広間へ向かって駆け出し、リリーがと一緒に歩き出す。
わざとの名前を強調して呼ぶものだから、そのたびにジェームズ・ポッターの表情が歪む。
今のままでは到底、この二人が恋仲になるとは思えなかった。
も心の中で苦笑している。
大広間まではほんの少しの道のりで、リリーはとの会話が悪戯四人組のせいで途切れてしまったことを残念がっていた。
また占い学の時間に、と言葉をかなわすと、既ににぎわい始めたそれぞれの寮テーブルについた。
やっと夕食だ。
月の初めの夕食である今日は、バスケットが色とりどりの珍しい花で飾られている。
パンにバターを塗っていたセブルス・スネイプが、の手元にある羊皮紙に気がついた。
「勉強でもしていたのか?寮に戻らずに夕食へ来たみたいだな。ずいぶん熱心だな、」
「図書室で占い学の宿題をしていたんだ。そうしたら少し時間が経ってしまってね。グリフィンドールの子もいたから、寮に戻らずにそのまま来たんだ。そういえば、セブルスは占い学を選択していなかったね」
「ああ。先生の授業には興味があるが、占いと言う学問はわたしには会わない気がしてね。それに…ほら。やつらと同じ授業をとるのも癪に障るからな。占い学は楽しいか?」
の隣で、イーノックがオレンジを取ろうとバスケットに手を伸ばしていた。
グリフィンドールの席からは相変わらずの声が聞こえてくる。スリザリンの席もにぎやかだ。
小さくちぎったパンを口にしたは笑みを浮かべている。
セブルス・スネイプとの仲は大分違和感がなくなってきたようだった。
「とても興味深いよ。西洋占星術なんかも扱っているしね。ただ単純に未来を予測するだけじゃないのが面白いんだ」
「先生の授業って、三年生から?僕、まだまだ受けられないのかぁ……楽しみだな」
オレンジがひとつ床に転がった。
イーノックが頑張って手を伸ばしているが届きそうに無かった。
柑橘類はあまり好きではないんだけどな。
俺はオレンジを銜えるとイーノックの手に乗せた。
イーノックは満面の笑みを浮かべ、俺の鬣をわさわさと撫でた。
「イーノック、オレンジを落としたのか?」
「うん。でもが拾ってくれたんだ。ありがと!」
「あんまり、はしゃいで食事をするなよ。テーブルマナーって言うのも大切なんだ。それで、、占い学は今何をやっているんだい?」
スープを飲みながらヒューがイーノックをたしなめた。それからのほうを向いて話しかけてくる。
「獣帯十二宮図だよ。西洋占星術で使うやつ。もっとも、まだ最初の段階で、何の説明も受けずに図を渡されただけだから、みんなてこずってるのかもしれない」
「ああ……そういえば、僕もてこずった記憶がある。何度も先生の研究室に足を運んで、理解するまで教えてもらったっけ。どうして土星が災いの星なのか、どうしても理解できなかったんだ。星の声を聞くって言うのも難しかったな。でも先生は丁寧に教えてくれたから、だんだん理解したけどね。の星廻りは……」
ヒューがの手元に会った羊皮紙に手を触れた。
まずい、とが心の中でつぶやいた。
ヒューに笑顔を向けて羊皮紙をとる。
ヒューは首をかしげてを見つめた。
「こんな大勢のいるところで、僕のたどたどしい図表なんか見せられないよ、ヒュー。すごく恥ずかしい。後で、部屋で、ね?」
「おっと、これは失礼。それじゃ、後で見せてくれ」
見せてやればいいじゃないか。の字は綺麗だし、そこに書いてあった記号も綺麗だった。
俺はそういったが、は軽く首を横に振った。
ヒューは別段気にする風も無くまた会話に戻っていった。
「難しいんだな、占い学と言うのは。わたしは数占いで充分だ」
「どちらも本当は理論が通っているはずなんだけどね。本当に占いの力を持った人が数少なくなっているから、占い学を否定したり避けたりする人も多いみたい。先生も少し悲しんでたよ」
「それより、薬草学の課題を一緒にやらないか?次の授業で提出だったと思うんだが」
「今日はだめだよ、セブルス。は僕と魔法使いのチェスをやるんだ。それに、僕も課題を見てもらうって約束したんだもん」
別の寮のネクタイをつけた監督生が、ヒューと何か会話し、すぐにその場を立ち去った。
「人気者だな、。ほら、お届け物だ」
ヒューの手から、に一輪の白い花と羊皮紙の切れ端が渡った。
記号を書いていたときよりもしっかりした字で、リリーの名が記されている。
「グリフィンドールの子から。占い学で一緒だ、って言えば伝わるって伝言を受けたんだけど……ああ、その名前…ほら、悪戯四人組の中の一人に追い掛け回されている女の子だ。知り合いだったのかい?」
「占い学の宿題を一緒にやっていたんだ。彼女、宿題にてこずっていたみたいで」
イーノックがもうひとつオレンジを取ろうとしていた。
がそれに気がつき、イーノックの手にオレンジを乗せた。
そのオレンジの横にはりんごが積み上げられていた。
それをひとつ手にしたは微笑み、手元の果物ナイフで丁寧に切り始めた。
そのりんごはすぐにうさぎの形になり、の皿の上をにぎわせた。
セブルス・スネイプが目を見張る。
「へぇ、すごいな。まるで雪原のうさぎみたいだ」
どうぞ、とひとつセブルス・スネイプの皿の上にうさぎりんごが載った。イーノックの皿の上にもひとつ。
それからは、もうひとつをヒューに手渡し、残りの五つを別の白い皿に載せると、それもそのまま皿ごとヒューに手渡した。
「これ、手紙をくれた子に、って言って渡してもらえるかな?僕が行くと、あの四人がまたちょっかいを出してきそうでさ」
「もちろん。それにしてもは器用だな……」
快く引き受けてくれたヒューに感謝したは、また食事の会話に戻る。
の手元に、白い花が輝いていた。
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リリー登場。
ちなみに、「獣帯十二宮図」は「ホロスコープ」のことです。