満天の星
「特別夜間授業……?」
きょとんとした瞳でイツキは呟いた。
小さくちぎった白いパンを口に運ぶ動きが止まる。
占い学で一緒のその生徒は、スープを口に運びながら、イツキにもう一度同じことを言う。
占い学の特別夜間授業が今夜北塔で行われると。
占い学を選択している四年生は今夜、夕食後に北塔に集まるように、ということらしい。
イツキは小さく笑みをこぼした。
「そっか。夕食前に寮に戻らなかったからわからなかったよ。教えてくれてありがとう。すごく楽しみだな」
「そうか。もうそんな時期なのか。そういえば今日は数人、消灯時間後に寮に帰宅するってナルセ先生から連絡があったな。すごく神秘的だよ。僕も四年生のときに体験した」
「えっ!じゃあ、今日はイツキと一緒にお風呂に入れないの?えー、やだー」
ヒューが、イーノックが、それぞれ食事を楽しみながら口を開く。
イツキは笑顔を浮かべてみんなの話に耳を傾けている。
全体的に寮の雰囲気はがやがやしていた。
特別な授業、それも本来なら出歩くのを禁じられている夜間の授業となれば、生徒の気持ちが高揚するのもよくわかる。
イツキも、特別夜間授業に少し心を躍らせているようだ。
「まぁ、他の寮の生徒が騒がしい場合が多くてね。毎年苦情が出るらしいよ。他寮の生徒は、ナルセ先生のすばらしい授業をしっかり理解していない。ナルセ先生の授業中に雑談するなんて低俗な輩だよね」
「ところでイツキ、この前音宿題なんだけどさ、僕の獣帯十二宮図を見てくれないか?少し不安なんだ」
「ん、いいよ。それなら、今日の夜間授業が終わった後で良いかな?」
イツキの言葉に明るさが戻ってきたのを俺はうれしく思う。
どうやら他の寮の四年生たちも、占い学の特別夜間授業を話題にしているらしく、ところどころでその単語が使われているみたいだ。
食事を終えたイツキは、俺の首筋を優しく撫ぜた。
寮の生徒たちはわらわらと食事を終えて寮に戻っているようだ。
イツキも席を立ち、俺もテーブルの下から出る。
占い学を一緒に選択している生徒たちがイツキの周りに集まってくる。
……けれど、すぐ後ろから大きな声がした。
「特別夜間授業だって、イツキ!」
「一緒に北塔に行こうよ、イツキ!……何そんなに笑ってるのさ。僕たちだって占い学を選択しているんだから、イツキと一緒に授業に参加しても問題ないだろう?」
リーマスがイツキの肩に手を置いて無邪気に笑っている。ジェームズがスリザリンの仲間たちを押しのけて、イツキの隣に並んでいた。
もちろんスリザリンの生徒たちが彼らを良く思っているわけがなく、彼らの顔は険しい。
けれどその横でイツキは声を立てて笑っていた。
その様子にスリザリンの生徒たちは驚いているようだ。
「イツキ、こんな奴らと一緒に授業に行くことないさ。君みたいな人間に、こいつらは似合わない」
「そうだよ、イツキ。君の中にある能力を開花させるのに、こいつらはものすごく邪魔な存在だろう?僕らと行こう、イツキ。彼らの相手をすることなんてないさ。……ほら、行こう」
「……試験の結果でいつも俺たちに負けているお前らにこんな奴ら呼ばわりされるいわれは無いな。行くぞ、イツキ」
板ばさみになって困った表情をしたイツキの手を強引に引っ張ったのはシリウスだ。
戸惑う生徒たちのことなど気にもせず、つかつかとシリウスはイツキを連れて歩いていく。
すぐにジェームズやリーマス、ピーターがイツキの周りを取り囲む。
ぬっ、と彼らの足の間に首を突っ込んでイツキの足元に寄った。
強引だね、とイツキは困ったような、でもどこか楽しんでいるような笑みを浮かべながら言っていた。
「あんな風な態度じゃ、それこそスリザリンの生徒たちから誤解されちゃうよ、シリウス」
「でもイツキ。イツキと一緒に受けられる授業なんて沿う無いんだよ、僕たち。スリザリンの連中はいつだってイツキと一緒だ。イツキを独占するなんてそれこそずるいし、贅沢だと思うよ」
「そうそう。せっかくイツキと友達になれたのに、おしゃべりできないなんてつまらないじゃないか」
イツキが歩み寄ったことにより、この四人の態度は急に親しいものになった。
イツキを心から慕っているように見える。
イツキの心も穏やかに彼らと接している。
生徒の列は、それぞれの寮に戻るものと北塔へ行くものの二つに分かれていた。
占い学の授業で見慣れた顔が目の前にたくさんある。
みんなそわそわした姿を隠せていなかった。
「特別夜間授業って一体何をするのかな?」
「ナルセ先生の授業だから、きっと星を見るんだと思うよ」
「でも、星ならいつも見てるじゃないか。どうしてわざわざ特別に時間を取って見る必要があるんだろう。きっと、何かもっと深いものの気がするな、僕。ところでイツキ。この前の課題だけど、君はもう終わったかい?」
北塔はいつものようにテーブルや椅子が並べられているわけではなかった。
テーブルも椅子もまったく無くて、ただ床一面にふかふかの敷布が敷き詰められていた。
飛びこみたい衝動に駆られたのを必死に自制した。
それなのに、そんな俺をよそに、グリフィンドールの四人が勢いよく飛びこんだものだから、俺は唖然としてイツキを見てしまった。
イツキは声をあげて笑いながら、静かに敷布の上に座った。
俺もそっと敷布の上に足を乗せた。
歩くたびに体が敷布の中に沈む。その感覚が面白い。
他の生徒たちも思い思いの場所に腰を下ろしている。
そうしてしばらく会話を楽しんでいたら、奥の部屋からイリアが現れた。
「特別夜間授業へようこそ、皆様。どうぞおくつろぎくださいませ。これから何をするのか、もうご想像できている方も幾人かいらっしゃいますようね。これから、夜空を見ていただきます。いつも見ている作り出された星ではなく、本物の夜空を見ていただきたいの。……そうね、まずは天井を見て寝転がってくださいな。寒いと思った方は毛布をご用意してありますからご利用くださいね。準備は出来ましたでしょうか?それでは天井をご覧くださいな」
イツキはごろんとその場に寝転がった。
その横に俺が寝そべると、微かに声を漏らしながらイツキが微笑み、俺の首筋を抱きしめた。
まるで寝台の中で俺を抱きしめるときと同じみたいだ。
見上げた天井は、イリアの合図と共に重い音を立ててゆっくり開いた。
ゆっくり、ゆっくりと本物の夜空が広がっていく。
ため息が部屋のあちこちから聞こえた。
イツキの腕が半分くらい天井に向かって伸び、それからその腕は胸の上で握られた。
深いため息が聞こえる。
「すごい……夜の空って、こんなに綺麗だったんだ!こんなに星がたくさんあるなんて……ねっ、イツキ!」
イツキの隣に笑みを浮かべた四人が寝転がっていた。
イリアが俺たちのほうを見て少し驚いた表情を浮かべたけれど、すぐにそれは柔らかい笑みに変わった。
しばらく教室内はざわめいていた。
ざわめきが自然に収まるまでイリアは何も言わず生徒を見つめていた。
星とイツキが、ものすごく近しい存在に見えた。
「……星にまつわる話は数知れず。世界中、何処にいても星は私たちを見ています。私たちもまた、どこにいても星を見ているというもの。今宵は皆様に星を身近に感じていただきたいと思います。耳をおすましなさいませ。星の声が聞こえますでしょうか……」
満天の星空だった。
きらめき瞬く星が空に散らばっている。
ちらりとイツキを見ると、真剣な眼差しで星をじっと見つめているようだ。
何か聞こえているのだろうか。
宇宙空間のような映像が時々イツキから流れてくる。
黙って、イツキの首元に顔をうずめた。
触れた俺の体毛がイツキに笑みを与えたようだ。からからと綺麗な声が聞こえてくる。
星は何か言っているのだろうか。
(……僕が何も聞いてなくても星が語り掛けてくるんだ……すごい…)
「……さて、まずご理解いただきたいのは、現世には様々な人工の光が溢れているということです。おそらく、教室内に私が準備した星空よりも見えにくいと感じた方もいらっしゃるでしょう。本来の星空の声を聴くことは難しいかもしれません。それでも、耳をすませ、意識を集中させればあなた方にもきっと聞こえてくるでしょう。ではまず、南の空を見てください。輝いている星が見えるでしょうか。あの星に意識を集中させ、声を聞いてみてくださいませ」
イリアの声の後、少し教室内がざわついた。
イツキの紅い瞳が不思議な色をして星を見つめている。
星は輝いているだけだ。
イツキ、一体星は何て言ってるんだ?何か大切なことなのか?
イツキの隣から、がさがさという音がする。
ジェームズがイツキの肩に顔を近づけていた。
ひゃっ、というイツキの上ずった声がする。
全身にぞわぞわとした感覚が走る。……一体ジェームズは、イツキに何をしたんだ。
「イツキ、あの星なんて言ってるのさ。僕にはぜんぜん聞こえないんだけど」
「おい、ジェームズ!抜け駆けはずるいだろ!なぁなぁイツキ、あの星なんて言ってんだ?」
「ちょっとシリウス、僕にくっついてこないでよ!君みたいな男とくっついても何も楽しくなんか無いんだから。むさくるしくて暑苦しいだけじゃないか。男とくっつくなら、イツキくらい綺麗じゃないとね!」
(騒がしい生徒だな、今年は……って、星が半分呆れてる。毎年この時期はたくさんの生徒に遭ってるんだって。Ms.ナルセが連れてくる生徒がいろんな個性を持っていて面白いって……よく、僕たちのことを見てくれている星なんだね)
イツキの手が俺を抱きしめた。
温もりが伝わってくる。
イツキの隣はがやがやと騒がしい。時々耳障りだと思う声も聞こえてくるが、やはりイリアの授業だ。騒ぎ立てる者はいない。
俺のほうに誰かが近づいてくる気配を感じた。
花のようないい香りがする。
「……イツキ、イツキ。私にも詳しく説明してくれないかしら。やっぱり私、星の声を聞くのって苦手だわ。何も聞こえないの」
「リリー?どうしてそんなに悲しそうな顔をするの?難しく考えないで、この場を楽しめば良いのさ。Ms.ナルセの声を聴いて、Ms.ナルセの話だけを聴いていればいいんだ。気合を入れすぎて精神を張り詰めすぎていると、星のほうが緊張しちゃって話すのをためらってしまうんだ」
「そう、なの?」
「うん。それに、何も聞こえないからって気にしなくて良いんだ。星だって気まぐれだから、会話をしていないときもあるし、内緒話は聞かれたくなくて、僕らには教えてくれないときもあるんだ。……そういうことさ」
リリーはイツキの顔をしげしげと見つめていた。
イツキは笑みを返し、俺の鬣を撫ぜた。
イツキの温もりが心地よい。
星や運命に詳しくない俺は、こんな心地よい空間にいると、ついついこのままゆっくり眠りたいと思ってしまう。
ふふふっ、とイツキが俺の気持ちに応えるかのように笑った。瞳が輝いている。
教室内は思い思いに星を眺める生徒たちと、星の声を聴く手伝いをする声が時々聞こえるくらいの静かさだ。
「……ちょっと、イツキ!僕のリリーとどうして隣にいるのさ!場所、交換してよ!」
「ジェームズ!僕の、僕のって私を所有物みたいに言わないで頂戴!私はイツキとおしゃべりしたいの。あなたとはご遠慮するわ」
「やだなぁ、そんなに照れなくて良いんだよ、リリー!……っと、ちょっと失礼するよ、イツキ。よいしょっと」
「え……あっ……な、なに、ジェームズ?!…お、重いよ」
おもむろに、イツキの体を寝転がったままで乗り越えようとしたジェームズに、イツキのやや苦い声が上がった。
ジェームズがイツキの上に覆い被さるような形になったのを見ると、俺は唸り声を上げずにはいられなかった。
いきなりジェームズの体を押しのけるように、イツキの上に体を乗せた俺を、イツキとリリーは笑みを含んだ驚きの顔で、ジェームズは口をあんぐり開けて、そしてシリウスやリーマスは声をあげて笑いながら見つめていた。
(どうしたの、ラセン。そんなに何か気に触ることでもあった?)
イツキは優しく俺を撫ぜる。俺はイツキの頬を舌で舐めた。
だってイツキ、イツキが心を許したとたん、こいつら馴れ馴れしいんだ。
イツキは華奢なんだから、ジェームズみたいなのが乗っかったらつぶれちゃうじゃないか。
イツキは声を立てて笑い、俺の体を抱きしめた。
横では相変わらずリリーとジェームズの言い合いが続いていた。
どうやらそれにシリウスやリーマス、ピーターも加わった模様だ。
「ジェームズ!抜け駆けはずるいって言ってるだろ!大体、If you run after two hares, you will catch neither.って言うだろ。イツキかリリーかどっちかにしろよ」
「……ごめんねイツキ、騒がしくて。それであの星、何て言ってるの?」
「なっ?!リーマスまでどさくさに紛れてイツキを独占しようとして!」
「何言ってるの、シリウス。イツキはとっくに紅獅子が独占してるじゃないか。どんなに押しのけようとしても、イツキの胸の中から離れないんだから。動物の体であるのをいいことに、イツキにすごく甘えてるしね!意外なところに強敵がいたものだ」
やや騒がしい。
イツキも苦笑して天井を見上げていた。
そこにさやと衣擦れの音が聞こえた。微笑したイリアが俺たちを見下ろしていた。
イツキと俺の頭上に腰を下ろしたイリアはイツキの肩に手を置いた。
「……星の輝きがいつもより穏やかになりました。ひとつ、試練を乗り越えられたのですね。今日のあなたの周りは少し騒がしいようですが」
今まで騒いでいた四人が急に静かになる。
イツキとイリアを見つめているようだ。
イツキが上半身を起こす。イツキの胸の上から降りた俺は、今度はイツキの膝の上に体をうずめる。
「あなたがいるから星は喜んでいるわ、イツキ。……ところでグリフィンドールの四人組さん、あなたたち、前回の宿題に共同で悪戯を仕掛けましたね?星がそれについて語っているようですよ」
「先生、また気づいちゃったんですか?力作だったんだけどな」
イリアは笑みを浮かべていた。
一体イリアはどれくらいの星の声を耳にしているんだろう。イツキはどれくらいの声を耳にしているんだろう。
(地球がね、僕に話し掛けてきたんだよ、ラセン。それからはいろんな星が僕に話し掛けてくる。何かあるとすぐに、ね。本当はここにいる生徒の大半が星の囁きが聞こえるふりをしているのをMs.ナルセはご存知だどうして彼らには聞き取れないのか、わかる?)
イツキは俺を見た。
首をもたげてイツキをみた俺は首を横に振った。
俺にも星の言葉はわからない。
微笑んだイツキは立ち去るイリアの姿を眺めていた。
(僕らのいるこの場所と、空の彼方に輝く星との間にはとてつもない距離がある。星たちは会話をする際、とてつもない強大な力でその距離の差を補っている。……僕らは、それを無意識に体内にある魔力でおこなっているんだ)
一瞬名残惜しそうなイツキの感情が流れ込んできた。
天井はゆっくりと閉じ、段々星が見えなくなる。
薄明かりのついた部屋はいつもの北塔の匂いがした。
教室内がざわめき、寝転がっていた生徒たちが半身を起こす。
「お楽しみいただけましたか?本来の星の声を、皆様が少しでも耳に出来たのなら幸いです。今宵のことをレポートにまとめてきていただけるかしら。量は問いません。皆様が何を思ったのか、書いてみてくださいませ。本日の特別授業はここまでにいたしましょう。夜もふけました。他生徒の迷惑にならぬよう、静かに寮にお戻りなさいませ」
微かなイリアの声でも、聴き逃す生徒は誰もいない。
ひとり、またひとりと教室を去っていく。
イツキ、俺たちも帰るのか?
俺の問いにうなずいたイツキは、静かに立ちあがると北塔を後にする。
校内は静まり返っていた。
肌に触れる空気がなんとなく冷たい。
イツキの足元に擦り寄ると、イツキの温もりが伝わってきた。
廊下は静かだったが、談話室はそうもいかなかった。
占い学の授業を選択している生徒たちが今夜のことを思い思いに語っている。
そこを通りすぎると、イツキはヒューを起こさないよう静かに部屋の扉を開けた。
「……あれ」
「お帰り、イツキ。廊下は寒かったんじゃないかな。温かいココアならあるけど、どう?」
しかし、部屋の電気はついていて、ヒューが笑顔で椅子に腰掛けていた。
ヒューの向かいに腰掛けたイツキは、いつものマグカップに注がれたココアを受け取っている。
「グリフィンドールの四人と一緒にいたんだって?みんなが驚いてた。一体どういう心境の変化だい?君は彼らを快く思っていないように見えたんだけどな」
「情報が早いね、ヒュー。確かに僕は彼らを快く思っていない。今だって、彼らの行う悪戯にはまったく共感できないし、一緒にいると疲れるときもある。……ただ、今は拒むよりもある程度受け入れていたほうが僕には有益かなと思ってね。彼らと一緒にいて、彼らを味方につけておけば、僕に悪戯の被害はなくなるみたいだから。それなら、拒むより受け入れているようが有益でしょ?」
ずきん、とイツキの胸が痛むのを感じる。
……ある意味、イツキの言うことは正しい。そしてイツキがそう思っている部分も少なからずあるだろう。
けれど、イツキが彼らの手を取った本当の理由はそれじゃない。
でも、本当の理由なんてヒューやそのほかの生徒たちには口にしてはいけないんだ。
イツキの胸が痛んでいる。それを必死に隠して笑顔を見せるイツキが痛ましい。
「なるほどね。確かにそれなら君にとって有益だ。それに理に適ってる。安心した。君が何か毒でも盛られて彼らと一緒にいるんじゃないかって心配してたんだ」
「やだなぁ、ヒュー。僕はスリザリン生だよ。あんな奴らに手篭めにされるようなへまはしないさ」
笑いながらココアに口付けたイツキは、何処か悲しそうな心で、今宵の星空を思い出していた。
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…ジェームズが大胆な行動をしているような気がする。
シリウスの英語は、ご存知の通り「二兎を追う者は一兎をも得ず」です。