飲み込んだ声
カボチャの美味しい季節になった。
今日のホグワーツは一日中カボチャの甘い匂いに包まれている。
スコットランド・アイルランドに起源を持つ諸聖人の祝日の前夜に行われる祭、ハロウィーン。
十月末日、この日がやってきた。
……僕がここにきて、二ヶ月が過ぎたことになる。
にぎやかな宴の席で、スープを口にしながら思うのは、この二ヶ月で何が出来たのかということばかり。
まったくの手探り状態からは脱した。けれど、僕が元の時間軸に戻るための魔法は見つかっていない。
焦りが募る。
「、ホグワーツのハロウィーン、楽しんでる?こんなに盛大な宴って珍しいと思うんだ。君にとっては初めての宴だろうし、楽しんでほしい」
「ありがとう、ヒュー。こんなにたくさんの料理に素敵な装飾、ホグワーツのハロウィーンってにぎやかだね」
ヒューに笑顔を向ける。が僕の足元に首を擦り付けている。
……ごめんね、。君に心配かけてばかりで。
焦る理由はここの生活に慣れてきた僕がいるから。
当たり前のように授業に参加し、寮の仲間と会話を楽しみ、ヒューと同じ部屋で過ごす。
この時代の生活が日常になりつつあることに僕は焦りと苛立ちを覚える。…そして、怖いんだ。
戻れないんじゃないか、という不安が時間が経つに連れ僕の心を強く蝕んでいく。
「ああ、そうだ。、先生が食事が終わったら研究室を訪ねてほしいって言っていらしたよ。消灯時間は気にしないでほしい、って僕に言うくらいだから、何か重要な話しなのかもしれないね」
「……Ms.が僕を?ありがとう、食事が終わったら研究室を訪ねてみるよ」
焼き立ての白いパンをスープに浸し、それをの口元に差し出した。
Ms.が僕を呼ぶ。
そう珍しいことじゃないけれど、なんとなく気になる。
指の間に流れたスープまで綺麗に舐めとるの舌の感覚に、僕は口元を緩めた。
……が僕を心配している……できる限り僕を元気付けようとしてくれる……
彼の気持ちに応えなくちゃな、とそんな風に考えながらも、やはり心は焦っている。
(に呼ばれたのか?悩んだ顔ばかりされるとものすごく心配になる)
テーブルの下から僕を見上げるの瞳。
僕は君に困った笑みを返すことしか出来ない。
けれど、同時に感謝する。きっとだって元の時間軸に戻れないことへの不安があるだろうに、そんなことは口にしない。
いつも僕のことを最優先に考えてくれている。
ありがとう、。
首筋を優しく撫ぜると、気持ちよさそうには喉を鳴らした。
そんなを僕は思いきり抱きしめたくなる。
どんなに楽しくても、やはり不安はぬぐえない。
それにMs.は……
「紅茶はどう、。ハロウィーンってこんなに盛大なお祭だったんだね。僕のお家ではみんながやる仮装すら許してもらえなかったんだ。だから、こんなににぎやかで楽しいお祭だなんて思ってもなかった」
イーノックの声に我に返ると、僕は笑みを返し、紅茶のカップを差し出した。
熱い紅茶がカップに注がれる音がする。
……この不安は、この時代の人たちに悟られてはいけない。
口元を緩め、僕は会話に加わった。
宴が終わると、僕は寮の生徒と別れ北塔に向かった。
十月末日ともなれば、夜の空気は冷たい。雪の降る季節がやってくる前触れだろう。
僕とは寄り添って歩く。
大広間から離れるにつれ、にぎやかな声は遠のき廊下はしんと静まり返る。
北塔の研究室の扉の前に立ったとき、何か底知れぬ力を感じた気がした。
そのせいか、数秒、僕は扉をノックするのをためらってしまう。
何だろう、この感じ。体中の魔力を抑えておかないと今すぐにでも暴走しかねない。
の心配げな目を見て、僕は大丈夫だよ、と唇だけ動かした。
あるいは、僕自身に言ったのかもしれない。
扉を軽くたたく。
「失礼します、です。僕をお呼びでしょうか」
数秒の沈黙の後、扉が小さく開かれた。
僕とはするりと扉の中に入る。するとすぐに扉は音も無く閉じた。
研究室の中はMs.の作り出した星空の明るさで満たされていたが、なんだかいつもより薄暗い気がする。
奥のほうでかたかたと音がするのを考えると、手が離せないから魔法で扉を開けた、というところだろうか。
しかし、体内で魔力が渦を巻いている感覚がぬぐえない。
入り口で立ち止まっている僕に、の困惑した感情が伝わってきた。
耳も尾も張り詰めたように立てたは、部屋の角をらんらんとした瞳で見つめつづけている。
僕も、そちらへ目を向けた。
「……あなたは……」
暗がりに確かに感じる強い魔力と、人の影。
黒いローブで身を覆っているのか、全体像をつかむことは出来なかったけど、紅い瞳から目が離せなくなる。
口を閉じることが出来ないくらい僕は動揺した。
体内を流れる魔力が渦を巻き濁流となって押し寄せてくるような感覚に軽くめまいがする。
足元がふらつく。これ以上前に進めない。
「ヴォルデモート卿……」
絞り出した声でその名を呼ぶ。
動けなくなった僕に相手が近づいてきた。
はどうしたらいいのかわからないらしく、僕と同様、この場から動けずにいる。
「ふっ……恐れずその名を口にするか。から話はきいていたけれど……なるほどね」
黒いローブをまとったヴォルデモート卿は僕の顔に手を触れた。
ひんやりと冷たい感触がする。紅い瞳にこめられた力に僕は何もすることが出来ずにいる。
日記のリドルを少し成長させた程度の……闇の帝王と呼ぶにはあまりに若すぎる姿の父がそこにいる。
はどうすることもできず、ついにはその場に伏せてしまった。
僕もやっとの思いで言葉を搾り出すことしか出来ない。
この時代のこの場所で、まさかヴォルデモート卿に会うとは露とも思わなかった。
「そんなところに立ったままなんて……ヴォル、、こちらにいらっしゃいな。いきなりそんな目で見たら、は何も出来なくなってしまうわ、ヴォル。さ、紅茶はいかがかしら」
緊張した空気を断ち切ったのは、Ms.の声だった。
僕からMs.に視線を移したヴォルデモート卿は、椅子に座ることなくMs.の手から紅茶のカップを受け取り、それに口をつけた。
張り詰めた気持ちがほんの少し楽になる。
それでもなかなか自分の足で彼に近づくことが出来ないでいた。
幸せそうなMs.の姿がそこにある。闇の帝王なんて言葉が似合わないくらい穏やかな表情のヴォルデモート卿がそこにいる。
……僕は、この二人の間に入ることが出来ない。
紅茶を手にしたMs.が僕に近づいてきた。
僕に紅茶を手渡すと、僕の肩を両手で抱き、ヴォルデモート卿の前に連れていく。
この二人の間に入ること自体が苦しかった。
締めつけられるような胸の痛みを必死にこらえ、平静を保とうとする。
気取られないよう必死だ。
だけは僕の気持ちに気づいたのだろう、不安げな顔をして僕を見上げている。
……大丈夫だよ。
心の中でそう呟いた。
「……ごちそうさま、。そろそろ行かなくちゃ。でもその前に……を借りてもいいかい?彼には大いに興味がある。少し話がしたいんだけど、流石にここだと、ね」
「もう行ってしまうの……寂しくなるわ。、あなたはよろしくて?消灯時間は気になさらなくていいわ」
「も、もちろんです……」
消え入るような声だったと自分でも思う。
紅茶のカップを置いたヴォルデモート卿はMs.を抱きしめていたし、彼女もそれに応じていた。
二人は僕やの存在など気にせず、熱く口付けを交わしていて、思わず僕は彼らから目をそむけてしまった。
目の前に僕の知らない父と母がいる。
胸が、苦しい。
「それじゃ、また。くれぐれもダンブルドアには気をつけて」
「ありがとう、ヴォル。あなたも気をつけて」
「いくよ、」
ヴォルデモート卿は僕の返事を待たず、強引に僕の腕を引っ張ると箒に乗せて北塔の窓から飛び立った。
慌てて追いかけて宙を駆けるの姿を少し驚いた様子で見つめていたけれど、箒はものすごいスピードで空を駆けている。
ぐっとヴォルデモート卿の腰にしがみついた。しがみつかなければ振り落とされそうだった。
箒の勢いが緩んだのは、ずいぶんとホグワーツから離れたところで、深い谷底だった。
低空飛行で僕を下ろすと、ヴォルデモート卿も地上に降り立った。
息を切らしたが僕の足元に伏せたのを見て、彼はその手をの額に当てた。
僕の隣に座るヴォルデモート卿。僕も、その場に腰を下ろした。
鼓動を感じる。自分のか、それともヴォルデモート卿のものか……
元の時間軸でもほとんど会話をしたことのない父が、僕の隣にいる。
「……寒い?震えているように見えるけど」
「い、いえ……そんなことはない、…です」
そう返事をしたはずなのに、僕はヴォルデモート卿の長くて黒いローブの中に取り込まれていた。
彼の息遣いがすぐ近くで聞こえてくる。
緊張して何も言えない……
ヴォルデモート卿はふっと口元を緩めて笑った。
「なんだかとても緊張しているように見えるけど。そんなに僕が怖いかな。それとも何か別の理由でもあるのかい?」
紅い瞳は興味深く僕を見つめている。全てを見透かされてしまいそうだ。
でも、ものすごく綺麗な色をしている……
ほとんど会話をしたことも触れ合ったこともない憧れの存在がここにいる。
上手く言葉がみつからない。
それに不安もある。
「……父は、とても多忙な方で……この歳になっても、ほとんど会えないんです。話をすることも無くて。だから、こんなに近くにいてこんな風に会話が出来るなんて思っても無くて……僕にとって父は偉大な方ですから、本当に緊張しています」
やっとのことで搾り出して伝えた言葉。ヴォルデモート卿は声を立てて笑った。
屈託ない笑顔は闇の帝王にはまったく見えない。そしてそれが、この先の事を知る僕の胸を締め付ける。
苦しくて切ない。
ハリーの両親の元へ行かないで、だとか。ピーター・ぺティグリューを仲間に加えては行けない、だとか……言いたいことがたくさんあったけど、それは伝えてはならないことだ。
僕は言葉を飲み込むほかにない。
「多忙、ね……一体君は今から何年後の世界からやってきたんだか。の手紙を受け取ってからずっと気になっていたんだよね。とはいえ、未来のことは聞かないことにしてるんだ。どうせ聞いても応えないだろうし、の血をひいた君の予言を聞いても、星見の専門でない僕にはさっぱりだろうからね。それに……」
ヴォルデモート卿の手が僕の肩に伸びる。
「君の体内にある溢れんばかりの魔力……それを知っただけで僕は十分満足さ。闇の帝王の後継にふさわしい」
ヴォルデモート卿は満足げな笑みを浮かべている。
僕も少し口元を緩めたけれど、胸は苦しかった。
が僕のことを心配しているのが伝わってきた。
僕にも、どうしていいかわからないんだ、。
「……、どうしてそんなに浮かない顔をしてるんだい?」
「浮かない、顔?僕、そんな顔してますか?」
「うん。いくら笑みを作っていても、作り笑いはすぐにわかるよ。……僕もずっとそうだった。
なんだかずっと大きな不安を一人きりで抱えているように見える。
君のやってきた時代の僕に比べたら、僕は頼りないかも知れないけど……
親であると言う自覚はあるし、僕は僕の父親のようになりたくないしね。
何か不安があるのなら話してみるといい。それとも、僕は父として頼れないかな?」
紅い瞳が真剣に僕を見つめている。
ヴォルデモート卿の言葉に、何かがはじける感覚がした。
それまで心の内に秘めてきた想いが、大波となって押し寄せてくる。
僕の目の前に父がいる。
憧れの存在の父親が、僕の目の前にいて僕のことを思ってくれている。
大きな衝撃が体中に走った。
濡れた頬に風が当たる冷たい感触も、の驚きの心情も全部どうでもよくなってしまう。
緊張の糸が解れ、涙だけ溢れていた。
困ったような声と共に僕の体は温もりに包まれた。
父の匂いがする。
彼の胸に顔をうずめ、僕はひきつった声で全てを吐き出そうと思っていた。
「……涙を流す間もないくらい、心を張り詰めていたんだね、。……どうして?」
「気取られちゃ、いけないと思って……僕の立場をホグワーツの生徒に知られちゃいけない。僕は僕の生活していた時代のことを誰にも話せない。帰る方法も見つからない……それに、」
一瞬言葉に詰まる。
本当の不安を口にするのをためらった。
こんなことを言ったら父はなんて思うだろう。悲しくなってしまうんじゃないだろうか。
この時代に生活している人には何の罪も無い。
ただ、僕の感情だけが先走ってひしひしと悲鳴を上げているだけで……
風が吹いた。
ヴォルデモート卿の指が、僕の涙をぬぐっていた。
「それに……?全部吐き出してごらん。少しは僕に親としての務めを果たさせて。どうしても僕は多忙になってしまうみたいだね。君がホグワーツに通うようになっても、話を聞いてあげる時間すら取れないなんて……自分の子の話を聞くのは親の務めだよ。この先の僕が忙しくてそれが出来ないなら、今の僕がそれを果たしたい、」
「……父上」
「ん。君は強いね、。そんなに強がらなくて良いんだよ」
「……母が……母上はとても近しい存在なんです。ホグワーツ入学前はずっと一緒に生活していましたし、入学後もとても僕のことを気遣ってくださって……だから、ここでMs.と生活していると胸が苦しくなるんです。彼女は……僕の中にあなたを見ているようで……」
父は困っただろうか。
熱くなりはっきりしなくなった頭の片隅でそんなことを考えた。
僕の口から流れ出た不安の数々を、彼はどう受け取っているのだろう。
僕にわかるのは、ヴォルデモート卿の腕の中がとても温かいということだけだった。
僕の呼吸が整うまで、ヴォルデモート卿は何も言わず、ただ僕の背中を優しく撫でてくれていた。
やっと呼吸も落ち着き、自分の愚行が恥ずかしくなった僕が顔を上げ、彼の腕から逃れようとしたときに、ヴォルデモート卿は口を開いた。もちろん、腕から逃れられることは無かった。
「……には僕も頭が下がる。
彼女は僕をとめることは無いし、不満を口にすることも無い。
ただじっと、昔の約束を果たすために活動している僕を支えている。
……彼女も戸惑っているんだと思う。
僕らの間に夫婦と言う生活様式が無くて、お互いの生活が交わることもほとんど無い。
そんな中で子供だけが存在してしまう。
今の状況にの心が迷っている気がする……なんてね」
「……?」
「さっきが言っていたよ。はすごく良く出来た子だって。
ただほんの少し、自分に遠慮している部分があるみたいだ、ってね。
子供って、無償の愛を親に求めていいと思うんだ。もっと頼っていいんだよ。
どの時代にいたって、が僕との間に生まれた子だという事実は変わり得ない。
僕もも親の愛情を知らないけど、子が親を思う気持ちは痛いほど知ってる。
それにね、はをとしてみているよ。君が心配するようなことは何も無い。
彼女は君の母親なんだから、遠慮せずに頼れば良いんだ。
距離の取り方が上手じゃないのは君もも僕も同じ。少し、甘えてみるといい。
が遠慮してたらどうしようもないよ」
温かい。
涙が頬を伝うのを僕は感じた。
自分の手でそれをぬぐうと無理に笑顔を作る。
が心配そうに僕の顔を覗きこんでいる。
ヴォルデモート卿の大きな手が僕の頭に乗った。
顔を上げると紅い瞳と目が合う。
色白の肌……丸で闇の帝王とは思えない姿をしている僕の父親。
父からの愛にも母からの愛にも飢えていないと思っていた。
でも、本当の父親のぬくもりって、こんなにも温かかったんだ……
「君には話したいことがたくさんある。
このまま連れ去って僕の計画の手伝いをしてほしいくらいだ。
その歳でその魔力……大いにこの先に期待できるしね。
でもそれは未来の僕の役目だろうから今は我慢するよ。
ただね、。自分を嫌ってはいけないよ。
どんなことがあったって、君は君を誇りに思っていい。
今は僕の息子だなんておおっぴらに口に出来ないかもしれない。
でも、君は僕の血をひいているんだ。それを誇りに思っていい。
いずれ僕はこの世界に名を馳せる。
……もう少し時間が取れれば、いくつか簡単な魔法を教えてあげるんだけどな。
きっと君の役に立つ……そうだな。
君の魔法研究が、もし冬休みまで解決しなかったなら、と共に帰宅するといい。
その時期なら、今より多少長く時間を取れるだろうからね」
「父上……」
「もちろん、それまでに魔法が完成すれば、君は出来るだけ早く元の時代に戻ったほうが良いけどね」
微笑んだヴォルデモート卿はすくっと立ちあがると箒を手にした。
行ってしまうのか、となんだか複雑な気持ちになる。
同じ場所に長く留まっていることは彼の身を危険にさらすだけだって、頭では理解しているのに、離れたくなかった。
やや不満げな顔をするの体を撫でるヴォルデモート卿。
ああ、そう言えば、は僕のところに来る前はヴォルデモート卿と一緒に生活していたんだっけ。
安心したような、彼を懐かしむような……それでいて、何処か悲しくなる、そんな感情が流れ込んできた。
「帰り道はわかる?ホグワーツからは多少距離があるけれど……」
「大丈夫です。星を頼りに帰ります。……父上……」
名残惜しい。
うつむいた僕の手が、彼のローブの端をつかむ。
「……」
彼の匂いに包まれる。
軽い抱擁の後、彼は箒にまたがった。
音も立てずに宙に舞いあがる。
「父上、お気をつけて。お話できてうれしかったです」
最後に微笑を見せたヴォルデモート卿は、ものすごい速さで空の彼方に消えていった。
いや、あるいは途中で魔法を使ったのかもしれない。
谷底から見上げる星は輝いていた。
しばらく星を見つめてから、僕はを促し、ホグワーツへ戻ろうと箒を呼ぶことにした。
けれど、が僕を背中に乗せて宙を駆けたので、僕は何も言わずにの背中にしがみついた。
は温かかった。
北塔の窓の鍵は開いていた。
静かに入り込んだつもりだったけれど、微かな空気の流れに気がついたのか、ショールをまとったMs.が微笑んですぐにやってきた。
外気で冷たくなった僕の体に、北塔はとても温かかった。
風で乱れた毛並みを必死に整えようとするの姿。熱い紅茶を注ぐMs.の姿。
母と何も変わらない姿がそこにある。
「お帰りなさい、。寒かったでしょう?きっとあの人のことだから、ずいぶん遠くにあなたを連れていったんじゃないかしら。紅茶をお上がりなさいな。冷えた体が温まるわ……どうしたの、」
いつもと変わらない母の匂い。
今は無償に抱きしめてほしかった。
……こんなこと思うなんて、僕もどうかしてるよね。自分で自分に苦笑するしかない。
僕はゆっくりMs.の傍に歩み寄った。
子供っぽい行動だとわかっていても、彼女のショールの端をつかんで、訴えることしか出来ない。
寒いわけでも、熱があるわけでもない、と思うんだけどな。
Ms.は僕のほうを振り向くと優しい笑みを見せた。
紅茶を準備していた手を止め、僕の体を抱きしめる。
「ずいぶん冷えてしまってるわ、。酷な人ね、彼。こんなに冷えてしまうまであなたを外に連れ出しているなんて。風邪をひいてしまうわ……とりあえず紅茶をお飲みになって?その間にもう少しあなたの体を温めるものを……」
「……い、いいんです。ただもう少しの間、そのままでいてくれませんか……」
Ms.の驚いた表情が眼に浮かぶようだった。
いつまでも子供じゃないのに、どうしてこうやって抱きしめてほしいと思うんだろう。
背中を撫でるMs.の手。その手は僕の髪に伸び、僕の顔は彼女の胸にうずまった。
彼女の服を軽く握ると、微かなMs.の息遣いが聞こえてきた。鼓動は落ち着いている。
彼女の鼓動が聞こえるたびに、僕の心は落ち着いていく。
「ごめんなさい。幼子じゃないのに、僕……」
「いいのよ、。誰だって時々無償の愛を求めたくなるときがありますもの。……あなたは根を詰めて精神を張り詰めて生活しているから尚更だわ。……甘えたいときはいつでも甘えていいんですよ。子供は親に無償の愛を求めていいの。私は、あなたの母親ですもの。あなたが安心して眠れるまで、こうして傍にいるわ」
「母上……」
母は温かかった。
覚えているのは、温かい紅茶を飲んだことと、母に抱きしめられたまま寝台に横になったことくらいだ。
疲れきっていた僕はすぐに夢の世界に誘われていった。
横で母のやさしい鼓動が聞こえていた。
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ヴォルデモート卿は優しい人です。
両親への気持ちのわだかまりが、ヴォルデモート卿の言葉で解けたかな、と。