宿題はお早めに


 吸い込んだ息が肺の中まで冷やしていく。
 クリスマスを目前にしたイギリスは、この数日晴天に恵まれていた。
 日中の日差しによって溶かされた雪が、夜間の寒さでもう一度凍結する。雪を踏みしめるたびに重い音が空気を裂くように響く。
 ホグワーツの駅のホームには、いつもの通りの汽車がその巨体を構えていた。
 ……ただし、いつも俺たちが乗っているものよりも、やや外観が綺麗に見える。
 汽車への入り口とホームとの境いで、汽車が発車するまでの短い時間を名残惜しそうに過ごすたちがいる。
 大抵の生徒はまだローブに身を包んでいたが、イーノックは魔法使いの物という物全てを頑丈なスーツケースに詰め込んでしまったようで、ひどくマグル的な私服を着ていた。
 吐く息は白く、地面を冷気が這っているような感覚がする。

 「そっか、やっぱりは汽車には乗らないんだ」

 「うん。本当はみんなと一緒に汽車に乗りたかったんだけど。途方も無い時間がかかるからって、ダンブルドア校長が別の方法で帰してくれるって言ってくださったんだ。だから、ここでお別れだね」

 「寂しいな、。絶対冬休みも何処かで会おうねっ!……ところで、にお手紙するにはどうしたらいいの?僕、フクロウも持ってないし、のおうちの住所も知らないや」

 首をかしげを見つめるイーノックに、は微笑した。
 汽車に乗らないのには理由がある、とは言っていた。
 それはあのハロウィーンの日に告げられたヴォルデモート卿の言葉と関係があるらしい。
 はローブからやや光る紺色の液体が入ったインク壷を取りだし、それをイーノックに手渡した。

 「僕から、少し早めのクリスマスプレゼントだよ。このインクで僕の名前を封筒に書けば僕に届く。もちろん、ヒューに手紙を届けたければ、ヒューの名前を書けばいい。僕たちが直接魔法を使うわけじゃないけれど、魔法の力を持ったインクだから、マグルの使う……郵便ポストだっけ?あれに投函しても大丈夫だよ」

 ローブの中からインク壷をもうひとつ取り出したはそれをヒューに渡す。
 イーノックはインク壷をじっと見つめていた。
 揺れたビンの中のインクは光を反射して輝いているように見える。
 ヒューも珍しそうにそれを眺めた。

 「気をつけてほしいのは、そのインクで記入するもの。必ず宛名だけにしてほしいんだ。本文や、差出人の名前までそのインクで書いちゃうと何処に届ければ良いのかわからなくなっちゃうみたい。僕の家、すごく遠いからフクロウさんも疲れちゃうと思うし、活用してくれると嬉しいな」

 「わー、すごいっ!すごい!!これでともヒューとも連絡が取れるんだねっ!!嬉しいやっ!魔法は使えない、魔法界の話も出来ない、そんなおうちじゃ息苦しいと思ってたんだ。これで少し冬休みが楽しくなりそう。ありがとう、

 イーノックは満面の笑みをに向け、インク壷を大切にしまいこむ。

 「へぇ、面白い。一体何処で手に入れたんだい、

 「実は手作りなんだ。どうやったら簡単に、かつフクロウを使わずに手紙を届けられるのか考えてたんだ。一応テストしてみたんだけど、ちゃんと届いたから大丈夫だと思うよ」

 「が作ったのっ?!すごいっ!!」

 汽笛が鳴る。
 イーノックが無邪気にを抱きしめる。
 イーノックよりも先に汽車の入り口に足をかけていたヒューは、半身を翻しイーノックとの抱擁を終えたの髪に触れた。その手はの肩に伸び、を軽く抱きしめる形になる。
 の手はヒューのローブを小さく握っている。
 何事か耳元で囁かれたのだろう、の顔が恥ずかしさに赤く染まっているような気がする。
 鼓動は早くなるし、感情も不安定に飛び跳ねている。

 「……それじゃ、。良いプレゼントをありがとう。帰宅したらすぐに手紙を書くよ」

 「僕も!お返事待ってるからね、

 急かすように汽笛が鳴る。
 荷物をつかんで慌てて乗りこむイーノックとその手助けをするヒュー。
 程なくして空気を吐き出す音と共に汽車の扉は閉められた。
 上部の四角い窓から見える二人の姿も、すぐに雲のかなたに消えた。
 汽車が見えなくなるまで笑顔で手を振っていたは、小さなため息をついて俺の背を撫でた。複雑な感情が渦を巻いている。

 「……さ、北塔に行こう。は……Ms.が僕たちを待っているはずだから」

 人気の少ない汽車のホームにの足音が響く。
 数人、ローブに身を包んだ生徒がホームにいたが、きっとと同じように友人を見送っていたのだろう。
 の足はホグワーツの北塔の方向へ進む。
 やがて、黒いローブの塊とすれ違った。

 「……あれ」

 「あ、じゃないか。もホグワーツに残るのかい?」

 声をかけられの足が止まる。
 顔を上げると、いつもの悪戯仕掛人たちの姿が目に入った。
 は微笑した。

 「残念ながら、父上が冬休みに帰っていらっしゃると耳にしたものだから、僕も帰宅することにしたんだ。多忙な方で、滅多に会うことが出来ないから、この機会を逃しちゃいけないと思って」

 「なんだ。と一緒にクリスマスが過ごせるのかと思って期待しちゃったよ」

 「ほんと、ほんと。せっかく口うるさいヒュー・ノードリーもいなくったんだし、と目いっぱい遊べると思ったのにな」

 「でも、汽車はもう出発しちゃったよ?」

 うん、とがうなずく。
 もう何度目になるだろう、同じ説明をグリフィンドールの四人にもする。
 途方も無い時間がかかるからと口にするたびにの胸が苦しくなるのを俺は知っている。
 そう、途方も無い時間がかかる場所に帰りたくなるんだ。

 「そうなんだ……と一緒にクリスマスを過ごしたかったけどな。でも、しょうがないか。家族って大切だものね。のお父さんはどんな人なの?」

 父、という言葉にヴォルデモート卿の姿が浮かぶ。優しかった姿、そしてその姿は一年生のときに出会った誰かに寄生していなければ生きられない彼の姿に変わる。
 ……胸が、痛い。
 小さく鼻を鳴らすと俺はに擦り寄った。

 「……?」

 曇った瞳で俺を見つめ、鼻先を優しく撫でてくれたは、リーマスの声にはっと顔を上げる。
 気さくに笑うルーピン教授の姿とリーマスの姿が重なる……が、はそれを無理やりかき消した。

 「ごめん。ちょっと父上のことを思い出しちゃって。どんな人なのか、って言われると説明するのは難しいな。偉大な方だとしか……何しろ、一年中世界のいろいろなところに出向いて研究をしたり仕事をしたりしているらしいんだ。僕も滅多に会えないから詳しくは知らなくて……」

 (……行こう、。このまま彼らと一緒にいたら、いっては行けないことを口走ってしまいそう……)

 悲しげに伝わってくるの感情に、俺は喉を鳴らして返事をした。
 を促すように尾を振る。

 行こう、。きっとも待っている。

 ヴォルデモート卿の恐怖と言うものは少しずつ魔法界に広まっている。
 あいつのことは、この時代でも軽軽しく口にすることは出来ない。
 気取られないよう、が必死になっていることに俺の心が痛む。
 ……どうして俺は、の力になれないんだろう。

 「そっか。なんだかすごい人みたいだね」

 「でも、少し寂しそう。年に何度かしか会えないなんて……」

 「……うん。寂しくなるときもあるよ。でも僕は素晴らしい父上を持ててすごく幸せだと思ってる。……それじゃ、そろそろ行かなくちゃ。特別な措置をしてくださったMs.を長く待たせるわけにはいかないからね。楽しいクリスマスを」

 小さな笑みを浮かべ、軽く手を振ったは四人に背を向けてホグワーツへと歩みを再開する。
 気づかれない程度にいつもよりも少し速く。
 後方からはに「Happy Christmas!」と叫ぶ声や、ホームに残ったほかの生徒に話しかける声が聞こえている。



 やがて遠のく声と、近づくホグワーツ。
 の足は迷うことなく北塔へと向かう。
 複雑な思いが胸を埋め尽くす。

 の手が北塔の研究室の扉を数回ノックした。
 すぐにの柔らかい声がして扉が開いた。
 は既に帰宅する準備を終えたようで、部屋の中はいつも以上に綺麗に整理されていた。
 ソファに腰掛けるの足元には小さくまとめられた荷物が置いてある。
 を自分の傍に呼び寄せる。

 「……少し疲れているみたいね、

 の向かい側に腰掛けたは、紅茶のカップを受け取った。

 「そんなことは……」

 そう言いかけただったが、全てを見透かしたようなの目に見つめられ、言葉を呑み込んだ。

 それでも最近は、この時代のと元の時代のが重なって見えることがほとんど亡くなった。
 をしっかり認識できたんだろうな……
 どの時代にいてもなんだってそう思えるようになったんだろう。

 は、自分の前に置いた紅茶のカップの横に白い陶器で出来た小さな壷を渡した。
 が首を傾げながらふたを開けると、そこには銀色に輝く砂のようなものが入っていた。
 細かい粒子は、俺が鼻を近づけて臭いを嗅ごうとするだけでふわりと宙に舞い上がってしまう。鼻の奥をくすぐられるような感覚に俺は陶器から鼻先を逸らして小さくくしゃみをした。
 もそんな俺の姿を見て声を立てて笑う。

 「母上、これは?煙突飛行粉のように見えますが、少し違うような気が……」
 「そうね。煙突飛行粉によく似ているけれど、これは私のお手製よ。『星見の館』はあの人が造ったもの。通常の屋敷と異なっていることはご存知でしょう? ……今は、留守にしても誰の目にもつかないように特殊な魔法を掛けているの。だから、その粉でしか魔法を越えて中に入れないのよ」

 の手にした陶器から粉を少量つまんだは、それをはらはらと指の間からこぼれ落とした。
 光線の加減によって白く見えたり銀に見えたりするその砂には魔力が込められているのであろう。の力がそれに惹かれるかのように湧き立っている。

 「興味があるみたいね、。屋敷に戻ったら調合表を差し上げるから作ってみてはいかがかしら。元の時代に戻る研究のヒントが得られるかもしれませんしね。……使い方は煙突飛行粉と大して変わらないわ。煙突の中でなくても使用可能ですけれど、煙突飛行粉を使用しているとカモフラージュするために私は煙突飛行粉と同じように利用しているわ。こうして……ひとつまみ、ぱらぱらと落としながら『星見の館』と唱えれば、それで完了、よ」

 既に飲み終えた紅茶のカップを片付けながらはそう言った。
 も自分の飲んだカップを研究室の流し台で丁寧に洗うと、棚の元の場所に戻し、荷物を手にした。

 「私と同じことをすればちゃんと『星見の館』に辿り着くわ」

 はそう言って荷物と一緒に暖炉の中に入ると、が両手で持った陶器の入れ物から砂を取り出し、暖炉の中にはらはらとこぼれ落とした。
 「星見の館」という呟きの終音との姿が研究室から消えたのがほぼ同時だった。
 ほんの少しの空気の摩擦によって出来た気流に舞う暖炉の中の灰が輝いて見える。

 はしばらく暖炉の中と砂を見つめていた。
 あまりにもが身じろぎしないものだから、俺は鼻先での足を押した。

 に心配されるぞ、

 「……あ、そうだね。行こうか、

 そうして暖炉の中に足を踏み入れただったけど、それでも何か深く考え込むような仕草を見せる。
 陶器から取り出したひとつまみの銀の砂は、の手の中に留まったまま、零れ落ちるのを待っている。

 何か気になることでもあるのか?

 「……うん、少しだけ。カナタと一緒に星見の館で過ごしたクリスマスの時に……僕らは煙突飛行粉を使って駅長室から星見の館に帰宅しただろう? でも、あのとき母上が持たせてくれたのは煙突飛行粉じゃなくて、この砂だったみたい……」

 何度か陶器の中の砂をつまんでは落としつまんでは落としを繰り返していたは、一度勢いよく息を吐き出した。

 「行こうか。この先は冬休み中にゆっくり考えることにするよ」

 の指の腹がこすり合わされ、はらはらと銀の砂が零れ落ちた。
 柔らかなの声が「星見の館」と告げた直後、ふっ、と重力に逆らうように体が軽くなる感覚を覚え、俺は目をつぶった……















 「時と時の狭間、星見の館へようこそ、

 全身に重さが戻ってきてすぐに目を開けた。
 そこはいつもと同じ、の書斎兼仕事場だった。
 全宇宙の星が映し出された天井、床、壁……何も変わっていない。ほんの少しだけ、隣にいるの心がざわめいている。

 「……と言っても、貴方には馴染み深い場所なのかしら」

 先に到着していたは笑顔で俺たちを出迎えてくれた。
 が暖炉から星一杯の床へと移動し、その後に俺が続いた。すぐには書斎の入り口を開けて、広間に足を向けた。中央の螺旋階段と、その先に続くいくつも並んだ部屋……
 自然と俺たちがいつも使っている部屋へと視線が向く。
 けれどの部屋からは不思議な力が湧いていた。ずっとそこを見つめていると気分が悪くなっていく。なんだか近づきたくない。そんな風に思わせる何かが働いているようだ。
 もそれに気付いたのか、眉をひそめて扉を見つめている。

 「……あそこにが?」
r  「ええ。強力な呪文で時を止め、不必要に立ち入らないようにしているの。今はまだ目覚めの時ではない。貴方を一人にしてしまうから、この屋敷の設備は厳重にしてあります。最初に告げた通り、此処は時と時の狭間。通常の人間は足を踏み入れることも中の様子を感知することも出来ない、時間と時間の狭間に漂う場所なの」

 そう言った後、を連れて階段を上った。
 階上につくと、やはりの部屋のほうからは気持ち悪い感覚が漂ってくる。

 「環境を変えるのは好きではないのですが……この時代の貴方が眠っている部屋を解放することだけは出来ないから、書斎としてはこちらの部屋を使ってくださいな。いくらか書物が置いてありますけれど、生活には困らないと思います。寝室は階下に用意するわ。何か美味しいものでも準備するから、それまで荷物の整理などをしてゆっくりしているといいわ」

 の部屋から少し離れたところにある扉を開け、俺とをそこに通した。
 小さな机と椅子、ライトが準備されている広くて明るい部屋。並べられた大きな本棚の中には分厚い本が何冊も収納されていた。
 此処は、俺たちがいた時代にはたくさんの本で埋め尽くされた書室の一つだ。

 「ありがとうございます、母上」

 満足げに頬園んだは部屋の扉を静かに閉めた。
 会談を降りる足音と長いスカートの衣擦れの音がだんだん遠ざかっていく。
 は床に腰を下ろし部屋を見回している。
 俺がの隣に腰を下ろすと、は俺の首に腕を回して状態を俺の体に預けた。

 「時と時の狭間、か。ずっと此処で生活していたのに、僕は星見の館のこと、何も知らなかったんだね」

 の頬が俺の鼻先に売れる。細い指が俺の毛や耳を弄ぶ。
 ホグワーツから持ってきたわずかな荷物は床に無造作に置かれたままだ。
 はただ星の瞬く天井を見上げているが、不安に心がざわめいているのか、何度も溜息が漏れる。

 ゆっくり休もう、。此処ならホグワーツのように気を張りつめていなくてもいいんだから。思いっきり寝てとたくさん話をして……きっと少しくらい何もしない日があったって誰も何も言わないさ。

 「…………ありがとう、。少しだけゆっくり休んでもいいのかな。早く元の時代に戻らなくちゃならないのはわかってる。だけど、ほんの少しだけ……」

 の溜め息と階下からの名を呼ぶの声がほぼ同時に聞こえた。






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 冬休みに突入しちゃいました……