日常のヒトコマ
夢だ。
すぐに気がついたが、あまりに温かく甘美なものだったので、俺はそのまま夢を見つづけることにした。
小さな俺と、一緒になって暖炉の前に寝そべる紅い鬣の誰か。
顔はよく見えないけれど、同じ匂いがして温かい。足の間に俺を座らせると、優しく毛繕いをしてくれる。
そんな俺立ちを微笑んで見守る人間の気配……温かくて、安心できる場所。
……だから、これは夢なんだ。甘い、甘い夢。
俺は両親を覚えていない。自分以外に紅い獅子を見たことが無い。
揺れる炎。
まどろみの中、頭の片隅でそんなことを考えるが、俺の父親のような存在はなおも俺の体を優しく舐め続け、尾を軽く振っている。
「……、」
の声が聞こえる。
父親からのほうへ行こうと体を動かす俺と、ついてくる父親。
触れていた温もりが離れた、と同時に俺は現に引き戻された。
大きく欠伸をし目を開くと、紅い瞳で口元に笑みを浮かべたと目が合った。
「起こしちゃったかな。まさかあんなにぐっすり寝ているとは思わなくて、いつもみたいに呼んじゃった。もう少し寝たい?丁度冬休みの宿題が全部片付いたから、外に行こうかなって思ったんだけど……どうする?今日はクリスマスだし、丘の上から街を眺めたらきっと綺麗だろうなって」
顎、耳、首筋を撫でながら、は微笑んでそう言った。
机の上にはきっちり整理された教科書と羊皮紙の束。
もう一度大きく欠伸をした俺は、立ちあがっての足を扉に向けて押した。
一緒に行くに決まってるじゃないか、。
時計の針は午後四時半を差していた。
は冬用の分厚いローブを羽織るとドアノブを回した。
「ずいぶん気持ちよさそうに眠っていたけれど、どんな夢を見ていたの?」
不思議な夢さ。会ったことのない父親と一緒に暖炉の前でまどろんでた。俺たちを微笑んでいる人の気配もした。いつもの夢よりも甘美なものだったな……
俺がそう答えると、は小さく口元を緩めて俺を見た。
滅多に使用されることの無い玄関の扉を開けると、真っ白な雪が丘の表面を覆っていた。
風が冷たく吹いている。
「……夢ってね、眠っている間に脳が記憶の整理をする過程で見るものなんだって。その他にも、星からのお告げだとか、外界から何らかの影響を受けて見るものもあるんだけど……大抵の場合は自分の記憶の断片や思いが現れるんだって。だから、もしかしたらが忘れちゃっているだけで、実はそんな体験をしたことがあるのかもしれないよ」
ただの夢さ。そうでなかったら、きっと俺の願望だ。
でも、ずいぶん気持ちの良いものだったな、と俺は雪の上を歩きながら考えた。
ぼんやりとしか思い出せなくなった父親の温もり。
最近、ヴォルデモート卿が帰ってくるかもしれないと、が心を躍らせているからそれに影響されたのかもしれない。
ひらり、雪の上に何かが落ちた。
足跡で絵を描くかのように雪の上を歩き回っていたは、足を止めてかがみこんだ。
立ちあがったの手には白いものが握られている。
にかけより、拾い上げたものを確認すると、それは雪のような色をした封筒だった。
俺の仕草に気がついたは、封筒から視線を移し微笑んだ。
「イーノックからのお手紙だ。予想はしていたけれど、僕が星見の館から外に出ないといつまでも手紙は届かないみたい。僕が作ったインクの力じゃ、時と時の狭間まで移動できないんだ……」
やや日が翳り風が吹いた。
とすん、という音が立て続けに三回聞こえた。
雪の中に二つの小さな箱と、一枚の封筒が落ちている。
深く考え事をしながらイーノックの手紙を見つめていたが、音のしたほうに振り返り一番近くに落ちた封筒を手にした。
残りの二つの箱を俺が口にくわえの元へ持っていく。
さしずめ、クリスマスプレゼントとでもいったところだろう。
この丘から見えるマグルの街もなんだか色々な木や家が光っていて楽しそうだ。
「ヒューとイーノックからだ。どっちもクリスマスプレゼントとお手紙。……嬉しいな、こうして僕のことを思ってくれる人がいるなんて」
屋敷からつけてきた足跡をたどるようにしてが身を翻す。嬉しいのか足取りは軽やかだ。
心も踊っているみたいで、俺も嬉しくなってしまう。
足に力を入れて地を蹴ると、に追いつき、追い越して振り返る。
目を見開いて俺を見た後、もすぐに走り出した。
「あっ!、そっちは……」
ごつん
……と、鈍い音。激痛が走った。
甲高い悲鳴を上げた俺は、その場をくるくる走り回る。
「はしゃぎすぎて忘れちゃった?星見の館は外界から閉ざされた空間にあるってこと。外からは見えないんだ。でも、中から入り口を使用して出てきた人間だけは、屋敷のある場所を通りすぎてしまわずに入り口を見つけることが出来る、って」
急いで俺に駆け寄ったは、俺の頭の傷を確かめるよう優しく俺の首をまっすぐ自分のほうへ向けた。
体毛をかき分け、不安げな顔でぶつかった辺りを撫でている。
すっかり忘れてたよ、。
幸い大したことのない傷だったみたいで、に撫でられているうちに痛みはほとんど無くなった。
ほっと胸をなでおろしたは、何も無い空間を手で探る仕草をする。
何かをつかんだの右腕は、それをゆっくり回す。
扉が、開く。
俺たちは、何事も無かったかのように館に足を踏み入れ、扉を閉めた。
とたん、の心が波打った。
いつもと変わらず星が瞬いている空間で、がティータイムを楽しんでいるのか、奥の広間から紅茶とアップルパイの良い匂いがしている。
「お帰り、。雪遊びでもしていたのかい?ローブに雪がついているよ」
「父上!」
ぱっと目を輝かせた。広間へ向かって喜び勇んで進む。
黒い服を着たヴォルデモート卿の姿が、広間のソファの上に見えた。
沸き立つ喜びに心が踊っている……そんなは、歳相応に見えてなんだか微笑ましい。
「お帰りなさい、父上。随分早いご帰宅ですね。もっと遅くならないと会えないのかと思っていました」
「……日中と言うのは、使い方次第で動きやすい時間帯になる。覚えておくといいよ、。さ、ローブを脱いでソファに座るといい。君たちが驚くだろう動物を連れてきたんだ。きっとすぐ好きになる」
ヴォルデモート卿の声は優しい。
は素直な笑みを浮かべて返事をすると、ローブを脱ぎスタンドにかけた。
奥から焼き立てのアップルパイと紅茶を手にしたがやってきて、星見の館の住人全員が揃った。
が二人の間に入るようにしてソファに腰掛ける。
流石にこの三人の邪魔をするわけにはいかないので、俺はの足元に伏せて待つ。
の心が喜びに満ち溢れているのを感じて、俺もすごく嬉しくなる。
こうして三人が揃って笑顔を浮かべているところを、元の時代では見ることが出来なかった。
例え時代が違うんだとしても、家族と触れ合うのは大切なことだ。
「……さ、眠ってばかりいないで起きて姿を見せてくれ、」
名前を呼ばれて思わず顔を上げた。
俺は眠ってなんか……そう言おうとしたが、ヴォルデモート卿は俺ではなく、自分の膝の上を眺めていた。
も不思議な表情でヴォルデモート卿と同じところを見つめている。
彼の、真っ黒いひざ掛けがもぞもぞ動いた。
まず、鼻先だけがひざ掛けの下から飛び出した。
ひくひくと鼻を動かし、辺りの匂いをかいだ後でやっとひざ掛けから顔が飛び出た。
紅い、紅い姿。
大きな耳、だけどまだ長くない鬣。
ヴォルデモート卿の膝の上に納まってしまう程度の、小さな紅い獅子。
俺は自分の目を疑った。
……ここにいるのは……
「……?」
「そう、さ。まだ小さくて護衛とまでは行かないけれどね。そうだな……ちょうど君の連れていると同じ位まで大きくなったときに肉体の時間が止まるように魔法をかけてある。抱いてみるかい?」
ヴォルデモート卿が小さな獅子を抱き上げ、驚くの腕に渡す。
獅子はしばらくの腕の中からの匂いを確かめるように、鼻をひくひく動かして匂いを嗅いでいた。
それから安心した表情になり、欠伸をしての頬を舐めた。
笑顔を浮かべたの手が獅子の背を優しく撫でる。
我慢できなくなって俺はの膝に前足をかけ、顔を獅子に伸ばした。
、こいつは……俺、なのか?
「ふふっ。大きいも、小さいのことが気になっているのね」
紅茶を手にしたがの腕の中にいる獅子の額に軽く触れた。
俺は鼻を動かして小さな獅子の匂いを嗅ぐ。
……同じ匂いがする。
俺に気づいたのか、小さな獅子もの腕の中から顔を伸ばして俺の匂いを嗅ごうとしている。
の柔らかい笑い声が聞こえた。
「お互いに気になってるんだね。紅い獅子は珍しいから……そんなにもがかなくても、すぐ下ろしてあげるよ」
の膝の上に下ろされた獅子は、俺と鼻先を合わせた。
匂いをかぎ、それから大きな瞳で俺を見つめて首をかしげる。好奇心に満ち溢れた目だ。
頬を寄せ、下で俺の鼻筋や口の辺りを舐めた後、の膝の上から軽やかに降り立つと俺のおなかのあたりにすっぽり丸く収まった。
顔を摺り寄せ、眠たそうな表情で何かをねだるように俺を見る。
どうしたら……いい?
俺は困り果ててを見た。
「やだな、。そんなに困った顔をしないで。大丈夫、小さいはと一緒にいたいんだよ。ほら、ニトと同じさ。戸惑う必要なんてないよ」
笑って俺の背を撫でる。
俺は小さな獅子をじっと見つめた。
所々くしゃくしゃになった体毛を気にすることもなく、なおも顔を俺の体にこすり付けている。
……小さな、俺。
多少の戸惑いはあったものの、俺はそっと小さな獅子の鼻筋を舐めた。
すると獅子は満足そうな顔をして俺を見た。いや、もっとと言われているような気がする。
「……頭の良い獅子だよ。今はまだ小さくて純粋過ぎるけれどね」
「は僕の大切なトモダチなんです。いつでも僕のことを心配してくれて、いつも一緒にいてくれて……には本当に感謝しています」
「君の護衛にしようと思った僕の目に狂いは無かったってことでいいのかな、それは」
ソファの上からは三人の笑い声が聞こえてくる。
小さな獅子も耳を動かして声を聞いている。
全身を毛繕いしてやると気持ちよさそうな顔をする。これが俺なのかと思うと苦笑するしかないのだが、自然と慈しみの心が溢れてくる。
「……そう言えば。ここへ来るときにテーブルの上に置いたものはなんだい、。なんだか大切そうに持っていたけれど」
「テーブルの……あ、あれは友人からの手紙です。宛名を書くと相手のところへ運んでくれるインクを調合してみたんですが、流石にこの屋敷の中にまでは運べなかったみたいで……僕が外に出たところへ降ってきたんです」
「なるほど……ホグワーツの友人、ね」
ヴォルデモート卿が軽く杖を振る。
テーブルの上にあった二通の手紙が俺たちの頭上を通って彼の手の中に収まる。
差出人の名前を見ながら、ヴォルデモート卿はふと眉をひそめた。
「ヒュー・ノードリーとイーノック・フィルマー……どっちもスリザリンの寮生かい?」
「ええ。ヒュー・ノードリーは現監督生で、イーノック・フィルマーは新入生の一人です。この二人のおかげで、僕はこの時代のホグワーツでも不自由無く生活できています。二人とも、とても大切な友人です」
ヴォルデモート卿は封筒の表と裏を丹念に眺めた後、それをの手に渡した。手紙を受け取ったは大切そうにそれをしまう。
足の間の小さな獅子は、もぞもぞ動いて俺が顔を上げて毛繕いを止めたことに抗議している。
わかったって、そんなに怒らなくてもすぐに再開するよ。
俺はまた視線を小さな獅子に戻し、全身を丁寧に舐めてやる。が俺の体をブラッシングしてくれるときみたいに優しく、丁寧に。
「そうか、今日はクリスマスだものね。キリストの降誕祭には興味無いけれど、僕からも君に贈り物をしよう」
すくっと立ち上がったヴォルデモート卿は、の前に立ち杖を取り出した。
が首を傾げてヴォルデモート卿を見つめている。
は満足そうな笑みを浮かべ、飲み終えた紅茶のカップを片付けに行った。
「形あるもの、では無いけれど、それよりずっと君の身に役立つだろうし、君を守ってくれるだろう。目を瞑ってごらん。すぐにすむ。が、どの時代にいても僕の息子で僕の後継であることを誇りに持つように……」
が目を瞑る。
何事か呪文を唱えたヴォルデモート卿の杖の先から柔らかい黒い光が現れる。
一瞬を包み込んだその光は、すぐに鳩首されるようにの周りから消えたが、代わりにの首筋に何か印が現れた。
それはあざのようにも見えるもので、黒い猫の形をしていた。
魔法が収まったのを知ったが目を開けると、ヴォルデモート卿は口元を緩めた。
「実感はすぐには沸かないかもしれない。でも、何時でも今の魔法が君を守ってくれる」
「……今日、父上に会えただけでも、僕にとっては十分過ぎるほどなのに……」
高鳴る鼓動と波立つ心情。
流れ込むの感情は、ヴォルデモート卿への複雑な思いだ。ずっとこのまま家族三人で過ごせたら良いのに……と願ってやまない。
この先それが実現するためには大きな壁が待ちうけていることを知っているから、は戸惑っている。
足の間の小さな獅子が、いつのまにか寝息を立てていた。
まだあどけない子供。だって、もっとやヴォルデモート卿に甘えて良いはずだ。
せっかく家族全員揃ったんだから……
「君は欲が無いんだね。もっと欲を持ってもいいくらいだ。……本当はね、ホグワーツなんて息苦しい場所にはもも行かせたくないんだ。でも、僕の計画は大きくて長いものだから、君たちのみは極力最後に僕が帝王になるまで、計画から遠ざけておきたいのさ。さて、ダイニングルームに行っての手伝いでもしようか。ホグワーツのクリスマスのご馳走よりずっと美味しいよ」
広間のさらに奥へととヴォルデモート卿が向かう。
眠ってしまった小さな獅子の首をくわえると、俺も二人の後に続く。
ここをつかむとおとなしくなるって、がニトを抱くときに教えてくれたんだっけか。
小さな獅子は一度だけ小さく唸ったが、それきりまた夢の世界に戻っていったようだ。
ダイニングルームではが大きな皿に料理を盛り付けていた。
「さっきの有色液体、どんな調合をしたんだい?時の狭間まで運ぶ効力は無いにしろ、随分よく出来ていた」
「乾燥したハコベの花の粉末を人肌程度のお湯で練ります。そこに細かくした月毛の馬の毛を加え、よく捏ねた後板状にして乾燥させ、砕いて粉にしたものを黒色インクで溶いたんです」
「なるほど。ハコベ本来の力に、月毛の馬の毛を合わせて効力を強くしたんだね」
皿の料理のひとつを口に含みながらヴォルデモート卿が満足げな顔をした。
が困った顔で笑み、もうひとつ、と手を伸ばすヴォルデモート卿の手を皿の上から軽く払いのける。
「いいじゃないか、。君の料理はすごく美味しいんだから」
「つまみ食いばかりしていたら、夕食の前に食事が全部無くなってしまうわ。それよりテーブルに運んでくださいな。、あなたも手伝ってくれるかしら」
食卓の中央にはいろとりどりのドライフルーツで飾り付けられたダークブラウンのクリスマスケーキが存在感たっぷりに置かれていた。
十月の終わり頃から、甘いお酒に浸して手間をかけて作り出されるイギリスのクリスマスケーキ。
甘ったるい匂いだけでも酔ってしまいそうだ。
小さな獅子が起きた。
俺の足元から離れ、食事を運ぶの足元に絡む。それを見て満足げな顔をするのはヴォルデモート卿だ。
暖炉の前に寝そべった俺は三人の姿をじっと眺める。
きっと、何処にでもいる普通の家族と何ら変わりないだろう、幸せそうな三人の姿。
何より、がこの状況を心から喜んでいることに、俺は口元を緩めずにはいられない。
この時代に来た最初の頃はどうなってしまうんだろうと不安だったけれど、全てが全て悪いことばかりでもないようだ。
「今年はいつもより豪華なんだね」
「がいるんですもの。三人で過ごす休暇がまさかこんなに早く来るなんて思っていなかったわ。がこの時代にいる間、私たちとの生活を楽しめるように少し手間をかけてみたの。果実酒でいいかしら?には、果実水を用意してあるわ」
「君が準備するものならなんでも。いつもよりずっと楽しそうに準備してるみたいだしね、」
ぐるぐる喉を鳴らし三人の会話に参加しようとする小さな獅子。
食卓を埋めるたくさんのご馳走と席につく三人の笑顔。
これもきっとこの家族のひとつの姿なんだろう。
何処にでもある日常、誰にでも訪れる幸せ。……たとえこの先の事を知っていたとしても、今はこの幸せをかみ締めるべきだ。
俺も小さく喉を鳴らした。
小さな獅子がすぐに俺の元にやってきて、耳元でぐるぐると喉を鳴らす。
舌で小さな獅子の体を舐めてやり、俺は立ちあがってたちの足元に移動した。
後ろをついてきた小さな獅子が空いている席に飛び乗ろうとするのを引きとめ、足の間に座らせる。
やや不満げな声をあげる小さな獅子に、俺は伝わるかどうかわからないけれど声を出してみる。
幸せな三人の邪魔をしちゃいけないよ。俺たちの定位置はここなんだ。
大きく丸い目で俺を見た小さな獅子は俺の鼻筋を舐めた。
脚の間にきっちり収まると、上部の会話に耳をすましているようだ。
「明日は銀の砂の調合方法を教えてあげるよ。時間があれば、いくつか簡単な魔法も。きっと君の役に立つよ、。屋敷の中でならいくら魔法を使ってもホグワーツに知られることは無いから、安心して練習していいよ」
「本当ですか?すごく楽しみです」
三人の笑い声は些細な日常に過ぎないけれど、俺の心は満ち足りていた。
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温かい家族の姿。