Full Moon
ヴォルデモート卿が屋敷から去った後、クリスマス休暇はすぐに終わりを迎えた。
星見の館の暖炉から、今度は普通の煙突飛行粉を使ってホグワーツに戻る。
実家へ帰らず寮に残っている生徒もちらほら見られたが、大半は家族とのクリスマスを楽しむために帰宅したようで、ホグワーツ行特急が到着するまで、城の中はがらんとした状態だった。
北塔の研究室に到着したは、と少しのティータイムを楽しんだ後、荷物を持って寮に戻った。
多くはない荷物の大半が、備え付けの本棚に入りきらないんじゃないかと思うほど大量の新しい書籍で、が苦労して本棚に並べている。
それがやっと終わると、テーブルの上にコーヒーの入ったカップを置き、しばしの休憩だ。の邪魔をしないようにそっと隣の椅子に飛び乗って、俺はの膝に上体を乗せる。暖房はあるけれど、やっぱりこうしてくっついているのが一番温かい。
「なんだかあっという間に過ぎた休暇だったね」
俺の喉元を撫でながらがつぶやいた。その視線はどこか遠くを見つめている。
ヴォルデモート卿の顔との顔が浮かぶ。
暖かい家族の姿を俺たちは初めて知った。どの家庭よりも一番温かくて一番やさしいの家族。
「でもなんだか変な感じ。ホグワーツの寝台ってこんなに小さかったんだね」
一人用の寝台を見ながら困ったような笑みを浮かべる。
星見の館の寝台は、のとヒューのとをあわせたよりもずっと大きかったな。
「あれ、。僕らよりも先についてたんだ」
扉が開いた。
大きな荷物を抱えたヒューが部屋の中に入ってきた。
顔を上げたはヒューを見ると笑顔を浮かべ、すぐにもうひとつのマグカップを用意するとそこに熱いコーヒーを注いだ。
早速荷物を寝台の上に広げたヒューは、けだるそうに髪をかきあげながら、を挟んで丁度俺の反対側に腰を下ろした。の入れたコーヒーに手を伸ばす。
「あけましておめでとう、って言えばいいのかな?でも、冬休み中にも会ってるから、なんだか変な感じがするね」
「まいったよ、本当に。今日は出発の日だ、って言ってるのに子供たちが僕のことを離さなくてさ。孤児院の敷地から出るまでにものすごく体力を消耗しちゃったよ。おまけにホグワーツ行特急に乗り遅れそうになって、慌てて駆け込む始末だしさ」
「お疲れ様、ヒュー。でも、それにしてはすごく楽しそうな顔してるけど?」
「そりゃそうさ。退屈な孤児院からホグワーツに戻ってこれて、おまけにと同じ部屋でまた生活できるんだから。笑顔にもなるよ」
口端を上げて笑うヒューに、は照れた笑みを返した。
「しかし……あの荷物をどうしようかな」
ヒューの寝台の上にはおさまりきらないくらい大量の荷物が広げてある。
どうやら、孤児院の子供たちからのプレゼントみたいだ。いかにも手作りのものがたくさん散らばっている。
「なんだかホグワーツを出たときよりもたくさんになってるみたいだね」
「これも持っていけ、あれも持っていけ、っていろんなものをくれるんだよね。僕がどんな生活をしているのか彼らは理解していないけど、とりあえず遠くに行ってしまってしばらく帰ってこないっていうのはわかっているから、ありったけのものを持たせたがるんだ」
そう言うものの、ヒューの表情はやさしい。も笑みを返している。
「今日徹夜しても片付け終わらないかもしれないな……」
ヒューは盛大なため息を吐いてつぶやくと、コーヒーを口の中に流し込んだ。しばらくヒューと荷物の山を見ていたは、そのうちそうだ、とひらめいたようにヒューに笑顔を向けた。
「今日は僕の寝台で一緒に寝ようよ、ヒュー」
「え、な、なんて?」
あまりに予想外の発言だったのか、口に含んだコーヒーを噴出しそうになりながらヒューがを驚きのまなざしで見つめた。ヒューの様子を見て笑いながら、は柔らかい笑みをヒューに向けた。
「ちょっと狭いかもしれないけれど、ヒューは細いから大丈夫だよ」
「……、さてはまた外に出るつもりだろう?」
は笑顔を浮かべたままだったが、鋭いヒューの視線にばつが悪そうな顔をした。
外に行くのか?
冬の夜はとても寒いっていうのに、ホグワーツに帰ってきたとたんこれだ。は右手で髪をかきあげると、唇に人差し指を当てた。
「ヒューにはかなわないな。内緒にしてくれる?」
ふふっ、と透明な声を出して笑うに、ヒューは困った顔をして、でもやさしい笑みを見せる。
それがきっと二人の間の暗黙の了解なんだろうな、と思う。
だけどこの寒いのに何でわざわざ外に出たがるんだろう。不思議でしょうがない。
でもその答えは外に出てすぐにわかった。
真っ暗な空に宝石のように浮かぶ満月。
星の光が地上に届くのを妨げるくらいに自分の存在を大きく示す月の姿に、は目を奪われていた。吸い込まれそうな空をじっと見つめ続ける。
はこれが見たかったんだ。
「月だって星なんだよ。地球の周りを回る衛星。空気が澄んでいるから、今日の月はいつもより輝いて見えるみたい」
より暗い場所を求めて、は禁じられた森のほうへと歩みだす。少しずつ、少しずつ。
満月の日といえば、奴らがまた散歩をしているんじゃないだろうか、と俺は心配しているが、は気にする様子がない。
もしもホグワーツの四人がまた抜け出して来ていたらどうするんだ?
俺の顔は少ししかめっ面だったのかもしれないな。俺に顔を向けたが、目と目の間をやさしく指を回すように撫でた。
思わず目をぎゅっと閉じると、かすかな笑い声が冷たい空気を震わせる。ははしゃいでいるみたいだ。
「出遭ってしまったら……そのときに考えようかな。彼らがあくまで動物であり続けるのならば、僕も彼らを動物として見続けると思う」
少しは吹っ切れたんだろうか。それとも心が安らいでいるんだろうか。の笑顔はまぶしい。月と同じくらい輝いている。
クリスマス休暇はにとって、この上なく幸せな休暇になったようだ。
ヴォルデモート卿と魔法を研究していたことにより、元の時代に変える研究も進んだのだろう。
でもたぶん……ああやって、生きている時代は違えど本当の家族と一緒になって過ごした時間と言うのがにとって一番の安らぎを与えたんじゃないだろうか。
月や星たちは夜空を彩っている。俺には聞こえないその声が、には聞こえているんだろう。
いったい、何を話しているんだい、。そんなに笑顔で。
「ね、。どの時代にいても変わらないものって何だと思う?僕は今それを探しているんだけど、とても難しいんだ。星たちは笑うだけで教えてくれないし……」
立ち止まったが空を見上げながら俺に呟いた。
そこは禁じられた森に程近い場所。森の中に入ってしまうと背の高い木に覆われて星が見えなくなってしまうから、とは森の手前で足を止めた。
森のほうから、獣のにおいがする。身を構える俺にも視線を地上に戻した。
このにおいを俺は知っている。だからあまり警戒しなくてもいいのかもしれない。でも、そういう甘えが命取りになるのかもしれない。だから、の前に出て俺はやってくる敵を威嚇する。
がさり、と動いた草むらから、まず最初に飛び出してきたのは黒い犬だった。きょとんとした顔でを見つめ、警戒しながらに近づいてくる。
「こんばんは、黒わんわん」
笑みを浮かべたが、そっと右手を前に差し出すと、黒い犬はその右手のにおいを何度もかぎ、最後に舌を出して少しだけ舐めた。
が笑い、その手を犬の首筋に当てる。
そこからだんだん彼の頭のほうに腕を持っていき、全身を優しく抱きしめるように撫でている。
の愛撫に気分を良くしたのか、犬は草むらを振り返り一言ほえた。
するとまた草むらが音を立てて揺れ、今度は大きな鹿が現れた。その後ろに、警戒するように付いてくるオオカミの姿がある。ねずみはどうやら鹿の首にしがみついているようだ。
(やっぱり出遭っちゃったね)
は笑いながらそれぞれの動物に挨拶をし、お辞儀をし、そして手を差し出してその体を優しく撫でていた。
「君たちもまたお散歩?僕は今日ホグワーツに帰ってきたばかりなんだ。明日からまた学校が始まる。その前にこんなに綺麗な満月が見られるなんて、今年は運がいいのかもしれないな。……今日は、この前よりもお友達が増えているんだね」
の綺麗な手にねずみが乗る。
まだものすごく太ったわけではないけれど、どこか動きの遅いねずみ。震えて縮こまっているその背を、の指が軽くなぞる。鼻先をくすぐるように指を動かすと、ねずみは必死に首を横に振り、毛づくろいを始めた。それは、無邪気で愛らしく思える。
一瞬未来のぼってりしたねずみの姿とその姿が重なったが、すぐにそれは半ば無理やりかき消された。
やっぱり、考えないなんて無理だよな。
「満月の夜によく会うよね。満月は君たちを呼び寄せているのかな?」
は笑う。動物たちはただの言葉に耳を傾けている。
でも決して俺には近づこうとしない。俺が、に少しでも危害を加えようとしたら飛び掛る構えだって言うのがわかっているのだろう。彼らは俺とは一定の距離を保ち続けている。
「君たちにそっくりな僕の友達がいる。好奇心旺盛で何でもやってみないときがすまなくて。でも頭はいいんだよね。悪戯ばっかり。……そうだな、さしずめ君はシリウス・ブラックってところかな、黒犬君。大きな牡鹿はジェームズ・ポッター……オオカミは、リーマス・ルーピン、ねずみがピーター・ペティグリューってところかな。そういう名前のね、子達なんだ。面白くて見てて飽きないよ。ずっと一緒にいたくなる。でもそれは出来ないことで……」
「どうしてっ?!」
突然の少年の声。の腕に擦り寄っていた黒い犬が、音を立てて人間の姿に戻る。
の目の前に膝をつく格好で座ったシリウス・ブラックはに詰め寄っているみたいだ。
「えっ?!シ、シリウス……」
驚いたのは俺たちのほうだ。は心底驚いた表情でシリウス・ブラックを見つめ、他の動物たちは呆れた顔でシリウス・ブラックを横目に見ている。
すぐにオオカミ以外の全員が人の姿に戻った。おびえたオオカミはと触れ合うことで人間がこれだけいるにもかかわらず、おとなしくなっている。
「どうして君は何も考えずに正体をばらしちゃうんだい、シリウス!もうシリウス改めバカ犬でいいよ、ほんと」
「え、あー!!ご、ごめんっ!の言葉が気になっちゃってつい……」
「つい、って言葉じゃ済まされないんだよ、バカ犬!どーするんだい、こんなところでホグワーツの教員たちに見つかっちゃったら、僕ら退学処分になっちゃうよっ!!」
いきなり空気が騒がしくなる。が困った笑みを浮かべて二人のやり取りを見ている。
ジェームズのローブのすそを掴んでおびえたようにこちらを伺っているのがピーターで、の横ではオオカミのリーマスが不思議な顔をして三人を眺めている。
「……星が、笑ってる」
が小さく呟き、声を出して笑い始めた。
やっと自分たちのおかれている状況に気付いたのか、罰が悪そうに口げんかをやめたシリウスとジェームズがのほうに振り返った。
「まさか、君たちだったなんて思いもしなかった」
はそういったが、彼らは怪訝な目をしてを見つめている。
「嘘だ!ぜーったい、は俺たちのことわかってたぜ?!そうじゃなきゃ、何で俺たちの変身した動物と名前を一発で当てられるんだよ」
「だって、雰囲気がそっくりだったもの」
「問題はそこじゃないんだよ、シリウス。ねぇ、、もちろん僕らのこと黙っててくれるよね?僕らは悪戯がしたくてこうして外に遊びに来たわけじゃないんだ。君に出会ったのもまったくの偶然。僕らはただ……」
「……わかってる。みんなでお散歩がしたかっただけでしょう?」
「そう!そうそうそう!そうなんだよ!」
「……僕も、そうだから」
が声を出して笑うと、やっと他の三人の緊張もほぐれたのだろう。彼らも同じように声を出して笑い始めた。
しばらくホグワーツの暗闇に笑い声が響き渡る。
「……でも、やっぱり知ってたの?」
おずおずと聞いたのはピーターだった。は困った顔をして小さくうなずいた。三人の目がに釘付けになった。
「最初に会ったときから、わかってたんだ。動物もどきになるなんて、すごく高度な魔法だから、まさかまだ4年生の君たちに出来るのかどうかは疑わしかった。でも、ジェームズもシリウスも魔法の能力は随分高いみたいだったから、君たちならもしかして、って思ったんだ」
「なんだ、そうだったんだ。でもそれならどうしてちゃんと話してくれなかったんだい?」
「それはお互いの利益のためさ。僕だってこうして夜中に抜け出してきていることを先生方に話してほしくなかったし、君たちだって先生方に知られたら困るだろう?だから、最初のうち僕はただ森の動物とであったように装ったんだ。今日もそうするつもりだったんだけど……まさか、君たちのほうから姿を現してくれるとは思わなかったな」
は無邪気に笑う。
頭上には満月が輝いている。澄んだ星空、地上にはまだ雪が残り、息は白く姿を現す。
ここには俺たちしかいないんだろうな。俺たちを見て、星や月は何を思っているんだろう?俺にはやっぱり何も聞こえない。やとは違うみたいだ。
「動物もどき、か。僕は試したこと無いな」
「え、そうなの?」
「うん。動物になるなんて考えたことも無かったし、魔法省に登録しなくちゃならない。そんな面倒なことをして自分の記録を残す気にもなれなくて……どうかした?」
彼らはばつが悪そうな笑みを浮かべていた。
「僕たち、実は無登録の動物もどきなんだ。今度にもやり方教えるよ。君ならすぐにマスターするはず。今度は一緒に動物の姿で散歩しようよ」
「動物の姿……それも、面白いかもしれないね」
は小さく笑った。が変身する動物ってなんだろう?
「あ、そろそろ帰らないと」
「そうだ、明日に支障が出る」
「……リーマスも眠そうだ」
月の位置はさっきよりも少し西に移動している。俺たちもそろそろ帰ったほうがよさそうだ。満月の日の出会いは、そう悪いものでもなかったのだろう。変身してホグワーツに戻ろうとする彼らと別れ、はゆっくり寮へ足を向ける。
それにしても、月が綺麗だ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
やっとクリスマス休暇が終わった。