切り取った風景
羊皮紙を見つめながらが首を横に傾げている。
片手にコーヒー、片手に羊皮紙。小さなあくびが俺にもうつる。口を開いてあくびをすると、がそれに気がついて笑みを浮かべた。
の隣の寝台では夢の中を漂っているヒューが寝返りをうっている。昇ったばかりの朝日を窓から眺め、はほんの少し難しい顔をする。
の横の椅子に飛び乗り、の腕の下に顔を潜り込ませると、羊皮紙を覗き込んだ。
そこに書いてあるのは、がよく使う‘獣帯十二宮図’みたいなものと、たくさんの文字。左上と右下にそれぞれ、英語に近い文字が書いてあるけれど、それ以外は絵にも見えるような不思議な文字。俺には何がなんだかさっぱりわからない。
せっかく覗いてみたけれど、何が書いてあるのか理解不能だったので、諦めての顔を見上げた。
は俺を見て微笑むと鼻筋を優しくなでてくれた。コーヒーのいい香りがする。
「……天体のね、力を借りたいんだけど、どうしても文字に魔法を埋め込むのには限りがあるんだよね。ラテン語を使ったり、ルーン文字を使ったり……いろいろ魔力の込められる言葉を使ってるんだけど、やっぱり人が開発した言葉だけじゃ、天の力を引き寄せるのは難しいみたい。……なにか、別の手がないか考えてるんだけど、思い浮かばないんだ」
あくびとともに大きな伸びをしたは、羊皮紙を丸めてローブの中にしまい込んだ。太陽の位置がさっきよりも少し高くなる。そろそろ朝食の時間だろうか。
掛布が取り除かれる音と、ため息まじりのあくびの音。寝癖の付いた髪の毛をなで回しながら、ヒューが目を覚ます。
それが、いつもの光景になってきた。
焦りを覚える心。戸惑う感情。俺たちは、ずいぶんとこの時代の生活に慣れてしまったみたいだ。
「おはよう、ヒュー」
「……おはよう、。いつも早いな」
何気ない挨拶、何気ない笑顔。
帰る方法について、本当は魔法のこと、少しでも俺が理解できればいいんだけど。そうすればの手助けがもっとできるのに。でもは何にも言わない。ただ俺に向かって微笑んでくれるんだ。
分厚い冬用のローブを着込んだヒューが、の手からコーヒーを受け取る。の向かい側の椅子に腰掛け、俺にもおはよう、と挨拶をする。応えるように低くうなると、ヒューは満足げに目を細めるんだ。
「今日の授業は?」
「……さぁ、なんだったかな。あ、でも、確かグリフィンドールと合同の授業だったような」
「魔法薬学かなにかかい?」
「そうだったかも。朝一番に魔法薬学なんて、きっとイーノックだったら不機嫌になっちゃうよね」
「最悪!とか叫んでそうだな」
「ふふっ、ヒューったら、イーノックのまねがうまいんだね」
柔らかいの笑い声とヒューの笑い声が部屋の中に混じり合う。
今日もまた、一日が始まる。
グリフィンドールとの合同授業、魔法薬学。
右と左にきっちりスリザリンとグリフィンドールの生徒が分かれて座っている。
そんな授業なんだけれども、の隣にはジェームズ・ポッターの姿がある。もちろん、そばにはグリフィンドール四人組の顔が見える。
それはいつもの授業風景と変わらないのだが、彼らの様子はいつもと少し違っていた。
顔中、体中、髪の毛からローブまで、全身にわたって絵の具のような色の付いた何かがはねているのである。誰かに落書きされたんじゃないかというくらいに。
「ど、どうしたの?その姿。四人揃って、まるでピエロかなにかみたい」
色とりどりに着色された四人は、それこそサーカスかなにかにでてきそうだ。一番不機嫌な顔をしているのはジェームズで、次にシリウスが続いた。一番被害が少ないのはピーターみたいだ。リーマスはチョコレートのかけらを口に入れながら呆れた顔をしている。
「朝っぱらからリリーにちょっかい出したジェームズが悪いんだ!」
「なんだって?!君たちだって楽しんでたじゃないかっ!」
「今更言い訳したって、結局僕らがリリーを怒らせたことに変わりはないよ、ねぇ?」
髪に付いた緑色のインクを指で取り除こうと躍起になるジェームズ。グリフィンドールの端の席を見ると、ずいぶん不機嫌な顔をしたリリーの姿が目に入った。
二人の姿を見つめ、はまた笑った。
「朝からリリーにちょっかい出したの?」
「だって、僕の愛しいリリーったら、朝早くから談話室で絵の具広げて絵を描いてるんだ!僕としてはとても気になるじゃないか。もしかしたら僕たちの将来を描いていてくれているのかもしれないしねっ!」
「……それで、絵の具まみれなんだ」
「ちょっと後ろから声をかけただけだったんだよ?ま、そのときにリリーが一生懸命描いていた線がひどく曲がったみたいなんだけどさ。振り向いたリリーは全身をわなわな震わせて、そりゃもう……」
「周りにいた僕たちにも被害がでたよ。リリーったら、自分の持ってた絵の具、僕たちの上に勢いよくひっくり返したんだもの」
「あれは、相当怒ってたよね」
「今までの我慢も全部ぶちまけるって感じだったね」
絵と聞いてが一瞬動きを止めた。何か思い当たる節でもあるのだろうか、頭の中いっぱいにいろんな絵画が広がる。
「ふふっ、それでそんなにいろんな色が混じってるんだね」
「朝だったからお風呂で洗い流すこともできなくってさ、これでも顔に付いたのとかはがんばって落としてきたんだよ?」
「絵、ねぇ」
「何かの課題っぽかったんだけどな。絵を描く授業なんてあったっけ、って思ってるんだよね」
「ま、あんまり女の子の秘密を探るようなことはしないほうが懸命なのかも」
「ジェームズはリリーにつきまとい過ぎなんだよ」
「押してだめなら引いてみろ作戦、リリーにも適用したらどう?」
「……先生で失敗してるじゃないか、押してだめなら引いてみろ作戦は……」
相変わらずの騒がしい会話。
そのうち魔法薬学の教師が教室に入ってきて、彼らのおしゃべりは中断された。
教科書と羊皮紙を覗き込みながら、時折の頭の中に浮かぶ絵画。
はいったい何を考えているんだろうか。
その日の放課後、は図書室に足を運んだ。
気になることがあるんだ、と分厚い美術史の本を机の上に何冊も重ねて調べものを始める。
どれも有名な画家が描いた絵のようだ。
でもこれがどうしての頭に引っかかっているのか、俺にはよく理解できない。
冬の日差しが心地よい窓際で、の作業を見守りながら大きくあくびをした。
前足の上に顔をのせると、うつらうつらと目を閉じる。こういう日はの邪魔をせず睡魔に誘われるのが一番心地いい。
目を閉じると、花のいい香りがあたりに広がった。
……夢に誘われようと思っていたところに不思議な来客だろうか。のそり体を起こすと、の椅子の隣に飛び乗って顔を上げる。
優しい笑顔と目が合った。
「こんにちは、リリー。今朝は災難だったみたいだね」
「こんにちは、。やっぱり、もう広まってるのね。困っちゃうわ。彼らと関わるとすぐに話がホグワーツ中に広まっちゃうんですもの。でも、あの人たちが悪いのよ。私はただ絵を描いていただけなのに……」
リリーは顔をやや赤くさせてまくしたてるように不満をしゃべりきると、の横に座ってもいいか、と尋ねた。もちろん、とが返事をしたので、リリーはの横の椅子に腰掛けた。が広げている絵画の本に気がつくと、目を輝かせて作品を見つめている。
「あら、も絵に興味があるの?」
「あ、うん。ちょっと気になることがあってね。そういえば、リリーはどうして絵を描いてるの?」
「ふふっ。実はね、ホグワーツのこと、両親にたくさん教えたくて。でも、こっちの写真だと絵が動いちゃったりなんだりで、家族には理解できないことが多くて受け入れがたいみたいなの。でも、絵だったら動かないでしょう?それに一生懸命描いたら私の気持ちも伝わるんじゃないかって思って」
リリーの笑みは優しい。
はそれを見て同じように優しい笑みを返した。
上半身をの膝の上に乗せた俺は、二人の声を頭上にもう一度うつらうつらと目を閉じる。
なんて言ってものぬくもりは心地いい。
「そうだよね。絵だって優秀な情報伝達手段だものね。文字よりも直接的にイメージが伝わるし……」
「ええ。でもなかなか上手く描けないのよね。はどうしてこんなにたくさん美術の本を読んでいるの?」
俺もそれ知りたいな。
顔を上げてに鼻を寄せるとは俺の鼻先を指で軽くなで回した。
心地よい感覚とむずかゆい感覚が同時に体に走り、俺は思わず顔を横に振り、舌で鼻先をなめとった。仕草すべてを見ていたのか、もリリーも笑みを浮かべていた。
なんだかそのままでは気まずいので、毛づくろいをしてみる。
その様子もじっと眺め、俺の背中に手を乗せながらは言葉を選びながら口を開く。
「僕はね、文字ではないもので情報を伝達できないかずっと考えてるんだ。今朝、四人からリリーが絵を描いてるって話を聞いてね。もしかしたら絵が僕の考えていることを実現させるのに一番いい媒体かもしれないって思ったんだよね。でも、絵を描くって難しいね」
は苦笑する。
「そうなのよね。絵ってすごく奥が深くて難しいの。どうしたらそこにある風景そのままを写し取れるのか……こうしてみてると、絵画集に載ってる作品ってすごいわよね。ここまできれいに描くことができるなんてうらやましいわ」
「…リリーが持ってる道具、なんだか珍しいものみたいだね」
「あ、これはね、マグルの使う道具なの。のご両親はどちらも魔法使いだったかしら?それなら見たことがないかもしれないわね」
羊皮紙とは違う薄い紙を机の上に広げるリリー。そこにはグリフィンドールの談話室らしき場所が描かれている。暖炉にともる火やそのそばに散らかっている遊び道具まで正確に写し取った絵。たった一カ所、線が不可思議に曲がっている部分がある。
「ここ。すごく真剣に描いてたのに、ジェームズのせいで曲がっちゃったの!」
「……すごい。リリーって絵を描くのが上手なんだね」
ほんのり顔を赤らめるリリーと笑みを浮かべる。はリリーの絵をまじまじと見つめている。何か気になることでもあるんだろうか。文字ではないもので情報を伝達する……きっと、魔法の研究の一環なんだろう。でも、が絵を描く姿は幼い頃に見たきりだ。ああでも、が完成させた絵を見たがものすごく驚いた顔をしていたっけ。今でもはっきり覚えてる。
「そんなことないわ。私にはここまでが限界。こうして画集になるほどの人たちはもっともっといろんな画法を知ってるんじゃないかしら。技術もあるだろうし……でもね、。私、気持ちを込めるって言うのが一番大切なんじゃないかって思うの。これで、家族にホグワーツのことがしっかり伝わるといいなってそう思いながら描いたのよ」
「きっと伝わるよ」
「ふふふ。ありがとう。も絵を描くの?完成したら私も見たいな」
「いつ出来上がるかわからないけど。何しろ絵筆を持つのは小さい頃以来なんだもの」
「大丈夫、気持ちがこもっていればどんな絵でも素敵なものになるはずだもの。私はそう信じてる。邪魔しちゃってごめんね、。すばらしい絵が描けるように祈ってるわ」
そういうとリリーは柔らかい花の香りをあたりにまき散らすようにしながらの隣を発つ。
ひらり軽く手を振りながら図書室を去るリリーを見送ったは、俺をじっと見つめて笑んだ。
「どうしてそんなに不思議な顔をして僕を見てるの、」
(が絵を描く姿なんて、小さいときに何度か見ただけだ)
「……そう、だね。実は僕もあまり自信がないんだ。文字以外の伝達方法として思い浮かんだのが絵なんだけど……僕に描けるかな」
(何を描きたいんだ?)
「ふふっ。笑っちゃ嫌だよ?……太陽と月を描きたいんだ」
また難しいことを……と思ったが何とも言えず俺はから目をそらした。がそれに気がついて俺の顔を両手で包み込むと視線を合わせる。
ほんの少し気まずい。
「もう。どうして顔をそらすのさ。そんなに無茶なこと言ったかな?」
は楽しそうに微笑み、俺の耳の付け根を優しくなでてくれた。心地よさに鼻から息を吐き出してにすり寄ると、は満足そうな顔をして俺がしたのと同じように俺の頬にすり寄ってくれた。
夕日が、ホグワーツの陰に沈もうとしていた。
「少しイメージもできたし、絵を描いてみようかな」
が立ち上がる。椅子から飛び降りの足下に近づくと、いつものように図書室を後にする。
そういえば、どうしてはの絵を見てあんなに驚いていたんだっけ?
記憶にもやがかかって思い出せない部分を思い出そうとしながら、俺はの横を歩く。
筆と絵の具にまみれながら、が紙に色を落とす。
隠し部屋の様々な道具を用い、いろんな画材を用いているようだが、リリーの絵とは少し発色性も描き方も違う。……特有の描き方、なんだろうか。
「記憶が曖昧なんだ。何しろまだホグワーツに入学する前に読んだ本に描いてあったことだから……当時の僕には全く理解できなくて、何となく読み終えたって感じだったんだけど……確か、確かね。絵そのものに魔力を組み込むことができるっていうような内容で……ああ、詳しく覚えていないのが悔しいな。いくつか手法が紹介されていたような気がするのに」
そうつぶやきながらもの手は迷うことなく動いているように思う。
それに、久しぶりに筆を握ったとは思えないようだ。そこに描かれているのは途中とはいえどう見ても太陽であり、月である。一枚の紙の右と左に太陽と月がそれぞれ描かれている。太陽は全身描かれているのではなく、月も満月ではない。
「……太陽って、僕たちの感覚では黄色に近い色に思えるんだけど……過去の文献を読んでいると、赤で着色している人たちもいるんだよね。赤のほうがもしかしたら力を持っているのかな」
筆に赤い絵の具が吸い込まれ、紙にそれが着色される。
まるで朝日か夕日のような描かれ方をする太陽。なんだろう、写実というよりも、どこか古代めいたイメージのふくらみまで表現しているような……
ああ、そうだ。あのときが驚いていたのは……
「できた……けど、これじゃただの絵だ。ここにどうやって魔力を込めるんだっけ……」
絵を覗き込んで首を傾げるの姿。ずっと昔にも同じ姿を俺は見た。
丘の上で、が絵を描いてたんだ。そして、俺はその隣でそれをずっと見てた。は絵を描き上げ、それを覗き込んで首を傾げた。ちょうど今しているみたいに。
あのときは風が吹いて、紙が飛ばされて……それで、何か草の上に落ちたんだよな。が紙を拾い上げたら色がついて汚れてて……は、それを部屋に持って帰って修正してたような気がする。
俺は首を傾げたままののローブの端を加えて軽く引っ張った。が愛用している草花の瓶がおいてある棚へを誘導する。
どの草で着色を直したのか忘れたけど、確か草で着色してたはず……
「?どうしたの?」
(昔、は最後に何かの草で色をつけてた)
「……草?」
棚を見上げる。ふと、上のほうから瓶を手に取った。
「今ここにあるので着色できそうな草は……Hennaしかないけど……」
少し戸惑い気味の。本当はが驚いたのは違う理由だったかもしれない。でも、は言ってたんだ。まさか草を使って着色して魔力を込めるなんて……って。だからもしかしたら……
(昔、が言ってたんだ。草を使って着色することで絵に魔力を込めた……みたいなことを。よく覚えてないんだけどさ)
「……うん。僕もちょっと思い出してた。あのとき使用した植物がなんだったのか忘れちゃったんだけどね。確かに何かで色をつけた気がする。……が教えてくれなかったら思い出せなかった。ありがとう、」
が笑顔を俺に向けてくれた。ちょっと恥ずかしくなってしまう。
Hennaと呼ばれる草から色をとれるようにしたが、それに筆をつける。発色を確かめてから少しずつ完成した絵に色を加えていく。
さっきよりも味のある絵になった。
「……こう、かな」
少し戸惑い気味のが、筆を置く。
覗き込んだ絵はさっきより輝きを増している。
けれどは首を傾げたままだ。
「うーん……これじゃまだ不十分なのかも」
(どうして?)
「……僕はこの絵で太陽と月の力を呼び寄せたいんだ。もしもしっかり魔力がこもっているのなら、いやもしくは呼び出す力が正しいのなら……僕は魔力発動を制限していないから、今この場で何か反応が起きてもいいんだけど……何にもないんだよね。微量の魔力を感じ取ることはできるんだけど、全く発動してない。だから、多分、これだけじゃ不十分で、何かもう少し法則を組み入れなくちゃいけないのかもしれない……」
両手を上げて伸びをしたはついでに大きなあくびをした。
そういえば、ずいぶん前に日が沈んだっけ。
「夕食の時間に遅れちゃうね。早くいかなくちゃ。きっとヒューが怒って……」
立ち上がったは手早く机の上のものを片付けると、自分の手に付いた絵の具もきれいに洗い流した。
それから大広間へ行こうと扉に手をかける。
そして、立ち止まった。
(?)
「そうだ、ヒューだ。ヒューに聞いてみよう、。ヒューは魔法式に関しては普通の大人以上の知識があるはずだもの。もしかしたら、僕らの知らない答えを彼は知っているかもしれない」
ははやる気持ちを抑え大広間へ向かった。
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日々研究に励んでいるようです。