ジグソーパズル


 月の光が窓から注ぐ部屋。窓際の寝台に寝転がって、未完成の羊皮紙を覗き込みながらが一人で首を傾げたり、小さく笑ったり、いきなりしかめっ面になったりしている。
 ……いや。
 一人じゃないな。俺には聞こえないけれど、はきっと月と会話をしているんだろう。
 まるでそこに本物の月があるかのように、羊皮紙に描かれた絵。精巧なものだけれど、それはただ緻密に描き込まれた絵、としか言えないものだ、とは残念そうに言っていた。
 最近上手くいっていた魔法式の記述がここでぱたりと道を見失った。
 の胸に浮かぶ不安は大きくなっているけれど、必死にそれを隠そうとしているようで、かえってその姿が痛々しい。

 「……だって、僕は帰らなくちゃならない。こんなに長い間ここにいるなんて……どこかで僕のいた時間にゆがみを与えてしまっているかもしれない……それに、ここの生活に愛着を持ちつつある自分を感じるよ。そんな感情は、ないほうがいいのに」

 つぶやくが窓から月を見上げている。
 月の光は太陽のそれと違ってただ穏やかに窓から光を俺たちに注いでいる。
 半分に折り畳んだ羊皮紙を寝台の端におくと、は小さなため息をついた。部屋の扉を気にしている。
 はヒューを待っている。
 夕食の際、の魔法式を教えてほしいという申し出を快く受けてくれたヒュー。今ははしゃぐイーノックと湯浴みの最中だ。
 ヒューが湯浴みに行っている間、できるだけ自分で別の方法を模索しようと考えていたみたいだけど、どうにも考えが煮詰まってしまっているのか、はため息をつくばかりだ。
 寝台からけだるそうに片手を下に伸ばし、床に伏せている俺の毛を軽くなで回す。指先だけが毛先に触れ、毛先だけが揺れる感覚はなんだかこそばゆい。
 喉を鳴らして寝台を見上げると、紅い瞳と視線が重なる。小さく口端を上げるに、前足だけの寝台に乗せ、顔をの頬にすり寄せてみる。
 くすぐったそうに声を出して笑うの頬を舌でなめとった。

 「ふふっ。‘月’が笑ってるよ、

 俺の頭を包み込むように手でなで回すと、耳の付け根をこするように優しく撫でる。の手の感触はいつでも心地いい。

 「……うん、もちろん。は僕の兄弟と同じ。ううん、それ以上かもしれない。僕の半身。がいなくなったら僕は生きていけないだろうな」

 耳元で聞こえるの声。いつもと同じ、透き通った声。
 どこかあいつに似てて、どこかに似てる。

 「くすぐったいよ、。どうしたの?なんだか甘えん坊だね、って‘月’が言ってるよ?」

 喉を鳴らし、しきりにの顔に顔をすり寄せる。
 甘えん坊?それでもいいさ。が俺を自分の半身のように感じてくれてるなんて、嬉しくて嬉しくて、にすり寄らずにはいられない。
 優しい笑い声を出しながら、はなおも俺の体を優しく全体的に撫でている。

 「遅くなってごめん……って、これはまた……」

 扉が開いた。
 俺もも自分の動きを止めて部屋の扉を見た。
 ヒューが丸い目をして俺たちを見つめていたものだから、俺は顔から火が出るんじゃないかってくらいになって、慌てての寝台から体をおろすと、床で毛づくろいをする。
 冷静に、冷静に。
 も上半身を寝台から起こしてヒューのほうに向き直ったみたいだ。

 「お帰りなさい、ヒュー。お風呂、どうだった?……どうしたの?」
 「……あ、いや……何だかとの時間を邪魔しちゃったかなって思って。いい湯だったよ。イーノックは相変わらずはしゃいでたけどね」
 「そんなことないよ?はちょっと恥ずかしがってるみたいだけど……ふふっ」

 寝台からおりたは、テーブルへと移動する。
 毛づくろいを終えて俺もの横へ移動する。
 コーヒーの入ったマグカップを二つ持ちながらヒューがの隣に座る。
 はまっさらな羊皮紙とインクをテーブルの上に広げると、ヒューの準備ができるのをじっと待つ。決して急かさない。

 「それで、魔法式、だっけ?」
 「うん。ある条件を満たすと外部から力を取り込んで発動する魔法式、って言えばいいかな。そういうのを作りたいんだけど、全くできなくて。確か、絵図に魔法式を組み込めたと思ったんだけどな……」
 「ずいぶん高度なことをやってのけようとしてるんだね、。確かに絵図の中に魔法式を組み込むことはできるけど、結構難しいよ?」

 まだ乾ききっていない髪の毛の水滴を払いながらヒューが言う。ペンを握ると、羊皮紙に簡単な扉の絵を描きだした。
 はそれをただじっと見つめている。

 「僕に絵心は全然ないんだけどさ。絵っていうのはどんなに上手でも下手でもかまわないんだ。簡単なものでもいいし複雑なものでもいい。絵を使うっていうのはただのカモフラージュだからね。むしろそこにどうやって魔法式を埋め込むか、の法則をきちんと守ることが重要」

 確かにヒューの描いた絵はお世辞にもうまいとは言えなかった。
 羊皮紙に本当にごく単純に、まるで子供が描いた絵かのように扉っぽいものが一つ描かれているだけだ。奥行きがあるわけでもなければ、そこに何か本物のような質感も感じない。

 「ま、魔法式の法則って言うのは難しく考えずに、ジグソーパズルのピースを当てはめていくようにすればいいんだ。OPEN SESAMEの話は知ってる?」
 「アラビアンナイトの物語の一つだよね」
 「そう。あの話に登場する、OPEN SESAMEという呪文で開く扉。あれを魔法式で再現してみようかな、って思って。実際自分の目で見たほうが理解できるんじゃないかと思うんだ」

 ……ということは、この羊皮紙に描かれた薄っぺらい扉は、今からヒューが魔法式を埋め込むことによって開いたり閉じたりするようになるんだろうか。
 少し興味を持ってヒューの手元を覗き込む。
 羽根ペンをインク壷に浸したヒューは、別の羊皮紙に流れるように文字を書き出した。

 「あのお話の扉って、正しい呪文を唱えたときだけ開いたり閉じたりするだろう?まずは、最終的にどういう結果を生み出したいのかを呪文式に当てはめていく。“OPEN SESAME”と唱えられたときだけ、“扉を開ける”こと。これがまず基本だ」

 羊皮紙にはまるで数学の問題みたいに文字が羅列されている。
 所々に見える記号がきっとこの呪文を使うのに重要なんだろう。
 の目はいつになく真剣だ。そして、どこか複雑な思いを抱えている。

 「この基本に少し色を付ける。例えば、扉の開け方は横にスライドさせるのか、手前に引くのか奥に押すのか……そういう細々した指定は、基本の下に付け加える」
 「そっか。基本っていうのがジグソーパズルの枠組みの部分なんだ」
 「そ、そういうこと。でもさ、扉を開けること、って指示を出しても、扉を開けるための力をちゃんと埋め込んであげないと当然ながら扉は開かないよね。僕らがどんなに扉の前で開け、って念じても、ちゃんとドアノブを握って多少力を加えてあげないと扉って開かないだろう?それと同じ」

 ヒューは青い色のインクを取り出すと、さっきとは違う羽根ペンにそのインクをしみ込ませ、最初の式の下に文字を書き始めた。

 「インクの色は何色でもいいんだけど、基本の色とは別の色で、それも基本の色よりも薄い色じゃないと反発しちゃうんだ。だから、基本を黒で記入するのが一番望ましいのかも。それだったら、ほかのどんな色を使っても黒に勝るものはないからさ」
 「そうなんだ……」
 「こうやって色を変える必要があるのは絵に魔法式を埋め込むときだけなんだよね。つまり、色を変えても簡単に解読されないようにするために絵に埋め込む、ってこと」

 さて、とヒューは羽根ペンを置く。
 心なしか楽しそうに見えるヒューの顔。とヒューが羊皮紙を覗き込んでいる。

 「なんて指示したかわかる?」
 「えっと……ある特定の人から力を引き出して用いる……特定の人とは、呪文を正しく唱えた者であり、引き出す力とは、その者が扉を開けるときに用いる量の力である?」
 「正解。今回のこの絵の扉なら、普通に僕らが力を入れる程度で開けられる。でも、アリババの話のような大きな岩の扉だった場合は、ここにこんな呪文を付け加えてあげるんだ。ただし、引き出した力を100倍に増幅させることなんてね。数字は変更可能だから、何度か実験してみてちょうどいいのを探すといい」

 さてできた、とヒューは文字の羅列された羊皮紙を両手で持った。
 インクが乾くよう多少の息を吹きかけている。

 「ここまではただの式。これじゃもちろん絵は動かないし力も作動しない。これを絵に組み込んでいく作業が……ちょっと面倒くさいんだよね」
 「この紙を使うの?」
 「ううん。これはあくまで魔法式を記述して間違いがないかどうかを検証するためのもの。ジグソーパズルの完成図、みたいなものだよ。さてと、さっきの絵の羊皮紙のほうに取りかかろうか」

 が薄っぺらい扉の絵が描いてある羊皮紙をヒューに差し出す。
 本当にただの枠組みが描かれているだけの絵に、魔法式を埋め込むことなんてできるんだろうか。
 疑問が残るから、少し興味がある。

 「こうやって描いたこの絵は枠組みなんだ。動かしたいのはこの扉の絵だけ。……と、いうことは、まず、基本の式をこの枠の線通りにぴったり一周するようにひたすら描いていく。ま、単純に一周するまでひたすら書き続けるのが一番簡単かな。他人に知られたくない、解読されたくないものになってくると、記述者が勝手に描き込む法則を決めるから厄介なんだよね。右から左に文字を書き、とある文字の部分で文字自体を裏返す、はたまたスタート位置とゴール位置は同じだけど、文法すらばらばらにしてしまう……なんてね。できるだけ見た目を文字にしないことが重要なんだ……けど、まぁこれくらいなら単純に一周させるだけでいいかも」

 ヒューの手がいびつな扉の線に会わせて細かく文字を記入していく。
 緻密な作業だが、ずいぶんと手慣れているのか、ヒューのペン先は震えていない。

 「で、次は細々した指定の部分。これはまた解読する作業のときに厄介な点。基本の枠内のどこに書いてもいいんだ。インクの色さえ基本と同じであれば、ね。書く量も自由。黒で埋めたい絵なんかだと、びっしり書いてあるときもある。ま、これは実験だから、この枠組みの内側に二周分くらい書いておこうかな」
 「……緻密な作業だね」
 「うん。だからあんまり普及はしなかった。でも、この方法を知っている人はものすごく高度で解読の難しい魔法式をたくさん埋め込んでるよ」
 「すごい……」
 「マグルと一緒に生活してるとさ、マグルの描いた絵の展示会とかあるんだけど、そういう絵の中にたまに紛れ込んでるんだよね、この魔法式。レプリカに埋め込まれていたり、実はマグルと言われている絵描き自体が魔法使いだったんじゃないかって言う説もあるくらい、複雑で難解なやつが埋め込まれていることがある。ひどく絵に惹かれるときなんかは、何か魔法の力が作用しているのかもしれないね」
 「そうなんだ……そういえば、図書室の美術集を覗いてたら何か得体の知れない力を感じる絵があったよ。ああいうのもそうなのかな?」
 「ホグワーツの図書室にある美術集に載ってる作品は、本物には計り知れない力が埋め込まれてるよ。ただ、ああやって写真にして印刷してしまうと力はものすごく薄れてしまうんだけど」

 滑らかに羊皮紙の上を滑るヒューの羽根ペンは、きっちり二周分字を書き終わったところで、羊皮紙からはなれインク壷に触れた。
 さっきまで薄っぺらかった扉の絵は、外側が黒くなっている。文字と文字の間の羊皮紙本来の色が木目調のようにすら見える。

 「これでいい。さて、最後は色の違うインクで指示した部分だ。これはね、この色を使う部分にちりばめておくと違和感なく絵になじむよ」

 ヒューが青いインクで青い文字を扉の取っ手の部分からひたすら描き始める。

 「すごい……」
 「これでだいたい絵全体が埋まったかな」
 「すごい。文字で埋め尽くされてるけど、扉みたいに見える」
 「あとはね、カモフラージュのために絵を描くための絵の具で色を付けてあげるんだ。油絵の具なんかだと、文字の上から描くと文字が下に隠れちゃうんだけど、気にしなくていい。こうして下地にしっかり描いてあれば、表から見えなくても作動するから」

 ヒューは大雑把に茶色い絵の具を筆につけて扉の上をなぞった。
 文字は絵の具の下に隠れ、のっぺりした茶色い扉が羊皮紙の上に完成した。
 何の変哲もない、子供が色を塗っただけの扉になる。

 インクを少し乾かした後、ヒューはテーブルの上を片付けて、真ん中に扉の絵を置いた。
 に目配せをすると、じっと羊皮紙を見つめ小さくつぶやく。

 「OPEN SESAME」

 瞬間、扉の絵の周囲が淡く光り、扉はヒューの指示通り奥に押すように開いた。
 開いた先にはただ羊皮紙本来の色が見えるだけだったが、俺の目の前でそれは確かに動いた。
 驚くに笑みを浮かべたヒューは、今度はその羊皮紙を部屋の扉に貼付けた。
 そしてもう一度指定した言葉を唱える。

 「OPEN SESAME」

 最初に光ったのは扉の絵だった。
 けれど、その扉の絵は、本物の扉と連動するようにして光りだし、部屋の扉は音もなく勝手に開いたのだ。驚いて目を丸くする。俺もと同じように驚きを隠せずに扉を見つめた。
 談話室には誰もいない。そそくさと扉を閉めて戻ってきたヒューは、羊皮紙をテーブルの上に置く。

 「今のはちょっとした応用。実は僕、絵に方程式を組み込む際に指示を一つ追加してたんだ。えっと、完成式のここの部分に、この絵が貼付けられた扉にも同様に作用することってね。こうして指示を付け加えると、自分のしたいことができるようになる。もちろん、扉そのものに描くのもいいんだけど、それだと落書きっぽくなっちゃうし、貼って剥がせるほうが都合がいいだろう?」

 ヒューの軽い笑みにも笑顔を浮かべた。
 ヒューを賞賛する言葉がいくつも漏れる。

 「すごい、ヒュー。僕にもできるかな?」
 「もちろん。基本さえ覚えてしまえば、少し面倒くさい作業だけどなら簡単にできるようになると思うよ。失敗しないためには、最初に基本の指示、色づけの指示、条件の指示……そういうのをこうして別の紙に書きだしておくといい。ここできちっとした式が書けていれば、絵に埋め込むのは時間がかかるだけだから……こんな説明で、大丈夫かな?」
 「うん。僕が思ってた以上にすごかった。ありがとう、ヒュー。精巧な形じゃないと力を呼び寄せられないのかと思ってたら、違ったんだね。こんな風になってたんだ……僕もまだ、知らないことが多いな」

 完成した羊皮紙を覗き込みながらは言う。
 少しきついインクの臭いが部屋の中に充満している。
 インク壷にふたをしてペン先を軽くすすいだヒューがテーブルの上をさっときれいにする。
 冷めてしまったコーヒーを入れ直すと、がそれに気がついて中央に作り置きのお菓子をいくつか置いた。
 両手でマグカップを握るに、ヒューの穏やかな視線が注がれている。

 「最初は簡単なものから試すといいかも。何度かやってみて感覚をつかむといいよ。ならきっとすぐ完璧に使いこなせるようになると思うな」
 「また僕のこと買いかぶってるんだから。そこまで僕は実力ないよ?ヒューの手慣れた指の動き、驚いちゃった」
 「すぐにできるようになるって」

 インクのにおいがコーヒーの香りに変わる部屋。
 窓からのぞく月は、相変わらず穏やかな光を浮かべている。






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 ヒューの魔法式講座。
 ここで言う魔法式はJavaScriptの記述やCSSの記述みたいな、C言語の配列みたいな……
 そんな感じだなーと思った今日この頃。