夜空の散歩道


 殺風景な部屋。
 古びた椅子を窓側に移動させて腰掛ける
 窓辺に肘をつき、ため息をつきながら空をじっと見上げている。
 グリフィンドールの四人組から指定された、ホグワーツの中でもほとんどの人が知らないであろう不思議な部屋で、は窓の外を見つめていた。

 満ち満ちて、満ちていく月を見て、は一体何を思っているのだろう。

 窓の向こうに浮かぶ月は、何一つ欠けていない、望月。
 満月が過ぎれば、ここを去る。
 は少し前から俺にそう言っていた。

 は呪文を完璧に、間違えることなく操れるよう何度も練習をした。
 ヒューとの部屋の思い出も、そのほとんどをの部屋に運んだ。大きなトランクに、全てを詰め込んで鍵をかけた。
 まるで……まるで、自分の心にも鍵をかけるかのように。
 の足下に伏せる俺は、月明かりに照らされたの横顔をじっと眺める。
 渦巻く感情を、全て整理しきれたとは言い切れない。ヒューやイーノック、それにグリフィンドールの四人組にだって、多少の後ろめたさを感じている。
 ここに居たこと遭ったこと、全ての記憶を描き直すなんて、それがたとえ時間の歪みを修整するために必要なことだとしても……本人の手で行うにはあまりに重すぎる枷だ。
 ここを去る日は、確実に迫っている。



 「遅れてごめん、
 「シリウスが爆睡しててさぁ」
 「起こすの、大変だったんだ」

 扉が開いて、部屋の空気が変わる。
 何か目に見えないものが存在していた空間が、扉が開いたと同時にどこかにするりと抜けていってしまったようだ。普段と変わらぬ空気の匂いがする。
 月から部屋の中に入ってきたジェームズたちに視点を移したは、小さく口元を緩めた。
 寝ぼけ眼のシリウスは、くしゃくしゃの髪を一生懸命に撫で付けていたが、その目はまだ半開きだ。

 「全く、こんな大事な日を忘れるなんて、バカにもほどがあるよね」
 「ついうっかり寝てただけだろ、ジェームズ」
 「どうして月に一度の満月の日を忘れるのさ」
 「今日は、とお散歩できるのに」
 「だーかーらー、さっき謝ったじゃねーかっ!それより、早くしないと……」
 「また話をそらす……まぁ、いいや。さすがに三日じゃ‘動物もどき’にはなれない、よね。まぁ、なら動物もどきじゃなくてもリーマスも手を出すことはないと思うけどさ」

 やや痛んだ床に腰を下ろしたシリウスと、変身するための準備は既に整ったとばかりのジェームズがを見上げている。
 は俺と目を合わせて微笑んだ。

 「大丈夫、成功させたよ。でも、変身する動物がちょっと不思議な動物だから、みんなが驚くかもしれないな」
 「僕みたいなネズミ?」
 「ううん。ネズミよりは大きいよ。多分、シリウスの犬と同じか少し小さいくらいかな」

 ‘動物もどき’になる魔法はずいぶん高度なものだと聞く。
 実際三日前に彼らがここでその方法をに示したときには、は頭では理解していてもすぐにそれを実行できなかった。
 けれど、‘動物もどき’に関することを図書室で調べた後、昨日の夜にはは完璧な動物として俺の前に姿を現した。
 変身する様は多少見苦しい部分もあるんではないだろうかと思ったが、の変身する様子はなかなか奇麗だった。

 「俺たちですら三年もかかったのにっ?!」
 「……それは、君たちが‘動物もどき’を研究し始めた年齢が今の僕よりも低かったからだと思うよ」
 「ったく。どうしてこう苦労したことを簡単にやってのけちゃうかな……」
 「まぁいいじゃないか、シリウス。動物になったら、万一リーマスがを襲ってしまうかもしれないって言う心配もなくなる訳だし。……なら失敗しないとは思うけど、心配だから先に変身してもらえるかな?」
 「うん、やってみるよ」

 指を組み腕をのばしたは、椅子から立ち上がった。
 軽く体の筋をのばすと、昨日の夜俺の前でやってのけたように、優雅に呪文を唱えた。

 の体がみるみるうちに変わっていく。
 まず両手足。そして体。最後に顔、という順番だ。
 灰白色の毛に全身覆われ、斑紋が体中にちりばめられている、大きな猫。
 太い尾は俺のよりも毛に覆われていて、鼻が少し小さい。
 全身がしっかりとした毛で覆われている、見たことのないような動物だ。
 成体とまでは化していないのか、俺の体よりやや小さめで、顔に幼さが残る印象がある。瞳は、と同じ澄んだ紅色をしている。
 変身を終え、ちょこんと座ったは、首を横に傾げてみんなを見つめている。
 前足で顔を洗う仕草は猫と同じだ。
 俺はすぐに駆け寄って、と鼻筋を合わせる。
 俺の胸元に顔を埋めるように額をこすりつけたの仕草は、何とも愛らしい。

 「……この動物、見たことある?」
 「ううん。なんだか不思議だ」
 「触っていい?。ふわふわしてそう……」
 「あ、僕も触りたい」
 「俺も、俺も」

 代わる代わるの体に手を伸ばす三人に、は尾の先をけだるそうに動かしながら対応している。

 (ふふっ。耳の付け根って触られるとこんなに気持ちいいんだ)

 が小さく鳴く。
 子猫のような声とはいかないが、低すぎるわけでもない。

 (、くすぐったいよ、ねぇ)

 の体を丹念に毛づくろいしていると、が小さな声を上げ、俺の首筋を手で触れてきた。
 床に伏せたが横を向いて転がる形になる。何かにじゃれつくその姿が人を誘惑する。

 「……かわいい」
 「、それは反則だよ……」

 ジェームズたちの視線に気がついたのか、はっとして起き上がったは、若干照れたような表情を浮かべ、右の前足を舌で舐めながらしきりに毛づくろいを始めた。

 「抱きたい、抱きたい!」
 「シリウス、僕が先だよっ!」
 「僕も、抱きたい」

 奴らの態度には多少呆れ気味だったが、抵抗もせず順番に三人の腕に抱かれ、三人の鼻筋に顔をすり寄せた。
 多少高揚した顔の三人は、を床に下ろした後やっと自分たちのしなくてはならないことに気がついたのか、慌ててそれぞれの動物に変身した。


 (もう、。そんなかわいい動物になるなんて反則だよ)
 (体の模様が星みたいだな)
 (イギリスでは見かけない動物だよね)

 全員の変身が終わると、やっと出発になった。
 ジェームズとシリウスに続いてが部屋をそっと出る。
 外はまだ寒かったが、きっとの毛なら、このくらいの寒さには耐えられるだろう。










 暴れ柳を止める仕掛けをピーターが押し、柳が動かなくなったところを通り抜け『叫びの館』の中に入り込んだ。
 中には既に獣化したリーマスがいて、の姿に驚いていた。
 においを嗅ぐように鼻先を近づけ、の周りをぐるりと回る。
 その間はじっとおとなしくしていた。敵意はありませんと相手にアピールしていたのかもしれない。
 しばらくを確認してから、ようやくリーマスはの存在を理解したようで、他の奴らと一緒に連れ立って外に出ようとする仕草を見せた。
 の心も湧き立っている。

 (僕もの毛づくろいをしてあげるよ)
 (毛づくろいは結構難しいんだ、
 (そうかな?)

 が俺の体を舐め始める。

 (……本当だ。が僕にしてくれたみたいに奇麗に毛づくろいするのって難しい……)

 困り顔で耳をひくひく動かしながら必死に俺の毛づくろいをするの姿は、何か新鮮だ。
 いつものブラッシングの要領では出来ないし、舌を使うのは慣れないんだろう。
 ががんばって俺の毛を舐めているところで、俺はのふさふさした太くて長い尾を前足で触れた。
 ぴくりと反応して反射的にしっぽが動く。
 何度か繰り返すと、毛づくろいの手を止めたが俺の顔を覗き込んできた。

 (、尻尾はくすぐったいよ)
 (ふさふさしてて気持ちいいんだ、の尻尾)
 (やだなぁ……もう。の尻尾だって、僕は大好きだよ)

 俺たちは互いにじゃれ合い、体を寄せながらグリフィンドールの四人についテイク。
 『叫びの館 』からホグワーツの敷地内に出た。
 地面に多少残っている程度の雪の中にが小さく丸くなると、まるで雪に埋もれた岩のように見える。
 そうして空の星を見上げるの姿は月明かりに照らされあまりにも美しすぎて、俺だけでなくその場にいるみんなの視線が釘付けになる。

 (よし、今日は禁じられた森に行こう)
 (うげ)
 (このところ、リーマスがはしゃぎすぎちゃってるからね。ホグワーツの教員たちの目がなるべく光ってないところがいいと思うんだ)
 (うーん。まぁ、しょうがないな。よし、禁じられた森に出発っ!)

 ジェームズの一声で未登録の‘動物もどき’と危険と称されている狼人間が、連れ立って禁じられた森に向かう。
 なんだか奇妙な光景だった。
 森の入り口付近からだんだんと木々が生い茂りはじめ、あたりの雰囲気が変わる。
 空気は冷たくなり、月の光が木々の枝に阻まれ途切れる。
 こんな時間に鳴いている虫や鳥は少なく、枯れ枝を踏んだときの音が森の中に嫌に大きく響いて、その度ピーターの体が縮こまる。

 (動物の視点で見ると、ここもこんなに違うんだ……)
 (‘動物もどき’のいいところは、いつもと違う発見があるってところだよね)
 (きっとジェームズの視点で見るこの森と、僕の視点で見るこの森は違って見えるんだろうな……)
 (それなら、僕の背中に乗ってみるかい?なら大歓迎さ)

 会話をしながらの森の散策が続く。
 時々シリウスと顔を近づけたり体をくっつけたりするに、俺はほんの少しだけ嫉妬を覚える。
 それを知ってか知らずか、はシリウスの上にしがみついているピーターに顔を近づけたり、よりも大きい体の牡鹿のジェームズの足の間をするりと抜けたり、と悪戯な顔をしながら森の中を満喫しているようだ。
 一番後ろを歩いている俺は気が気じゃない。ジェームズの足にが踏まれないか、とかシリウスがじゃれてに甘咬みしてを傷つけないだろうか、とかいろんな心配が頭の中をよぎっていて仕方がない。利−マスは興味深げにの体のにおいを嗅いでいるが、何かの拍子であの大きな口にが咬まれたらと思うといてもたってもいられなくなる。

 (がふてくされた顔をしてる)

 そのうちはやっと俺の側に戻ってきて、何事もなかったかのように体を俺の体にすり寄せた。
 柔らかなの体毛が触れる。体に温もりがある。
 首を横に動かし、半ば戒めるような形での額を舐めると、目をぎゅっと結んだの顔が間近に見えて、愛らしかった。



 …と。
 がぴくりと耳を動かし、前に進む足を止めた。
 森の奥をじっと眺めている。

 (?)

 まるで俺の声など耳に入らないかのように、四人の進む方向とは九十度それた道へと一人で入っていく。森の中でも細くて人は通らないような、本当に純粋な獣道だ。
 慌てての後を追うけれど、何かに取り付かれたようには前しかみていない。

 (、どうした?)

 体に当たる小さな草木も気にすることなく、は前に進み続けた。
 そうして、少し開けた場所に出たときに、やっと足を止めた。
 目の前には、大きな切り株の上に座って空を見上げている……ヒューがいた。

 (……ヒュー、だ)
 (、勝手に進むから心配した)
 (ごめんね、。何か濃い魔法の気配を感じたんだ。ヒューだったんだ……)

 の側に駆け寄るが……こんな時間に俺が不思議な動物と散歩しているのを見られたら、それがだと言うことがすぐにばれてしまう。
 俺は体を草陰に潜めた。
 にもヒューに見つからないように、と草陰に隠れることを薦めたが、はそのままヒューのもとへと足を進めた。

 風が吹き、森の空気が変わった。
 辺りを見回したヒューの視線が、草陰の中から現れた一匹の白い動物に注がれる。
 静かに座ったは、俺の気持ちを知ってか知らずか、ヒューを興味津々の瞳で見つめている。
 ここから姿を現すわけにもいかず、俺はもやもやとした感情を心の中に溜め込んでいた。

 「……白い、豹?」

 驚いたヒューの声がする。
 耳を動かしまるでかまってほしいとでも言うような仕草をするに、ヒューが切り株の上から腰を上げ、地に体をかがませた。
 指先を前に出し、の反応を伺っている。
 はヒューの指先に興味を示し、そろりそろりとその指に近づいた。
 草陰に隠れていなくてはならない俺のことなど全く気にしないそぶりを見せるかと思ったら、ほんの一瞬だけこちらを振り返って悪戯っぽい笑顔を見せた。
 結局ヒューに近づいたは、差し出された指を鼻で嗅ぎ、ローブの端を鼻で嗅ぎ、ヒューの手にじゃれついた。
 ぶっきらぼうにの体を撫でていたヒューは、何を思ったのか突然の体を抱き上げ、もう一度切り株の上に腰掛けると、自分の膝の上にをおろした。
 右手での相手をし、左手での体を撫でながら、どこか思いふけったような顔をしている。
 手にじゃれつくのも飽きたのか、がきょとんとした瞳でヒューを見上げた。

 「何度も禁じられた森には足を運んでいるけれど、こんなに不思議な動物に遭ったのは今日が初めてだ。どこから来たんだい?」

 は首を傾げ、ヒューの指先を前足で触る。
 親指と人差し指の間に顔を近づけると、そこを軽く舐める仕草をした。
 それからヒューを見上げる。

 「……僕に同じ質問をするよ、って顔をしてるな。僕は、ホグワーツのスリザリン寮所属の監督生だ。監督生のくせにどうしてこんな時間にこんなところにいるのかって?……人を捜してたのさ。目が覚めたら、隣の寝台がもぬけの殻でね。ルームメイトが、またどこかに一人で行っちゃったみたいでさ。寮監の先生の研究室にはいない。今夜は満月だから、って先生がおっしゃったから、もしかしたら外にいるんじゃないかって思って探してた。でも、全然だめ。どこにも彼の気配がないんだ」

 ヒューは手の中にいるのがだと知らず、に話しかけている。
 抱き上げられたとヒューの視線が重なる。

 「……面白い。豹の瞳って紅いのもいるんだね。僕が探している子もそれは奇麗な紅い瞳をしていてね。すごく印象的なんだ。……どこに、行ったのかな」

 ヒューは小さくつぶやいていた。

 「少し過保護すぎるかもしれないけど、心配なんだ。儚げに笑う子でさ。僕が目を離した好きにどこかに行ってしまって、ずっと逢えなくなってしまうんじゃないだろうかって不安がある。どうしてだろうな」

 がヒューの手を前足でつかんで額をその手にこすりつけた。
 の太い尻尾に触れながら、ヒューがの額を優しく撫でる。

 「僕が一番尊敬する人の血を受け継いだ、すごく素敵な子なんだ。本来なら僕のような人間が同じ部屋で生活するなんて許されるような子じゃない。……だからかな。ある日突然迎えが来て、ここから去ってしまうような、そんな気さえする」

 それからしばらくヒューは無言での体を撫でていた。
 そして、ふっと抱き上げたを地におろすと、自身も切り株の上から立ち上がり、ローブをはたいてその場から去る仕草を見せた。

 「お休みスペクルには逢えなかったけど、キミに逢えてよかったよ。もしかしたらはもう部屋に帰っているかもしれないから、僕も部屋に帰ってみるよ。キミも棲処に帰るといい」

 耳をぴくりと動かしたは、ヒューのほうへついていこうとする仕草をし、それから俺のほうを振り返って、そしてまたヒューを見た。
 名残惜しそうな仕草を見せるに、ヒューは最後に一度だけ振り返って手を上げて合図をし、そして禁じられた森の暗闇の中に姿を消した。
 はしばらくヒューのいなくなった方向を眺めていた。
 完全にヒューがいなくなったのを確認してから、俺はやっと草陰から身を出し、のもとに駆け寄った。

 (!)
 (……僕は、ヒューに悪いことをしているよね)
 (……)
 (ううん。いいんだ。もうすぐ全てが無くなる。全てが僕の修正した記憶に塗り替えられる。そうしたらヒューのあの感情も……)

 どこか寂しげな瞳で、はずっとヒューのいなくなった方向を見つめていた。





 (あー!いたっ!)
 (、心配したじゃないかっ!)
 (いきなりいなくなるんだから)

 草陰から勢いよく飛び出してきたジェームズとシリウスに、は困った顔をし、耳を伏せて謝罪の意を示している。
 しかし、みんなはご立腹の様子だ。

 (おまけに誰だか知らないけど人間の匂いがしてさ。リーマスの理性が飛ばないように人間の方向と逆の方向に誘導するのが大変だったんだ)
 (ごめんね。ちょっと、森の中を一人で散策してた)
 (まったく。本当にはマイペースなんだから。そろそろ帰らないと僕らも明日の授業に支障が出るね)
 (ほんとだ。月があんなに高くに昇ってる)

 そうしてまた、は四人とじゃれ合いながら、森を後にした。
 ヒューの言葉が心に残るのか、少し波だっている心を俺に伝えながら。






〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 アンケート結果に忠実に、雪豹になりました。
 若干小さめな雪豹で幼さが残るあたりがの表情に似合うかと。