魔法研究所の総責任者
夏休みの三日間を利用して盛大に催される家主催のパーティーは、限られた名家の招待客にとって、夏休み最大の楽しみの一つと言っても過言ではないだろう。普段は忙しくて中々逢うことの出来ない友人との数少ない再会の場の役割を果たし、そしてまた、このパーティーに招待されることは誉れである……と、主催者であるの父親は満足げな笑みを浮かべて語った。
過去の時代の生活から元の時代へ戻り、何も変わらない日々がまた訪れた。はまた一日の大半を星見の館の書物室で過ごすようになり、もいつもと変わらず仕事場で大勢の客を相手に占いを続けていた。
過去の時代での記憶はほぼ完全にの中に封印され、それが話題に上るのは睡魔に誘われるまでのほんの些細な時間だけだった。最初こそ戸惑い、眠れぬ夜を過ごしたこともあったが、最近では幾分かの感情も落ち着いてきている。
そんな折、からパーティーへの招待状が届きの心は晴れ渡った。今日のこの日が待ちきれぬと年相応にはしゃぐの姿は、落ち込んでいるの姿を心配していたを安心させ、新たに家族に加わったを笑わせた。
俺たちの、このパーティーへの参加は今年で二度目になる。
上等のパーティー用ローブに身を包んだ紳士たちに見目麗しく着飾ったご婦人方。立食パーティーの形式をとる初日は、三日間の中でも一番多くの人間が集まり一番盛大に行われる。
今年はクィディッチ・ワールドカップの開催に伴い、本来の日程よりも早く行うことになったそうだが、それにしても名家の出と言われる魔法使いの多さに目がくらむ。
<なんぞ、。そんなに驚くことかいや?>
俺の背中の上に優雅に腰を下ろしたが、上品な、しかし俺をからかっているような笑いを見せる。は、パーティーに向かおうとするの前に立ちはだかり、が彼女を連れて行くことを了承するまで、てこでも動かなかった。
大広間はきらびやかに彩られ、いくつもの大きなシャンデリアが俺たちの頭上から会場を照らす。主催者の席のすぐ近くには楽団が控えており、会話の邪魔にならない音楽を見事な腕前で披露している。
魔法界に数多く存在する屋敷僕妖精の代わりに、会場の至る所に同じ服装をした使用人たちが控えている。パーティーがつつがなく行われるように四方に目を光らせ、決して無駄口をたたかず、授けられた仕事を完璧にこなす使用人たちに、客人たちはご満悦のようだ。
「……へぇ。それじゃ新しい家族が増えたんだ」
「そうなんだ。初めて逢った時はとても驚いたんだけど……母上が様をいたくお気に召してね。今では午後のティータイムの常連さ」
「ふぅん。確かにずいぶんと高貴さを漂わせてるけど。それにしても、猫に‘様’付けなんて随分へりくだってるじゃないか」
「そうかな?」
頭上から聞こえてくるのは、、、ドラコの談笑だ。三人とも大人に負けず劣らずの上質なローブを身に纏い、パーティーを楽しんでいる。
昼頃ここへ到着したとき、出迎えてくれたに飛びついて抱きしめるほど、特には彼らと逢うのを楽しみにしていたとあって、終始笑顔だ。
俺も、久しぶりにニトと逢うことが出来て嬉しい。
「それにしても今年はまた随分と人数が多いんだね」
「クィディッチ・ワールドカップの影響で、例年よりも日程を早めたんだ。そうしたら、いつもの時期は忙しくて参加できなかったって言う御要人方が参加してくれてね。今までにないくらいの規模だって父上はおっしゃっていたよ」
「僕も父上が話しているのを小耳に挟んだんだけどね。今年は魔法研究所の総責任者も参加しているそうじゃないか」
「ああ、ノードリー博士のことか」
ほら、とは会場の奥の方に視線を向けた。丁度の兄であるセルヴィア・が背の高い淡い栗毛の男性と会話をしているところだった。
「丁度、兄上とお話ししている方だよ、。魔法研究所の総責任者、ヒュー・ノードリー博士だ」
その名を聞いた途端、激しい電撃が体の中を駆け巡った。
……ヒュー・ノードリーだって?
が愉快な顔をして俺との顔を交互に眺めている。
は取り繕った笑顔でたちの話に耳を傾けているが、俺たち二人の心の中に走った稲妻は大地を引き裂くかのようだった。
今でも思い出すと胸が痛くなる過去の時代での日々。まさか、過去の時代でルームメイトであったヒューの名をこんなところで聞くとは思いもしなかった。
ほぼ完全に封印していた思い出たちがトランクの鍵を破って外に流れ出てくる感覚を、俺もも不快に思いながら止めることが出来ずにいる。
「ヒュー・ノードリー博士……」
「あの若さにして魔法界で大きな役割を果たしている研究所の総責任者。かなりの実力者だ。そう言えば、ドラコのお父上とは旧知の仲だと伺ったが」
「ああ。父上の昔話には必ずと言っていいほど彼の名が出てくるよ。でも僕は幼い頃に何度かお会いした程度だ。随分と多忙な方のようで、最近は仕事以外で公の場に現れるのはとても珍しいことだって父上がおっしゃっていた」
「そうなんだ……」
は会場の奥でセルヴィア・と楽しそうに談笑しているヒュー・ノードリーを複雑な目で見つめていた。
頭の中に流れ込んでくるヒューとの思い出の数々。あのときもヒューのほうがよりも年上だったけれど、元の時代に戻ってきたら随分と年齢差が開いてしまったようだ。
……と。
ヒュー・ノードリーがの視線に気がついたのか、俺たちのほうを向いた。セルヴィア・に何事か尋ね、彼と連れ立って俺たちの方に向かって歩いてくる。
「それにしても、‘使用人’っていうのもいいものだね。うちでも小汚い屋敷僕妖精の代わりに一人くらい雇えばいいのに」
「我が家は特殊さ。屋敷僕妖精が彼らのように見目麗しければ、父上も母上も屋敷僕妖精を採用しているだろうね。多少仕事の質が落ちたとしても」
とドラコは相変わらず談笑を楽しんでいた。は少し複雑な表情を浮かべていて、二人の会話が耳に入っていないように見える。
やがて、三人の前でセルヴィア・とヒュー・ノードリーが立ち止まった。
会話に花を咲かせていたが顔を上げ、小さく会釈をする。続いてドラコ、少し遅れても二人の姿に気がつき会釈をした。
セルヴィア・と並んだ紳士は高貴な雰囲気を身に纏った優しげな大人だった。淡い栗毛の髪は清潔に保たれ、瞳は穏やかな蒼をたたえている。
学生時代のヒューの面影をどこか残した紳士は、三人の会釈に応えて静かな笑みを浮かべた。
「パーティーは楽しんでくれてるかな」
「もちろんです」
「それは良かった。こちらの紳士が君たちに興味をお持ちのようでね。紹介しよう、魔法研究所の総責任者、ヒュー・ノードリー博士だ」
セルヴィア・の紹介に、少し照れた笑みを浮かべながらヒュー・ノードリーが会釈をした。
見れば見るほど、学生時代のヒューの姿が思い出され、胸が締め付けられる。記憶のない彼に、記憶のあるがどう接すればいいのか、自身とても迷っているように思える。仕草一つ一つを意識して、決して悟られないようにしなければ、と全身に力が入る。
、、ドラコはもう一度彼に会釈をした。それから、ヒュー・ノードリーが差し出した右手を緊張した面持ちで握り返し握手を交わす。
「初めまして、皆さん。若輩者ながら魔法研究所の総責任者の任を仰せつかっています、ヒュー・ノードリーです。どうぞよろしく。僕自身は忙しい身であまりこういった場には姿を出すことは少ないんだけどね。名前くらいは聞いたことがあるかもしれないね」
物腰柔らかな紳士は、学生時代のヒューの角張っていた部分を丸くしたような印象を受ける。あの時も既に声変わりを終えていたヒュー。紳士の声が過去の時代のヒューの声と重なる。
「お久しぶりです、博士。いつも父上から博士のご活躍をお聞きしています」
「やぁ、ドラコ。先ほどルシウスにも逢ってきたよ。彼は変わらないね」
背中の上のが小さく鳴いた。がに視線を向けると、は撫でてほしいと甘えた声を出した。の片手がの体に触れるのがわかる。
ドラコ、と言葉を交わしたヒュー・ノードリーは、最後にに視線を送った。
「お初にお目にかかります、ヒュー・ノードリー博士。・と申します」
がぎこちない笑顔を見せる。ヒューは多少驚いた表情を見せ、それから取り繕ったような笑顔をに向けた。
「さっきあそこでセルヴィアと話をしている時から気になっていたんだ。先生のご子息だね?笑顔がよく似ている。学生時代、先生にはお世話になったんだ。先生はお元気ですか?最近は忙しくて中々顔を出せていなくてね」
「博士のような方に慕われる母を光栄に思います。母も仕事のほうが忙しくてパーティーには出席できなかったのですが、日々健やかに過ごしております」
今にも吹き出してしまいそうだ、と言わんばかりにが声を上げる。俺もも気取られないように必死になっているって言うのに、この猫はすこぶる楽しそうだ。
結局セルヴィア・やヒュー・ノードリーと交わしたのはこの程度の言葉だった。
よほど私事で世間に姿を現すのが珍しいのか、彼の姿を見つけた人々がすぐにヒュー・ノードリーの周りに集まり、彼は大勢に囲まれることとなった。彼は多くの紳士や婦人へ挨拶をするために俺たちのもとから去っていかねばならず、残念そうな顔をに向けてその場から去っていった。
張りつめた緊張の糸を緩めたからは、小さなため息が漏れる。
「さすが実力者」
「物腰柔らかだけれど、態度一つ一つに威厳を感じるね」
「何度逢っても緊張するよ」
同じような安堵のため息が他の二人からも聞こえた。
確かに彼は、優しそうな雰囲気の中に冷たい強さを持っているように見えた。柔らかなのは表面だけで、内に秘められた思考は計り知れないものがあるのかもしれない。
「、『高等魔術』という本を持っているだろう?」
「え、あ、うん」
「あのシリーズを書いたのがノードリー博士だよ。それ以外にも、博士が発表した魔法式の新しい法則や今までにない使用の仕方は数知れず」
「そう、なんだ……」
「父上は、今回のパーティーにノードリー博士が参加してくださったことをすごくよろこんでいたよ。ほら、今年はクィディッチのワールドカップが開催されるからね。多くの魔法使いが集まる行事なんてそんなにないし……」
ドラコはくつくつと嫌な笑みを浮かべてたちを見た。は興味なさそうに頷き、は取り繕った笑みでドラコに返事をした。
そのうちが抱けと言わんばかりに声を張り上げて鳴き始め、は彼女を俺の背中から抱き上げた。の腕で満足げに喉を鳴らしたは、軽くの指を甘噛みした。
「、ドラコ、ちょっと風に当たってくるよ。様があまりの人の多さと賑やかさに機嫌を損ねているみたいだから」
「もうすぐ使用人たちのショーが始まるが」
「ショーの佳境までには様の機嫌も直ればいいな」
丁度楽団のトランペットが人々の注目を集めるための大きな音を鳴らしたところだった。それまで思い思いに談笑を楽しんでいた招待客たちが、一斉に大広間の中央に集まりだす。テラスにいた人々も、大広間のほうへと戻っていく。
それらの人々と逆行するように、がを抱いたまま、俺を連れてテラスのほうへ足を向ける。
吹き抜ける夜風が、にぎわう会場で火照った体に心地よい。
真っ白な柵に肘をつき、闇に覆われた周囲を見渡しながらはため息をついた。
同じくテラスの柵の上に腰を下ろしたは、透き通った碧眼を爛々と輝かせてを見つめている。の足下にすり寄る俺に、彼の左手が触れた。
<面白い顔をしよって>
「あんまり僕をからかわないでくださいな。とても複雑な心境なんです」
<あやつかや?>
「……僕にとってはほんの少し前までの出来事なのに、彼は随分様変わりしていました。頭ではわかっていても、どう態度に示していいのか、感情が追いつきません」
(ヒューが博士、とは)
「ほんと、驚いちゃった。確かに魔法式の技術は学生の頃から素晴らしかったっけど。まさか、魔法研究所の総責任者にまでなってるとは思わなかったなぁ……」
(それってすごいのか?)
「彼の年齢では異例のことだと思うよ。そういえば、数年前に最年少での就任とかなんとかで新聞の一面がにぎわっていたっけな。その時は気にもとめなかったけど……まさかヒューだったなんて……」
の口からまた溜息が漏れる。
退屈そうに大きな欠伸をするの鼻先を指で軽くくすぐるの表情は冴えない。
会場の方からは、‘誉れ高き吟遊詩人の登場です!’などと言った声が聞こえてきているが、どうにもショーを見学する気分にもなれないな。
俺はの足下に顔をすり寄せ、小さく喉を鳴らした。
グラスに残っていたソフトドリンクを口の中に流し込んだは、もう一度ため息をついた。
「ショーを観に行かないのかい?」
その声は、闇夜の静けさを突然切り裂いた。
先に振り返ったのは俺だった。紳士は俺たちのすぐ後ろに立っている。動物の俺にも気づくことが出来ないくらいの気配。物腰柔らかな紳士はワイングラスを片手にの隣に歩み寄った。
「ノードリー博士……博士こそ、ショーを観に行かれないのですか?」
心底驚いた表情を見せたは、いつの間にか柵から飛び降り俺の背中の上に移動しようとしているを見つめながらつぶやいた。
心の中に押し寄せるのは大きな渦だ。ヒュー・ノードリーの顔をじっと見つめる俺に、彼は不適な笑みを見せた。
「昔から、こういった社交的な場には不向きな性格でね。最近は研究所にこもりっぱなしになってしまったから尚更、かな。風に当たろうと思ったら君の姿が見えてね」
「そう……ですか……」
「まさか先生のご子息と出逢えるとは思ってもなかったよ。学生時代は、よく先生の研究室でお世話になった」
楽しげにしゃべるヒュー・ノードリーの顔を、は真っ直ぐ見つめることが出来ないでいる。や俺に視線を移しながら、ヒューの言葉への返事を考えているようにも思える。
「……母は、ホグワーツでの教員生活について、あまり多くを語ろうとはなさらないんです」
「おや……それはまた先生らしい、かな。僕は少し特殊な身でね。本来の入学よりも半年ほど遅れて入学したんだ。その分、最初は他の生徒よりも魔法の知識に遅れがあった。半年の遅れを補うための授業は、当時スリザリンの寮監を務めていた先生が担当してくださってね」
昔話。どこか懐かしむように語るヒュー・ノードリーの声に、は社交的な返事と頷きを返すだけだ。
眠たそうな欠伸をしたが、彼をいぶかしげに見つめている。
「そうそう。ホグワーツの話を他人するときにね、必ず話している夢物語があるんだ。……というか、僕はその出来事を夢物語とは思っていないんだけど、誰に話しても‘夢だ’と言われるから、夢物語として語ることにしているんだけども……もし時間があるなら、ちょっと僕の話に付き合ってくれないかな」
「それはかまいませんが……僕のような子どもに博士の相手が務まるでしょうか……」
「僕は、君だからこそ聞いてほしいんだ」
力のこもった蒼い瞳で見つめられたは、少し怪訝な顔をして博士を見つめる。しかし彼はの表情には気を止めずに語りだした。
「それは……僕が監督生のときの話さ。ある年、珍しく四年生としてホグワーツのスリザリン寮に転校してきた少年がいた。元々どこかの魔法学校に在籍していたのか、魔法の知識に関しては申し分のない子でね。この年はスリザリンに新たに所属する生徒が多かったせいもあって、僕が無理矢理ルームメイトにして彼をスリザリン寮に留めたくらいだった」
風に吹かれた木々がざわめく。
は面白そうな表情を浮かべて俺の背中から飛び降りると、話が長くなるだろうと推測し、テラスに伏せの体制をとった俺の腕の間に移動した。ヒューとの顔はここからのほうがよく見える。
の顔が戸惑いの色を浮かべている。
「魅力的な生徒でね、あっという間にホグワーツ中の生徒の心をわしづかみにした。悪戯四人組として有名なグリフィンドールの生徒たちによく狙われてたっけな……ま、とにかくすごく素敵な生徒とルームメイトになったんだ。勉強熱心でホグワーツでの成績も申し分ない。とりわけ先生の占い学の授業に大いなる才能を発揮していた。僕も占い学の宿題を何度も手伝ってもらった記憶がある」
「……本当に夢みたいな話、ですね」
「みんなそう言うよ。そんな生徒いるはずがないってね。確かに、僕と同じ頃ホグワーツに在籍していた人たちの誰に尋ねても、そんな生徒はいなかったと口を揃えて言う。それに彼は、ある日の朝目覚めたらどこかに消えてしまっていたんだ……だからね、僕が彼と過ごしたと思っている一年足らずの時間は全て一夜の夢だったんだ、ってそう思うこともよくあるよ」
「それならやはり夢なのではないのでしょうか」
するとヒュー・ノードリーは柔らかな笑みをたたえたまま、ローブの中から小さい袋を大切そうに取り出した。
「だけどね、僕にはそれが夢でない確証があるんだ」
「……まさか。もしそんな素敵な少年が一年も博士たちとともに学生時代を過ごしたのなら、他の方々が全く知らないというのはおかしいじゃないですか……」
「もしそれが、強力な忘却術によるものだとしたら?」
「そんな。忘却術がそんなに多くの生徒に一度にかけられるはずが……」
わざと呆れたようにはため息をつき首を横に振った。これ以上おとぎ話に付き合って入られないというような態度だ。
ただ、心の中は穏やかでない。
ヒューは、俺たちとの生活を覚えているのか?
俺の頭の中にもの頭の中にも同じく浮かんでいる疑問。だけど、俺たちは見た。あの写真が空白の時を示したのを。
が行った時間の修正、記憶の修正が滞りなく成功したのは確実だった。それなのに何故、ヒュー・ノードリーはこんなにも鮮明にのことを語るのだろう。
「……これが、なんだかわかる?」
彼はに笑顔を向けたまま、手にした小さい袋を傾け、手のひらの上に小さな紅い宝石を取り出した。手のひらの上に転がった紅玉は、歪な亀裂を孕んでいた。
「紅玉、ですか?」
「そう。僕がその子にクリスマスにもらったもの。これだけが彼が残した唯一の痕跡だった」
「……こんな、亀裂の入った紅玉が……?」
「元々もらった時は亀裂なんて入ってなかった。彼が消えた日、僕は彼のことを探しまわったんだ。ホグワーツ中ね。そして見つけたのは、この紅玉。本来なかったはずの歪な亀裂の入った宝石。これだけが唯一の彼の痕跡で……そして、たとえ多くの人間が忘れていようとも、彼が僕らとともに過ごしていたと言う確証」
は紅玉を見つめ、しばらく黙った後ゆっくりと口を開いた。
「……博士、子どもをだまして楽しいですか?僕のような子どもなら、その話を信じるとでも思ったのですか?」
「まるでバカにされて憤慨だ、とでも言いたそうだね」
ヒュー・ノードリーは小さく声を漏らして笑った。
「もう少し詳しく言うとね、少年の名は・……君と同じ名だ。よく覚えてるよ、占い学の先生と同じ姓を持つ生徒だったからね」
「……僕には理解できませんね。母を慕っていたあなたの夢です。母の名と同じ姓を持つ生徒が転校してきた、と言うおとぎ話を創造をなさっただけでは?頭の中で生み出した幻想です……」
「でもその子は、紅い獅子を連れていたよ」
「僕を見て思いついたおとぎ話ですか、その話は……魔法研究所の総責任者を務めているあなたならわかるはずです。一度に大勢の人間に忘却術をかけることがどんなに難しいか。それに、もしその生徒が本当にいたんだとしても……何故いきなり大勢の生徒の記憶を消して姿を隠さなければならなかったのでしょうか」
「もしその子が、別の時代からやってきていたとしたら?」
ヒュー・ノードリーはの噛み付くような態度を楽しむかのように笑顔のままでそう言った。
体中からねっとりとした気分の悪い汗が沸いて出てくるようだ。
「まさか。時を超える魔法は場所を移動する魔法とはわけが違います。大いなる制約が伴い、それによる魔力の消費も多大です。ホグワーツの四年生程度の見習いに出来るはずが……」
「……魔法の知識が随分とあるみたいだね。さすが先生のご子息だ。一つ聞いてもいいかい?紅玉が司っている力を君は知っているかい?」
「そんなもの……紅く輝く宝石に宿る力は昼を司る太陽の力。絶対的な力によって、あらゆるものを留めておく能力を……」
そこまですらすらと言ったところでが顔色を変えた。
青ざめた顔でヒュー・ノードリーの手のひらで輝く紅い宝石を見つめる。
「まさか……」
風の音にかき消されてしまう程度のつぶやきがの唇から漏れた。信じられないと言う顔つきでヒュー・ノードリーの顔と紅玉を交互に見つめる。
<数多の知識があだになったの>
(なっ……)
<ここは紳士に分があるの。言葉巧みじゃったわ>
はふふんと鼻を鳴らしながら楽しそうに二人の顔を眺めている。
(それならヒューは覚えていたと言うのか?)
<それは、わらわの口からではなく本人の口から聞いたほうが良いというもの。ここまで証拠を示されてしまっては、もしらを切るわけにはいくまいて>
ヒュー・ノードリーは相変わらずに笑顔を向けている。はヒュー・ノードリーの手のひらの紅玉を見つめたまま微動だにしない。頭の中に駆け巡るのは、ついこの間使った記憶を書き換える魔法の呪文式だ。
の額から、汗が一粒流れ落ちた。
「……人が悪いですね、様。どうして僕にすぐ教えてくださらなかったのですか。まさか、僕が渡した紅玉が、僕の魔法の妨げになるなんて……」
一度かがみ込んだは、俺の腕の中にいるを抱き上げ、彼女の首筋を撫でながらあきらめたように呟いた。
「それなら僕は今すぐもう一度記憶の修正を試みたほうがよろしいのですか?」
<よいよい、そのように無駄に力を使わずともよい>
「しかし、記憶の修正は星の大意だと……」
<ならば紳士に尋ねてみるが良いて。記憶が残ったことによる時の流れの変化は、決して悪きほうに動いてはおらぬ>
抱き上げた猫に話しかけるを、ヒューは不思議な顔をして見つめていた。
視線に気がついたは、あきらめたような笑顔をヒューに向け、降参です、とでも言うように首を横に振った。
「まさか、こんなに長い間、君との再会を待つはめになるとは思わなかったよ、」
「僕だって……ヒューがこんなに素敵なおじさまになってるとは思わなかったよ」
「おじさま、だなんてひどいな、。あれから何年経ったと思ってるんだい?」
「……僕にとっては、ほんの数日前までの出来事なんだ」
満足げな声を上げるを撫でながら、は多少ふてくされた顔をしていた。どうにも、ヒューの言葉に上手く乗せられてしまったことが気にくわないらしい。
ショーも佳境に入ったのか、パーティー会場からは大きな声援が聞こえてくる。ショーに夢中の招待客たちは、テラスで何十年かぶりの再会を果たしたルームメイトたちがいることに気がついていない。
「つもる話は後にしようかな。そろそろ子どもは部屋に帰される時間だ。今夜は家に滞在するんだろう?」
「うん。の部屋の隣の客室に泊めていただけることになってるんだ」
「それなら後で訪ねていくよ。何十年も僕を待たせていたんだ。つもる話はいくらでもある」
緊張の糸がほぐれたのか、はやっと声を出して笑った。
ヒューの顔にも学生の頃と変わらない笑顔が浮かんでいる。
「ああ、そうだ。」
「どうしたの?」
先に会場のほうに戻ろうと歩み始めたヒューは、一度振り返るとのほうに戻ってきた。首を傾げるに近づくと、ヒューの腕がの体を包み込んだ。
「おかえり、」
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再会早すぎない?とか言わないように。
この人がいないとこの先の話が進まないのです。