総責任者の秘密


 家主催のパーティーには参加制限がある。
 成人していない魔法使いの参加は夜の十時までと決まっていて、それ以降は会場には入れない。多くの子連れの客人は一度子どもを自宅に連れて帰り、そしてもう一度この屋敷に足を踏み入れるか、もしくは子どもと一緒に帰宅する。夜十時を過ぎると客人の数は半分以下に減り、会場の音楽も華やかなものから静かなものへと変わる。
 これまで例外は認められたことがなく、夜の十時を過ぎると大広間の会場からは魔法使い見習いの姿はなくなる。、ドラコはもちろんのこと、主催者の息子であるでさえ、この規則を破ることは許されていない。

 ヒュー・ノードリーと思わぬ再会を果たしたは、使用人たちのショーが終わり、十時を知らせる柱時計の鐘が鳴ると、足早に会場を後にした。
 のために用意された客室に戻り、手早く湯殿の準備を整えると、、ドラコと共に湯殿に向かい一日の疲れをさっぱりと流した。三人とも会場の雰囲気に充てられ気分が紅潮しているようだったが、体力は限界を向かえているようで、湯浴み中は口数少なかった。
 湯浴み後、体の疲れは最高潮に達し、翌日への期待に胸を膨らませ、三人は眠りにつく準備を始めた。大きな欠伸をした三人は‘おやすみなさい’と言葉を交わすと、自分の部屋へ戻る。

 それからすぐに、大広間での大人の集まりを中座したらしいヒューがの部屋を訪ねてきた。
 ヒューは部屋にあるソファーに腰を下ろし、が俺たちのブラッシングを終えるのを静かに笑みを浮かべて待っている。
 部屋に戻ってから、は既に二度大きな欠伸をしていた。それでも自分の濡れた髪を乾かし、俺やをブラッシングするために、愛用のブラシを鞄の中から取り出していた。
 ところが、湯浴みを拒んでいたを半ば無理矢理洗ったせいか、寝台の上で毛づくろいをする彼女はご機嫌斜めのようである。ブラッシングをしようと手を伸ばすと、今にも噛み付くぞと言わんばかりにうなり声を上げるにほとほと手を焼いたのか、のブラッシングをあきらめ、俺の体毛を丁寧にタオルで拭き始めた。

 「今の様は本来の猫の意思のほうが強いみたい」
 (‘地球’じゃないってことか?)
 「うん、そんな感じ。きっと彼女の意識はどこか別のところに向いているんじゃないかな」

 大きなタオルで俺の全身を優しくなで回した後、は寝台の上にあぐらをかいて座った。そしていつもの通り俺を足の間に呼び寄せる。
 まず頭とたてがみを、は丁寧にブラッシングしてくれ、顔の辺りが整ってくるとブラシはだんだんと体、足、そして最後に尾へと進む。
 ついつい気持ちがよすぎてとの会話の最中に眠りに落ちてしまうことがあるが……湯浴み後の時間は俺にとって至高のひとときである。

 「‘様’って、随分とへりくだって猫を呼ぶんだね、

 相変わらずソファーに座ってくつろいでいるヒューは、寝台の上のに多少の興味を寄せていた。

 「それ、ドラコにも同じことを言われたよ。でも、様を呼び捨てにするなんて僕には出来ないな。母上はそれは親しげに彼女の名前を呼ぶけれど……」
 「確かに高貴な雰囲気を纏ってはいるけれど、僕にはただの猫にしか見えないんだけどな……でも、さっきもテラスで、まるで会話をするかのようにしゃべっていたよね、

 ソファーに座っているのにも飽きたのか、ヒューが寝台に近づき、必死に毛づくろいをしているにちょっかいを出し始めた。
 攻撃されてけがをしてもしらないぞ、と思いながら俺は片目でヒューとのやり取りを見ている。
 のブラッシングは俺の体の位置にさしかかったところだ。はヒューとのやり取りを、小さく声を出して笑いながら楽しそうに見つめている。

 「わざわざ大人の会を中座してまで僕の処に来るなんて」
 「あそこでの会話よりもとの会話のほうがよっぽど僕には魅力的だ」
 「僕は、夜の十時以降の大人の会にすごく興味あるんだけどな」

 怒ったに引っ掻かれそうになったヒューが慌てて手を引っ込める姿に声を立てて笑いながら、は寝台の上にブラシを置いた。

 「懐かしいな、をブラッシングする姿。全く変わってない。昔、イーノックがの鬣をリボンみたいに結んでしまった時も、は丁寧にブラッシングしてほどいてあげてたっけ」
 「……それは、ヒューにとっては何年くらい前の話になるの?」
 「十年、いや、二十年くらい前の話になるのかな。学生時代なんてとうに過ぎ去ったよ」

 ヒューは苦笑し、今仕上がったばかりの俺の鬣に触れようと手を伸ばした。
 丁度そのとき、が自らの足の間に体をおさめたものだから、ヒューは感心して、俺に伸ばしていた手をに向けた。とたんは低いうなり声を上げ、ヒューを威嚇する。ヒューとの様子には声を上げて笑い、目尻に溜まった涙を指で拭い取っている。

 「この白い猫はどうやら僕のことが気にくわないらしい」
 「そんなことないよ。ただ、様は今、ご機嫌斜めなんだ」

 の手が寝台の上のブラシをもう一度つかみ、の体に優しくそれを当てた。

 「……が去った後、一番大変だったのはイーノックの癇癪だったな。覚えてる?イーノックのこと」
 「忘れるわけないじゃないか。イーノックはちょっと甘えん坊の弟みたいで可愛かったもの」

 頭の中にイーノックの笑顔が浮かぶ。

 「一週間、いやもっとかな。イーノックの塞ぎようといったらもう……食事もほとんど食べなくなったし、授業が終わればすぐ北塔の研究室に向かってたよ、彼。夜は一人じゃ眠れないみたいで、消灯時間ギリギリまで談話室にいては、僕に‘一緒に寝てくれ’って駄々をこねてたっけな」
 「それって……なんだかすごくイーノックらしい」

 髪をかきあげながら、懐かしそうにを見つめるヒュー。
 俺たちにはほんの数日前までのことに思えることが、二十年前の出来事だったのかと思うと、軽くめまいがする。

 「それじゃ、いなくなった僕がもう一度現れる今日まで、ヒューは何をしてたの?」

 の白い前足の片方をブラッシングしながら、がヒューに尋ねる。
 ヒューがのことを知りたがっているのと同じくらい、俺たちもヒューが過ごしてきた二十年間を知りたがっている。

 「んー……そうだなぁ。がいた頃、僕は就職のことで悩んでただろう?あの時は魔法省にでも就職して平凡な人生を歩むのかな、って思ってたけど。がいなくなったときに、今度に出逢うまでに僕に出来ることは何だろうって考えて……しばらく世界を放浪して廻ってた」
 「……放浪?」
 「そう。まぁ、とある高貴な身分の方のほとんど付き人に近い形で、だったんだけどね。その間、色々な魔法の研究をして、いくつか本を出版したな。それで……まぁ、色々あって、イギリスに帰ってきて、ほとんど屋敷に篭りっきりで世界で見てきた魔法の研究を続けてた。そうしたら数年前、僕の研究を高く評価する人が現れて、めでたく魔法研究所の総責任者、なんていう地位につくことになった」

 の長い尾をブラッシングしているの手が止まる。が不満げな声を出す。すぐにはブラッシングを再開したが、ヒューの言葉に何か引っかかることがあるのか、頭の中にいろんな計算式が浮かび上がっている。

 「ってば‘いもむしグミ’が苦手だったっけ。ホグズミードのお菓子屋さんで驚いてたのをよく覚えてる」
 「あれは……食べ物じゃないよ」

 くねくねと動くいもむしグミを思い出したのかが苦い顔をした。ヒューはの顔を見て笑い、の寝台の上に腰を下ろした。

 「ああ、そうだ。グリフィンドールの四人組が卒業した年に、先生もホグワーツを去ったんだ。僕は既に卒業していたけど、そのことを知ったときのイーノックを初めとするスリザリンの生徒の落胆っぷりは歴史に残るほどだった。イーノックったら一時間に一度はダンブルドアにふくろう便を送ってたらしいよ」

 二十年。
 ヒューの見た目が流れた時の長さを物語る。
 けれどヒューは見た目ほど性格が大人びてしまっったわけでも、ひねくれてしまったわけでもないようだった。
 のブラッシングを終えたは、眠たそうに大きな欠伸をしてヒューの膝の上に頭を乗せた。

 「もう寝るのかい?僕はまだ君と話し足りないって言うのに」

 少しふてくされた顔をしたヒューが上からの顔を覗き込んでいる。は満足げな笑みを浮かべてヒューを下から見上げている。
 肉体に親子ほどの差があれど、二人の心の絆は長い時に隔てられても尚繋がっているようだ。

 「……ずっと待ってたよ、
 「ヒュー……」
 「僕に何も言わずに去るなんてずるいじゃないか。僕は君に‘僕が君を守るよ’って誓ったって言うのに……君の存在が僕の前から消えちゃったら、守るものも守れない」

 少し意地悪な顔をして呟くヒューに、は面食らったような顔を見せた。
 するとヒューは鼻を鳴らして笑い、の体にその手を乗せた。まるで父親が息子を寝かしつけるかのような優しい仕草で、一定のリズムを刻みながらの背を撫でている。
 がまた大きな欠伸をした。
 の腕の中に丸く収まり、と同じように欠伸をすると碧眼を閉じた。耳はの呼吸に合わせて時々動くから、意識まで本当の眠りに落ちているわけではないのかもしれない。

 「んー……僕はヒューにこんなに早く再会するとは思ってなかった」
 「二十年も待たせておいて?」
 「僕にとっては数日前の出来事だもの。帰ってきてから二日くらい思い悩んでた。三日目にこのパーティーの招待状が届いて多少気分は浮ついたけど……それでもやっぱり、あの時代で過ごした日々も楽しいことがいっぱいあったからね。みんなが忘れちゃってるんだ……って思うと辛かった。それに、ハリーのご両親は……」

 眠い目をこすりながらが小さく呟いた。ヒューは複雑な表情でを見つめていた。
 なんだか俺も眠くなってきた。
 の背中にぴったりくっついて伏せの体制をとった俺は、の鼓動を間近に聞きながら、ヒューの手がの体に与える落ち着いた振動を感じ取る。この振動は、なんだか無償に眠気を誘う。

 「面倒見のいいお兄さん、だったヒューが数日後にはお父さんみたいになってる……なんて驚きだね」
 「それを言うなら、僕だって驚いたよ。二十年も経ってるのに全く変わってないの姿にね。もっとも、君のその姿を見れば、別の意味で君に驚く人間も今は多いだろうけど……」

 いよいよ眠気が最高潮に達してきたのか、の呼吸が深くなった。思考回路も夢の中へ誘われていったのか、俺との繋がりが遮断される。
 それでもしばらくヒューは一人で呟きながらの背中に優しく落ち着いた振動を与えていた。その振動は俺をもだんだんと深い眠りの中へ誘っていくようだった。



 「……君は全く変わってないね、

 ふと、まどろんでいた俺は、ヒューの右腕が今まで持っていないものを手にしたのを感じて目を開けた。
 は依然ヒューの膝の上で眠りについたままで、ヒューの左腕はをあやすように彼の背中を撫でている。しかし、ヒューの右腕には今まで握られていなかった杖が握られ、彼との体は淡い光に包まれているように見える。
 はっと気がついた俺はとっさにの身をひらりと飛び越えると、ヒューの右腕から杖をとろうと低いうなり声を上げて飛びかかった。
 しかしヒューは間一髪のところで俺の体をかわした。とヒューの周りに見えていた淡い光は消え去ったものの、ヒューは一体何をしていたのか、不信感が募る。

 「おっと……僕は君たちに危害を加えるつもりは全くないよ。そんなにうならないでくれ。せっかく寝かしつけたが起きてしまうじゃないか」

 、起きろ。

 の頬に触れ、舐めてみたり、握られた手を軽く甘噛んでみたが、表情を変えるもののは一向に目覚めそうになかった。
 一体に何をしたんだ?
 俺の懐疑心はますます募るばかりだ。ヒュー、お前は一体……

 「……に会わせたい人がいるんだ。でも、特殊な事情があって、必ずを眠らせてから連れてくるようにと言われてる。……僕にとってもその方にとってもはとても大切な人物だ。僕はを連れてくるように仰せつかっているけれど、に危害を加えることは決して許されていないし、それをする気もない。……って、わかってくれるかな?」

 杖こそ離さないが、ヒューは俺に攻撃をしてくるわけでもなくそう言った。
 確かに俺は、ヒューがをひどく慕っていたのを知っている。とはいえ、いきなりをどこへ連れて行こうというんだろうか。
 うなり続ける俺に、ヒューはまいったな、と心底困ったような顔をした。

 「わかった。本当はだけをこっそり連れ出そうと思ってたけど、君も連れて行くよ。僕が少しでもに危害を加えていると君が判断したなら、いつでも攻撃してくればいい」

 ヒューはそう言うと一度杖を振り呪文を唱えた。何としてでもをどこかへ連れて行きたいらしい。
 さっきとヒューの周りに見えていた光が、今度は俺の体も包み込んでいる。
 事の真偽を確かめたいが、が眠っている以上俺はこのままヒューに手を出すことも、ヒューの前でいきなり人の姿になることも出来ず、ただの側に控えているしかない。歯がゆいところだが、が目覚めるまでこいつに従うしかないのか……

 やがて、魔法の力が俺の体を浮遊させ、この部屋とは違うどこかへ運んでいくのがわかった。


























 たどり着いた場所は荒れた屋敷の一室だった。俺は辺りを見回した。
 夏だというのに暖炉には火が灯され、部屋の中は妙にカビ臭かった。部屋の至るところにほこりがたまり、部屋の中も荒れ果てている。
 部屋の明かりは暖炉の火だけだった。その灯が壁に蜘蛛のような影を長く投げかけている。暖炉の側には肘掛け椅子がある。
 誰かがそこに座っているのだろうか……
 すぐ側の暖炉マットの上には、ゆうに四メートルはあるだろう大きな蛇がとぐろを巻いてうずくまり、鎌首をもたげて俺たちをじっと見つめていた。

 ともかく不気味な場所だった。絨毯の上に横たわるが目を覚ます気配はない。の家に置き去りにされてしまった。尤も、仮に彼女がこの場にいたとしても、彼女には今‘地球’の意思が宿っていない状態だから、ここにいても率先力にはならないだろうが。
 は俺が守るしかない。隣で眠っているには誰も触れさせまいと俺は身構えた。

 「遅かったではないか

 投影された影が揺らめいたと同時に、不自然に甲高い、そして氷のような風が吹き抜けたかのように冷たい声が、肘掛け椅子の方から聞こえた。
 をはさんで俺の反対側に姿を現したヒューは、片膝をついてその場に控えている。

 「申し訳ございません、ご主人様。彼の体内に宿る魔力のあまりの大きさに多少時間がかかりました」
 「……まぁ、よい。ワームテール、お前はそこに転がっているゴミを片付けろ
 「ひ、はっ、はい……」

 肘掛け椅子と距離を置いて立っていた男は頭にはげのできた小男だった。揺らめく暖炉の灯に照らされた男の顔を俺は知っていた。

 「紅獅子も連れてきたのか?
 「の側を離れようとしなかったものですから」

 がたんっ、と嫌な音が響く。ワームテールと呼ばれたはげの小男が、心底嫌そうな顔をして、もしくはおびえた顔をして、だらんと手足のぶら下がった老いた人間のようなものを引きずっているのが見える。暖炉の灯に照らされうごめく影が不気味だった。
 ヒューはの横で跪いたまま、肘掛け椅子の方を注意深げに見つめている。
 やがて、動かない人間のようなものに魔法をかけたワームテールは、それを窓から勢いよく投げ捨てた。
 ……不思議と、下に落ちる音は聞こえなかった。

 「ではお前はしばらくの間そこで寝ているが良い
 「……と、申しますと、ご主人様……」
 「ヒューよ、呪文をかけろ

 何も言わずに杖を振り上げたヒューが、ワームテールに向かって呪文を唱える。すぐにワームテールは目も耳も口も塞がれた状態で床に転がった。何事か唸っているようにも見えるが俺たちに奴の声は聞こえない。
 ごそごそと肘掛け椅子の上にいる誰かが動く気配がした。相変わらずヒューは黙って肘掛け椅子の方をじっと見つめている。
 しばらくすると、肘掛け椅子から声が聞こえた。

 「……あまり負担はかけたくないからね。この程度にしておこうかな」

 はっとなって俺は顔を上げた。
 さっきまでの冷たい不自然に甲高い声とは違う……それは、まだ声変わりを迎えていない子どもの声のようだった。しゃべり方もどこか先ほどの太々しいそれと違っている。

 「ヒュー、ここへきて僕の体にローブを着せてくれ。これだけ魔力を吸い取れば、異変に気がついてそのうちも目を覚ますだろう」

 すっと立ち上がったヒューは音もなく肘掛け椅子のほうへ歩み寄り、ごそごそと何か作業をし始めた。それが終わると、肘掛け椅子をの眠っているこちらのほうへ向けた。

 そこに座っていたのは、五歳児程度の体をした、紅い瞳を持つ子どもだった。の小さい頃によく似たその子どもは、長いローブをたくし上げ、不満げに杖をくるくると指で弄んでいる。
 俺にはこの光景が信じられなかった。

 「何を驚いた顔をしてるんだい、。君まで連れて来るとは思ってなかったけど、君は立派にの護衛を務めているようで僕は安心したよ」

 不適な笑みを浮かべた色白の少年は、紅い瞳で舐め回すように俺の全身を見つめた。
 きっと俺の目は驚きと戸惑いの色を浮かべていたことだろう。くつくつと笑いながら、ヴォルデモート卿が俺を見つめている。

 「……ん……?僕、いつの間に眠っちゃったの……?」

 ごそりという音とともに、が体を動かした。寝ぼけ眼で上半身を起こしたが、片手で目をこすりながら、もう一方の手で俺の体を探している。
 が俺の体を見つけて安心したように手を触れた。きっとその瞬間に、俺が見た全てがの中に流れ込んでいっただろう。
 すぐには困惑した顔で俺から視線を逸らし、肘掛け椅子のほうへ目を向けた。

 「な……ん、で……」
 「やっと起きたかい、

 はひどく混乱していた。
 それは無理もないことだ。今、俺たちの目の前には幼子の姿をしたヴォルデモート卿の姿があり、目も耳も口も塞がれたはげの小男ワームテールが部屋の少し離れた場所に転がっている。おまけに、ヴォルデモート卿の座る肘掛け椅子のすぐ側の暖炉マットの上には、巨大な蛇がとぐろを巻いて座っている。ヒューはヴォルデモート卿の座る肘掛け椅子のすぐ横に控えめに立っていた。
 眠りに入る前のことを必死に思い出しているのか、ヒューと楽しく部屋で語っていた情景が頭の中に浮かんでくる。

 「こ、ここは一体どこですか?僕はどうしてこんなところに?それにどうして僕の目の前に幼子の姿の父上がいらっしゃるのでしょう……」

 のその問いに、ヴォルデモート卿は笑いを返した。説明してやれ、と言わんばかりにヴォルデモート卿がヒューを見る。

 「いきなりこんなところに連れてきてごめんね、。どうしても君を僕のご主人様に引き合わせなくてはならなかったんだ。……彼が僕がお仕えしているとある高貴な身分の方だ」

 ヒューは幼いヴォルデモート卿の方を向いて会釈した。
 それからもう一度に視線を戻す。

 「本当は、家のパーティーに参加することは前々からわかっていたことだった。ご主人様は君に直接お伝えしたいことがあるとおっしゃってね。申し訳ないとは思ったんだけど、魔法でここに連れてきた」

 ヒューはすまなそうな顔をしてを見つめていたが、の目は幼いヴォルデモート卿に釘付けだった。
 俺に触れた手が、不安を拭うかのように上下に動いている。

 「……僕に、直接伝えたいこと、ですか?」

 はヒューがをここに運んだことに関しては大して何も思っていないようだった。それよりもの目を惹き付けて離さないのが、あまりに幼い姿のヴォルデモート卿だ。
 たくし上げた袖から出るヴォルデモート卿の腕が、を手招きした。
 誘われるままには肘掛け椅子の側に歩み寄り、その場に膝をついた。肘掛けに両手を振れると、身を乗り出してヴォルデモート卿を食い入るように見つめている。
 小さなヴォルデモート卿の手が、の頭に優しく触れた。その手は次第にの顔に降り、輪郭をなぞるように動く。

 「今はまだ君の魔力を借りてもこの程度の姿にしかなれない。僕の力は回復していないし、肉体もかりそめのものだ。だけどね、。僕はとてつもなく有益な情報を手に入れたんだ。一年がかりの長い計画になりそうだけれども、これが成功すれば僕は元通りに復活することができる」

 猫撫で声でヴォルデモート卿が囁く。
 はただヴォルデモート卿の言葉に耳を傾けている。

 「闇の帝王ヴォルデモート卿の復活……計画を実行に移すのはクィディッチ・ワールドカップが終わってからだ。僕に忠実な頭のある下僕をひとり再び加え、事は滞りなく進むだろう。今年のホグワーツは三大魔法学校対抗試合を開催するんだとか。あそこで転がってもがいているワームテールが、わずかな閃きを見せてね。魔法省のバーサ・ジョーキンズから聞き出した情報なんだけども……」

 くつくつと、笑いがこらえきれないというように声をあげながら、ヴォルデモート卿は楽しそうにに語りかけている。
 横に転がった醜い太った男をにらむように見つめたは、すぐに視線をヴォルデモート卿に戻した。
 古びた分厚い本と、中に書かれた文字。の頭の中に浮かんだその映像は、いつどこで得た情報なんだろうか……

 「……ハリーが……ハリー・ポッターが必要不可欠なんですね?その計画には」
 「さすが僕の後継者だ」

 の言葉に、ヴォルデモート卿は満足げな笑みを浮かべた。

 「古い本で読んだことがあります。確かとても古い闇の魔術だったと思いますが……父上が行おうとしているその魔術では、確か、敵の血が必要だったと記憶しています」
 「そう。でも、君にハリー・ポッターの血を採取してくれなんて僕は言わない。君とが僕に関わるのは、最後でいい。この計画はつつがなく行われるだろう。ただ君は、ホグワーツに、僕の忠実な下僕が侵入することを知っていなくてはならないよ、
 「忠実な……下僕……」

 はちらりとヒューのほうを見たが、ヒューもヴォルデモート卿も首を横に振った。

 「ヒューじゃない。ヒューの立場は少し特殊なんだ。他にやってもらうことが山ほどあるし、ヒューは僕に忠誠を誓っているけれど、それと同時に君にも忠誠と守護を誓っているからね。ヒュー以外に適任者を送り込むよ」

 ヴォルデモート卿は片手で杖をくるくると回し、もう片方の手での頭を優しく撫でている。
 の足下にすり寄る俺を、の手が優しく撫でた。
 最初こそ戸惑ったものの、はこの状況を割とすんなりと受け入れている。
 俺にはわからないことばかりだが、それを今この場で言っても仕方がないだろう。帰宅してからに説明してもらおう。

 「いいかい、もし下僕がへまをやらかして、君のことを特別に扱ったりしたら……君はきちんと僕の後継者としての態度を取るんだよ。君がこの計画に直接的に関わることを僕は望んでいない。けれど、君に不利になる状況を創り出す可能性がある場合には、多少の手回しをしなくてはいけないよ、。ヒューも君の力になる」

 ヴォルデモート卿が視線を送ると、ヒューは静かにその場に跪いた。まるで主に忠誠を誓う騎士のようだ。
 暖炉の揺らめく炎がヒューの顔を照らしだす。その顔は真剣だった。

 「さて、そろそろ限界だ。あまりの長旅で僕の仮の体も疲れを大いに感じているようだ。を連れて帰る前に、そこにいる薄汚いねずみの魔法を解いていってくれ、ヒュー。これには忠誠心も頭もないけれど、世話をさせる程度の能力はあるからね」

 ふっと杖を振りかざしたヒューの呪文がワームテールにかかる。
 それまで床の上でのたうち回っていたワームテールが、ぜいぜいと肩で息をしながらその場で立ち上がった。
 も俺もその様子を吐き捨てるように見つめていた。

 「行こう、
 「うん……」
 「では、失礼いたします、ご主人様」

 既に肘掛け椅子は暖炉のほうを向いていた。
 ヴォルデモート卿に軽く会釈をしたヒューは、その杖を俺たちのほうに向け、静かに魔法をかけ始めた。
 ここへやって来たときと同じように、俺と、そしてヒューの体は淡い光に包まれる。周囲の景色がだんだんと薄れていき、自分の体に魔法が干渉する気持ち悪い感覚が俺を襲う。
 去り際にが呟いた。

 「父上……」

 それは、複雑な声色だった。



























 「教えてくれれば良かったのに。そうすればだってヒューに歯向かったりしなかったよ、きっと」

 誰にも知られずこっそりと客室に戻ったは、今度こそしっかりと寝台に横になってそう言った。
 寝台の横に準備した椅子に座ったヒューは苦い笑みを見せ、枕に頭を預けたに掛布をかける。

 「……僕のこと、責めないのかい?」
 「どうして?」
 「どうして、って……僕は君をだますようなことをしたからさ……」

 ヒューはばつが悪そうにうつむいていたが、はきょとんとした顔をしてヒューを見上げていた。眠そうな紅い瞳に、ヒューの蒼い瞳が映っている。

 「僕は、幼子の姿とはいえ、父上に会えてすごく嬉しかったよ。連れて行ってくれてありがとう、ヒュー」
 「……」
 「闇の帝王が復活すれば世の中の流れはきっと変わる。すごく複雑な思いが胸の中を渦巻いている。だけど……それでも僕は、自分の父親が元の姿で僕の前に現れる日を望まずにはいられない」

 閉じる直前に真っ直ぐヒューを見つめたの紅い瞳は 複雑な色をたたえていた。






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 ヴォルデモート卿の美学によれば、醜い姿を息子には見せられない、らしい。