身命を賭す覚悟
ドラコの父親、ルシウス・マルフォイ氏が計画した遊びの為に、混乱した大勢の魔法使いが森に逃げ出していた。
途中で木々の間からキャンプ場の様子を楽しげに眺めているドラコと、木の根に躓いて下品な声を出したウィーズリーたちと出逢ったが、彼らの口喧嘩を聞いている気分にはなれず、僕ももドラコに簡単な挨拶をすませただけで、森の奥に歩き続けた。しばらくは後ろのほうからおよそ紳士的とは言えない悪態が聞こえてきていたように思う。
子どもが泣き喚く声、不安げに叫ぶ声、恐怖に戦く声が夜気を伝って聞こえてくる。
僕らの進んできた小道は、不安げにキャンプ場の騒ぎを振り返る人でびっしり埋まっていて、前にも後ろにも身動きが取れない状態にある。僕との距離はとても近かったし、腕の中にいるニトや足下にいるはとても窮屈そうだった。
顔も見えない誰かに体を押される感覚は不快なものでしかなく、はぐれないようにとつないだ手に無意識に力が入る。
も僕の手を握り返してくれた。
丁度その時、爆弾の破裂するような音がキャンプ場から聞こえ、緑の閃光が、一瞬木々を照らした。
「……派手にやってるね」
「全くだ。この混乱が面白くて仕方ないんだろうな」
きっと彼らにとっては同窓会と同じような感覚なんだろう。闇の帝王が猛威を振るっていた時代……平然とマグル粛正が行われ、公然とマグルを差別し彼らに危害を加えていた時代のように、みんなで集まって騒ぐのが愉快なんだろう。
騒ぎの音が聞こえてくるたびに森の中に不安げな声が響く。これだけ大勢の人間が、おのおのの不安を口にしたら、恐怖はどんどん広がっていくだろうな。一番怖いのは、こういう騒ぎで魔法省の機能がきちんと動いていないときに、何か大きな犯罪が行われることだろうと思う。
……僕の胸に小さな不安がよぎる。
屋敷しもべ妖精の側にいたであろうあの気配の正体を、結局ノードリー博士は僕に教えては下さらなかった。
僕らが進んできた小道の方から、寝間着に上着を羽織っただけの幾人かのティーンエイジャーが固まって言い合いをしながらこちらにやってきた。
見慣れない顔つきの短髪の青年が一人、僕らのほうに片手を上げてやってくると、何か早口にしゃべりだした。
「ウ エ マダム マクシーム? ヌ ラヴォン ペルデュー」
それは聞き慣れない音の言葉だった。僕は驚いて青年を見返した。一体僕たちに何を聞いているんだろうか。
「ジュ スイ デゾレ.ヌ ゼティオン エテュディアン ア ラ オグワーツ」
けれどもっと驚いたのは、隣にいたの口からすらすらと彼らと同じ異国の音が流れ出たことだった。元々語学が堪能なのは知っていたが、こうして目の前でいとも簡単に外国語を操るの姿を見るのは初めてで、僕は大きな衝撃を受けた。
は彼らよりもいくらかゆっくりと、時には身振り手振りも合わせて、どうやら現在の状況を説明しているようだった。
「ジェ コンプリ.メルスィ」
おそらく僕らよりも年長であろう青年は、感心した顔をしてを見つめ、と握手を交わした。それから友人たちのほうへ戻ると、すぐに人込みをかき分けて小道の先へと姿を消した。
「……すごいな、」
小さく息を吐いて振り返ったは、僕の言葉を耳にすると少し照れたように頬を染めてはにかんだ笑顔を見せた。
「あの人、ボーバトン魔法アカデミーの人なんだって。僕らのこと、ボーバトンの生徒だと思ったみたいで、“先生とはぐれてしまったんだけど、先生がどこに行ったか知らないか”って聞いてきたんだ」
「ボーバトン魔法アカデミー……確か、南部にある魔法学校だったか」
聞いたことがある。ボーバトン魔法アカデミーは確か、ホグワーツ、それから北部にあるダームストラングと並ぶヨーロッパ三大魔法学校の一つだ。クィディッチのワールドカップの、それも決勝戦だ。他国から観客が訪れていても別段不思議ではない、か。
「とても流暢に外国語をしゃべっていたな、。僕は驚いたよ」
「そんなこと無いよ。きちんと伝わったか不安でしょうがないもの」
「彼らの顔を見ている限り、何も問題なかったように思うが」
そう言うと、はますます照れた顔をして外套の裾を両手で握った。
どうやら森にいる人々に動きがあったようだ。またすぐ後ろから大勢の魔法使いたちが森の奥へ向かって進んできているのがわかったから、僕は一度離してしまった手をもう一度とつなごうと、彼に手を伸ばした。
けれどその時、大柄な男があわてて後ろのほうから走ってきて、僕との間のわずかな隙間を抜けようとし、の体を大きく跳ね飛ばした。
「おっと、ごめんよ。だけど、そんなとこに突っ立ってたら危ないぜ」
酒気を帯びた臭いを周囲にばらまきながら、走る足を止めること無くこちらに振り返りそう言った男は、だけでなく他にも魔法使いを何人か突き飛ばしながら、小道の先に消えて行った。
よろめいたは地面に尻餅をついていた。が心配そうにに寄り添い、は目を見開いて男の去って行った方向をじっと見つめていた。
「大丈夫か、」
「う、うん。大丈夫。ちょっと驚いたけど……」
は僕が差し出した手につかまって立ち上がった。に話しかけながら彼の体を撫で、外套についた泥を払っている。
「これだけ人が多いと、誰か一人が転倒しただけでも大事故に繋がりかねないね。みんなが連鎖して転倒していったら、起き上がる間もなくつぶされてしまう気がする」
「怪我はしてないか?」
「心配してくれてありがとう。大丈夫だよ。変な疑いをかけられないためにこうして人混みに紛れているけど、あんまり大勢の人の中にいるのって疲れちゃうよね。こんなに大勢魔法使いがいるのに、みんな律義に魔法を使わず地上を逃げるなんてね」
空はあんなに広いのにな……と、は夜空を見上げて呟いた。
魔法省の指示が徹底しているのか、それとも人間は切羽詰まると魔法族だろうがマグルだろうが関係なく、本能のままに恐怖から走り去ろうとするものなんだろうか。
確かに空は広く、星はいつもの通り瞬いていた。
「ん?どうしたの、」
の外套の裾をがくわえた。
時々は、まるでと会話をしているかのような対応をすることがある。は常にのことを気遣い、はのことをとても大切に扱っている。きっと二人の間には友情を越えた深い絆があるんだろうな……
そう思うと僕は少しだけに嫉妬を覚える。の身に危険なことが起きた時、僕はいつも蚊帳の外で彼を心配することしか出来ないのに、は常にの側にいてを護ることが出来る。自分でもおかしいと思うけれど、僕は僕の今の立場が歯痒くて仕方ない。の側にいるのに、肝心なときに側にいられない。それでいいんだろうか……っていつも思う。
「、行こう?」
「え?」
「もしかして聞いてなかった?がね、僕たちを上空に連れて行ってくれるって言ってくれたんだ。の背中に乗って空に行こうよ。僕、これ以上ここにいたら気分が悪くなる気がしてきてて……」
僕の外套の端を引っ張ったは既にの背にまたがっていた。も僕が乗りやすい体制で待っていてくれているようだ。そう言えば前もの背中にまたがって空を飛んだ気がする。あのときは……そうだ、ホグワーツの秘密の部屋からの帰り道だった。
僕はすこし遠慮がちにの後ろに乗った。ニトを足の間に挟み込んで落ちないように固定すると、の腰に手を回す。
は僕ら二人がしっかり乗っていることと、周囲の人がこちらを見ていないことを確認すると、勢いよく地面を蹴った。
「うわっ」
箒が宙に浮くのとは違う不思議な感覚がする。足が地面から離れ、重力に逆らって空に浮かび上がっている。箒は安定して空に浮かび上がるけれど、空を駆けるという形で浮かび上がる場合は、乗馬をしているような状態によく似ている。ただ足下が安定しない分、空を飛ぶ感覚に慣れるまではすこし不安になる。
「見て、。あんなに大勢の人が森の中に詰めかけてる」
が身を乗り出し地上を指差した。
森の中には小さな人形のような人影が所狭しと並んでいて、どれが木でどれが人なんだか見分けがつかないくらいだった。あんな人混みの中にいたのかと思うと頭がくらくらしてくる。
「いい気持ち。ありがとう、。なんだか解放された気分だよ」
「風が気持ちいいな」
僕たちはほぼ同時に伸びをした。窮屈だった人混みからはなれ、冷たい空気を肺に深く吸い込むと、体中が洗われたような気分になった。胸につかえていた不快なものも全て吐き出せた気がする。
僕の腕の中でずっともがいて不満げな声を出していたニトは、甘ったるい鳴き声を出して僕に甘えているし、上空の適当なところで移動するのをやめて空中に浮いているだけになったは、首を後ろに向けてに甘えている。
遥か下方に見えるキャンプ場からはまだ不可思議な煙が上がっていた。うっそうと茂る木々の間に所狭しと魔法使いたちがひしめき合っていて、森の中は相変わらずの大渋滞だ。おかしなことに、その森の道を少し外れたところに開けた場所があるのに、そこにはほとんど誰もいなかった。
「魔法省の人たち、彼らを捕まえられると思う?」
「無理だろうな。既にこれだけの魔法使いが森に詰め寄せて大混乱が起きてるんだ。事態の収拾に追われて、結局しっぽもつかめずに終わると思う」
「抜け目無いもんね、ルシウスさん」
こうして空から地上を眺めていると、地上の様子が滑稽に思えてくる。人がたくさん集まれそうな開けた場所には誰もいない。どうしてみんなあんなに狭い道にびっしりと並んでいるんだろう。戦闘はさらに奥へ進んでいるみたいだが、森の奥へ進んだところで被害が少なくなるか、と言えばそう言うわけでもないだろうに……
「……ヒューはどの辺りにいるのかな……」
「魔法省の人たちと一緒にいそうだが……」
「でも、ヒュー自身、結構楽しんでいるみたいだからね、この騒ぎ」
「博士は立ち回りが上手いだろうからな……魔法省に協力していると見せかけて、事態の収拾に入れる力を抜いているような気がする」
は上品に声を立てて笑った。キャンプ場でぐるぐると動き回っている一団は、その周囲を取り巻く魔法使いたちをあざ笑うかのように移動していて、時々緑色の煙が上がる。
それにしたって大人の遊びっていうのは大掛かりだな。
風になびく髪をかき上げ、僕は何の気なしに森全体をぐるりと見渡した。
「あれ?なんだか人の動きが変わってない?」
「ん?」
するとが呟いた。森の奥へと逃げていた人の集団を指差している。
「……進行方向が逆になった……」
「何かあったのかな」
森の奥へ進んでいたはずの集団が、今度は来た道を逆走している。その動きの速さは凄まじく、ついさっきまで最後尾だった人たちが一目散にキャンプ場に向かって走っているし、一番奥まで進んでいた人々は一刻も早くその場から去りたいのか、森の中を散り散りになっている。何かあったのかもしれない。
「あ、れ……」
が僕のほうを振り返り、前方を指差した。顔面蒼白になり、体が小刻みに震えている。
の示した方向に視線を向け、僕もそれを視認した。
森の開けた場所の上空に、巨大な髑髏が浮かび上がっている。エメラルド色の星のようなものが集まって描く髑髏の口から、舌のように蛇が這い出していた。緑がかった靄を背負ったそれは、あたかも新星座のように輝き、真っ黒な空に刻印を押した。
「……闇の印、だ……」
呟いた言葉は夜の闇に吸い込まれていく。
真っ黒な空に刻印を雄巨大な髑髏。幾度も話に聞いてはいたけれど、実際にこの目にするのは初めてだった。
もう十三年以上もこの世に現れなかったあの印は、闇の帝王やその家来が、誰かを殺す時に決まって打ち上げた印だったという。この髑髏が空中に上がっていた時代、どれほどの恐怖が魔法界に覆いかぶさっていたか想像するのは容易い。帰宅して自分の家の上に闇の印が浮かんでいるのを見つけたら、家の中で何が起きているのかわかる。それがどんなに人々の恐怖を掻き立てたことか……
人の流れが変わったのはあの印のせいだ。闇の帝王がハリー・ポッターによって瀕死の状態にまで痛めつけられてからまだ十四年も経っていない。魔法使いの多くは闇の帝王が力を持っていた時代を鮮明に覚えている。
「どうして……一体、誰があれを……」
震える声でが呟く。の気配が動揺して不安定になっていた。
きっとの心に走った衝撃は相当のものだ。僕の驚きよりもずっと。
キャンプ場で騒いでいたルシウス・マルフォイ氏の一団はもうどこにもいなくなっていた。狂ったように恐怖に怯えテントに駆け込む人たちと、この大騒ぎをどういう風に収集したらいいのかわからず呆然としている魔法省の人間が見える。
「……僕にはわからない。ヴォルデモート卿が力を持たない今、あの印を打ち上げる理由が、僕にはわからない」
「……ああ。キャンプ場でマグルを宙に浮かせて操っていた連中ではないのは確かだと思うが……」
「あの印はヴォルデモート卿やその家来である死喰い人しか創り方を知らないはずだ。だけど、今夜キャンプ場で騒ぎを起こした死喰い人の残党は間違ってもそんなことはしないだろうし……」
それは至極当然の考えだ。ルシウス・マルフォイ氏をはじめ、かつて闇の帝王側についていた魔法使いの中で、アズカバン行きを逃れた者は皆、巧妙に工作をしてありとあらゆる嘘をつき、闇の帝王が凋落した時、自分たちは何の関わりもありませんでした、と闇の帝王との関係を否定して日常生活に戻った者だ。彼らがあの印を打ち上げることは考えられない。
現に、仮面の集団はあの印が浮かび上がった途端、蜘蛛の子を散らすように姿をくらませた。
でも、それなら、一体誰が……
「……もしかして……」
僕は、ウィンキーの側に感じた不可思議な魔力を思い出した。あそこにいたであろう姿の見えない人物はを敬愛するような気配を纏っていた。
その人物が、闇の帝王を熱烈に支持する死喰い人の一人だったとしたら……闇の帝王と同じようにのことも強く慕うに違いない。そして、かつて死喰い人として共に世の中を恐怖に至らしめていた連中が、闇の帝王の凋落の後のうのうと日常生活を平和に送っていることを知ったとしたら……彼らを怖がらせるために闇の印を打ち上げたのかもしれない。
「、クィディッチを観戦した時、屋敷しもべ妖精のウィンキーが側に座っていたのを覚えているよね」
「……うん」
「そのすぐ側に、不安定な魔力の気配がしたんだ。姿は見えなかったけど、彼女の側には確実に誰かがいた。それも……君のことを慕う誰かが」
「そんな……」
は両手で口を押さえ首を横に振った。
「でも、彼はアズカバンで……」
「確証はない。もしかしたら僕の思い違いなのかもしれない。でも確かに君を慕う不安定な魔力を感じたんだ。それに、闇の帝王の熱烈な支持者だった彼なら、あの印を打ち上げた理由も説明がつく……」
「そんなこと……」
続く言葉を飲み込み、口の辺りを押さえたは、視線を下に落とした。
闇の印が現れた場所には数名の魔法使いが集まっている。
「……とにかく、一度戻ろうか。、テントまで連れて行ってくれるかな」
青ざめた顔のまま、がの耳元に顔を近づけ静かに指示を出した。ゆっくり宙を歩いたは人目を避けるように徐々に高度を下げていく。
僕はをぐっと抱きしめた。
は、僕の知らないことをたくさん抱えている。君が伸び込んだ言葉の先には、どんなことが秘められているんだい?いつも一人で全部抱え込んですべてを解決しようとする。たくさん人に好かれていて、誰に頼られても決して無下に扱わないのに、は僕たちを頼ることがほとんどないように思う。それがの優しさからだっていうのはよく理解しているけれど……僕は、が平気で頼ってくれるような人間になりたい。
「…………」
の左手が、僕の手に重なった。複雑な表情を浮かべたが振り返って僕の名を呼ぶ。顔色は蒼白で、不安な表情を浮かべている。
ノードリー博士のテントにほど近い森の入り口の、木の陰に隠れた死角に降り立ったは僕らをゆっくり地に下ろした。僕とは手取り合い、静かにテントに向かって歩き出した。
森の中にはもうほとんど人の気配はしない。多くが自分たちのテントへと戻ったようだ。
あんな騒ぎの後だからか、もう真夜中はとっくに過ぎたというのに、まだ多くのテントから明かりが漏れていた。キャンプ場にも人がたくさん集まって何やら話をしている。
「、。良かった、丁度今迎えに行こうと思っていたところだったんだ」
テントの入り口には灰色の長い外套を羽織ったノードリー博士が立っていて、僕らの姿を見ると安堵の溜め息をついた。まるで本当の父親がするかのように優しく僕らの体を抱きしめたノードリー博士は、僕たちの表情が冴えないことには触れず、テントの中に促してくれた。
「体が冷えてるね、二人とも。温かい紅茶を用意するよ」
リビングのソファーに腰を下ろすと、テントに戻ってきた安心感からか、急激に疲れが襲ってきた。
がニトを器用に口でくわえ、僕の膝の上に下ろした。自身はの横に飛び乗り、の膝の上に上半身を預けて大きな欠伸をした。いくらが大きな獅子だとはいえ、僕とを乗せて長い時間宙を駆けてくれていたんだ。彼の疲労も相当なものだろう。
ノードリー博士の屋敷しもべ妖精がキッチンとリビングの間を行き来し、テーブルの上に湯気の出た紅茶が準備されるまでの間、はをねぎらい、丁寧に彼の体を指圧していた。言葉が無くても、こういう二人の仕草の中に大きな絆があるんだろうな……
「さて、と。Homenum revelio……うん、誰もいないみたいだね。Nopossaudio……これでいい。もしも君たちがもうしばらく寝るのを我慢して僕の話に付き合ってくれるのなら、話しておきたいことがあるんだ」
ノードリー博士は最初に隠れている人間がいないかどうかを確認し、それからテント全体に会話が外に漏れないよう呪文をかけた。
博士の申し出に、もちろん僕たちは頷いた。僕も博士に聞きたいことがある。
「まずは、何が起きたのか説明したほうがいいかな」
「お願いします」
「君たちが森に向かった後、騒ぎを起こした仮面の集団のところへ僕は向かった。そうして混乱している人々を誘導したり様々な被害に対応していたりしたときだった。森で闇の印が打ち上げられた。印の意味は……知ってるかい?」
ノードリー博士は声を潜め、僕らにそう聞いた。僕もも首を縦に振って頷いた。
「この十三年、一度も現れなかったあの印が現れて、一般の人間はおろか魔法省の人間でさえ怯えていた。すぐに魔法省の要人たちが闇の印が打ち上げられた場所へ向かった。するとそこにいたのは、ハリー・ポッター、ロナウド・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャーの三人だった。しかし話を聞いてみると彼らはどうやら偶然その場に居合わせただけのようだった。そしてすぐ側の木立の陰に、バーティ・クラウチ氏の屋敷しもべ妖精がいた。こともあろうに、ハリー・ポッターの杖を持ってね」
が息を呑む音が聞こえたような気がした。信じられないというような顔をしている。
僕たちの推測が確信に変わってしまいそうで、僕は怖かった。魔法の気配を感じていても視認で来ていないのだから、僕の思い違いだと思いたかった。
「ヒトにあらざる生物は、杖を携帯し、又はこれを使用することを禁ず……確かそういう規則があったはず……だけど、屋敷しもべ妖精にあの印を生み出すことは不可能では……」
「ああ。あくまでバーティ・クラウチ氏の屋敷しもべ妖精が闇の印を創った杖を持ってその場にいた、というだけだ。闇の印の創り方を知っているのは死喰い人だけだし、あの屋敷しもべ妖精があの印を打ち上げたという証拠は無い。魔法省の連中は本当の犯人を見つけることが出来なかった」
その言葉を聞いたとき、僕はなんだか安心した。もしも犯人が見つかっていたら……そしてそれが、僕の想像通りだったら……そんな風に考えていたから。でもはものすごく複雑な表情を浮かべてノードリー博士を見つめていた。
「闇の印が打ち上げられたのは全く想定外のことだった」
一呼吸置いてから、ノードリー博士はより一層声を潜めて次の言葉を紡いだ。
「本当はまだにも伝えるべき時期ではないんだけど……これだけの事件を起こされてしまうと、こちらも対応を変更しなくてはならなくなる。魔法省が闇の印を打ち上げた犯人を取り逃しているうちに出来るだけ早く……」
「待って」
ノードリー博士の言葉を遮るようにしてが声を上げた。博士は驚いた顔でを見つめていた。何か思い詰めた表情をし、は首を横に振っている。
「それ以上は、僕にのみ関係する話だから……」
は僕のほうをちらりと見てノードリー博士に告げた。
……にのみ関係する話?
は何を抱えているんだろう。僕に黙って、何を抱えるつもりなんだろう。
「しかし、……」
「……巻き込みたくないんだ、僕。その先を聞いたらは戻れなくなる。一度足を踏み入れたら戻ることは不可能だ。それに事情を知ってしまったと同時に、は命の危険を背負うことになる。だから……」
は胸の前で手を組み、神妙な面持ちでそう告げた。苦しそうな顔を僕に向ける。
ああ、だから、どうして君はすべてを一人で抱え込もうとするんだろう。
どんな危険が待っていようと、僕はのために命を捧げる覚悟でいるって言うのに。
「……それなら、、君が決めるといい。君は僕の立場も、の立場も心得ている。それを踏まえた上でこの先の話を聞くかどうかを決めてほしい。の言った通り、一度足を踏み入れてしまったら戻ることは不可能だ。それに、多かれ少なかれ今までよりも命の危険に曝されることが多くなるだろう。今ならまだ引き返せる」
「聞かせてください」
ノードリー博士は僕の気持ちとの思いの両方を尊重してくれたのだろう。僕は博士の質問に間髪入れずに応えた。
は僕の返事に首を大きく横に振ってうなだれた。泣きそうな顔で僕を見つめている。
この事件が起きる前、ノードリー博士と話したときに僕の心は決まっていた。いつもいつもすんでのところでの助けになれなくて、僕は歯痒い思いをしてきたんだ。もうそんな思い、したくないんだ。僕がの支えとなって、を護りたい。傷ついたを見ているだけなんてもうたくさんだ……
「僕のためにわざわざ危険な場所に足を踏み入れる必要はないんだ、」
「そうやって君はいつも一人で抱え込むんだ、。事件に巻き込まれて傷ついた君を、保健室で見守るくらいしか出来ない僕の気持ちが君にはわかるかい?君が危ない目に遭っているとき、僕は何一つ君の手助けをすることが出来なかった。もうそんなの嫌なんだ。僕は、君を護りたい」
「…………」
それでもは納得できないのか、戸惑った表情を浮かべるばかりだった。
は優しすぎるんだ。他人を頼ることがへたくそなのか、それとも僕じゃが頼ろうとは思えないのか……僕はに協力したいんだ。
「その決断は本物かい、」
しばらくの沈黙の後、ノードリー博士がいつになく真剣な瞳で僕を見据えて言った。
「もちろんです、博士」
「……そうか。、君は素晴らしい友人に恵まれているよ。ここまで君のことを想ってくれる友人を持つなんて、幸せなことだ。彼の決意を尊重してもいいんじゃないかな」
返事をすると、僕たちのやり取りを見守っていた博士は小さく頷き、柔らかな表情でにそう話した。
は視線を左下に落とした。
が口を開いたのはそれからしばらくしてからだった。
「……ありがとう、。僕は君のような素晴らしい友人を持つことができて嬉しいよ。だけど、手放しに歓迎は出来ない。もしもこの先疑問を感じたら、いつだって進む道はが決めていいんだからね」
「ああ。僕は君を護るって決めた。僕が決めた道だ。君の側にいたいんだ」
ボクアの手を両手で握り、真剣に彼の瞳を見つめた。
ようやくが頷いてくれた。ノードリー博士も微笑んでくれている。
もう後戻りはできない。でもこれは僕が決めた道だから、後悔はしない。
「さて、それじゃ話の続きをしようか」
ノードリー博士の言葉に僕は頷いた。
この先にどんな危険な話が待っていようと、僕はもう決めたんだ。
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フランス語、リエゾンしてません。
間違ってたら教えてください。
……フランス語は私の語学圏外だよ……