揺らぐ心


 バーテミウス・クラウチ・ジュニアが生存している。
 ヒューの口から語られたその事実が僕に与えた衝撃は相当なものだった。

 バーテミウス・クラウチ・ジュニア……魔法省の実力者バーテミウス・クラウチ・シニア、敬愛を込めてバーティ・クラウチと呼ばれている者の息子。十代の頃から闇の魔術に傾倒していた彼は、ヴォルデモート卿の最も忠実な部下の一人だった。ヴォルデモート卿が凋落した後、彼はアズカバンに投獄され……そしてそこで息を引き取った。
 少なくとも僕はそう認識していたし、世の中の大半の人間がそう認識していることだろう。事実、ヒューでさえ、バーサ・ジョーキンズからその情報を聞き出すまでは、彼が亡くなったことを疑っていなかったという。

 クィディッチの試合の際、ウィンキーの側に不安定な魔力があった、とは言った。
 闇の印が打ち上げられた場所にウィンキーがいたこと、の感じた魔力……そこに彼がいたことはおそらく間違いないだろう。一年がかりで行われる闇の帝王復活の計画。その初めの時期を少し早めねばならない、そう言ってヒューが小さな溜め息をついたのが印象的だった。

 僕は胸が苦しくて仕方なかった。
 思いがけずが僕たちのほうへ飛び込んできたことによって、は闇の世界への入り口をくぐり抜けてしまった。そして、この事実を知ったことによって、は命の危険を背負うことになった。万一にでもがそれを外に漏らすことがあったなら、闇の帝王の一団はを逃すことはしないだろう。
 大切な友人だから極力危ない世界に踏み込んでほしくなくて、僕はいつも一番大切な部分を濁していたけれど、は大切な友人だから僕を護りたい、と言った。
 嬉しくて、苦しい。
 が僕のことを命を賭してもいいとまで考えていてくれたことは僕の誇りだけれども、そのために大切な友人を一人危険な世界へと踏み込ませてしまったことが胸を締め付ける。

 僕は揺れている。
 復活の兆しの勢いは衰えず、このまま順調に事が運べば、闇の帝王は復活するだろう。
 闇の帝王の復活が世間にどんな影響を及ぼすか、それは想像に難くない。
 世界を揺るがす大きな出来事を予見したのなら、それをしかるべきところへ知らせなければならない……そう思う。
 だけど僕は、父上が本来の姿で僕の前に現れてくれる日を望まずにはいられないし、ほんの一瞬でもいいから、母上と父上と三人で生活がしてみたいと願ってしまう。
 いっそバーテミウス・クラウチ・ジュニアのように、異常だと思われるほどに父上の力と闇の魔術を崇拝し信仰してしまえればいいのに……そうであれば、こんなに苦しまないのに。
 けれど、星見の力を受け継いだ僕はそうなることを許されない。
 父上に会いたいと望むことは許されないことなんだろうか……
 ……僕の心は、揺れている。

 この事実をリドルが知ったら、彼は何と言うだろうか。
 眠りにつく前、僕は天井を見ながらそんなことを考えていた。
 日記帳に封印された記憶、学生の姿をした年若い闇の帝王……彼は何と言うだろうか。本体に兆した復活の光を心から歓迎するだろうか。それとも、復活の先に待つ時代を待ちわびるだろうか。もしかしたら、僕がこうして悩んでいることを全部笑い飛ばしてしまうかもしれない。彼は、そう言う人だ。
 だけど、僕はこの事実を日記帳のリドルに伝えるべきかどうかも悩んでいた。学生の頃の姿とはいえ、闇の帝王の写しである彼に情報が渡ってしまったら、彼はまた良からぬことを考えるかもしれない。もちろん今の僕ならそれを止めることも可能だろうけど、僕には彼を止めるだけの意志を持てるかどうかの自信が無かった。
 父上に逢いたい。父上と母上と一緒に心の底から幸せな笑みを浮かべる生活がしたい。そんな思いばかりが溢れてくるんだ。










 あやふやな感情のまま、それでもお昼頃まで眠った僕たちは、‘名家の子息を安全に送り届けるため’という口実で魔法省に魔法の使用許可を取り付けたヒューに連れられて、それぞれの屋敷へと帰宅することになった。
 あんな事件のあった後だからか、お昼を過ぎたキャンプ場にはほとんど誰もいなかった。
 僕たちは魔法省に指定された森の奥へ行き、そこでヒューのローブの両側にすっぽりと覆われた。ヒューが呪文を唱えると‘姿くらまし’をするときと同じような感覚で体が魔法に包まれ、次の瞬間には家の屋敷の前に‘姿現わし’をしていた。

 「ありがとうございました、博士。とても楽しかったです。博士と一緒に時間を過ごせるなんて、僕には夢のような日々でした」
 「ご家族によろしく伝えてくれるかな、。誰かと生活するのはいいものだね。僕も君たちと一緒に過ごせて嬉しかったよ」

 が謝辞を述べると、ヒューは笑顔でを軽く抱擁した。

 「また君と一週間以上逢えないなんて……」

 続いては僕にそう言い、僕の体を抱きしめた。

 「一週間なんてすぐに過ぎてしまうよ、。ホグワーツ行特急のいつもの場所ですぐに逢えるさ」

 大きな決意をしてからまだほんの少しの時間しか経っていないにとっては、今僕と離れることは少なからず不安なのだろう。僕もしばらくの体を抱きしめていた。
 やっと抱擁が終わり、の体から離れると、は少し名残惜しそうに僕とヒューを見つめ、それからもう一度ヒューに礼をすると屋敷の中へ入っていった。大勢の使用人たちがを出迎えているのが扉の隙間からちらりと見えた。

 「……複雑な顔してるね」

 扉が閉まってからも尚、屋敷の入り口をじっと見つめていた僕にヒューが囁いた。僕は小さく頷いて、ヒューが促すままに足を進めた。
 の家はもちろん魔法使いのみが家を構える一等地にある。それでも、屋外で魔法を使用するには大きな制約がある。マグルの視線も魔法使いの視線もどこに潜んでいるかわからないからだ。だから僕たちは、人気の無い場所まで移動する。

 「巻き込みたくなかったんだ、僕」

 僕は小さく呟いた。誰かに吐き出してしまわないと苦しくて死んでしまいそうだ。そう言えば、ヒューが闇の帝王の集会に参加していると知ったときも、とても複雑な気持ちになったっけ……

 「大切な友人だから、僕のために危ない道に足を踏み込んでほしくなかったんだ……」
 「…………」
 「ヒューのことを知ったときも、同じような気持ちになった……」

 土地の外れにある林の入り口を通り抜ける。この丘の下には魔法使いの中流階級の住宅が広がっていて、その一帯を避けるようにしてマグルの生活する地域が広がる。
 星見の館はもっと郊外の丘の上にあるから、こうしてたくさんの家が建ち並ぶ姿を目にする機会はあまりない。
 此処に広がっているたくさんの住宅のそれぞれに、家族として生活を育んでいる命があって、その人それぞれに物語がある。
 誰かのためにその物語に新たなページを重ねる道を選ぶ人は、ほとんどいないだろうに……

 「遅かれ早かれ、彼は今回と同じ決断を下していたと思うよ」

 人目につかない場所で立ち止まった時、ヒューがゆっくり口を開いた。僕を見て穏やかな笑みを浮かべている。

 「彼がもし中途半端な気持ちであの場に残ろうとしているのなら、僕は彼に話をしないつもりでいた。だけど、の決意は本物だった。あの子は心から君を大切に思っているし、君を護りたいと思っている。誰かのために命を賭す覚悟なんて、そうそう出来るものじゃない」
 「でも……僕は命を賭してまで護るほど価値のある人間じゃないよ……」
 「そう言うところが君の魅力だよ、はもっと自分の魅力に気付いたほうがいい。君の言葉や態度の一つ一つが人を惹き付けるんだ」

 大丈夫だよ、とヒューは軽く笑った。
 ヒューのローブに覆われながら、僕はそれでも不安で仕方が無かった。

 「だって僕、が危険な目にあったら生きていけないよ……」
 「彼もきっと君と同じ気持ちなんだよ」

 体に魔力が干渉してくるのがわかる。僕に笑顔を向けたまま、ヒューが呪文を唱えた。

 「君が何度も危険な目に遭っているのを見てきているから余計、かもしれないな。君は危険すら魅了してしまうみたいだから……きっと、危険から遠ざけるのは難しいって思ったんじゃないかな。だから護りたい。そう決心したんだと思うよ」

 僕がを危険から遠ざけたいのと同じように、も僕を護りたいと……
 確かに僕はいつも危険なことに首を突っ込んできた。思いがけず不思議な体験をしたこともある。僕が決断しなくても、危険と隣り合わせだったときもある。そして、それはこれからどんどん増えていくだろう……

 「そこまで、僕のことを思ってくれてるんだ……」

 星見の館の応接間に到着した時、僕は震える唇でそう呟いた。
 苦しい。苦しいけど、すごく嬉しい。僕もが僕を思ってくれているのと同じように、のことを思い、を護りたい。
 そう思ったら、ほんの少しだけ胸のつかえがとれたような気がした。

 「お帰りなさい、

 魔法の気配を感じ取ったのだろう。いつもと変わらない母上が笑顔で応接間に入ってきた。ヒューが敬愛を込めて恭しく母上に一礼する。僕も小さく礼をした。

 「お久しぶりです、先生」
 「久しぶりね、ヒュー。すぐに貴方だってわかったわ。この館に‘姿現わし’出来るのは貴方と彼くらいのものですもの」

 母は最初にヒューに笑顔を向けた。それから僕のほうへ歩み寄り、ぎゅっと僕の体を抱きしめた。いつもの母の香りがして、なんだか温かい気持ちになった。

 「不穏なニュースが紙面をにぎわせていたから、とても心配していたわ、。何事もなく無事に帰ってきてくれてよかった……」

 不穏なニュース、という言葉に体が反応してしまった。母上には伝わってしまったかもしれないな。は僕の方を見上げて何か言いたげな目をしている。
 おそらく闇の印に関する話題が新聞の一面に掲載されているんだろう。その記事がどんなに母上の心を揺り動かしただろう。
 強く印象づけられたあの印は忘れようと思っても忘れられない。はっきりこの目で見た形。今でも目を閉じれば目の前に浮かび上がってくる。

 「……先生、そのことでいくつかお話したいことがあるのですが……」
 「ヒュー……ええ、ええ、そうね。わかりました。も交えて、三人でお話しましょう」

 ヒューの言葉に頷いた母上の口から僕の名前が出て、僕は驚いた。何か重要な話があるとき、父上の部下と話をする時、僕は一度もその会話に参加したことがなかった。僕はまだ子どもだし、それは当たり前のことだったから気にしていなかったけれど……どうやら今日はいつもとは違うらしい。

 「僕も、ですか?」

 僕は母上を見上げた。既に母は応接間の古風な戸棚の中から、ティーカップやポットを取り出して茶の席の準備をしている。  僕の視線に気がついたのか、母は振り返り、小さな笑みを向けた。

 「ええ。貴方にも復活の兆しが見えているのでしょう? きちんとお話しておかなければ、と思っていたの。今回の事件のこともあるし、貴方はもう立派な一人の星見ですし、ね」
 「母上……」
 「丁度フランボワーズの茶葉が届いたの。木いちごの甘酸っぱい香りがとても上品なのよ。それに、昨日焼いたバノフィーパイもあるの。みんなでいただきましょう?」

 母は、いつもと変わらない。
 あっという間に紅茶の準備を整えると、応接間の椅子に座った僕たちの前には美味しそうな甘いパイの載った皿が置かれ、木いちごの香りのする紅茶がカップに注がれた。
 ヒューはそれらを見て懐かしそうな笑みを浮かべていたし、母はこれからどんな難しい話をするのかわかっているはずなのに、終始笑顔だった。
 戸惑っているのは、僕だけなのかもしれない。
 が僕の上に両前足を乗せ、テーブルの上に準備されたパイの臭いを嗅いでいる。コンデンスミルクのたくさん使われた甘ったるいパイの香りが、朝から何も食べていなかった食欲を掻き立てる。

 「さ、どうぞ」
 「バノフィーパイ……なんだか学生時代に戻ったみたいです、先生」
 「私も時々ホグワーツのことが懐かしくなるわ。貴方たちはみんな素晴らしい生徒だったもの。みんな、色んな道を歩んでいるのよね……」

 小さく息を吐いた母はティーカップを口に運んだ。それからもう一度溜め息をつき、柔らかい笑顔から真剣な顔へと表情を変えた。
 僕もヒューも母の変化を感じ取って、気を引き締める。
 が僕をじっと見つめていたから、僕は左手での首筋を撫でた。

 「……単刀直入に聞くわ。あの印を打ち上げたのは、誰なのかしら」

 部屋の空気が変わる。ぴんと張りつめた空気に体中が縛られる。決して強くない母の言葉だが、そこには得体の知れない力がある。
 やはり母上はすごい。僕は心の中で頷いた。闇の帝王ヴォルデモート卿が心を許した女性……あの父上が心を開くことができるほど、母には大きな力があるのだ。常々感じていたけれど、こうして目の前で見ると、声も出なくなる。

 「おそらくは、バーテミウス・クラウチ・ジュニアの仕業でしょう」

 ヒューの口からその名が出ると、母は心底驚いた表情を浮かべ、ヒューの顔を覗き込むようにして見た。
 色んなつじつまが合うけれど、それでも僕もまだ信じられないでいる。ヒューの口からバーテミウス・クラウチ・ジュニアの名が出るたびに自分の耳を疑ってしまう。

 「……バーティ・ジュニア、が?」
 「はい。これは魔法省のバーサ・ジョーキンズから聞き出した情報ですが……アズカバンに収容されていたはずの彼は、どうもアズカバンから連れ出され、バーテミウス・クラウチ・シニアの元にいたようです。バーティ・ジュニアはクィディッチが好きでしたからね。今回の試合を見せるためにバーテミウス・クラウチ・シニアのほうが彼を服従の呪文で操ってあの会場に連れて行ったのでしょう」

 待って、と母がヒューの言葉を遮った。
 先にそのことを聞いていたとはいえ、僕にもまだ信じきれないところがある。

 「……バーティ・ジュニアは亡くなったと思っていたのですけれど……」
 「ええ。僕も初めてこの話を聞いた時は、己の耳を疑いました。……調査したところ、彼の母親が亡くなっているんです。おそらく吸魂鬼の目が見えないのを利用して入れ替えを行ったのだと思います」
 「バーティ・ジュニアの母親がアズカバンで息を引き取り、バーティ・ジュニアとして葬られた、と?」
 「はい。そして、入れ替わることでアズカバンを出た彼は、バーティ・シニアのほうが服従の呪文で操っていたのでしょう。自我がきちんと保たれたのであれば、彼はすぐにでも闇の帝王の元へ馳せ参じるでしょうから。しかし、彼の魔力は中々のものです。おそらく、昨夜の騒ぎの最中、意識が戻ることがあったのかと。闇の帝王に忠実な僕だった彼のことです。かつての同胞たちが闇の帝王の凋落後、のうのうとこの世にのさばっていたとしたら……」
 「闇の印を打ち上げ、同胞に恐怖を与えたくもなる……かもしれないわね」

 ヒューは深く溜め息をついた。

 「今回の計画は、彼が生きているということと、ホグワーツで三大魔法学校対抗試合が行われるということから出来上がったものです。遠からず、はバーティ・ジュニアを迎えにいくでしょう」

 僕はヒューの話を静かに聞いているしかない。紅茶を飲むのも、パイを口に運ぶのも忘れて、ヒューの話を聞きながら、あのとき出逢った父上の姿を思い出す。
 子どもの姿をした父上は、ホグワーツに忠実な下僕が侵入すると僕に告げた。けれど、それはヒューでもワームテールでもない、と言っていた。
 あの時の僕には察しがつかなかったけれど、それがきっとバーティ・ジュニアなのだろう。

 「バーティ・ジュニアを迎えにいき、彼をホグワーツに?」
 「……はい。『闇の真術に対する防衛術』の新任教師にマッド・アイ・ムーディが採用されているんです。そこに目を付けています」
 「なるほど、わかりました。用意周到なあの人のことです。邪魔さえ入らなければつつがなくその計画は進行するでしょうね」

 母は小さく溜め息をついて紅茶を口に含んだ。カップを置くと、真剣な目で僕を見据える。

 「……。貴方は何を思ったかしら」
 「僕、ですか……?」
 「ええ。復活の兆しの勢いを見て、今回の計画を聞いて、貴方は何を思いましたか?」

 母の言葉に、複雑な思いが胸の中を駆け巡った。言っていいのか悪いのか、不安に戸惑い、コトバを探す。
 が心配げに僕を眺めている。ヒューのこと、のこと、色んなことを考えると頭の中が破裂しそうだった。

 「……母上の血を引く僕が、父上に逢いたいと願うのは間違っているでしょうか……」

 母上もヒューも僕を真剣なまなざしで見つめていた。

「父上が復活を果たせば、世の中がどんなに混乱するか……昨日、闇の印が打ち上がっただけであれほど慌てふためいた魔法使いたちの姿を見れば容易に想像ができます。そして、過去にどれほど彼らを恐怖に陥れてきたのかも。けれど、僕はほんの一瞬でもいいから、父上と母上とともに暮らしたい。そう思ってしまいます」

 母からもヒューからも視線を逸らすように斜め下にいるに視点を落としながら最後の言葉を紡いだ。
 過去の時代で過ごした日々が思い出される。あのクリスマス休暇は最高の思い出なんだ。父上も母上もこの上なく幸せな顔をしていたし、僕もとても幸せだった。
 時の歯車がずれたことによって生じた、あってはならない空間だけれども、歯車のかみ合ったこの時代でまた、同じように両親とともに過ごしたい。
 だけどそれが……この世に多くの混乱をもたらすことになることは必至だった。だから僕は、星見として、それを願ってはいけないのかもしれない。

 母上が小さな溜め息をついた。視線を母に戻すと、柔らかい笑みを浮かべて僕を真っ直ぐに見据えている母と目が合った。
 なんだか気まずくなる。

 「貴方が素直でいてくれて、私は嬉しいわ」

 その母の言葉は僕にとって少し意外なものだった。と一緒に首を傾げ、僕は母をじっと見つめた。母上は相変わらず穏やかな笑みを浮かべて僕を見ている。

 「彼のことだから、私とは最後の最後まで計画には関わらせないように計らっているのでしょうね」
 「お察しのとおりです、先生」
 「あの人らしいわ。、貴方のその感情は決して間違ってはいないわ。星見の血を引き、星を読む者である前に、貴方はわたしと彼の息子なのですもの。子が親を思うのは当然のこと。願うことに罪はない」
 「母上……」
 「けれど、その願いを実現すべく行動してしまったら動きは変わってくるわ。この先どのようなことが起ころうとも総てを見届ける覚悟をお持ちなさい、

 穏やかだけれど、どこか芯のある声で母が僕にそう告げた。
 総てを見届ける覚悟……その言葉が意味する最悪の事態が目の前に浮かび、体から血の気がひいていく音がした。
 ……そう。星は復活の兆しを見せてはいるけれど、それがいつ転ぶとも限らない。その先の結果まで運命が決定づけられているわけではないからこそ、未来は変えることが出来る。そして星見は、未来を予見しても、それを自分のいいほうに動かすことをしてはならない。
 母上の言葉には重みがある。

 僕と母のやり取りを静かに聞いていたヒューが、僕と母を交互に見つめた後ゆっくり口を開いた。

 「先生、をお借りしたいんです」
 「……を?」
 「はい。この計画を進めるに際しまして、を関わらせることがないように、と強く命じられています。けれど、計画の舞台はホグワーツ。予期せぬことが起こる可能性もあります。何しろバーティ・ジュニアはの姿を見たことがありません。いきなりホグワーツでに出逢うより、先にホグワーツでのお互いの対応について話しておいたほうが賢明ではないかと思っています」
 「……そうね……、貴方がそれで良いのなら」
 「もちろん、僕が責任を持ってをホグワーツ行特急列車にお乗せします」

 ヒューが、母上が僕を見る。

 「僕は別にかまいませんが……でも、父上に忠実な方ならどんなことがあっても首尾よく事を進行すると思うのですが」
 「君はバーティ・ジュニアに逢ったことがないから……バーティ・ジュニアは少しに傾倒しすぎているところがあるんだ。ほとんどの場合それはいい方向へ進むが……闇の帝王とそっくりな君の姿を見た場合は別じゃないかな、と僕は踏んでいる。僕だって、君を初めて見たとき、闇の帝王にそっくりなことに驚いていたんだ。事前にやり取りをしておかないと、バーティ・ジュニアにとっても君にとってもホグワーツでの生活に支障が出る恐れがある」
 「そういうことなら……母上を少し長く一人にしてしまうのが心苦しいですが……」
 「私は大丈夫よ、。貴方の心のままに」

 ヒューが椅子に座ったまま母上に謝辞を述べ、頭を下げる。
 今やヒューのほうが母の姿よりも年上のように見えるのに、この二人の関係はなんだか不思議な感覚を僕に与える。ヒューにとってはいくつになっても母上は‘先生’で、きっと僕はいくつになっても彼のルームメイトで後輩なんだろうな。
 僕はそんなことを思いながら、僕のことをしきりに気遣うの首筋を優しく撫でた。きっと僕の心の不安はに一番伝わってしまっているんだろう。

 「ありがとう、。出来るだけ穏便に済ませるつもりでいるから」
 「僕は大丈夫だよ、ヒュー」

 母上の見透かしたような視線が気になるけれど、これ以外の言葉が思いつかなかった。
 僕にとって、父上と母上と食卓を囲めるというとは大きな夢なんだ。それがたとえ、世の中にどんな不安をもたらすとしても。
 もちろん、僕は彼らの計画に賛成することは出来ないし、それに大きく協力することも出来ない。それは、僕の中の星見の血が許さない。
 それでも、表立って大きく反対することも僕には出来ないんだ。
 ハリー・ポッターに大きな危険が及ぶということもわかっているのに、友人として彼の身を案じるよりも、父上に逢いたいと言う願いのほうが大きくなっている。

 「そうね……色々と準備があるでしょうから三日後でどうかしら」
 「そうですね。闇の印の関連で多少魔法省が敏感になっていますから、こちらも少々当初の計画を変更せざるを得ません。その調整も含めて、三日、が妥当なところだと僕も思います」
 「それならヒュー、三日後、もう一度こちらにおいでなさいな。を迎えに、ね。それまでにホグワーツから送られてきた教科書リストの準備をしなければなりませんね、
 「はい、母上」

 母上の思考はもうダイアゴン横町で何を買うか、に移り変わっている。今聞いた話のことを考えていないわけではないのだろうけれど、既に母の頭の中では一つに繋がった事項なのだろう。これ以上話をしていても、実際に計画が進まなければ総てが机上の空論であるとわかっているのかもしれない。
 あるいは、星の動きを既に感じ取っているのかもしれないな。
 応接間の扉をいとも簡単に開けて、真っ白い猫がやってきた。母上の膝の上に飛び乗ると、自分にも茶をくれとせがむかのようにテーブルの上に前足を掛ける。
 母は様の額を指で優しく撫でている。

 「それじゃ、三日後に迎えにくるよ」
 「うん、ありがとうヒュー。ヒューに会えて嬉しかった」
 「僕もと再会できて嬉しかったよ。先生、それではまた」
 「ええ、気をつけてね、ヒュー」

 紅茶を飲み終え、立ち上がったヒューは母上に深々とお辞儀をし、僕に柔らかい笑みを向けると音も立てずにその場から姿を消した。

 <ふん、なかなか実力のある奴と見た>

 「ヒューは私の自慢の教え子ですもの。それより、バノフィーパイの摂取は猫の体にはいささか毒ですよ、。ミルクのたっぷり入った紅茶をご用意しますわ」

 残ったのは様と楽しげに茶の席につく母上と僕。
 それはいつもの星見の館の日常だった。

 僕は目を閉じて、ここに父上がいたら……と、ほんの少しだけ想像した。






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 バノフィーパイはコンデンスミルクをふんだんに使った甘ったるいパイ。