吸魂鬼


 今年は乗り遅れた者もいない、順調な滑り出しだった。
 ホグワーツ行特急は普段と同じ時刻ぴったりにキングズ・クロス駅を出発した。
 新しい、闇の魔術に対する防衛術の教師が一番後ろのコンパートメントにいるなんていう驚いたこともあったけれど、ホグワーツ行特急はいつものようにホグワーツに向けて走っていた。

 ホグワーツ行特急が発車する少し前まで、新任教師のルーピン教授とおしゃべりをしていたたちだったけど、彼が眠そうな仕草を見せたときに席を発った。

 で、俺達は今、ルーピン教授とおしゃべりをしていたコンパートメントからすぐ近くのコンパートメントにいる。
 は向かい合って座っていて、俺はの隣の席に座る。
 ニトはかごから出してもらって、のひざの上にちょこんと座っている。
 いつもとなんら変わりない光景だ。

 「……あれ……?」

 本を読んでいたが眉をひそめて顔を上げた。
 パタンと本を閉じると、向かい側でうとうとしていたも顔を上げた。

 「…まだホグワーツに到着する時間ではないはずだが……」

 俺たちの乗っている汽車は、速度を落としていた。
 ピストンの音が弱くなり、窓を打つ雨風の音が激しく聞こえてきた。
 ついさっきまでまったく耳につかなかったその音が、今はとても嫌な音に聞こえる。

 「何かあったのだろうか……」
 「今はこの場を動かないほうがいいだろうね……」

 は本をしまうと、次に何が起こるのか、まるでわかっているかのようにその場に座っていた。
 表情は硬かったけれど、だからといって不安におびえているわけではなさそうだ。

 突然、汽車がガクンと停まった。

 どこか遠くのほうから、ドサリ、ドシンと荷物棚からトランクが落ちる音が聞こえてきた。

 「…停まっ……た……?」
 「まだ、ホグワーツに着く時間じゃない……」

 少し動揺する。  ニトが何かを感じたのだろう。
 体中の毛を逆立てて、しきりに声を出して鳴く。
 俺も、何か悪いものが近づいているような気がして…体中の毛が逆立った。

 そして、何の前触れもなく明かりがいっせいに消え、あたりが急に真っ暗闇になった。

 「……、動いちゃ駄目だよ?」

 の、優しいけれどどこか絶対の命令という雰囲気がある声が聞こえた。
 電気が消えた途端に、ニトの声が止んだ。

 「ニト…爪をたてないでくれ……」

 の声が聞こえた。
 少しずつ目がこの暗闇に慣れてきて、もともと獅子である俺は、よりもはっきりと周りの状況を把握することが出来るようになっていた。
 窓の外は相変わらず薄暗く、雨が強く窓を打ち付けていた。

 「ほかの生徒たちが騒ぎ出している」
 「ホグワーツ行特急に限って、故障なんて事は無いだろう。何か、悪い予感がするよ」
 「…君の感は当たるからな……とりあえず、この場を動かないほうが得策だろう……」

 どうやらも何か悪いことが近づいている気配を感じ取っているようだった。
 汽車の中は、ざわざわとみんなの不安が渦巻いていた。
 本来ならこのわけの分からない停電に不安がるところなのだろうけれど、もいたって冷静だ。

 …と。

 コンパートメントの扉が開いた。
 が移動したわけでも、俺の隣に座っているが移動したわけでもない。
 が身に着けていたペンダントが淡い光を放ちだす。
 ……入り口にいる人物の姿がぼやぁと映し出された。

 「あ……」

 の声がした。
 見えていたのは……吸魂鬼……ディメンターと呼ばれるもの。

 瞬間、俺は忌々しい記憶を思い出した。





 それは、ほんの夏休みが始まってすぐのことだった。  俺達は、に連れられて薄暗い場所に連れて行かれた。
 空気が冷たく、そこにはどろどろとした感情が渦巻いていた。
 殺してくれ…と、檻から手を出して叫ぶものがいた。
 殺してくれ…と、笑いながら言うものがいた。
 世の中で一番恐ろしい場所だと思った。

 俺とは身を寄せ合って、叫び声や笑いを必死に振り払うようにしての後についていった。
 は言った。

 「ここはアズカバン。貴方も知っているとおりの場所よ」

 冷たいアズカバンの牢獄の中に、の声が響いた。

 「…何を見ても目を閉じてはいけないわ。真実を見ることが星見の一番の仕事なのですから」

 己の目で捉えたこと、己の心で感じたこと…すべて自分の身に焼き付けないといけない…
 はそういって、カツカツと足音を響かせながらアズカバンの中を歩いた。
 一番奥の部屋まで俺達を連れて行った。
 その間、何度目をつぶってその場に伏せてしまいたかったか知れない。
 も体を震わせながらについていた。

 「……ディメンター……吸魂鬼よ」

 一番奥の部屋で、マントを着、顔をすっぽりとズキンで覆った黒い影とであった。
 は表情一つ変えずにに相手の姿を見せた。

 マントから出る、死体のような腕。
 この世で一番恐ろしい生き物かもしれない……俺はとっさにそう思った。
 でもは、何も言わずにその姿をじっと見つめていた。
 まさか、アズカバンの吸魂鬼がの言うことを聞くとは思ってもいなかったからびっくりした。

 「…星見は、アズカバンと友好的に接している。月に一度、アズカバンにいる囚人たちの占いをしているのよ。気が狂ってしまったのか、もう既にちゃんと反省しているのか…いまだに悪いことをたくらんでいるのか、もしくはもう心を無くしてしまったのか……だから、アズカバンの吸魂鬼が星見を襲うことは無い……貴方のことも…ね」

 は何も言わずに、じっと吸魂鬼を見つめていた。
 静かな力強い瞳だった。





 「……帰れ」

 の言葉で、俺は現実に戻された。
 アズカバンを訪れたときの恐怖が思い出されたけれど、おそらくにその恐怖は無いのだろう。
 嫌に冷たい声でがそういった。
 が、なんだか訳が分からない様子でと吸魂鬼を見つめていた。

 「…ここには…シリウス・ブラックはいない」

 がつぶやいた。
 でも吸魂鬼は動かなかった。

 部屋の中が冷たい空気で満たされる。
 絶望が渦を巻く……そんな感情が流れてくる。
 まるで楽しいことなんかこれっぽっちも無いような…そんな気持ちになる。
 冷たい空気が俺の鼻や口、皮膚から全身に入っていく。
 肺も心臓も冷たい空気で凍ってしまいそうだ。

 「帰れ」

 もう一度がそういった。
 しばらく躊躇った吸魂鬼は、何も言わずにすぅっとその場に背を向けた。
 部屋はまた静かになる。




 「何なんだ、今のは」

 沈黙のあと、がおずおずと口を開いた。
 吸魂鬼が去ってしばらくすると、部屋に明かりがついた。

 「…アズカバンの吸魂鬼……だよ」
 「いや、それは分かる。何故ホグワーツの汽車の中に……?」
 「それは僕も分からない。おそらくシリウス・ブラックが逃げたことと関連しているんだろうけれど……」
 「…………」
 「吸魂鬼たちも必死なんだ。今までアズカバンから逃げ出したものなんて誰もいなかったんだから」

 黙った。
 勿論俺もニトも何も言わない。
 すぐに扉が開いた。
 また吸魂鬼か……と、思ったけれど、そうではなかった。

 「ルーピン教授……?」

 体の半分ほどありそうな巨大なチョコレートを片手に、ルーピン教授が立っていた。

 「…吸魂鬼がここにも来たのかい?」
 「ええ。でもすぐに去りました」
 「気分が悪くなったりしなかったかい?」
 「……大丈夫です」

 ぱきんっとチョコレートを折る音が聞こえた。
 チョコレートのかけらをに渡す。

 「食べるといい。気分がよくなるから」

 にっこりと笑顔になると、めじりにしわがよる。
 ルーピン教授の言葉に甘え、はチョコレートを一口かじった。
 もそれに続く。
 俺には、チョコレートは刺激が強すぎるから……と、がトランクの中から粉ミルクを取り出した。
 の手に乗ったそれを舐めると、気分が少し収まった。
 体に温かさが戻る。

 「…私は車掌と話をしてこなくてはならない」

 教授はそういってコンパートメントを出て行った。

 「…アズカバンの吸魂鬼…か」
 「大丈夫だよ……吸魂鬼は…僕を襲うことは無い」

 まるで自分に言い聞かせるようにがそういった。

 「何故?」

 のその問いに、は……夏休みのアズカバンでの出来事を話した。



 どうやら今年もホグワーツの生活は大変そうだ……
 俺は一人ため息をついた。






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 アズカバンの吸魂鬼。
 なぜハリーたちと絡まない……
 とばっかり仲がよくなってますよ…(笑)