幻獣館


 10月31日未明、ゴドリックの谷に住むポッター家を襲撃したヴォルデモートは、ジェームズ・ポッターとリリー・ポッターを殺害した後、彼らの息子であるハリー・ポッターを殺害しようとして失敗し、肉体を失った。
 魔法界はこれをヴォルデモートの“消滅”と認識。早朝からマグルの世界にまで影響を及ぼすようなお祭り騒ぎで闇の時代の終焉を祝った。また、ポッター夫妻の遺子ハリー・ポッターの名は魔法界中に知れ渡り、彼は“生き残った男の子”として英雄視された。

 ホグワーツの校長で守護者の間の入室権限を持つアルバス・ダンブルドアは、日が昇るとすぐに守護者の間を訪れ、「数年前にシビル・トレローニーが“ヴォルデモートを倒す者が7月の終わりに生まれる”という旨の予言をしていた」こと、「母親リリー・ポッターによる“愛の守護魔法”がハリー・ポッターの命を救った」ことを告げた。
 それからアルバスは、ヴォルデモートは完全に消滅したわけではないだろう、と付け加えた。
 それは依然熱を帯びたまま鈍い痛みを送り続ける紋章が証明していた。紋章の痛みをたどれば、ヴォルデモートが現在どこに潜んでいるかを探し当てることは容易かったが、アルバスは僕らにそう言った指示を出すことはなかった。彼が一言、「ヴォルデモートはホグワーツの存続を脅かす危険因子である」と明言すれば、僕らはヴォルデモートを排除するために動くことも可能だった。しかし自らヴォルデモート一派に対抗する組織“不死鳥の騎士団”を創設しているにも関わらず、彼は一度も僕らに協力を求めなかった。
 おそらくそれは、僕らと学生時代のヴォルデモートの親交を知っているアルバスの配慮であり、彼自身、ヴォルデモートに複雑な思いを抱いているからなのだろう。
 夜が明けて冷静さを取り戻した僕は、ヴォルデモートが死に至らなかった理由を理解した。同時に、彼が現在の状態から元のように復活するのは非常に困難であることも知った。
 締め付けるような胸の痛みと言葉に表せない複雑な思いが僕の頭を悩ませ、結局僕はヴォルデモートが死に至らなかった理由をアルバスに告げることができなかった。

 その後、魔法界はヴォルデモート配下の死喰い人達を迅速に裁いた。裁判の末にアズカバンに投獄される者、立場を翻し何事もなかったかのように振る舞う者、司法取引によって罪を免れる者とそれぞれの運命は分かれたが、組織は解体され、魔法界は平和な時代を取り戻した。
 金属と金属のぶつかり合う音が芝生の敷き詰められた運動場に響き渡る。
 好戦的な笑みを浮かべ、まるで新しく与えられた玩具に飛び掛かる動物のように瞳をキラキラと輝かせながら、僕に剣を向ける。手入れの行き届いた剣には決して折れない細工が施してあるため、は容赦というものを知らない。
 頭上から振り下ろされた剣を間一髪のところで受け止めると、柄を握る手に激しい重みが加わった。剣身を合わせて対峙したは、にやりと口端を上げ、力を込めて僕の剣を弾いた。
 反動で手放した剣は宙を舞い、からんと音を立てて芝生の上に転がった。バランスを崩した僕の体は地面に尻もちをつき、に切っ先を突き付けられる形となる。

 「……降参」

 突き付けられた切っ先を右手で払う。
 通算5戦目となる勝負は僕の負けで幕を閉じた。これで今日の対戦結果は2勝3敗での勝ち。
 自分の勝利に満足げな笑みを浮かべたは、鞘に剣を収めると、僕の前に手を差し出して立ち上がるのに手を貸してくれた。
 試合を見学していた屋敷しもべ妖精たちが数人、転がった僕の剣を運んできた。それを受け取って鞘に納めると、溜息をついて乱れた髪を直す。

 「が負けるなんて珍しいね。このところずっと好調だったのに」
 「たまにはに勝利を譲らないと、が拗ねて大変なことになるからでしょう」

 錫杖を手にした冷やかな二人の見学者に「実力だ!」とはのたまう。

 これはダイアゴン横丁を良く見渡せる『幻獣館』で過ごす夏休みの遥か昔からの日課で、この幻獣館が創られた当初、運動場に立つのは僕らだけではなかった。
 早朝から敷地内に響く剣の音はゴドリック・グリフィンドールとの稽古の音で、そのうち気分の高揚したゴドリック・グリフィンドールが地下の実験施設に籠っているサラザール・スリザリンを連れ出してくる。ゴドリック・グリフィンドールは楽しくてたまらないという表情を浮かべ、サラザール・スリザリンはやや厭きれた顔をして剣を構えるのだった。そしてすぐにあまりに激しく剣をぶつけ合う二人の音を聞きつけたロウェナ・レイブンクローとヘルガ・ハッフルパフが駆けつけてくる。
 ゴドリック・グリフィンドール曰く「僕に一番ふさわしい相手はサラザールなんだ」そうだ。
 サラザール・スリザリンと共に外に連れ出された僕はいつもの相手を務めていた。サラザール・スリザリンとゴドリック・グリフィンドールが休憩をしている間、僕らが剣を交えることになる。
 周囲はいつも幻獣館に住まう魔法生物に囲まれていて、彼らは思い思いの声援を僕らに送る。ゴドリック・グリフィンドールは必ずを応援し、サラザール・スリザリンは常に僕を応援した。時々熱くなりすぎるゴドリック・グリフィンドールを止めるのは、もっぱらロウェナ・レイブンクローとヘルガ・ハッフルパフの役目だった。
 時が過ぎ、挑戦者と見学者の中にホグワーツの創設者たちがいなくなり、怖いもの見たさで姿を現す屋敷しもべ妖精の数が変わり、天文台や書物室に籠りきりだったケンタウルス達がやってくるようになったけれど、僕らの日課が変わることはなかった。
 大抵の場合、僕が書物室で読書に勤しんでいる昼下がりにはやってくる。剣の稽古を手伝ってくれというに、日によって乗り気だったり難色を示したりする僕だが、結局に連れ出されることになる。運動場でと対峙し、しばらくは軽く剣を交えるだけの稽古を繰り返す。そのうちの調子が出てくると、決まって彼の方から勝負を持ちかけてくるのだ。

 「5日振りの勝利に乾杯!」

 真っ青な空を見上げて昔を思い出していると、はしゃいだが水の入ったグラスを差し出してきた。受け取ると、グラスとグラスを軽く合わせる。

 「なんだよ、せっかく僕が勝ったって言うのに、嬉しくないのか?」
 「……それは、今剣を交えた僕に聞くべきことではないと思うんだが」
 「でもは祝ってくれるだろ、僕の勝利を! なにしろ5日振りだ。それなのに、が何て言ったと思う? “今日はが不調だっただけ”だってさ」

 芝生の上に胡坐をかいて座ったは、あからさまに不満げな顔をして少し離れた場所で談笑するを見つめている。
 二人の横には、ていっ、やぁっ、と声を出しながら手刀で僕らの勝負の真似ごとをする屋敷しもべ妖精の愛らしい姿があった。
 芝生の上に伏せたが、周囲が見えなくなるほど自分の動きに集中している屋敷しもべ妖精の額をつっつくと、屋敷しもべ妖精はころんと芝生の上に転がった。顔を振って細長い指で大きな目を隠してしまった屋敷しもべ妖精は、自分の体に何が起きたのか理解できていない様子だ。
 その光景を見て笑っているに、いたずらはやめなさい、とが言葉だけで注意している。
 に視線を戻すと、ふてくされた顔はそのままで、冷たい水を注ぎに来た屋敷しもべ妖精に空のグラスを渡しているところだった。その顔は勝負に負けたゴドリック・グリフィンドールがサラザール・スリザリンに見せるものに酷似している。

 「5日前より腕を上げたよ、は」
 「本当か?! やっぱり、早朝の稽古時間を増やした甲斐があったんだな!」

 一言褒めればすぐに機嫌を直して笑顔を取り戻すところも、ゴドリック・グリフィンドールと瓜二つだ。そしておそらく、彼の笑顔が見たいがために甘やかしてしまう僕はサラザール・スリザリンに似ているのだろう。そう言えばサラザール・スリザリンもゴドリック・グリフィンドールの我儘を大いに許容していた気がする。

 「だめだよ、。そんなにを甘やかしちゃ。また調子に乗るよ?」
 「真面目な時はいいんですけどね。調子に乗ると手がつけられなくなりますからね、は」

 後ろから声を掛けられ振り向くと、僕らと同じように水の入ったグラスを手にしたがすぐ傍までやってきていた。
 二人の言葉にはふくれっ面に戻ってしまい、いかに自分に実力がついたかを延々と語り始めた。

 「それより、ホグワーツからお手紙が届きましたよ。新学期の全学年の教科書リストおよび持ち物リストだそうです」
 「今年は基本呪文集が改訂されたから、全部買いなおさないとダメみたいだよ」
 「僕の話を聞けっ!」

 から差し出された羊皮紙の塊を広げると、丁寧な字でびっしりと文字が書かれていた。1年生から7年生まで、ホグワーツで学ぶ生徒たちが使用する教科書がもれなく記載してある。
 全学年、全教科の教科書を揃えるのは、寮長という立場にある僕らに彼らが質問をしてきたときにすぐに対応するためだった。ホグワーツで扱う教科書は、教員が変わったり新しい本が出たりするとすぐに変わるため、毎年各学年の生徒に贈られる教科書リストを僕らの元にも届けてもらっている。
 通常であれば、前年のリストと照らし合わせ、新しく記載されたもののみを揃えるだけで良いのだが、今年はの言うとおり基本呪文集が改訂されているために、全ての基本呪文集を買いなおさなければならない。
 これは大荷物になりそうだな、と苦い顔をすると、横からリストを覗き込んだが基本呪文集の項を指さした。

 「基本呪文集の改訂か。10年振りだな」
 「……そんなに経ったか?」
 「ああ。前回の改訂はよく記憶に残ってる。改訂された年にジェームズとリリーが亡くなって、息子のハリーが有名になった。魔法史の授業で教科書の現代の欄に自分で書き足せって言われただろ」
 「そもそも、魔法史の授業にそんなに興味がない」
 「歴史は大事だぞ、歴史は」

 僕の鼻先に当たるか当らないかのところまで真っ直ぐに指を伸ばしながらが言ったのは、かつてゴドリック・グリフィンドールがに対して言っていた言葉だった。
 意外なところだが、歴史に関するの記憶は正確さを極める。
 これは唯一が創設者ゴドリック・グリフィンドールに似ていない部分で、主に歴史上の出来事やつい数日前に起きた事柄を忘れてしまうゴドリック・グリフィンドールを補佐するために彼から与えられた能力だった。
 「歴史は大事だ」という口癖は、ゴドリック・グリフィンドール自身が歴史の存在を忘れないために口にしていたものである。
 こういった創設者を補佐するための能力はだけでなく、僕ら全員が持っている。例えば、箒で空を飛ぶのが苦手だったロウェナ・レイブンクローは、よくの箒に同乗していたため、は箒での飛行能力がずば抜けて高い。古文を読むとどうしても眠くなる、というヘルガ・ハッフルパフの補佐をしていたは、古い文書やレシピの解読が得意だ。僕に関して言えば、サラザール・スリザリンは蛇以外の魔法生物を著しく嫌っていたので、僕は魔法生物を含むこの世のあらゆる生物との交流を得意とする。

 「そうですか。もうあれから10年も経つんですね……」
 「……ということは、ジェームズとリリーの息子って、今年ホグワーツに入学?」

 の一言に全員が顔を見合わせた。
 ……10年。そうか、もうそんなに経ったのか。
 月日の感覚などとうに消えうせていたが、ヴォルデモートが魔法界に姿を現さなくなってからもうそんなに月日が流れたのかと思うと、時の流れが早いことを改めて実感した。
 あの事件の後、紋章の痛みは7日ほどで治まったが、10年経った今でも時々疼くことがある。その痛みはヴォルデモートが確かにまだこの世に存在しているという証であり、僕に安心と不安を同時に抱かせるものだった。

 「……10年、か」
 「そんな風に溜息をつくなって。幸せが逃げるぞ」
 「時の流れが早いと思ってな」
 「ジェームズとリリーの子、すごく気になるなー。どこの寮だろう?」
 「最終的には組分け帽子の判断ですが……ご両親は確かどちらもグリフィンドール出身でしたね」

 ハリー・ポッター……噂では母方の親戚にあたるマグルの家で育てられていると聞く。母リリーの命を懸けた“愛の魔法”を受けた彼をヴォルデモートの魔の手から保護する場所としては確かに最適の場所だ。そしてまた彼の健やかな成長を思えば、魔法界で名前だけが独り歩きしている現状、きちんと自分で物事を考えられる年齢になるまで魔法界から離しておくというのも一つの手だろう。
 空いたグラスに水を注ぎに来た屋敷しもべ妖精にグラスを下げるように指示をすると、僕は丘の下の方に見えるダイアゴン横丁に視線を送った。
 僕らと同じようにふくろう便で入学許可証や今年の教科書リストが届いたのだろう。ダイアゴン横丁は例年同様、多くの子連れの魔法使いで賑わっていた。
 あの中にハリー・ポッターもいるのだろうか。
 おそらくヴォルデモートとの繋がりは僕が一番深い。そのせいか、他の三人があっけらかんとしている状況でも、こうして過去のことに思いを廻らせ、頭を悩ませてしまう。
 すっとが教科書リストを僕から受け取った。小さく何かを呟きながらじっくり眺めている。

 「基本呪文集に加えて、いくつか新たにそろえなくてはいけない教科書がありますね」
 「僕、フローリアンのところでアイスクリームが食べたいっ!」
 「は、食べる速度よりもアイスクリームが溶ける速度のほうが早いですからね。今年はローブを汚さないでくださいね」

 昨年を思い出したのか、が溜息をついた。
 ヘルガ・ハッフルパフの好みを受け継いだのか、も甘味に目がない。どこかに出かけるときは、僕とが対になって行動することが多いが、どうやら毎年のようにダイアゴン横丁のアイスクリーム専門店でアイスを買い、それを堪能している間に日差しにアイスクリームを溶かされてしまっているらしい。

 「あそこのアイスクリームは美味しいから、しっかり味わって食べたいんだもんっ」
 「しっかり味わいつつ、全部食べてやるのが礼儀だろー。溶かしたらもったいないじゃないか」

 甘味に関しては僕やは得意ではなく、が専門だ。溜息をつくのことなど全く気にせず、とダイアゴン横丁にあるお店のお菓子について語り合うはいつも以上に輝いて見える。

 「明日は最初にアイスクリームを食べる!」
 「あ、僕もそうしようかな。なぁ、良いだろ、

 僕はと同時に溜息をついた。どうせ僕が否定しても彼は自分の思うように行動するのだ。
 ホグワーツから教科書リストが届いた翌日にダイアゴン横丁を訪れるのは毎年の恒例行事だった。その日が一番学生が多く買い物に来ているので、新入生とホグワーツ特急に乗る前に知り合う良い機会なのだ。
 毎年一番多くの学生と知り合ってくるのは人懐こいだった。次点でと続き、僕が新しく数人と知り合いになることは稀だった。隣接する夜の闇横丁にまで足を延ばせばもう少し多くの学生と知り合うことができるのだろうが、闇の魔術を極端に嫌うは僕がそこへ足を運ぶことを快く思っていないので、彼の機嫌を損ねないために一緒に出かけるときに足を運ぶことは控えている。

 「まあ、ハリー・ポッター云々は置いておいて、今年ホグワーツにどんな生徒が入学してくるのかを知るのは楽しいじゃないか」

 僕はまだ複雑な顔をしていたのかもしれない。僕の肩を叩きながらが笑みを浮かべてそう言った。それに同意して頷くの表情も明日を待ち遠しにしているかのような晴れやかなものだ。
 ……あまり深く考えない方がいいのかもしれないな。冷静を装っているつもりだが、長年共にいる彼らには簡単に心情が見破られてしまう。
 僕は前髪をかきあげると、小さく息を吐き出して頷いた。
 夏休みが終われば、ホグワーツ特急に乗って生徒たちとともにホグワーツに戻り日常が始まる。新入生たちが目をキラキラと輝かせて大広間に入り、組分け帽子に寮を決められるのを緊張して待つ。もうずっと変わらない昔からの出来事。
 僕らは何があってもホグワーツを守る。ホグワーツを見守り導いていく。それはハリー・ポッターが入学しても変わらない。
 ヴォルデモートが凋落して10年。ハリー・ポッターのホグワーツ入学が何かの兆しとなっている気がして胸がざわついていたけれど、僕はその不安を押しとどめて、勤めて何もない風を装い、三人の会話に加わった。
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 説明口調すぎて泣いた……