中毒性のある甘い毒
その夜、僕らは幻獣館の談話室に集まった。
ヴォルデモートが僕に接触してきたことを思いのほか重大に捉えたのはで、先ほどから談話室の中を苛つきながら行ったり来たりしている。
「あー、もうっ、なんで今頃になってに接触してきたんだ、あいつは!」
「少しは落ち着いたらどうです、」
「そーだよ。が苛々したって、ヴォルデモートがロンドンに戻ってきたっていう事実は変わらないんだからさ」
とは紅茶を片手に涼しい顔をしてを見ていたが、は納得がいかないと言う表情で僕らを見回した。どうにも彼は頭に血が上りすぎる傾向にある。
僕は隣の空席を指さしての名を呼び、席に着くように促した。の言う通り、慌ててもヴォルデモートがロンドンに潜伏しているという事実が変わることはない。
まだ不満げな表情を浮かべたまま、ソファーにどっかり座り込んだは、隣に座っている僕をじっと見つめて大袈裟な溜息をついた。
「……大体、もだ。相手がヴォルデモートだとわかって時点で、どうして僕を呼ばなかったんだ。僕の気配がしたとたん、あいつは逃げたんだろう?」
「……それは……」
「いいか、次にヴォルデモートに出逢ったら真っ先に僕を呼ぶんだ。あいつ、一発殴ってやらないと気が済まない」
「……本当に?」
すると、かたり、と陶器と陶器の触れる音をさせながら紅茶のカップを置いたが、刺すような眼でを見つめた。
ヴォルデモートどころか僕に殴りかかってきそうな勢いだったが、動きを止めてを見つめ返している。
「……本当に彼を殴ることができますか?」
「なっ、当たり前だろう?! あいつのせいでどれだけの数の人間が犠牲になったと思ってるんだ?!」
「では何故、あの当時、彼を止めようとしなかったのです?」
真っ直ぐにを見つめていたが首を横に振った。は握りしめていた拳を自分の掌に打ち付けた後で、諦めたように溜息をついた。
彼は手つかずのままテーブルの上に置かれた紅茶を手にすると、もう冷めてしまったであろうそれを一気に流し込み、カップを乱暴にテーブルの上に置いた。焦りと苛立ちが態度によく表れている。
……本当は、にだってわかっているんだろう。の言う通り、彼はヴォルデモートを殴ることは出来ない。いや、だけでなく、創設者によって創られた僕らが、創設者の血を引くヴォルデモートに危害を加えることは不可能だ。
「ねえ、でも、どうしてヴォルデモートは今頃になってロンドンに姿を現したんだろう?」
ふと、茶菓子を口に放りこみながらが言った一言に、全員の視線が集中した。
それはイグアナ姿のヴォルデモートに出逢った時から頭の片隅に浮かんでいた疑問だった。瀕死の重傷を負った時よりは回復していると言っても、自分の肉体を蘇生出来たわけではなく、彼は誰かに頼らなければ移動もままならない状態にあるはずだ。
「逢いたかった、とは言っていたけれど……」
「に逢うためだけにそんな危険を冒すような奴じゃないだろう、ヴォルデモートは。大体、に逢うだけなら幻獣館に姿を現わせばいいじゃないか」
ヴォルデモートは幻獣館への立ち入り権限を持っている。の言うとおり、僕に逢いに来ただけなら此処に姿を現わせばいいだけのことで、わざわざダイアゴン横丁にまで足を運ぶ必要はない。そんな状況にも関わらず、何故魔法使いが多数出入りするダイアゴン横丁に姿を現したのだろうか、と疑問が残る。
「ヴォルデモートの目的は、肉体を蘇生して完全に復活することだろ。そのために必要な何かがロンドンに存在しているってことだろうな」
「でもさ、肉体を蘇生する方法も仮の肉体を創造する方法もたくさんありすぎて、どの手を使おうとしているのか検討がつかないよ」
「それにイグアナの姿を借りた状態では魔法を唱えることもままならないでしょうから、彼には協力者が必要ですね」
「そう言えば、忠実な部下を一人手に入れた、と言っていたな」
昼間、ヴォルデモートに出逢った時のことをもう一度よく思い出してみる。フローリシュ・アンド・ブロッツ書店に入ろうとしたところで、紅い瞳のイグアナに狭い路地へと誘われた。あのときは、周囲に僕ら以外の人間の気配を感じることはなかったが、ヴォルデモートは確かに部下を一人手に入れた、と言っていた。
「部下の手を借り、ロンドンへ……ですか」
「蘇生方法の中で、ロンドンに所縁あるものってあるか?」
「……いや、特には思い浮かばないが……」
「あ、でもさ、グリンゴッツ魔法銀行に賢者の石がなかったっけ?」
二杯目の紅茶に角砂糖を一つ落としたが呟く。僕らははっと顔を上げてを見た。紅茶をかき混ぜたスプーンを銜えたは、一斉に振り向いた僕らに首を傾げていたが、もも事の重要さに気がついたのだろう、顔が青ざめていた。
賢者の石……アルバスがニコラス・フラメルと共同研究をした、どんな金属も黄金に変え、飲めば不老不死になる“命の水”を作り出すという石……確かに、この石があれば肉体をいとも簡単に取り戻すことができる。ヴォルデモートはそれを狙って……?
「……賢者の石か……」
「どうした、。何か気になることでもあるのか?」
「ああ、いや……ヴォルデモートが僕に人形を創ってくれと言っていたことをには話したと思うんだが……」
「それがどうした?」
「人形を欲しがるっていうことは、当分元の姿に戻れないであろうことを推測しているのかもしれないと思ってね。彼は既にダイアゴン横丁にいるわけだし、忠実な部下がいるとも言っていた。もし本当に賢者の石の力で復活を目論見ているのだとしたら、近日中に復活してもおかしくないはずだが……どうして人形を欲しがったのかな、と思ってさ」
もちろん、賢者の石が仕舞ってあるグリンゴッツ魔法銀行の厳重な警備体制を、力の弱まっているヴォルデモートが出し抜くことは難しいだろう。しかし、彼の手引きを元に部下が侵入したとしたら不可能ではないかもしれない。
そう考えると、昼間のヴォルデモートの言葉にやはり疑問が残るのだ。
「アルバスに嗅ぎ付けられたんじゃないのか?」
「……ヴォルデモートが賢者の石を狙っているということをアルバスが突き止めた、と?」
「ああ。丁度、ルビウスがハリーと一緒にダイアゴン横丁を訪れていたみたいだしな。盗まれる前に別の場所に移そう、という動きがあってもおかしくないだろう」
がふっと溜息をついた横で、10個目の茶菓子に手をつけようか迷っているの手をが軽く叩いて戒めていた。頬を膨らませてに抗議するに、僕の皿の上に載った茶菓子を皿ごと渡すと、彼は子供のような笑みを浮かべて茶菓子を口に運んだ。が甘味を口にしているときの顔は至極可愛いと思わず口元を緩めると、の眉間に皺が寄った。
「あー、美味しいー」
「あんまり甘やかさないでください、。食物の過剰摂取は僕たちの身体にいい影響を及ぼしませんよ、」
もう一つ口に運ぼうとしたところで、さっと皿をに片づけられてしまったは、物足りなそうな表情でをじっと見つめていた。僕が作ったのに、と呟くは今にも泣きそうな顔をしていたが、十分食べたでしょう、というの返事に一蹴されてしまう。
「なんかさ、ヴォルデモート、歯痒そうだよね」
紅茶を口に運びながらいきなり会話を再開したは、まだ糖分が足りないのか紅茶の中に二つ角砂糖を落としている。
がもう一度呆れた溜息をつき、自分の額に手を触れながら首を横に振った。
ダージリンの独特な香りを楽しむなら、砂糖を入れすぎるべきではないな、と思いながら僕も紅茶のカップに口をつける。
「イグアナの姿なんて、ヴォルデモート自身嫌がってるんだろうな。あの子、綺麗なものにしか興味がないような子だったし」
「だから人形を創ってほしい、と言ってきたんだろう」
「そのお人形で何も悪さをしないなら、創ってあげてもいいと思うよ、僕」
「……信用できないな」
そう呟いたが僕の髪を一房掴み、指でくるくると弄んだ。鬱陶しい、との手を払いのけようとしたが、は強引に僕の髪を引っ張った。痛い、と顔をのほうに向けると、思いのほか真剣な表情のと目が合って、僕は口をつぐんでしまった。
「、ヴォルデモートを甘やかすのはよせ。あいつはもうホグワーツの学生じゃないんだ。僕たちとあいつの関係が特殊なのを利用して何かしでかすかも知れないからな。おまえは、ヴォルデモートについては考え過ぎない方がいい」
「うん、は気をつけたほうがいいかもしれないね。はいろんな人に甘いからなぁ……それに、ヴォルデモートとの繋がりは切っても切れないものだし」
「それはみんな同じじゃないか」
「ですが、一番繋がりが強いのはですからね。用心しておくに越したことはないと思いますよ」
さあ、夜も更けました、とが食器を手に立ち上がった。彼はもうヴォルデモートについて話すことに厭きたのかもしれない。
賢者の石の件が少し頭の中に引っ掛かっていたが、彼の考えていることもよくわかる。どの道、僕らがこの談話室で何をどう話し合っていても、最終的には「ホグワーツの外のことには極力関わらない」という結論になってしまうのだ。
僕らはヴォルデモートを排除する力を持たないから、彼に関わるのは得策ではない、と心のどこかで考えているのだろう。アルバスがホグワーツにいることで、ヴォルデモートは迂闊にホグワーツに手を出すことが出来ない。やはりの言う通り、ホグワーツに危害が及ばない限り、彼のことは考え過ぎない方がいいのかもしれない。
溜息をついた僕の頭の中には、≪逢いたかったよ≫というヴォルデモートの声が響いていた。
「おやすみー」
「、ちゃんと寝ろよ」
とはそれぞれ自分の部屋に帰っていった。食器を片付けたも自室の扉に手を掛けている。
僕も部屋に戻ろう、と思い席を立ったが、ヴォルデモートの声が頭の中に響き渡っていて、なんだかこのまま部屋に戻っても眠れそうな気がしなかった。
一旦は部屋の扉に手を掛けた僕だったが、そのまま扉から手を離し、談話室のソファーにもう一度腰を下ろす。
自室に入り、扉を閉めようとしたが怪訝な顔をして談話室に戻ってくると、僕の隣に歩み寄ってきた。
「気になることでもありますか? 」
「……いや。毒されている、と思ってな」
僕の正面に膝をついて視点を合わせたは、僕の肩に手を置いて僕の顔をじっと見つめている。
長い銀髪を一つに結ったは、ロウェナ・レイブンクローの聡明な瞳を受け継いでいて、どこか輝きを放つような美しさがある。濃い灰色の瞳が吸い込むように僕を惹きつけた。
「……気にしないでくれ。君たちが言うように僕は甘いんだ。何よりも綺麗だったヴォルデモートが、あんなイグアナの姿になっているのを目の当たりにしてしまうとね、彼が人形を望む気持ちに応えてしまいたくなる。ただ、それだけだよ」
の輪郭をなぞると、僕は目を閉じた。
彼は小さな声を出して微笑むと、僕の髪を優しく撫でた。
「が心配していましたよ。ヴォルデモートに逢った後のあなたの様子が気になる、と」
「……は心配性過ぎるんだ」
「ヴォルデモートに嫉妬しているのかもしれません。彼はあなたのことをいたく気に入っていますから」
のその言葉に僕は深い溜息をついた。確かには僕のことで熱くなると止めるのに一苦労する。ヴォルデモートが学生の時分、彼と親しくなるのに一番時間がかかったのもだった。
「……から、あなたに協力してほしい、って頼まれたんです。信用できない、と口では言っているものの、ヴォルデモートがイグアナの姿でいることに耐えられないのはも同じなのでしょう。僕だって、出来ることならヴォルデモートには綺麗な姿でいてもらいたいですから」
「だけど、不可能だろう? 彼が操ることのできない人形を作成することなんて……」
杖を持たせなければ呪文を唱えることもないだろう、と言うのは浅はかな考えで、ヴォルデモートの宿った人形が誰かの杖を奪えば簡単に呪文を操るようになるだろう。そうして、人々に危害を加えるようになったら、僕らは彼の手助けをしてしまったことになる。それは避けたかった。
「もしかしたら、そう言った人形を創ることが出来るのであれば、それを彼に与える方がいいのかもしれない、と僕は考えているんです」
「……何故?」
「もしもヴォルデモートが本当に賢者の石を狙っていて、それを知ったアルバスが賢者の石をホグワーツに隠したとしたら、どうでしょう? ヴォルデモートはどんな手を使ってでもホグワーツに侵入してくるでしょうね。そうなったら、僕たちも目をつぶっているわけには行かなくなります。生徒たちに危害が及ばないよう、ヴォルデモートを監視または排除しなければならなくなります。
でも、彼に危害を加えることは僕らには不可能です。僕らには感情と言うものが植え付けられていますから、役目だから、と理由付けしても中々割り切れないでしょうね。だったら、完全に僕たちの制御の元に置いた人形を一体彼に与えて、僕たちが彼を常に監視できるような状態を創りだした方がいいのでは、と思ったのですよ」
甘い考えかもしれませんが、とは付け足したが、僕は既にその人形の構想について真剣に考え始めていた。
甘いと言えば甘いのかもしれない。ホグワーツにヴォルデモートが入り込んだ時点で、僕らは彼を排除すべく動かなくてはならないのだろう。それでも、極力彼と剣を交えない方向で解決策を模索してしまうのは、僕らが彼に毒されているからに他ならない。
暫く腕組をして何かを呟いていたは、笑みを浮かべながら顔を上げ、こんなのはどうでしょう? と口を開いた。
「まず、人形が独り歩きできないように行動制限を設けます。具体的には、僕たちから半径1m以上は離れられず、誰かが人形を置き去りにした場合、その場から動けないようにします。そして、常に僕たちが人形の位置を把握できるように、僕たちと対を成す呪文式を組み立て、人形の身体に刻みます。最後に、もしも彼が呪文を放った時のことを想定して、“盾の呪文”および“呪文終了の呪文”を人形にかけておきます。こうすることで、もし仮に杖を手にした人形が呪文を放ったとしても、自分の身体から呪文が離れる前に、即座に終了され、その呪文が発動することはありません……いかがでしょう?」
それは、あまりに甘美な呪文のようだった。が口にしたことがすべて可能なのであれば、ヴォルデモートが宿っても安全な人形を生み出すことが出来る。
思わずの首に手を回し抱きついた僕を、は優しく抱きしめ返してくれた。
「一人で考え過ぎるのはよくないですよ、。僕たちはみんなあなたと同じような想いを持っているんですから。それに、ヴォルデモートがホグワーツに出現しない場合もあります。創っても、彼とすぐにその人形に宿るとは限りません。それでも、いいですか?」
「もちろん」
「それなら、明日から一番効果的な作成について研究したり材料を集めたりしますから、お手伝い願えますか?」
もちろん、ともう一度頷いた僕はもう一度強くを抱きしめ、彼の胸元に顔をうずめた。
僕の背中を撫でるの手は柔らかい。
「感謝ならに。あなたが傷つかない方法を模索していたのはですから」
「……ありがとう」
馬鹿なことをしているのはよくわかっている。僕がヴォルデモートに毒されているのも自覚している。それでもやっぱり、綺麗な彼を見たい、と思ってしまう。
≪逢いたかったよ≫と頭の中に響く声に、僕もだ、と返事をしながら立ち上がると、もう一度に感謝を述べて、僕は部屋の扉に手を掛けた。
恋焦がれる乙女みたいだな……