醜い感情 1


 「今日の放課後、空いてるかしら?」

 「ごめん、今日は約束が入ってるんだ。何か特別な用事でもある?」

 「あら、そうなの……それじゃ、仕方がないわね。そんなに特別な用事でもないから、また別の機会でいいわ」

 魔法薬学の授業が終わって、教室から出る間際に少しだけリドルと会話した。
 けれど最近、リドルは忙しいらしく、一緒にいる時間は少なくなってきた。
 彼は優等生を演じているから仕方がないわね。
 解っているから、本当に特別な用事でない限り彼の邪魔をしないことにしているの。
 でも、本当は最近少しだけ憂鬱になってきているわ。

 「あ、リドル。約束覚えてるかしら?魔法薬学と魔法史、どうしても解らない箇所があるの。ほら、もうすぐレポートの締め切りでしょう?手伝ってもらいたくて」

 ふわふわ栗毛のかわいい少女。
 明るい栗色の髪は、ふわふわとした巻き毛になっていて、振りまく笑顔は愛らしい。
 グリフィンドール寮所属のその少女が、最近リドルの周りをうろつくようになっている。
 ほら、今だって彼女は愛らしい笑顔を振りまいてリドルに歩み寄っているわ。
 後ろに手を組んで、少しうつむき加減で、本当に悩んでいるかのような表情を見せる。
 本当に愛らしい少女よ。
 リドルが拒めるはずがないわ。
 仮にも優等生を演じている身ですし、彼女のようなかわいい女性に声をかけられて断らない男性がいるはずないものね。
 少し困ったような笑みを浮かべながら、リドルは少女の相手をしている。
 それじゃあまた寮で、なんて軽い言葉を交わして私は先に教室を出た。
 リドルと少女は何事か楽しそうに会話をしていたけれど、その会話に耳を貸す気にもなれなかったわ。



 憂鬱。

 私の中にふつふつと湧き上がってくるその感情が、なんなのかまったくわからないけれど、どうやらそのわきあがってきた感情が、私を憂鬱な気分にさせているようだわ。
 廊下を独りで歩きながら私はため息をついた。
 私だって、彼と同じように優等生を演じている身ですし、彼がどの寮の生徒にも分け隔てなく接することにも慣れているはず。
 それに、私にはリドルを束縛する権利なんてないし、彼も私のことを束縛してなんていないわ。
 お互い利害が一致して意見があったから、よく一緒にいるようになっただけで、よくよく考えてみれば、私たちの間になにか特別な感情が生まれていたのかといえば、どうなんでしょう?
 軽く触れ合う程度なら、イギリス人の礼儀としてだろうし、頬を寄せたり口付けするのだって、挨拶代わりだわ。
 それが文化であって、その行為に感情が伴わない限り、それは特別なものとは言いがたいわね。

 「あ、。どうしたの?俯いて歩いてるなんて。最近元気がないように見えるけど……」

 名前を呼ばれて顔を上げると、そこには同じ寮の男子生徒がいた。
 アンドレー・フィリップス。
 何かにつけて私のことを気遣う少年。
 ……ああ、そうね。リドルと一緒に歩くようになる前は、彼やほかの男子生徒がたくさん私の周りにいたわ。
 リドルと一緒に歩くようになってから、彼らはリドルを意識し始めたのか、リドルと一緒にいるときは私の側から離れるようになっていたけれど……
 別に一緒にいたいわけじゃないけれど、この変な感情を紛らわす話し相手程度にはなるかしら。
 勿論、スリザリンの生徒であるし、フィリップス家はいわずと知れた名家ですものね。
 それなりの教養はあるわ。

 「なんでもないのよ、アンドレー。貴方こそどうしたの?もう授業は終わったでしょう?」

 「ああ、。僕は貴女を待ってたんです」

 「私を?何かあったのかしら?」

 「今日の魔法薬学の授業内容について貴女とすこし論議を交わしたくて。僕は今日の先生の説明でどうしても納得の行かない箇所があったんだけど……の意見を聞きたくて、ね。もしよかったら、図書室で少し論議しませんか?」

 アンドレーは紳士だわ。
 この後何をする用事もないし、宿題も既に終わらせてあるから時間に余裕はあるわね。
 どうせ部屋にいても何かにつけてこのおかしな感情が私を揺さぶるのでしょうし、少し気分を紛らわすためにも誰かと一緒にいたほうがいいのかもしれないわ。
 私は彼の申し出を快く受け入れて、一度寮に戻った後、彼と連れ立って図書室に向かったの。
 その間に、昔のようにぞろぞろと気配をかぎつけて何人もの男子生徒が私の周りに集まってきたわ。
 その相手をするのは気分が悪くなるほど嫌いだったけれど、リドルがいない以上、彼らを拒むことは出来ないわ。
 私だって、優等生を演じているんですもの。





 がやがやと男子生徒を従えて私は図書室に足を踏み入れた。
 司書が少し怪訝な顔をしてこちらを見たけれど、小さく会釈して困ったように微笑んだら何も言わずに通してくれた。

 ああ、図書室に入ると自然に角のブースに目が行くわ。
 私とリドルがよくそこで会話をしているから。
 ……今日は先客がいるのよね。
 栗毛のかわいいお嬢さん。
 楽しそうに微笑んで、リドルの笑顔もまんざらじゃなさそう。
 ズキンと心が痛んだけれど、その理由がわからないわ。

 とりあえず私は、大勢入れる席へ腰掛けた。
 私を囲むようにして皆が腰掛ける。
 魔法薬学の教科書と、今日の授業内容を記した羊皮紙を机の上に広げ私たちの論議が始まるの。
 それはつい最近まで忘れていた昔の光景。
 昔に逆戻りした感覚が、私に妙な感情を沸き立たせるの。
 そわそわした……何か落ち着かないような感情だわ。

 「だって勿忘草の成分と胡桃の葉の成分はお互いの効果をかき消してしまうんじゃなかったっけ?だから、ここに入れたらダメなんだよ。それより、別の草を……」

 「でも、勿忘草の成分の中には胡桃の葉の成分とうまく合わさるものがあったはずだ」

 「確かにそうかもしれないけれど、いちいち計算しているよりは、代わりになるような草を探したほうがいいんじゃないか?」

 「……勿忘草と胡桃の葉の変わりになるのは、蘇芳だよ。だけど、これは貴重なものでなかなか手に入らないよ」

 隣で論議を交わす生徒達。
 彼らの話を聞きながらも、どうしても視線はちらちらとリドルを見てしまう。
 よくよく考えてみたら、リドルと放課後一緒にいないことが既に二週間以上続いているのよね。
 こんなことって今までになかったわ。
 だから余計急激な変化に体と心がついていっていないのかもしれないわ。
 ……とはいえ、リドルと少女は絶えず笑顔。
 彼らを見ていると吐き気がするのはどうしてかしら。

 「……で、どう思います、

 「……え、…あ、ああ…そうね、勿忘草と胡桃の葉は配合する量さえ間違わなければ、そんなに難しいものでもないと思うわ。勿忘草の力がかき消されない程度に胡桃の葉を加えて、その二つの力を促進させるものを加えれば……ほら」

 羊皮紙に羽ペンで数字を書き込む。
 作業に没頭しなければ何か集中力を切らすようにリドルと少女の声が聞こえてくるからいけない。
 この感情がなんだかわからずに苦しむなんて、私ってなんだかばかげているわ。
 早くこの感情を頭から追い出してしまわなければ……

 すぐ近くでリドルが少女と笑顔で会話をしている。
 昔は気にならなかった光景がこんなにも気になってしまう。
 私にリドルを縛る権利は無いと知りつつも、彼がどんなことを思ってそこにいるのか知らなければ気がすまなくなる。

 だめね、私。

 きっとこういう感情が頭の中にあるときは何をしてもだめなんでしょうね。
 ちょっと休憩しようかしら。
 誰かと話していれば気がまぎれるかと思ったけれど、どうもそうではないみたい。
 結局リドルのいる場所にいると不思議な感情がわきあがってくるわ。
 だったら、独りになってゆっくり眠って疲れを癒したほうがいいのかもしれないわ。

 かたり、とペンを置いた。
 男子生徒がいっせいに私のほうを向く。
 少し俯き加減に困った笑顔を見せた。

 「ごめんなさい、少し気分が優れないみたい。続きはまた今度でいいかしら?今日は早めに部屋に帰って休みたいわ」

 「勿論ですとも、。僕達のために無理をしてくれたんですね。なんだか顔色も優れないようです。よろしければ寮までお送りいたします」

 「無理をさせてしまって申し訳ないです、。僕らも寮までお供します」

 すくっと立ち上がると静かに図書室を後にする。
 純粋にころっと演技にだまされて、なおかつ私を慕ってくるこの人たちは……そうね、利用できないこともない。
 でもどうやら、私が求めているのはこの人たちではなさそうよ。






 「それでは、何かあったらすぐ言ってくださいね。マダムをお連れしますから」

 「ありがとう、皆さん。きっと少し横になればすぐに気分もよくなると思います。心配してくれてありがとう」

 談話室で心配そうに私を見つめる彼らに手を振ると、独り部屋に入る。
 部屋の空気は冷たかった。
 何もせずただ寝台に横になると、擦り寄ってきたとルデの体を優しくなでる。

 「……おかしいわよね、私」

 なーぅ、と首をかしげ大きな瞳をパッチリ開けて私を見つめる猫達は、なんだか心を和ましてくれるらしい。
 でも、こんな不思議な感情にとらわれる自分がおかしいと思う。
 私はリドルを束縛する存在にはなり得ない。
 リドルも私を束縛する存在にはなり得ない。
 私達はただ一緒にいることが心地よかっただけ。
 リドルのほうが私といるよりもあの少女といることを選んだのならば、私はそれをとめることは出来ないし、とめようとも思わない。
 ……頭の中では。
 そう、ちゃんと理解してリドルと一緒にいたはずなのに、いざはなれて見るとなんだかもやもやとした感情が渦を巻く。
 栗毛のかわいい少女になんら罪はないはずなのに、私は彼女に知らないうちに敵対心を燃やしているらしい。
 そんな自分に吐き気がする。
 私は理性ある人間としてここにいるはずで、感情に左右されるような心の持ち主ではない……はずなのに。

 「だめね、本当に。きっと今までの生活が日常になりすぎていたのね。昔の生活に戻したほうが良さそうだわ」

 小さくため息をつくと、私は諦めて首を横に振った。
 なんだか悲しくなったけれど、眠ってしまえばその感情は薄れると思ったわ。
 きっと……そう。
 私が独り、リドルという存在に近づきすぎていただけなのでしょう。
 この醜い感情が私を支配してしまう前に、昔の自分に戻ったほうが良さそうだわ。
 そんな風に思いながら、私は静かに目を瞑った。






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 ここまで、さん視点。
 妙に嫉妬(?)してるかしら?