星降る谷
ホグワーツの近くには、誰にも見つからないようにひっそりと小さな谷がある。
いいえ。
皆、その谷の存在は知っているけれど、とてつもなく深い谷で、そして人の気を狂わす谷と伝えられているので、誰も近づかない。
けれどそこは、そんな風に伝えられているものとはまったく違う、優しい空気が漂う場所である。
それでも、そこまで足を運ぶものが居ないのだから、伝説が覆されることはない。
それが、私にとっては都合のいいことになっているのですけど、ね。
星降る谷。
そう呼ばれるその谷は、その名のごとく星が降る。
流れ星がとても多く見られる場所。
星見にとってはこの上なくすばらしい場所。
「…また星を見に行くのかね、」
星を見に行こうと玄関ホールに足踏み入れた私の後ろから、長年聞いている声が聞こえてきた。
優しい声だけれども、どこか冷たい。
私を探る、その声。
「ええ、ダンブルドア先生。こんなに美しく星の輝く日に、夜空を眺めずに部屋にこもることなんて、私には出来ません」
にこりと微笑むと、ダンブルドアは長くなった口ひげを触りながら探るような目つきで私を見た。
…私が生徒のときから、私や彼に疑いを持っていたダンブルドア。
校長という地位についたのだから、私をホグワーツから追放することも可能だというのに、どうしてかホグワーツの教員としてこの場に留まらせている人。
ダンブルドアはため息をついて私に手を振った。
「行ってきなさい、。血が騒ぐ、とでも言うのだろうね」
「ありがとうございます」
すっ、と箒を取り出すと、私は玄関ホールから飛び立った。
生徒にばれないよう、ホグワーツの周りを飛ぶのは細心の注意を払うのだけれど、ホグワーツよりも高い位置を飛ぶようになれば、もう生徒を意識することもない。
今夜は月のない日。
だから、星降る谷ではいつもより多くの星が見られる日。
ホグワーツから眺めるのには限界がある。
ホグワーツの天井のように星をかたどってもいいのですけれど、やはり自然の力に敵う物はない。
自分で確かめたい。
丁度、星降る谷の真上辺りに来た頃だった。
谷のどこが一番居心地がいいだろうか、と考えていた私は、谷全体を見渡していた。
そして、谷と空ばかり気にしていたものだから、すぐ近くに迫ってくるものに気がつかなかった。
「えっ?!……」
不意に掴まれた体。
腰の辺りに自分とはまるで違う体温が伝わっている。
‘それ’はものすごいスピードで空を駆け、谷の隅へと急降下していった。
抱えられた私は何も出来ず、ただその光景を眺めているだけ。
全身黒いローブで身を被っている。
まさか、こんな夜にさらわれるなんて思わなかったわ…と、私は独り苦笑する。
かいだことのある香りが漂っていて、やっと私は私をさらった主の正体を知る。
「…ヴォル…」
地面にぶつかるぎりぎりのところで彼は箒をとめた。
そしてしっかり地に降り立つまで、私を抱いて放さなかった。
やっと開放されたとき、彼はいつものように赤い瞳で微笑んで、私の体を抱きしめていた。
「突然すぎるわ」
「僕だってあんなところで君に会えるとは思っていなかったよ」
「いきなり体が箒から離れたんですもの。驚いてしまったわ」
突然すぎる彼の来訪に、私は戸惑いを隠せなかった。
いきなりやってきて、箒の上に居た私を掻っ攫い、星降る谷の一番深い所までやってきてしまうのだから。
彼はごろりとその場に横になると、私に一冊の本を渡した。
私も彼の隣に横になり、谷から見上げる夜空を見つめながら、その本を受け取った。
固い表紙のその本は、『星夜の夢物語』と題されていたけれど、ぱらぱらとめくって中を確かめると、古代文字で何かが記されていた。
割と分厚い本で、一日での解読は困難だと思われた。
「…これは?」
星が流れるのを見つめながら彼に尋ねた。
彼は微笑みながら私を見つめて口を開いた。
久しぶりに見る彼の顔は、まったく変わっていなくて、白い肌も赤い瞳もそのままだった。
「君のところへ行こうと思ってたんだ。その本が手に入ったから」
「…素晴らしい本なの?」
「ルーン文字を解読するのは訳ないんだけれど、どうも解読してみても君の得意とする分野のようでね。予言という形で、かつてこの星降る谷で生活していた人たち―ああ、今は居なくなってしまった種族の人たちだけれども―がいろいろなことを綴っているんだ」
興味あるでしょ?と彼は微笑んだ。
…本当に、私の心を掴むのがうまいと、長年知っている仲なのに私は彼のその能力に驚いてしまう。
星の予言、と聞いて、私が興味を持たないはずがないわ。
私は苦笑して本をローブの中にしまった。
「解読して…できれば予言の内容も詳しく貴方に教えればいいのね?」
「ご名答。理解力のある人は好きさ」
寝返りをうって私のほうを向くと、彼と私の顔の距離が近かった。
綺麗な肌が目の前にある。
赤い瞳がじっと私を見つめている。
彼の手が、私の髪を一房掴んで軽く弄ぶ。
「…こんな夜に、どうしてあんな所にいたんだい?」
「新月だったのよ。新月の日には星が良く見えるわ」
解ってて私に聞く彼が面白くてしょうがない。
こんなところで会うとは思わなかった…そんな風に言うけれど、彼には私の行動なんてお見通しのようよ。
今日が新月だってことも、星降る谷では綺麗な星が見られるということも全部知っていて私の元へやってきたんだわ。
そうでなければ、あんな風に私をさらえるはずがない。
くすくす微笑んでいると、彼は怪訝そうな顔をして私を見つめた。
「何がおかしいんだい?」
「いいえ…貴方の瞳がとても綺麗だったものだから」
「ウソは良くないよ、」
戒めのように口をふさがれる。
互いの唇が触れ合うと、私の体が少し熱くなる。
このままこの時に酔いしれてしまいたい。
私のすぐ側にあるヴォルデモートの顔。
そのずっと上に、星が瞬いていて、じっと私たちの様子を見ては、ざわざわと囁き続けている。
これだけ多くの星に見られているというのに、ヴォルデモートは何も気にすることなく、また飽くこともなく私をじっと抱しめる。
「…解読には数週間かかるかもしれないわ。でも、逐一報告するわ」
「待ってるよ。少し面白い内容だと思うんだ」
「ゆっくり読む時間があるといいんですけれど」
このままヴォルデモートと一緒にいたかった。
けれど、それではダンブルドアに疑われてしまうし、流石に生徒を残したままで消えるのも良くないと思う。
だから、今日はこれでおしまい。
名残惜しそうに私の髪を撫でるヴォルデモートと軽く抱擁を交わすと、置いてきてしまった箒を呼び寄せる。
「…また、夏休み?」
「おそらくは」
「いいわ。貴方の計画を邪魔する気にはなれないもの。でも、夏休みの数日くらいは……」
「大丈夫さ」
笑顔が飛ぶ。
それだけだ。
さよならの言葉はない。
そんな言葉は私たちの周りには必要ない。だから、そんな言葉もない。
私はホグワーツの方向へ。
彼はどこか別の場所へ。
それぞれ箒に乗って飛び立った。
星降る谷の真上に、黒いローブを羽織った魔法使いが二人、空を飛んでいた。
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星降る谷が本当にあるなら、この上なく素晴らしい景色が見られると思うな。