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蒼玉の焔 3


 みょうちくりん。
 そんな言葉にぴったり当てはまるような不思議な生き物が僕の目の前に現れたのは、扉が開かないと気がついてからしばらく経った頃のことだった。
 尖った耳に大きな目、小さな体の割に大きな頭。古くて色あせたタオルのようなもので全身を覆った不思議な生き物は、突然どこからともなく部屋の真ん中に現れた。その生き物の突拍子も無い出現に、扉の取っ手を頑張って押したり引いたりしていた僕はすごく驚いて、涙も止まってしまった。僕と目が合った不思議な生き物は、大きな目を何度も瞬き、それから部屋の中に置かれた大きな棚の後ろに姿を隠してしまった。
 今はただ、耳だけが棚の陰に見え隠れしている。

 「……君は、誰?」

 僕は恐る恐るその生き物に声をかけた。
 あの生き物は僕の言葉がわかるんだろうか。それとも、みんなが飼っているペットみたいに、人との意思の疎通はあまり上手く出来ないんだろうか。
 それにしたって、あんな妙な生き物、初めて見た。
 棚の陰からぴょこんと飛び出した耳の先が小刻みに動く。それから、棚の陰から右半分だけ変な生き物の体が現れた。大きな目で僕の体の全体をくまなく観察しているように見える。
 床に置いて自分の周りを照らしていた杖を彼のほうに向けたら、まぶしかったのか甲高い悲鳴を上げて両手で顔を覆うと、すぐにまた棚の後ろに隠れてしまった。

 「ごめんね、驚かすつもりは無かったんだ。君のこと、もっと良く見てみたくて……」

 慌てて杖を生き物から逸らす。
 なんだか不思議な気分だった。さっきまですごく落ち込んでいたのに、今はそんなことも全部忘れていて、僕の興味はこの不思議な生き物に向いていた。
 杖を足下に置いて部屋の中を薄く照らすようにすると、僕は棚の近くまで足を進めた。
 棚の後ろに指を伸ばす。
 ……噛まれるかな……

 「ねぇ。君はどこから此処に来たの?」

 僕の声に反応したのか、もう一度棚の陰から半分だけ体を出したその生き物は、水晶玉のような大きな目で僕をじっと見つめた。

 「……わたくしは、ホグワーツの屋敷しもべ妖精でございます」

 僕は驚いた。不思議な生き物は、甲高い声で僕に向かって丁寧に挨拶をし、頭をしっかり下げたんだ。声は甲高いけれど、雰囲気は落ち着いている。

 「屋敷しもべ妖精、さん?面白い名前だね。僕はヒュー。ヒュー・ノードリーって言うんだ。君、すごいんだね。いきなり部屋の中心に君の姿が現れたから、僕驚いちゃった」
 「……屋敷しもべ妖精とは、わたくしたちの総称です。わたくし固有の名前ではありません」

 今や全身を現わした屋敷しもべ妖精は凛とした態度で僕にそう言った。
 小さい体だけど、自信に満ちあふれているかのような雰囲気を醸し出していて、なんだか大きく見える。
 こっちにおいでよ、と僕は杖の光のところまでその屋敷しもべ妖精を誘った。

 「あなた様は屋敷しもべ妖精を見るのが初めてですか?随分とわたくしのことを珍しげに眺めているように思いますが」
 「うん。僕、ホグワーツに来てまだ一ヶ月しか経ってないんだ。勉強もみんなに遅れをとっているし、知らないことがたくさんあって……」
 「さようでございますか。ノードリー家の痛ましい事件のことはわたくしたちの耳にも入っております。ご心労のほどお察し申し上げます」

 膝を抱えて床に座った僕と、僕の前に背筋を正して立っている屋敷しもべ妖精とは丁度同じくらいの視線になる。
 こんな小さくて不思議な生き物の間にも、僕の家族のあの事件のことが広まっているんだ……
 そう思うとまたもやもやした感情が胸の中に沸き上がってきた。

 「……何かお悩み事でもお持ちなのでしょうか」
 「……うん。一人になりたくて此処に来てずっと考え込んでたんだ。でも答えは見つからなかった。君はどうして此処へ来たの?」
 「あなた様と同じでございます。一人で考える時間が欲しくてやって参りました」
 「そう……なんだ。ごめんね、一人になれるって思ってやってきたのに、僕がいたからきっと驚いたよね……」

 僕たちとは姿形の全く違う変な生き物。でも大きな水晶玉みたいな目を見ていると、自分に似ているように思えてくるから不思議だ。
 この不思議な子はどうして一人になりたかったんだろう。僕みたいに何か抱えているのかな。

 「ね、どうして一人になりたかったの?」
 「……たかが一匹の屋敷しもべ妖精の悩みに興味がおありですか?」
 「うん、とっても。君と僕はなんだか、すごく似ているような気がするんだ……」

 そう言うと、屋敷しもべ妖精はきょとんとした目で僕を見つめ、僕の全体を凝視した。それから首を傾げて頭を下げた。

 「あなた様はホグワーツに在学中の魔法使い見習い様。わたくしめは屋敷しもべ妖精。似ているところなど無いように思いますが……」
 「……見た目じゃなくて……雰囲気、かな……」

 部屋の中は少し寒い。僕はローブで全身を覆い直しながら呟いた。
 屋敷しもべ妖精はしばらく細い両手を組んで考え込み唸り声のようなものをあげていた。首を傾げるたびに揺れる長い耳が面白い。

 「あなた様は、屋敷しもべ妖精が人間と同じ様に丁寧な言葉遣いをし、仕事に見合った賃金と最低限の休暇を主人に要求することをどう思われますか?」
 「……屋敷しもべ妖精は人間に仕える人たちなの?」
 「さようでございます」
 「それなら、お仕事に見合ったお金をもらったり休暇をもらったりするのは至って普通のことに思うよ。仕事、なんて僕にはまだ良くわからないことだけど、僕のお父様も週に一日は必ず休日があったもの」

 僕はそう言って溜め息をついた。
 お父様がお仕事に出掛けず一日中屋敷にいらっしゃる時は、僕はいつも以上にノードリー家の名を汚さないように振る舞わなくてはならなかった。
 必要がなければお父様の部屋に近づくことは許されなかったし、食事の時や勉強時はもちろん、ただ屋敷の中を移動するだけの時でも、座り方や歩き方に至るまで、ほんの少しでも気を許すことは出来なかった……
 思い出したらまた怖くなってきた。

 「けれど、世間一般の屋敷しもべ妖精はお給料も休暇も要求いたしません。主人から洋服をもらうということは解雇を意味します。だから我々はこのような古い布切れを身に纏っているのでございます」

 屋敷しもべ妖精はそう言って溜め息をついた。

 「君はお給料や休暇が欲しいんだね?」
 「はい。人前に出ても恥じることのない衣装を身に着けたいと思いますし、わたくしの仕事に見合っただけのお給料と、余暇の時間をいただきたいと思っています。けれど、それは屋敷しもべ妖精にあってはならない思考なのです。それゆえ、わたくしは仲間の屋敷しもべ妖精たちから異端と呼ばれ忌み嫌われております」
 「変なの……」

 この屋敷しもべ妖精は心の底から悩んでいるようで、視線を下に落とすと深い溜め息をついた。
 異端、だなんて……やっぱり、僕とこの子は似ている気がするな。
 僕もレイブンクローの家系に産まれた異端児、だもの。僕の考えていること、僕が興味を持つこと、それは全てお父様やお母様から見れば恐怖の対象でしかなかったんだ。だから、僕は徹底的に自分の考えを排除された。自分の意見を述べることは許されなかったし、好きな本を読むことすら禁止されていた。

 「お給料や休暇をくれる人に雇ってもらえたらいいのにね。そうしたら君の悩み事は全部吹っ飛んでしまうよね」
 「残念ながら、屋敷しもべ妖精にお給料を払うなんてことをする魔法使い様はこの世にはおられないでしょう。仲間からは考えを改めなさい、とよく言われます。屋敷しもべ妖精としてあるまじきことをあなたは要求しているのですよ、と」

 ノードリー家の人間としてあるまじき態度と思想です。お母様の甲高い声が頭の中に響き渡る。僕は身を縮こまらせて両腕で自分の体を抱いた。
 僕も同じことを言われたっけな……

 「……僕も同じこと言われた。お父様とお母様は僕をレイブンクローの生徒のような考え方を持つ子どもに育てたかったみたいなんだけどね、僕には彼らの考え方はあまり良く理解できなかった。プライドが高くて体裁を気にして……僕を外に連れて行く時は僕のことを褒めていたけれど、屋敷に戻れば冷たい言葉の嵐だった。やっぱり君と僕はよく似ているよ」

 長く吐いた息は部屋の冷気に当てられて白く濁って見えた。でもそれもすぐに消え、杖先の青白い光に戻る。

 「もう少し後で僕と出会ってたら良かったのにね。僕が大人だったら、君のことを喜んで雇ってたのにな。君がいたらきっと生活も楽しくなると思うし」

 指先を伸ばして屋敷しもべ妖精の耳に軽く触れた。ひくりと動き、僕の指を避けようとする耳の動きがとても愛らしい。
 凛とした態度の屋敷しもべ妖精は、大きく目を見開いて僕を見ていた。

 「……わたくしと契約を交わしませんか?」
 「え……」

 唐突に彼はそう言った。

 「お給料と休暇の話はあなた様がホグワーツを卒業してからで結構です。それまではわたくしは表向きホグワーツの屋敷しもべ妖精としてここで働きましょう。ですが、あなた様がホグワーツを卒業し、社会に出た暁には……正式にわたくしめをお雇いいただけないでしょうか」

 屋敷しもべ妖精は僕の前に跪いた。あまりに突然のことで僕は驚いて目を白黒させてしまった。
 だけど、僕を真っ直ぐ見つめる屋敷しもべ妖精の目は真剣そのもので、どこにも濁りは見えなかった。
 それに、この子と僕はよく似ている。きっと‘異端’という言葉に反発しながらも、生きていくためにその言葉を肯定せざるを得ず、自分を偽ることを覚えてきたんだろう……って、僕にはなんだか彼の抱えている悩みの深さがよくわかるんだ。
 僕の道を切り開いてくれたのは紅い瞳の綺麗な人だ。僕にはまだたくさん悩み事があるけれど、それでも魔法使いとしての道を歩むために道を切り開いてくれた人がいる。一番大きな、僕だけではどうしようもない悩みを解決してくれた人がいる。それなら僕が協力することによってこの子の一番大きな悩みが解決するなら……協力してもいいな。僕を助けてくれたあの人のように。

 「いいよ。僕が卒業したら君を正式に雇うよ。お給料と休暇をきちんと君に支払って、ね。屋敷しもべ妖精のことは良くわからないけれど、ちょっと不思議な考え方を持つ子がいてもいいと思うんだ、僕」

 僕は屋敷しもべ妖精に手を差し出した。細くて尖った指の屋敷しもべ妖精は、僕の手をまるで小さな赤ん坊のようにそっと握り返した。
 これで契約成立、かな。

 「そうだ。君のこと、なんて呼べばいいかな?」

 いつの間にか涙は乾いていた。
 僕はたった今数年後の未来のことを契約した小さな不思議な生き物に向けて笑顔を向けられるようになっていた。
 悩みを共有する、そんな感覚なのかもしれない。スリザリンの寮の誰にも話したことの無い僕の悩み、僕の不安。姿形は全く違うけれど、境遇も違うけれど、僕たちの抱えている悩みの神髄はよく似ている気がするんだ。ナルセ先生のように、この子にならいろんなことを話せそうな気がする。

 「……わたくしに名は無いのです」
 「え?それじゃあ、みんなは君のこと何て呼んでいるの?」
 「仲間たちはわたくしのことを固有名詞で呼ぶことはございませんので……」
 「でもそれってすごく悲しいね……ね、僕が君に名前を付けてあげるよ。君、って呼ぶのもなんだか変だし、さ」

 名前が無い、とうつむいた屋敷しもべ妖精の全身を眺めて、僕はいろんな言葉を思い浮かべた。
 声は甲高いけれど、話を聞いているとなんだか僕と同じ性別のような気がしてくる。どんな名前がいいかな。
 何度も瞬きをして僕を見ている屋敷しもべ妖精。僕は彼に向かって微笑んだ。

 「……エーゼル、なんてどうかな?」
 「……エーゼル……」

 彼は何度か繰り返しその名を呟いた。
 それから僕の目の前で何度か宙返りをして僕を驚かせ……地面に最初の通りきちんと降り立ったときには、にかっ、と今まで見たことの無いまぶしい笑顔を浮かべて僕の手を握った。

 「このエーゼル、この命の尽きるまでヒュー・ノードリー様にお仕えいたします」
 「なんだか照れるな」

 僕も笑顔で彼の手を握り返した。
   部屋の中はものすごく寒かったけれど、僕の心はとても温かかった。






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 その後エーゼルの手引きで部屋を出ました。