護るべきもの


 そよそよと優しい風が部屋の中を通り抜けていった。
 ほんの少し開いた窓から入ってきた風は、窓にかかっているレースのカーテンを揺らし、俺の鬣をなで、そして部屋の中をぐるりと駆け回ると、また外へと舞い戻っていった。
 うららかな昼下がり。

 はいつものとおり仕事で、自分の部屋にこもってしまった。
 毎日多くの人間が訪ねてくる家だけに、彼女は大忙しだ。
 小さいながらもそれをよくわかっているのか、俺の目の前に座っている幼子は、何も言わずぐずったりもせずに一日を過ごしている。























 ヴォルデモート卿が俺の目の前から消えてどれくらい時間が経ったんだろう。
 今でも連絡はひとつもよこさないし、にも連絡がないみたいだ。
 時々寂しそうにため息をつくと、もしかしたらほんの少し同じ感情を抱いているのかもしれない。

 あいつが消えたときの衝撃で、俺はあいつと過ごした時間をおぼろげにしか覚えていないんだ。
 の存在も、靄がかかったようになっていて、実際会うまで思い出せなかった。
 けど、今は落とした記憶も全部取り戻しつつあって、いつもの生活に戻りつつある。
 一緒にいるのが、ヴォルデモート卿でなく、ということを除いては。






 「……」

 が俺の名前を呼んだ。
 小さな体に小さな手。
 その体をいっぱいに使って、俺に手を伸ばす。
 届くわけないのを解っているにもかかわらず、毎日この幼子は俺に手を伸ばす。

 のそり、と起き上がると、俺はが俺に届くところまで移動する。
 にっこりと、優しい笑みを浮かべる少年は無垢で、どことなくヴォルデモート卿が時々見せた笑顔に似ていて、心が和む。
 は俺の体につかまると、それまで読んでいた本を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。

 「こっち。片付けに行くの」

 ふふふ、とあどけない笑顔を見せて、俺に捕まりながら立ったは、おぼつかない足取りではあるがゆっくりとその場から、少し離れた本棚まで歩いていく。
 手にしている本からは少し魔力を感じ、俺に触れているの体からも底知れぬ魔力を感じる。

 小さな白い手は、幼子特有の感触があり、俺はこの手で触れてもらうのが一番好きだ。
 ヴォルデモート卿が命令したから、ではなく、ただ単純に、この小さな少年に惹かれている自分に、最初の頃は笑うことしか出来なかったけれど、最近ではそれもいいかと思うようになった。

 「のお耳は大きいね。お口も大きいね。…うわぁ、くすぐったいよ」

 とすん、としりもちをついた。
 でもきゃっきゃと声を漏らして笑っている。
 俺の耳を不思議そうに覗き込み、俺の口を首をかしげながらじっと見つめる。
 大きくてパッチリとした紅い瞳は、俺のすべてを映し出しているかのようだ。

 ぺろり、と少年の頬を舐める。
 そんなに強く舐めたわけではないにもかかわらず、はバランスを崩してその場にしりもちをついた。
 でも、笑っている。

 「…んー…」

 小さな欠伸。
 左手で目をこすると、は俺を連れて寝台のほうに歩き始める。
 広すぎるこの屋敷の中では、小さなの体では、寝台に行くまでにずいぶんと距離がある。
 それでも、は一度も俺に頼ったことがない。
 聞き分けのいい、頭のいい子だ。

 「ふかふかしてる…うー……」

 ベッドにやっとこさのぼったは、もう一度大きな欠伸をするとそのままごろりとベッドに寝転がった。
 一人では広すぎるベッド。
 大人が四人くらいゆったりと眠れそうな特注品のベッドに、は一人で横になる。
 俺がの顔を覗き込むと、にこりとやわらかい笑みを浮かべて、自分の横をぽふぽふたたいた。

 「も…ねんねする?」

 へへっ、とどこかやんちゃな笑みを浮かべた。
 ひょい、とベッドに飛び乗った俺は、の隣にゆったりと伏せの体制をする。
 程なくの手が俺の首筋を優しくなで、そのまま体に重みが伝わる。

 は優しい笑みを浮かべてすぐに眠りにつく。
 太陽の光が優しく降り注いでる部屋の中では眠くなるのも無理はない。
 日長一日、読みたい本を読み、から出された課題をすませ、そして俺と遊ぶ。
 きっちり定時刻に目覚めて自分のことをやり、決してぐずらない。
 自分のすべきことを、たぶん感覚的に解っているんだろうと思う。

 でも、こうして眠っている姿は歳相応の幼子だ。

 時々危なっかしいことを平気でする。
 この屋敷の螺旋階段を、まだ自分ひとりでは無理なのにもかかわらず果敢に降りようとしたり…
 一人で外に出ようとしたり。
 好奇心旺盛で何に対しても優しい。
 この屋敷には俺以外に、の可愛がっている猫がいるが、その猫に対してもとても優しい。
 だからといって俺をないがしろにすることはなく、どんなに自分が大変なときでも俺のことを気遣ってくれる。
 そんな性格だから、ヴォルデモート卿の子どもなのかと疑いたくなったけれど、じっと俺を見つめる仕草や、まだ学んだばかりの文字や言葉を一生懸命に操ろうと練習する姿なんかは…なんとなくヴォルデモート卿に似ているから、たぶん本当に彼の子どもなんだろう。

 白い小さな手。
 やわらかい感触の肌。
 紅い瞳。
 黒い髪。

 この少年のすべて…すべてが俺の護るべきものである。
 俺が護るべきもの。
 いや、護らなくてはならないもの。


 欠伸をしてから、俺も瞳を閉じた。






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 の幼い頃のお話、視点。
 あどけない…って良く使う表現だけど、難しいですね(笑)