わくわくが止まらない


 わくわくすることはある日突然やってくるんだ。まるで物語の主人公になったかのような突然の出来事がある日突然日常の中に現れて、大抵話がよく呑み込めないままに主人公は冒険に出ることになる。
 良いことがあったり悪いことがあったり、素敵な人に出逢ったり……この先何が起こるかわからないけど、物語の始まりは決まってわくわくする。
 そんな出来事が、まさか自分の身に起こるなんて僕は思ってもみなかったけど……僕は今すっごくすっごくわくわくしてるんだ。

 始まりは、二日前。
 梟が窓をくちばしで何度も何度もつつく音で目覚めた僕に渡された一通の手紙。
 そこには『ホグワーツ魔法魔術学校への入学を許可します』みたいなことが書かれてた。

 「ほぐ……わーつ?」

 聞いたことのない名前だったけど、その後ろに書いてある魔法魔術学校っていう部分に心臓が飛び出るくらいの興奮を覚えた。
 なんだかすごい! 僕が魔法の学校に入学できるってこと?!
 もうちょっと寝たいなんて思ってたのも忘れて、寝間着姿のまんま、足に掛布をひっかけたまんま、半ば滑り落ちるような形で階段を駆け下りて、握りしめた手紙をリビングのテーブルの上に置いた。
 リビングで出社前の珈琲を飲んでいた父さんが新聞を読む手を止めて僕の方を振り返り、朝食の準備をしていた母さんが、目玉焼きをフライパンから皿に移し替えながら、「騒がしいわよ」と僕をたしなめた。
 でも僕の興奮は収まりそうにない。だって、今日は父さんの飲む苦い珈琲の香りすら良い匂いに感じるんだ。

 「見て見て! 梟さんが運んできたんだよっ!!! 不思議なお手紙っ!!!」

 ずずい、と父さんの読む新聞を取り上げて僕の手紙を前に押し出す。
 少しだけ顔をしかめた父さんは、僕の差し出した手紙を右手で無造作にとると、左手で珈琲カップを握った。

 「おいおい。まだ夢の中にいるのか、イーノック」
 「夏休みが明けたら一流の学校に行くことが決まってるのよ。もう少し落ち着きを持って欲しいわ」

 早く顔を洗っていらっしゃい、と母さんはエプロンで手を拭きながら言う。
 テーブルの上には僕の分の朝食が用意されていて、トーストがいい匂いで僕の空腹を誘ってる。
 手紙は逃げない、かな?
 全く見知らぬ世界への招待券、ホグワーツ魔法魔術学校への入学許可証。
 珈琲をソーサーの上において、手紙を封筒から取り出す父さんを見ながら、きっと父さんも母さんも驚くだろうなって心を躍らせながら洗面所に向かった。
 冷たい水で顔をパシャパシャ洗うと、なんだかさっぱり目が覚めた。
 でも、梟が窓を何度も何度もたたいて僕を起こしたことははっきり覚えてたし、早く起きない僕にいら立ったのか、手紙を渡した後ちょっとだけ指をかじられた痛みもしっかりはっきり覚えてた。あ、また指がずきずきなってきた。
 だから、僕にはあの手紙が夢でないという確証があったんだ。
 これってきっと、すっごい物語の幕開けなんだよっ!

 「……イーノック、これ、誰が届けてくれたって?」

 だけど、洗面所から戻ってきて椅子によじ登った時に見た父さんの顔は、苦虫をかみつぶしたようなすごい顔だった。
 いつもはおいしい紅茶を入れてくれる母さんも、ティーポットを手に持ったまま、父さんの握った手紙を食い入るように覗き込んでいる。
 あ、これは、物語の主人公によくある「シレン」ってやつだ!
 すっごい、すごい、今僕、ものすごくどきどきしてるっ!
 物語の中にいる登場人物は、窮地に陥った時にきらっと閃いて、さえわたった答えを出すんだよ。でも、今日は、今は、僕が主人公なんだ。だから、僕がムズカシイ顔してる父さんと母さんが思いもよらないような答えをずばり言わなくちゃいけないんだろうな。わあ、なんていえばいいんだろう。どんな難しいことを言われるんだろう。心が躍らないほうがおかしいよね、こういうのって!

 「だからー、梟さんがねっ! こつこつって僕の部屋の窓を突っついてたんだ! 窓を開けたら、部屋の中に入ってきて、僕のベッドの上にその手紙を落としたんだよっ! で、そのあと僕の肩に止まって腕までよちよち歩いてきてさ。指をちょっとかじられた。それから部屋の中をすーって二回くらい廻ってからまた窓の外に飛んで行ったんだ。すごいでしょ! わくわくするでしょ!」

 父さんはいつも僕の話をまるでおとぎ話でも聞くかのように聞いてくれて、話が終わると大抵笑って僕の頭を撫でるんだ。イーノックの話は夢に溢れてるな、って笑顔を見せながら。
 母さんも、落ち着きなさいって言いながらもにこにこして僕の話を最後まで聞いてくれる。学校でどんな事件が起きたのか、とか、友達と探検しに行った時に出遭った不思議なこととか。僕はお話をするのが大好きで、だから僕の家はいつも賑やかなんだよね。

 「……イーノック、その手紙については今夜父さんと母さんと話をしよう。父さんは会社に遅れないようにしないといけないから、今はお話しできないからね。いいかい、大事にしまっておいて、誰にも話しちゃいけないよ。お前の友達にもだ」
 「秘密ってこと?」
 「そうだ」
 「どーして? こんなにすっごいわくわくするようなこと、僕いろんな人に話したい!」

 目を輝かせて父さんを見たら、困った表情をして母さんと顔を見合わせた。
 母さんはティーポットをやっと思い出したみたいで、僕の目の前に準備された紅茶カップに紅茶を注ぎながら、僕の顔を覗き込む。

 「ねえ、イーノック。新しい学校に行くことが決まるまで、大変なことが多かったわよね。あの時も母さんは、入学が確定するまでは誰にも言っちゃだめよってお約束したわよね。イーノックは良い子だから、ちゃんと母さんとの約束を守ってくれた」
 「うん!」
 「だから、今回もそういうことよ。だって、今あなたは二つの学校から入学許可をもらったのよ? どっちに行くか選ばなきゃいけない。イーノックが二人に分身することができたら別だけど」
 「うーん、うーん、分身かー。ちょっと今まだできないなー」
 「でしょう? 父さんがこの学校についてきっと会社で調べてきてくれるわ。新しい学校だって、いっぱい調べて何度も母さんと一緒に足を運んで、試験を受けて、それでやっと入学が決まったのよ。この学校も、もしかしたらそういう試験があるかもしれないから、どんなところなのか、今夜父さんがお話ししてくれるまで、みんなには内緒、ね?」
 「そっかー。そうだねっ! 新しい学校の試験、大変だったもん! いっぱい覚えることあったし、なんかよくわかんないこともたくさんやったし。わかった! 僕、誰にも言わないよっ! 今日は父さんの帰りを待ってるから、すぐ帰ってきてね!」

 なんだか母さんの言葉に乗せられたような気も少しするんだけど、でも、間違ったこと何も言ってないもんね。
 僕は口の前で指でばってんを作ると、父さんに向かって満面の笑みを見せた。
 ふっと軽く息を吐き出した父さんは、いつもの出勤用鞄とスーツを持つと、僕の座ってる席までやってきて大きな手で僕の前髪をかきあげて、額に軽く唇を触れた。

 「いい子だ、イーノック。それじゃ、父さんが帰ってくるまでいい子を継続するんだぞ」
 「うんっ! いってらっしゃい!」

 玄関の扉を開けて家を出ていく父さんを母さんが見送って、ぱたん、と扉が閉じるとまた忙しそうにぱたぱたと足音を立てながらキッチンとリビングを往復する。
 秘密だって! わくわくするなぁー。
 父さんがテーブルの上に置いていった手紙を自分の手元に引き寄せながら、僕は改めて一字一句読み飛ばさないように真剣に手紙に目を通すことにした。


 でも結局その日は父さんは日付が変わるくらいまでずっとお仕事をしていて、僕は父さんと話すことができないままに寝てしまった。ずっとソファーで待ってたんだけど、いつの間にか眠っちゃって、起きたらもう朝で、自分の部屋にいたんだ。
 今日こそ! と思ってリビングに行ったら、僕が起きたのがお昼くらいの時間だったからかな。父さんはなんだかすごく大切な人に逢うんだって言って出かけた後で、一緒に僕に届いた手紙も持っていったって母さんが言ってた。その母さんもおばあちゃんとおじいちゃんのおうちに行ってくるから留守番しててね、って言って僕を置いて出かけてしまった。
 なんだか、おうちの中がバタバタしていて、いつもと雰囲気が違った。
 でも、こういうのが冒険の始まりってやつなんだよねっ!
 相変わらず僕は父さんと母さんとの約束を守って、梟さんからの手紙については誰にもしゃべらなかった。そのせいで、いつもと違う、なんてみんなに言われたけど、これが最初の超えなきゃいけないシレンなんだ、って思って頑張ったんだ! すごいでしょ?

 僕がホグワーツ魔法魔術学校魔法使いというものを知ったのはその日の夜遅くになってからだった。

 父さんと母さんは僕にもわかるように簡単に、魔法使いという人たちについて教えてくれた。
 実は父さんの家族にも魔法使いがいて、お姉さんも魔法使いだし、母さんの家族はみんな魔法使いなんだって。ずっと前に母さんのおじいちゃんおばあちゃんのおうちに遊びに行った時に、いっぱい不思議なものがあったのは、みんなが魔法使いだからだよ、って教えてくれた。
 なんか、謎が一個解けたって感じで、僕のわくわくは止まらなかった。
 だって、マホウなんて物語の中にしか存在してないんだと思ってた。もちろん、今の僕たちの生活だってある意味魔法みたいだよ? 電気っていうのがあって、それがすっごくすっごく世の中を便利にしてる。でももし、僕が杖を振ったらぽんって杖の先から光が出たり、目の前にあるカップをほかのものに変身させることができたりしたら……わあっ、なんか興奮して暑くなってきちゃった!

 「じゃあじゃあ! 父さんも母さんも本当は魔法使いだったんだ! なんで教えてくれなかったの?!」

 僕は父さんと母さんが大好きだ。
 わからないことがあったり疑問に思ったことがあると全部聞いちゃう僕だけど、父さんも母さんも絶対ちゃんと答えてくれる。
 今も、僕の質問にちょっと困ったような顔をしたけど、それでもちゃんと言葉を紡いでくれた。

 「……父さんと母さんは、魔法を使わない生活のほうが好きだからさ」
 「どーしてっ?!」
 「イーノックにとっては魔法を使わない生活が日常、よね」
 「うん!」
 「だから、魔法を使うことができるようになるかもしれないって、ホグワーツの入学許可証を見た時、すごくわくわくしたでしょう?」
 「うん! 僕、新しい学校よりこの学校に行きたい!」
 「それと同じ気持ちよ。魔法使いたちは魔法を使った生活が当たり前だから……魔法を使わない生活が不思議で面白く感じるの。母さんも父さんも、イーノックがこのお手紙をもらった時にいっぱいわくわくしてほしかったから、何にも教えなかったの」
 「わー。そっかそっか! だから僕いっぱいわくわくしてどきどきしてるんだ! 母さんも父さんも大好きだよっ!!」
 「だからイーノック、父さんも母さんも、これ以上は何にも教えない。魔法の世界について知りたかったら全部自分で学ぶんだ。そうしたら、父さんと母さんの言ってること、もっとよくわかるようになるさ」
 「本当? うんわかった、僕頑張る! ね、だから、こっちの学校に行ってもいい?」

 父さんと母さんは一瞬顔を見合わせて、それからゆっくりうなずいてくれた。
 僕は父さんから受け取ったホグワーツの入学許可証をまじまじと見つめた。

 「ただし、イーノック。父さんと一つだけ約束してくれ」
 「なあに?」
 「その学校でお勉強をしていくと、『マグル学』という授業を受けることができるようになる。その授業は選択制だから、受ける生徒もいるし受けない生徒もいる。だけど、父さんはイーノックにこの授業を受けてほしい。だから、その学校に入学するなら、『マグル学』を選択授業として選ぶ、ということを約束してくれ」
 「まぐる学? よくわかんないけど、わかった。父さんが僕に学んでほしいっていうのはいっつもいいことだもん! 大丈夫! 僕約束守るよっ」

 そう答えたら、父さんはやわらかい笑みを浮かべて僕の頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。
 母さんも口端を緩めている。

 「明日、父さんの知り合いの人が来るよ。その学校に行くための入学準備を手伝ってくれるから、イーノックはその人と一緒にお買い物に行っておいで」
 「うん!」

 わくわくが、どきどきが、止まらない。
 見たこともない世界、聞いたこともないような音。
 憧れていた物語の世界に、まさか僕が入り込めるとは思ってなかった。
 こんなにこんなにわくわくしてるのは、生まれて初めて!

 この日は、寝台に入ってもずっとずっと興奮が続きっぱなしで、全然眠れなかった。
 窓から差し込む月の光や星の光を眺めながら、もしかしたら魔法使いが今空を飛んでるかもしれない、と思って、僕もその魔法使いの仲間入りができるかもしれないんだ、って思ったら、すごく幸せな気分だった。
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 イーノックについて掘り下げてみるそのに。
 愛されイーノック。

06/07/2013