反芻する声


 9月の終わり、澄み渡った夜空、欠けた月。そして、魔法界を震撼させるであろう何かの訪れを示す星の瞬き。
 禁じられた森の入口で夜空を見上げた僕は小さく溜息をついた。
 幻獣館の天文台で、普段とは違う明りを地上に送る星を見つけたのはホグワーツの始まるほんの少し前のことだった。夜空は様々な事象を暗示しているのだが、それは今までに見たことのない輝きだった。
 創られた人形である僕には、未来を予見する能力が備わっていない。星の告げる言葉を読み取り、そこから何が暗示されているのかを分析することはできるけれど、直感的に感じ取ることはできない。
 僕の導きだす答えは推測でしかないから、何か不思議な光を見つけた時は必ず推測を裏付けるための協力を仰がなくてはならない。これまで僕の推測が外れたことはないけれど、自分の力を過信して大きな間違いが起こってしまってはいけないから、僕は必ず禁じられた森に住む星に近しい生物たちに協力を求めることにしている。
 そしてもう一人、僕が協力を求める人がいる。

 「待たせたか、
 「そうでもないですよ、僕も今来たところですから」

 僕より少し遅れて禁じられた森の入口にやってきたは、一年生の男の子を一人連れていた。
 少年の名はトム・リドル。スリザリン寮に入寮した一年生で、マグルの孤児院で生活していたにもかかわらず、既に自分の中の魔力を操る術を身に付けているという、アルバス・ダンブルドアの入学以来の秀才だった。

 「こんばんは、トム。こうしてお話するのは初めてですね。僕は。レイブンクローの寮長をしています」
 「こんばんは。の友達にはいろんな人がいるんだね」

 の手をしっかり握ったトムは、就寝時間を過ぎた後にホグワーツの外に出る行為に心を躍らせているのか、切れ長の瞳を大きく開いて周囲を見つめている。目の前に広がる光景が珍しいのだろう。一つ一つ指をさしてに説明を求める仕草がとても愛らしい。
 特筆すべきは、彼がサラザール・スリザリンの血を引く者だというところだ。深紅の瞳は自身に満ち溢れ、、少し長めの黒髪を鬱陶しそうにかきあげる仕草はのそれに酷似している。二人の違いと言えば身長と髪の毛の長さくらいのものだった。
 創設者の血を引く者ということで僕たち全員が彼に注目したが、中でもサラザール・スリザリンに直接命を吹き込まれたの心酔ぶりは想像以上のものだった。トムもに良く懐いているようで、のいるところにはどこでもついて行きたがる、と守護者の間を訪れたが話していたのを覚えている。また、トムは人一倍独占欲が強く、がいなかったり他の生徒と話していたりすると目に見えて不機嫌になるらしい。特にと中庭で話していたを敵と認識したのか、に対しては敵意をむき出しにする、との隣でが難しい顔をして愚痴をこぼしていたのも印象的だった。

 ぱちん、とが指を鳴らすと小さな白い鳥が指の上に舞い降りてきた。嘴での指を軽く啄みながら小さく鳴いた鳥を、は指の背で軽く撫ぜている。
 生物の扱いでに勝るものはいない。禁じられた森の生物は僕が森に足を踏み入れても姿を現してくれることはないが、の呼び掛けには必ずこたえてくれるので、此処に出かける際にはの協力が不可欠だった。
 興味深げに鳥とを見つめるトムの前にが鳥を差し出した。恐る恐る指を差し出す彼に、が怖くないよ、と声をかける。星の明かりに照らされた二人の姿は酷く美しく、僕は思わず息を呑んだ。
 鳥はひとしきりに甘えた後、羽を広げて飛び立ち僕たちを森の奥へと誘った。

 「トム、足元に気をつけて。ところどころ木の根が見えているからね」
 「うん。ねえ、、あの鳥は僕たちをどこに連れていくの?」
 「ケンタウルスのところだ。がケンタウルスと話をしたいと言っていたと伝えたんだ」
 「ふうん。ケンタウルスって教科書に載ってたよ。上半身は人間、下半身は馬、ヨーロッパ各地の森に住み、人語を話す。M.O.M.分類はレベル4、敬意を持って接するべき存在。基本的に魔法使いやマグルを信用していないって書いてあったけど、僕たちが逢いに行って大丈夫なの?」
 「礼儀正しくしていれば大丈夫だ」

 トムがすらすらとケンタウルスの基本情報を述べるのをが満足げな顔をして見つめている。
 アルバス以来の秀才だ、と教授やが言いだした頃、スリザリンとレイブンクローの合同授業を見学したことがある。その時に見たトムはもう少し控えめで、常に仮面をかぶっている印象があった。成績は良かったが、アルバスとはまた違う雰囲気だったので、僕は内心アルバスと比べてはいけないな、と思っていたのだけれど……こうして、と一緒にいるトムはアルバスをも凌ぐかもしれない。あの時見た控えめなトムは此処にはいない。代わりに、自身に満ち溢れたトムがの隣を歩いている。おそらく、此方のトムが本来の姿なのだろう。
 相変わらず、頭上には得体の知れない輝きを放った星が煌めいている。
 暫くとトムの後ろを歩いていると、遠くのほうから微かに蹄の音が聞こえ始め、丁度鬱蒼と生い茂る木々が開けたところで、ケンタウルスに遭遇した。
 尾花栗毛の美しい体毛を持つ彼の名はエッツィオ。禁じられた森に住むケンタウルスの中では年長組に入り、星読みを得意とする。
 兆しの読み違えをしないために、僕はよく彼の指導を仰ぐのだけれど、彼は星に近しいだけに気難しく、が声をかけなければ僕たち守護者の前にさえ現れようとしない。そのためエッツィオに逢うためには毎回に案内をしてもらわなければならなかったが、いつでも快く引き受けてくれるに、僕はとても感謝していた。

 「こんな夜更けに生徒を連れてくるとは感心せんな、よ」
 「寮監の許可は得ています、エッツィオ。新入生のトム・リドルです。トム、エッツィオに挨拶を」
 「初めまして、トム・リドルです」

 頭上から僕たちを見下ろし、低い声でそう言ったエッツィオだったが、それでも夏休み前以来のの訪れを内心喜んでいるようで、気難しい表情がいつもよりやや綻んでいた。
 に促され一歩前に出たトムは、強面のエッツィオを前に物怖じせず丁寧に会釈した。エッツィオが興味深げにトムの仕草を見つめている。

 「それで、わたしに何の用だ、
 「に星読みの指導をお願いしたいのです」
 「……ふん。そろそろやってくるだろうと思っていたよ。おまえがわたしを呼ぶときは決まって星読みの指導だ。それもおまえにではなく他の者に、な。確かに、星は少々面白い暗示を示しているが……いつになったらおまえ自身がわたしの指導を受けるのだ?」

 それは次の機会に、とが頭を下げると、エッツィオはもう一度鼻を鳴らしてを見つめ、それからの後ろに控えていた僕の方へやってきた。
 必ずケンタウルスのほうが話しかけてくるまで待つこと、これがエッツィオと付き合うときのコツだ、とに教えてもらった僕は、その教え通り、彼が口を開くまでは何も言わない。ただエッツィオの目を真っ直ぐ見つめ、軽く会釈をする。

 「それで、何が聞きたい?」
 「“面白い暗示”の詳細をお聞かせ願えますでしょうか」

 そう言うと彼は静かに頭上の星を見上げた。星と星をつなぐように空に指で線を描きながら僕を呼び寄せる。黙って彼の説明を聞く僕の横では切り株に腰を下ろしたが、様々な動物を呼び寄せ、トムに彼らを紹介していた。

 「星たちがざわめいている。後に魔法界を震撼させるであろう新星の登場に目を光らせているのだ」
 「……やはり、今後魔法界に何かを起こす人物の訪れを暗示しているのですか」
 「やはりも何も、目の前にいるではないか」
 「え……?」

 エッツィオはそんなこともわからないのか、と言いながら森の獣と戯れるトムを指さした。動物を覗き込む顔、彼らに触れる手、仕草全てがを完璧に模倣しているトムは、の膝の上に乗り、彼の説明に熱心に耳を傾けている。
 ……確かに、アルバス以来の秀才と謳われるほどの生徒だ。将来彼が何か偉大なことを成し遂げる可能性は大いにあり得るだろう。彼が傍にいるから、星はこんなに強く輝いているのか。

 「は随分あの生徒に入れ込んでいるな」
 「ええ。何しろ、アルバス・ダンブルドア以来の秀才と言われる生徒ですから」
 「しかし、それだけではないだろう? あの瞳、あの仕草、と瓜二つではないか」

 の腕に抱かれたトムが、自分の腕に載せた動物を見せながらに説明を求めている。の顔を下から覗き込み、いかにも満足そうな笑みを浮かべてに話しかけるトムを、も滅多に見せない柔らかい笑みで迎えている。
 血の繋がりだけが彼らを惹きつけるのだとしたら、同じく創設者によって創られた僕たちものように彼に惹きつけられるように思うのだが、他の三人が感じている特別な想いを遥かに凌ぐ感情をはトムに抱いているように見える。あの二人には何か血筋以外の繋がりがあるように見えてならない。
 元々頭脳明晰で容姿端麗な人間を好む傾向にあるだが、それにしたって彼の心酔ぶりは想定の範囲を超えている。それがの一方的な想いならいざ知らず、トムもまたと一緒にいるに対して激しく敵意をむき出しにするほどにに心酔しているのだから、あの二人の間には何か僕たちには無い繋がりがあるのだろう。

 「気をつけろ」

 二人の様子を観察していたエッツィオが唐突に呟いた。顔を上げ彼を見ると、トムを指さして僕を見下ろしている。

 「あの子どもは毒になるぞ」
 「毒……ですか」
 「……今はまだいい。星の輝きも彼の闇を映し出してはいない。だがしかし、星は彼の善の心を映し出していない。善にも悪にも魅入られていない現状、彼はただの生徒だ。しかし、気をつけろ。既にあんなにの心を魅了しているんだ。奴は中毒性のある毒になる。それも、甘くて強い、な」

 動物に厭きたのか、眠くなったのか、トムはに抱きつき始めた。の両腕が彼を包み込み、片方の腕が背中を優しく撫ぜる。一度目をこすったトムが小さく欠伸をすると、の顔が綻んだ。
 トムがいるからか、彼を怖がっての前に姿を現さなかった動物たちが、トムが自分たちから興味を失ったのを感じ取り、わらわらとの座る切り株の周りに集まり始めた。トムを抱いたの身体に登ると、トムではなく自分を撫ぜろと言わんばかりにのローブを引っ張り始める。そんな彼らの相手もこなすは星の明かりに照らされ、酷く美しく見える。それはまるで、この世のものではないような美しさで、やはり僕らは人間に近しいだけで人間とは違うんだと実感してしまう。

 「星の輝きを注意深く観察していることだ。善も悪も、薬も毒も一度惹きつけられてしまったら簡単には手放せなくなる」
 「ご忠告感謝します」
 「特ににはよく忠告しておくことだ。あれは少々甘いからな。気にいったものをとことん愛でる傾向にある。あまり甘やかしていると痛い目を見る、と言っておくことだ。あの子どもは本当に中毒性の高い毒になる」
 「よく伝えておきます」

 中毒性の高い毒……その言葉が僕の頭の中で何度も繰り返し再生される。
 は既に毒に侵され始めているだろうことはエッツィオも理解しているのか、最後に小さくもう手遅れかもしれないが、と呟いていた。
 やがて、僕たちの視線に気がついたのか、眠りに落ちたトムを抱いたがこちらにやってきた。
 エッツィオの身体を優しく撫ぜると、満足げな顔をしたエッツィオがの髪をかきあげた。

 「星がおまえを呼んでいる。たまには相手をしてやったらどうだ」
 「星読みの類は不得手なもので。僕よりものほうが話が合うでしょう」
 「だが星はおまえを求めている。逢いに来ないと奴らが嘆くぞ」
 「では、次は必ず」
 「おまえはいつもそればかりだな。そんなにありとあらゆるものを惹きつける気配を纏っておきながら、あまりにそっけない」
 「……僕は、与えられた使命を全うするだけですから」

 ふん、と鼻を鳴らしたエッツィオはしかし、満足げな顔をしてを見つめると、何も言わずに身体を翻し夜の森へと消えていった。蹄の音が聞こえなくなるまで彼の去った方角を見続けた僕らは、やがてどちらともなく元来た道へ進み始める。

 「トムは寝てしまいましたか」
 「ああ。遅くまで勉強しているから疲れているだろうと思ったんだが。行くってきかなくてね。ついこの間、転寝した彼を残してと話していたことに御立腹みたいで、その罪滅ぼしに、と寮監に彼を連れ出す許可をもらったんだ」
 「とトムは随分仲が悪いみたいですね」
 「が子どもすぎるだけだ。大体、トムが卒業するまでたった7年だ。僕とが共に過ごしてきた時には遠く及ばない。そう説明しているんだが、彼は中々理解しなくてね」

 が不安になる気持ちはよくわかる。これまで一緒に生活してきた僕たちを忘れてしまったのではないかと思うほど、トムと一緒にいるはトムのことしか目に入っていない。彼のためなら自分の全てを捧げてしまうように見えて、のことを慕っている僕たちの心に大きな不安と焦りを与える。かく言う僕も、今日のとトムの仲の良さに若干の焦りと嫉妬を覚えていた。
 少し難しい顔をするに、の気持ちがよくわかる、と伝えると彼は一層眉間にしわを寄せて僕を見つめた。深紅の瞳が僕を捉えて離さない。そんな表情をしては、せっかくの綺麗な顔が台無しだ、と笑みを込めて伝えると、は首を横に振って溜息をついた。

 「……一時の夢じゃないか。長い時を過ごすのに、たまには夢くらい見たっていいだろう?」
 「あまり人に執着しないあなたが、トムとは常に行動を共にしているからみんな驚いているだけですよ」

 そう言って笑みを返したものの、エッツィオの言葉が僕の頭の中で反芻されている。
 中毒性の高い毒……人に執着しない彼が一番に魅入られた。おそらくトムはこれからも多くの人々をその魅力で惹きつけていくのだろう。魔法界に訪れた新星はあどけない子どもの顔をして眠りについていたが、その体内には底知れぬ魔力が流れている。
 気を付けてくださいね、とに軽く注意を促したが、彼は首を傾げて僕を見つめるだけだった。
 頭の中に反芻するエッツィオの声に苦笑いを返すと、なんでもありません、と笑みを創っての手を引いた。
 自覚症状がないのも、この毒の厄介なところかもしれない。
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 2.反芻する声
 ◆記憶に焼きつく5のお題◆ お題配布元:refinery