忘れられない面影
「出来たっ!」
試食用の新作パイをオーブンから取り出しながらそう呟くと、厨房内にいた屋敷しもべ妖精たちが一斉に僕の周りに集まってきた。長い耳をぴくぴく動かし、大きな目を見開いて出来上がったばかりの新作を眺めている。
10月30日の夕方は毎年恒例のハロウィーン用新作料理の試食会。ホグワーツの厨房で、、、の三人と屋敷しもべ妖精たちと一緒に僕の考案した新作料理を試食する素敵な時間。
今年はハロウィーン用に jack-o'-lantern を模した“栗と南瓜のパイ”を作ってみた。パイ生地の中にアーモンドクリームを敷いて、その上にスポンジを重ね、南瓜ペーストと栗ペーストをたっぷり包み込んだ秋の香りのするパイで、オーブンで焼き上げた後、しっかり粗熱を取ってから型から抜いて、南瓜の皮の部分で jack-o'-lantern の顔を作る。最後にホイップクリームをパイの上に絞って甘く煮た栗を一つ飾れば完成。栗と南瓜の秋の風味が舌の上で蕩ける絶品に仕上げたつもりだけど、うまくいったかな?
南瓜と栗の甘い香りが充満している厨房内。粗熱が取れるのを待っている間に、台の上にやってきた屋敷しもべ妖精たちと一緒に jack-o'-lantern の顔の部分を一つ一つ作っていく。やっぱり、料理って言うのは見た目も重要だからね。それに、今年は恒例の試食会に特別なお客様も来るわけだし、気合いが入る。
その特別な客の名はトム・リドル。9月に入学したばかりの1年生で、僕や、と違って一人の生徒に入れ込むことの少ないが入学当初から溺愛している珍しい生徒だ。トムの方もによく懐いていて、本当の兄弟のようだ、と噂されるほど二人は仲がいい。
ハッフルパフとスリザリンの合同の授業で僕も何度かトムを見かけたけれど、アルバスが孤児院を訪ねるまでマグルと生活していたとは思えないほど魔法の呑みこみが早い子だった。纏っている魔力は創設者サラザール・スリザリンに酷似していて、容姿はと瓜二つだ。創設者の血を引いているということで僕たちみんなが注目していた生徒だったけれど、僕は彼を一目見てが彼に惹かれる理由を理解した。尤も、は容姿端麗で頭脳明晰な人間を好む傾向にあるから、たとえ彼がサラザール・スリザリンの血を引いていなかったとしても、気にいっていたんだろうけどね。
自身は自分が彼に惹かれていることを自覚しつつも、寮長としての公平さは欠かさないように努めているらしい。だけど、守護者の間で彼の口から出てくる話題は全部トムに関することで、それを聴いているはあからさまに不機嫌な顔になってにちょっかいを出す。が激しく嫉妬し、が甘い毒だという生徒、トム・リドル。僕も気になっていたんだけど、寮が違うと中々話をする機会がない。だから、今日の試食会に連れておいでよ、とにさりげなく伝えてみたんだ。
「……此処が厨房? ねぇ、。あのたくさんいる不思議な生き物は何?」
「彼らは屋敷しもべ妖精という魔法生物さ。ホグワーツの中のいろいろな雑務をこなしてくれるとても役に立つ妖精だよ」
厨房の入り口に人の気配がした。粗熱の取れたパイを型から取り出しながら顔を向けると、眼を見開いて厨房内を見回すトム・リドルの姿が目に入った。彼に付き添うような形で横に立っているが僕に眼で挨拶している。
作業を台の上に座った屋敷しもべ妖精に任せての方へ行くと、トムが少し警戒した態度でのローブをぐっと掴んだ。
「こんにちは、試食会へようこそ、トム」
こうやっておしゃべりするのは初めてだね、と前かがみになって視線を合わせながら笑顔を向けると、トムは僕の差し出した手をぎこちなく握った。
が言っていたけれど、トムはの周りにいる僕たちに強く嫉妬しているらしい。特にに対しては、を奪われてしまうと感じているのか、あからさまに攻撃的な態度に出る、と言っていた。確かに、深紅の瞳は鋭く僕を観察しているし、彼の片方の手はのローブをしっかり握ったままだ。中々面白い子じゃない、といたずらな笑みをに向けると、は小さく首を傾げて僕を見た。
台の上の屋敷しもべ妖精が甲高い声で僕を呼び、 jack-o'-lantern のパーツが出来上がったことを伝えてくる。振り向いて返事をすると、僕は小さなお客人、トムの手を軽くひいた。
「丁度仕上げの飾りつけをしているところだったんだ。ねぇトム、一緒にやってみない?」
「……お菓子作りを?」
「うん。大丈夫、簡単だから。ホイップクリームを絞って、その上に栗の甘露煮を載せるだけだよ」
台の上にきれいに並べられたパイを指さしてトムの興味を引くと、トムはをちらりと見上げた。
「やってごらん、トム。は料理が得意だからね、良い体験になると思うよ」
「うんうん、一緒にやろうよ、トム。ほら、のために一番かわいい jack-o'-lantern のパイを作ってあげよう?」
「……のため? それなら、やってもいいかな」
最初は怪訝そうに僕の顔を見ていたトムだったけれど、僕がの名前を出すと切れ長の瞳を大きく開いて興味を持ったように僕の顔を覗き込んできた。の後押しもあって、やっとのローブから手を離したトムは、僕が差しだした jack-o'-lantern のパーツをじっと眺めだした。
その仕草が、あまりにに似ているので、僕は何だか妙な気分に陥った。
は忘れられない人サラザール・スリザリンと全く同じ動作をする。サラザール・スリザリンが教えたものなのかどうかは定かでないし、サラザール・スリザリンと常に行動を共にしていたが自然と学んだ動きなのかもしれない。サラザール・スリザリンがホグワーツを去った後、残った創設者たちはの後姿にサラザール・スリザリンの面影を見ていたし、彼の仕草一つ一つに切なげな視線を向けていた。ゴドリック・グリフィンドールなんか、何度彼の名前を呼び間違えたら気が済むんだってくらいの中にサラザール・スリザリンの面影を見ていたみたいだった。
……僕たちは今でもお互いの中にお互いに命を吹き込んだ創設者の面影を垣間見る。彼らがいた時代を懐かしんだり、別れの切なさを思い出したり……僕らにとってかけがえのない大切な時間だった。
トム・リドルと言う存在は、サラザール・スリザリンの血が現代に続いていると言う証拠だ。に酷似した彼の仕草は、やや幼さが残るものの、サラザール・スリザリンのものとも酷似している。サラザール・スリザリンと血の繋がった彼の中にはっきりとサラザール・スリザリンの面影が見える。それは僕にとって、の中にサラザール・スリザリンを見ることよりもずっと、切なくて胸が痛くなるものだった。
「……?」
名前を呼ばれてはっと顔を上げると、深紅の瞳が僕に向けられていた。白皙の美少年が僕を覗き込んでいる。
君がにそっくりだから驚いちゃって、と取り繕って、屋敷しもべ妖精が作った jack-o'-lantern のパーツをトムに手渡した。可愛く飾ってね、と僕もパイを一つ手に取ると、南瓜を模した形のパイの側面にパーツを張り付けていく。
トムは最初、僕の手元をじっと見つめていた。それから首を何度か傾げ、ゆっくりパイに手を伸ばした。お菓子の飾りつけには慣れていないのか、手つきはぎこちない。けれど、丁寧に飾られていくパイはだんだん僕の創った見本に近い姿になっていく。
「……出来た」
「ん、上手だね、トム。じゃ、仕上げにパイの上にホイップクリームを絞って、その上に栗の甘露煮を載せよう。そしたら完成だよ」
そう言って絞り袋の中にホイップクリームを詰めながら振り返ると、は丁度今やってきたと楽しそうに会話をしながら紅茶の準備を始めていた。
二人の姿に気がついたのか、トムが口をくっと結んだ。やっぱり僕たちには少なからず嫉妬しているらしい。
「はい、トム。よく見ててね。こうやって絞ると……ほら、綺麗」
「……ふうん……」
「で、此処に栗の甘露煮を載せれば、完成。ほら、可愛いパイになった」
絞り袋をトムに渡す。頭の中でイメージしているのか、トムは何度か手だけを軽く動かしていた。そんな小さな仕草の一つ一つがに、サラザール・スリザリンに酷似している。
僕がパイの飾りつけを終えたのを見て、次は自分たちの番だとばかりにうずうずしている屋敷しもべ妖精にホイップクリームと南瓜の顔のパーツを渡すと、彼らはわっ、と隣の台に群がって一斉にパイを作り始めた。細長い指でパーツをつかみ、思い思いに貼り付けていく。顔が逆になっていたり、笑っていたり怒っていたり……屋敷しもべ妖精の発想には僕たちとは違う何かがあってそれがまた面白い。
僕の隣ではトムがゆっくりホイップクリームを絞り出していた。螺旋状に綺麗な筋をつけて描かれたホイップクリームの上に白い指がひときわ大きな甘露煮を載せる。
「どう?」
出来に満足したのか、トムは口端を上げて僕を見ながら出来上がったパイを差し出してきた。
初めて手にしたとは思えないほど綺麗に仕上げられたそのパイに、僕は最高の褒め言葉を添えた。
「初めてでこんなに綺麗に飾りつけられるなんてトムはすごいね。に見せてきてごらん。きっとも驚くよ」
依然と楽しそうに会話しているの方に振り向いてそう言うと、トムはうん、と愛らしい返事をしてお皿の上に載せたパイをのところへ持っていった。もちろん、落とさないように細心の注意を払って、だ。
愛されているね、とに向かって心の中で言うと、僕はしっちゃかめっちゃかになっている屋敷しもべ妖精たちの手伝いをしに隣の台へと移動した。
明日はこのパイがホグワーツの夕食を飾るんだ、と思うと、パイ作りが既に遊びに変わってしまっている屋敷しもべ妖精たちにまかせっきりにしてしまうのはとても愉快なことだったけど、少しだけ不安がある。もちろん、彼らは仕事に対してはとても真面目だから、失敗したことなんて一度もないんだけどね。
「ひどいよっ!! 僕が一生懸命作ったのにっ!!」
悲鳴にも似たそんな声が聞こえたのは、トムがのところに行ってほんの少し経った頃だった。
屋敷しもべ妖精たちが大きな耳をひくひく動かして、一斉にトムの方を向いたので、僕も作業を止めて振り返った。すると目の前に広がったのは、握った拳をわなわなと震わせ、眼に涙をためて怒りをあらわにしているトムと、中に何かを含んでいるのか、もぐもぐと口を動かしながらトムをからかっているの姿だった。が深い溜息をついて、が悪いと呟いているけれど、はそんなこと聞いてもいない様子で、トムが飾りつけしたパイを片手に彼をからかい続けている。
が戸惑いがちにおやめなさい、と言うのも聞かず、自制の利かなくなったトムが杖を向けてに飛び掛かるが、身軽なはそれをひょいっと軽く避けてしまう。ますます怒りに身を震わせたトムは、なりふり構わずにに向かっていく。
「……何があったの?」
作業していた手を止めて三人の姿を遠巻きに見ているに尋ねると、は溜息をつきながら首を横に振った。綺麗な指でを指さしている。
「が悪いんですよ。トムがのために飾り付けしたパイを横からかすめ取って、上に載っていた栗を食べてしまうんですから。が大人げないと注意しても、全く聞く耳持たず、なんです。おまけに、がトムのことを構い過ぎだ、と言ってわざとトムを怒らせるようなことを言い続けているんですから……まったく」
「それはが悪いよ。のためにってすごく丁寧に飾り付けしてたんだよ、トム」
「ええ、そう思います。とても上手にできていました」
片手にトムの飾りつけたパイを持ったまま、厨房内を笑って逃げ回るをトムが顔を真っ赤にして追いかけている。が呆れて溜息をつくのもわかるな、と僕も小さく溜息をついた。どう控えめに考えたって、が悪い。
も二人の喧嘩をやめさせようとして二人の後をついて回っているけれど、トムがあんなに怒っているんじゃ暫く収まりそうにないな。せっかくの試食会だっていうのに、メインであるはずの僕の新作パイには誰も目をくれていないなんて、なんだか悲しい……
勢いに任せてトムがの身体に飛び込んでいく。それを華麗にかわすはずだったが床に座って二人を見学していた屋敷しもべ妖精に躓いて体勢を崩した。トムがの身体を押し倒す形になり、どん、と床に倒れたの手からパイが飛び出した。
ぺしゃ、という音を立ててパイはの顔にぶつかり、パイの乗っていた皿は床の上を転がった。
あーあ……せっかく作ったパイの末路に僕が肩をすくめると、がまずいことになりました、と盛大に溜息をついた。
わなわなと身体を震わせたが、顔についたパイを払いのけ、腰の剣を勢いよく抜いての前に突き付けている。
「……っ!」
ほとんど声を荒げないが出した大きな声に、の上に倒れ込んでいたトムの目からも涙が消えていた。切れ長の瞳を大きく見開いてを見つめている。もこれはまずいことになった、とでも思ったのか、身体の上に載っていたトムを床に下ろすと、待て待て待て、と慌てふためいてを止めようとする。
……だけど、ああなっちゃったらもうは止まらない。
「わ、わわ、、やめろって! 厨房は狭いんだからそんな危ないもの振り回すなよっ」
「その狭い厨房で、トムをからかって走り回っていたのはどこのどいつだ!」
「悪かった、僕が悪かったっ!」
「今さら遅いっ!」
先ほどまでとは打って変わって、自身も腰に刺した剣を抜き、の攻撃を受けながら厨房内を逃げ回るは必死の形相だ。金属と金属のぶつかり合う音が厨房内に響き渡っている。
自分のことをそっちのけで喧嘩を始めたとに驚いたのか、涙をローブでぬぐったトムが僕たちの方へやってきた。
真っ赤に腫れた目には何だか悔しそうな色が浮かんでいる。
どこかで見た光景だな、とまた遥か昔の記憶が呼び起こされた。サラザール・スリザリンがの教育に熱を上げていた頃、ゴドリック・グリフィンドールはそれが面白くなくて用も無いのにを構っていた。サラザール・スリザリンはずっとそれを見て見ぬふりしていたけれど、あるとき堪忍袋の緒が切れてゴドリック・グリフィンドールと大喧嘩をした。その時の光景によく似ている。
「……が僕よりあいつに気を取られるなんて……」
むすっとした顔でものすごく恨めしそうにを見つめるトムに、僕は小さな笑みを向けた。
幼さの残る態度。それなのに、歩く時も振り返るときもローブの裾が乱れない一流の振る舞いをする紳士。杖の扱いも完璧。仕草の一つ一つがに酷似する少年。そこにサラザール・スリザリンの面影を感じずにはいられない。
「ね、トム。もう一つ飾りつけてくれる?」
「……でも」
「さっきのよりもっと可愛く飾りつけしよう。それをに持っていったらきっとは君の方を向いてくれるよ」
黒髪を優しく撫でると、トムはそうかな、と小さく呟いて頷いた。
すぐに屋敷しもべ妖精を呼んで飾りつけの終わっていないパイと飾りつけのための道具を届けてもらい、さっきと同じ手順でトムに飾りつけをしてもらう。
が投げてしまったパイよりも完璧に、トムの手は慎重を極め、そこから生み出されたパイはへの思いに満ち溢れていた。
完璧だね、と満面の笑みでトムを褒めると、いまだ切り結んでいるとを指さして持っていってごらん、と言ってみた。トムは力強くうなずいて、自信満々の表情でパイの乗った皿を手にのほうへ歩き出した。
「子どもの扱いが上手いですね、」
「そんなことないよ。だけど、厨房内であんなに騒がれちゃ困るからね。せっかくの試食会なんだしさ、喧嘩はよくないよ」
「そうですね、本当に」
「……僕さ、がトムに入れ込む気持ち、なんだかよくわかる。が甘い毒だって言っていたけれど、本当にそうだと思うよ。忘れられない記憶を呼び起こすし、魅力を感じる。サラザール・スリザリンに酷似した魔力はと完全に同調しているし、が特別な思いを抱くのも納得するよ」
「だけじゃないですよ。僕たち全員、彼の甘い魅力に毒されているんです。とは特にそれが顕著に表れています。は魅力に酔いしれていますが、は魅力に酔いしれている自分に反発しているんですよね。僕たちの大切ながトムに奪われてしまうんじゃないかと恐れているんですよ、は」
「……それはよくわかるな。僕ものことが大好きだから」
床に倒れたに切っ先を突き付けているの名をトムが呼んだ。振り返ったにトムが新たなパイを差し出すと、前髪をかきあげた後、剣を鞘に戻し、はトムの手を取った。
難を逃れた、と胸をなでおろした表情のは軽やかに立ち上がると、やや不満げな顔をして僕の方へやってきた。トムが勝ち誇った表情をに向けているものだから、の顔はますます不機嫌になる。
「ねぇ、。そんな不機嫌な顔してないで、一緒にパイ食べようよ。僕の創ったパイ、美味しいよ?」
が魔法で出したお茶会用のテーブルセットにパイと紅茶を準備する。どかりと椅子に座りこんだは、別に不機嫌じゃない、とぶつぶつ呟いているけれど、どう見たって不機嫌だ。
トムが笑顔での隣の椅子に座ると、が紅茶を差し出した。二人が並んでいると本当に兄弟か何かのように見えてくる。紅茶を受け取る手、を見上げる視線、何もかもがそっくりだ。
二人をよく見ていると、は自然とそれをやってのけているのに対し、トムはまだ意識しているように見える。時々トムの態度に幼さが見えるのは、意識的にの真似をしているトムの本来の部分が出てしまっているからみたいだ。
の淹れた紅茶を受け取って僕も席に着いた。
やっと試食会の始まりだ。屋敷しもべ妖精たちもきゃっきゃと騒ぎながら自分たち用に紅茶を準備している。
「今年は“栗と南瓜のパイ”だよ、召し上がれ」
いつもよりも遅くはじまった試食会は、いつもよりも賑やかだ。トムの存在が僕たち四人の中に光を差し込んでいる気がして、僕は温かい視線をトムに送った。
3.忘れられない面影
◆記憶に焼きつく5のお題◆ お題配布元:refinery